昨日は、朝まで大雨でしたが、11時頃から、小雨になりましたね。川越の芳野地区、古谷地区に連れて行ってくださる方があったので、出掛けました。
お昼を食べ終わった頃には、すっかり晴れて気持ちがよい日となりました。
川越市が、在(ざい)と呼ばれた旧9ケ村(芳野村、古谷村、南古谷村、高階村、福原村、大東村、霞ケ関村、名細村、山田村)を合併して現在の市の形になったのは、昭和30年(1955)。わずか56年前です。旧市内に育った私は、川越の農村部に行くことはほとんどありませんでした。
しかし、行ってみたら、とても素晴らしい空間が広がっていました。
入間川の土手。向こう側に、荒川があるそうです。
すでに田植えが行われていました。何とも美しい景色です。
あちこちに、道祖神がいらして、地域の方の信仰の対象となっています。
伊佐沼近くの薬師神社は、茅葺の建物。社殿は、元和9年(1623)、川越城主酒井忠利の奉納により、建立。茅葺屋根の曲線ときれいにカットされている面が何とも美しい。
田んぼと緑が多く、鳥がさえずり、蛙の鳴き声が聞こえて、何と自然に恵まれているのかしら、と思いました。道のどこにも、自動販売機はなかったように思います。そして、川越の町中は、こういう周辺部の方たちによって、支えられているんだなぁ、と思いました。
ユラーナ
お昼を食べ終わった頃には、すっかり晴れて気持ちがよい日となりました。
川越市が、在(ざい)と呼ばれた旧9ケ村(芳野村、古谷村、南古谷村、高階村、福原村、大東村、霞ケ関村、名細村、山田村)を合併して現在の市の形になったのは、昭和30年(1955)。わずか56年前です。旧市内に育った私は、川越の農村部に行くことはほとんどありませんでした。
しかし、行ってみたら、とても素晴らしい空間が広がっていました。
入間川の土手。向こう側に、荒川があるそうです。
すでに田植えが行われていました。何とも美しい景色です。
あちこちに、道祖神がいらして、地域の方の信仰の対象となっています。
伊佐沼近くの薬師神社は、茅葺の建物。社殿は、元和9年(1623)、川越城主酒井忠利の奉納により、建立。茅葺屋根の曲線ときれいにカットされている面が何とも美しい。
田んぼと緑が多く、鳥がさえずり、蛙の鳴き声が聞こえて、何と自然に恵まれているのかしら、と思いました。道のどこにも、自動販売機はなかったように思います。そして、川越の町中は、こういう周辺部の方たちによって、支えられているんだなぁ、と思いました。
ユラーナ
今日は朝から五月晴れでしたね、荒川の土手と田圃の早苗が眩しく伝わってきます。ここのところ土曜日曜も無かったので、久しぶりの病院とレンブラント展に行きました。上野の山の新緑も久しぶりのためか眩しく感じたオジサンでした。日の出が早くなると、早寝早起きになってくるお爺さん化しています。
コメントありがとうございます。新緑、いいですよね。早起きは三文の得、と申します。決して、お爺さんではないですよ。
奈良観光をしたときに、バスガイドのおねえさんが、このことわざの説明をしてくれました。「昔、奈良では、もし神聖な鹿が家の前で死んでいたら、三文取られることになっていました。三文も払うのは大変なので、いつも早起きをして、家の前で鹿が死んでいないかどうかを確かめました。もし、死んでいた場合は、隣の家の前に持って行き、自分は三文は払わずにすみました」と、すごい話でした。