ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

三 「作文の授業」の原則-1

2011-06-28 11:55:38 | Weblog
       子どものうちに育てておきたい心と表現力-④


「言語活動」を重視するなかで、「読むこと」のなかにも、「書く活動」がとりいれられ、話す、聞く」の領域の中でも「書く」ことが生かされています。国語科以外の教科の学習にも。積極的に「書く」ことが取り入れられています。それはとてもいいことだとわたくしも思っています。
 けれどもその書く力、表現力は、どこでどのようにつけられているのでしょう。また、そうした「書く」活動をとりいれたことで、くり返し書かせることで、あたかも文章表現力を育てる「指導」をしたと思い込んでいる人もいるようです。
 書く力・文章表現力は、国語科の「書く」領域で、しっかりとした系統をふまえて、「授業」として展開していかなければならないのではないでしょうか。
 そうした観点にたって、しばらくは、「作文の授業」について考えてみます。(二)では「作文の授業」における10の原則をかんがえてみました。(一)の作文の授業の難しさを、共有しながら、つぎの10項目を読んで、これから私が、とんなことを語りたいのか、今回は、想像してみて下さい。

三「作文の授業」の原則

(一)作文の授業のむずかしさ
(二)「作文の授業」における10の原則
(1)「ねらい」があること
(2)ねらいに応じたさまざまな授業かたちがあること
(3)授業は教師のはたらきかけを含めた子ども集団の学び合いである
(4)やさしいものからむずかしいものへ
(5)学習は積み上げられていく
(6)「実作」が大切である。
(7)「表現意欲」を育てることは何よりも大切にされる
(8)子どもに育てたい内容をもつ
(9) 指導は重点的、分析的、あるいは具体的に行われる
(10)「文章表現過程」の明確化



(一)作文の授業のむずかしさ
 「作文の授業」というとなんだかとてもむずかしいように思う人もいます。教科書には「作文」という言葉があまり登場しなくなったので、そう感じる人もふえてきました。また、作文の授業のむずかしさは、「学習の見通しがたてにくい」という点にもあるといわれてきました。そこには、創造性も求められる「表現」のもつ、特殊性からくるものもあるように思います。次のようなことも、よく指摘されます。

  ・「学級の実態」が、とても大切にされること。
  ・子どもたちにとって、学習のめあてがつかみにくいこと。
  ・教師自身にも、指導の道筋がみていないこと。
  ・学年ごとの指導のねらいが明確になっていないこと。
  ・授業の展開のしかたがわからないこと。

といったことなどが、よくあげられます。
 また、作文教育の実践が語られるとき、子どもの生活や実態の多くが語られ、そこで生まれた作品によって、どのように子どもたちがかわっていったか、どんな子どもに育っていったかということが多く話されます。
 けれども、どのようなめあてのなかで、どのような指導が行われたのか、どんな授業の展開のなかで、その作品が生まれてきたのかあまり話し合われません。一斉指導がどのような形で進められ、それと合わせて個別指導がどうおこなわれたかなどが、なかなか明らかにされません。
 文章表現指導の経過や、指導目標を明らかにしてとりくむことが、文章表現指導を形式的なものにして、表現技術ばかりを教えこむことになると考えたからかもしれません。表現技術の指導に偏っているのではないかという指摘もあるので、その批判をさけていたのかもしれません。もちろんこうした批判には耳をかたむけなければなりません。ここに「自己表現」を重視した文章表現指導のむずかしさがあるともいえます。
 文章表現指導のこうした特殊性にも配慮しつつ具体的な授業の展開を考えたとき、そこにも「授業の原則」としておさえなければならないことがあります。