ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

シントピカル・ライフ宣言

2006年12月31日 01時04分30秒 | 雑記
「好きなサッカーチームは?」という質問に対し、現在もっとも多いと予想される回答はバルセロナでしょう。では、バルセロナの監督であるフランク・ライカールトがヨハン・クライフ(アヤックス)、リヌス・ミケルス(オランダ代表)、アリーゴ・サッキ(ACミラン)といった指導者の下でいずれも中心選手としてプレーし、影響を受けているという事実に関心を持っている人はどの程度いるでしょうか。バルセロナが現在サッカー界の流行の最先端にいることと、ライカールトがトータルフットボールとプレッシングフットボールの混血児だという事実は、全く無関係ではないはずですが、日本では10パーセントにも満たないのではないでしょうか(世界でも少し多い程度だと思いますが)。下手すると、グアルディオラを知らないのが過半数っておそれもありますね。それでバルサ好きってアホですか?

生涯バルサオンリーという人ならば、世界の動きや歴史の流れなど、どうでもいいのかもしれませんが、そうでなければ、人気選手の派手なプレーだけ見れれば満足だという見方は、もったいないのではないでしょうか。全員がそうだと思いたくないですが、何も見てないのと同じと思わせる人さえいます。

というようなことを改めて思ったのは、「シントピカル読書」という概念を最近知ったからなのですが、上に書いたように、読書に限らず適用できるんですね。しかも、関心のあることに積極的に向かい合うタイプの人は、知らないうちに少しは実践している考え方だと思います。せっかくなので簡単に紹介しておきます。

「シントピカル(syntopical)」というのは M.J.アドラーの造語で、syn + topic、つまり同じトピックという意味があるようで、シントピカル読書は、初級読書・点検読書・分析読書に続く、第四のレベルに位置付けられる読書法です。ひとことで表現すると、一冊の本を読むのではなく、同一主題についての複数の本を読む読書です。論文や小説など、文章を書く人には当然のことかもしれませんが、それを読者の立場で行うという発想が新鮮ではないでしょうか。これには相当の時間と意識が必要ですが、アドラーによると、シントピカル読書に値する本は、全書物の1パーセントにも満たないとのことなので、読書ばかりに拘泥せず、まずは日頃の関心ごとに適用していくのがよさそうです。

より関心のある人は、「本を読む本」という本を読んでみてください。「シントピコン」の検索結果12件というのに驚きですが(「シントピカル」でさえ500件未満!)、そういうトレーニングを受ける場がないのでしょうね。そういう語がウェブに記述される機会すらない訳です。このような概念がもっと浸透していれば、現在のバルセロナから攻撃的サッカーの歴史に関心が向かっていく人が少なかったり、音楽といえば流行りの邦楽しか聴かない人が多いというどうしようもない現状よりは、もう少しマシだったのではないかと思います。結局、与えられたものしか楽しめないという、消極的な姿勢なんですよね。

「シントピコン」というのは"Great Books of the Western World"というものすごい全集の編纂過程で生まれた一種のカタログであり、「カタログ化」への抵抗を示す考え方も実際にあるようですが、商業主義先行の安易なカタログでなければ、問題ないと思いますね。カタログの内容が物足りなければ、自分でさらに幅を拡げていけばいいだけの話じゃないですか。質の悪いカタログしか作れないのも頭悪そうですが、カタログがすべて悪いという考えも頭悪いですよね。大体、カタログの内容すら充分に理解できない人間が、それ以上の内容をどうやって学んでいくことが可能なんでしょうか?

とまあ、少し偉そうに書いたりしましたが、来年といわず生涯かけて、意識してシントピカルな取り組みの充実を目指していきたいと思った次第です。不覚にも電車で読んでる途中で何度も眠ったり、読み終えるのに3週間もかかってしまいましたが、今年最後にいい本に出会うことができました。幸い、親しくしてくれている人たちは積極的な方が多いので、よりシントピカルな関係を築いていければいいなと思っています。

それでは皆さん、よいお年を!

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