昨日は、彩茶会という名前の大茶会が川越でありました。大雨の中、大勢のお客さまが川越にお越しくださいました。
私は、10時前に、本丸御殿に行ったのですが、予想をはるかに超える方が順番をお待ちでした。何と、お席に入れたのは、2時間以上待ってからでした。でも、遠州流のお点前を拝見でき、楽しいひとときを過ごしました。
午後3時からは、遠州流のお家元による講演が、市立博物館でありました。江戸初期の川越城主、酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱は、小堀遠州と茶の湯の交わりがあったとのこと。貴重なお話を約1時間にわたり、お伺いすることができました。
4時半からは、茶陶苑にて、歴史アイドル美甘子さんと私のトークショーということになっていたのですが、雨ということもあって、予定どおりに事が運ばなかったようで、わざわざ来ていただいた多くの方がお帰りになるという事態となり、大変、申し訳なく、また、残念に思っています。
美甘子さんは、とても、おきれいで、元気で、素敵な方でした。
「川越の町をもっと面白くさせるには?」という質問に対しては、ITを活用した方法を提案してくださいました。この辺は、市の観光課の方にぜひ、聞いていただきたかったです。(あとで、お知らせしておきましょう)
私に対する質問、「川越の歴史の面白いところは?」では、江戸との関係の深さをお話しさせていただきました。酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱の3人は、川越城主でありながら、幕府の大老、老中を兼任していました。3人とも、徳川家康、秀忠、家光と近しい関係にあり、そして、徳川家の茶道指南役であった小堀遠州から、お茶会に招かれ、信綱は、茶の湯の指導も受けていた、というお話をしました。
また、河越(川越)のお茶は、自覚大師円仁が、喜多院・中院の前身である無量寿寺を創建した際に、お茶園も作ったことが、きっかけとなりました。その後、江戸時代末期になると、狭山茶として復活するわけですが、喜多院からわずか数分のところで、昭和10年代まで、手揉みによるお茶作りがされていた、ということもお話ししました。
美甘子さん、川越にお運びいただきまして、ありがとうございました。歴史好きな若い女性にお会いできて、とても嬉しかったです。
ユラーナ
私は、10時前に、本丸御殿に行ったのですが、予想をはるかに超える方が順番をお待ちでした。何と、お席に入れたのは、2時間以上待ってからでした。でも、遠州流のお点前を拝見でき、楽しいひとときを過ごしました。
午後3時からは、遠州流のお家元による講演が、市立博物館でありました。江戸初期の川越城主、酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱は、小堀遠州と茶の湯の交わりがあったとのこと。貴重なお話を約1時間にわたり、お伺いすることができました。
4時半からは、茶陶苑にて、歴史アイドル美甘子さんと私のトークショーということになっていたのですが、雨ということもあって、予定どおりに事が運ばなかったようで、わざわざ来ていただいた多くの方がお帰りになるという事態となり、大変、申し訳なく、また、残念に思っています。
美甘子さんは、とても、おきれいで、元気で、素敵な方でした。
「川越の町をもっと面白くさせるには?」という質問に対しては、ITを活用した方法を提案してくださいました。この辺は、市の観光課の方にぜひ、聞いていただきたかったです。(あとで、お知らせしておきましょう)
私に対する質問、「川越の歴史の面白いところは?」では、江戸との関係の深さをお話しさせていただきました。酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱の3人は、川越城主でありながら、幕府の大老、老中を兼任していました。3人とも、徳川家康、秀忠、家光と近しい関係にあり、そして、徳川家の茶道指南役であった小堀遠州から、お茶会に招かれ、信綱は、茶の湯の指導も受けていた、というお話をしました。
また、河越(川越)のお茶は、自覚大師円仁が、喜多院・中院の前身である無量寿寺を創建した際に、お茶園も作ったことが、きっかけとなりました。その後、江戸時代末期になると、狭山茶として復活するわけですが、喜多院からわずか数分のところで、昭和10年代まで、手揉みによるお茶作りがされていた、ということもお話ししました。
美甘子さん、川越にお運びいただきまして、ありがとうございました。歴史好きな若い女性にお会いできて、とても嬉しかったです。
ユラーナ
こちらこそありがとうございました!
川越の歴史を聴くことができ、私ももっと川越が好きになりました。
雨が残念でしたね!またお逢いしたいです。
元気いっぱいで、歴史が大好きな美甘子さんの楽しいお話が聴けて、とても嬉しく思いました。
本当に、雨が残念でした。私も、上戸の河越氏館跡での甲冑隊によるお点前を拝見したかったです。ぜひ、また、川越にお運びくださいね。