彩の国いきがい大学川越校にて、講演をしてまいりました。学生さんは、60代以上の方がほとんどでした。
川越市民会館の会議室は、130名の熱気に溢れる学生さんでいっぱい。
「川越の歴史と文化」について講義をして欲しいというご依頼でしたので、2008年の8月にNHKのラジオ深夜便「こころの時代」の講演会で行った内容を補足する形で、途中10分の休憩を挟み、90分の授業を行わせていただきました。
現在、川越市は、「小江戸川越」として知られていますが、「江戸の母 川越」という表現もあります。
天正18年(1590)、関東に入ってきた徳川家康は、北の守りとして川越城をとても大切にしました。
川越の喜多院には、天海僧正がおり、蓮馨寺には、源誉上人(後の観智国師)がいて、共に、家康の知恵袋として、活躍しました。
歴代の川越城主は、譜代大名と親藩が務め、多くの城主が、幕府の老中・大老を兼務していました。
「小江戸川越」というと江戸の小さい版であるかのような感じがいたしますが、川越は、「江戸の母」であった、「江戸の奥座敷」であった、ということを80分の授業の中で、明らかにさせていただいたつもりでおります。
ブログに書くにはあまりにも長すぎるので、また、講演にお呼びいただけるようなことがありましたら、お話しさせていただきたいと思います。
130名の学生さんは、皆さん、熱心に、耳を傾け、メモを取ってくださいましたので、話していても、とても張り合いがありました。どうもありがとうございました。
ユラーナ
川越市民会館の会議室は、130名の熱気に溢れる学生さんでいっぱい。
「川越の歴史と文化」について講義をして欲しいというご依頼でしたので、2008年の8月にNHKのラジオ深夜便「こころの時代」の講演会で行った内容を補足する形で、途中10分の休憩を挟み、90分の授業を行わせていただきました。
現在、川越市は、「小江戸川越」として知られていますが、「江戸の母 川越」という表現もあります。
天正18年(1590)、関東に入ってきた徳川家康は、北の守りとして川越城をとても大切にしました。
川越の喜多院には、天海僧正がおり、蓮馨寺には、源誉上人(後の観智国師)がいて、共に、家康の知恵袋として、活躍しました。
歴代の川越城主は、譜代大名と親藩が務め、多くの城主が、幕府の老中・大老を兼務していました。
「小江戸川越」というと江戸の小さい版であるかのような感じがいたしますが、川越は、「江戸の母」であった、「江戸の奥座敷」であった、ということを80分の授業の中で、明らかにさせていただいたつもりでおります。
ブログに書くにはあまりにも長すぎるので、また、講演にお呼びいただけるようなことがありましたら、お話しさせていただきたいと思います。
130名の学生さんは、皆さん、熱心に、耳を傾け、メモを取ってくださいましたので、話していても、とても張り合いがありました。どうもありがとうございました。
ユラーナ
貴女が川越の歴史講義をされているなんて知りませんでした。私たち「いきがい大学東松山学園」での課題研究は「川越の城と城下町について」でした。人づてにやっと、探した川名美和子先生の指導の下、まとめ上げました。貴女の指導が受けられることを知っていればーと残念がっています。では
コメントどうもありがとうございます。私の場合は、私の視点での川越の歴史を一方的に語るものです。課題研究をされて、まとめられたとは素晴らしいですね。私には、そういう指導力はありませんデス。また、お会いできればと思います。