goo blog サービス終了のお知らせ 

ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

南高梅

2010年06月23日 | 短歌
家の南高梅が色づき始めました。ちょっと前までは、父が長年梅干しを作ってくれていたのですが、2年前から若い者にバトンタッチです。




2002年7月21日の日経歌壇に載った私の歌です。

          南高梅ひとつふたつと拾ひては父はやさしく井戸水で洗ふ (高野公彦選)


当時は、まだ、家の井戸から水を汲み上げることができましたが、今は、枯れてしまいました。井戸のお水は、夏は、冷たくて洗い物をするのに、とても具合がよかったのに残念です。

梅干しにするには、天日に三日三晩、干す必要があります。南高梅は、皮がやわらかくてとても美味しい梅干しになりますね。


ユラーナ


「南高梅」の名前の由来(ウィキペディアより)

明治時代に和歌山県の旧・上南部村(現・みなべ町)で高田貞楠(さだぐす)が果実の大きい梅を見つけ、高田梅と名付けて栽培し始める。1950年に「梅優良母樹種選定会」が発足し、5年にわたる調査の結果、37種の候補から高田梅を最優良品種と認定。調査に尽力したのが南部高校の教諭竹中勝太郎(調査委員長、後南部川村教育長)であったことから、高田の「高」と「南高」をとって南高梅と名付けられ現在に至る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家の廊下は黒光りせり

2010年06月19日 | 短歌

      母と我が体重掛けて磨き来し家の廊下は黒光りせり
                                 詠人 ユラーナ

私が詠んだ歌です。私は、大正時代にご先祖さまが、祖母のために建てて下さった家が大好きです。昔の家は、プライバシーに配慮していないので、住みにくいといえば住みにくいのですが、生まれてからずっと住んでいるので、さほど不便は感じません。

祖母はお嬢様育ちであったので、お掃除をすることもなかったように思いますが、母は、お嫁に来てから、朝晩、一所懸命お掃除してきました。私も、子供の頃から、廊下の雑巾掛けと障子貼りは、手伝わされました。

家はさほど大きくはありませんが、北の廊下、中廊下、南の廊下とあります。雑巾掛けは、子供の頃は、嫌々でしたが、今は好きです。家の価値がわかってきたからでしょうか。体重を掛けて拭き込むと、家が喜んでいるような気がします。

歌では、「黒光りせり」と詠みましたが、実際は、茶色ですね。今様のワックスがけしてある廊下ではなく、木肌そのままです。水で濡らした雑巾で拭き込めば拭き込むほど、ぴかぴかしてつるつるになります。自分が生きている限り、何とか、維持したいと思いますが、どこまで持ちこたえられるでしょうか・・・

この歌に対して、短歌を指導してくださっている先生からは、次のような講評をいただきました。

「築八十年を越える家に今なお住むということそのものが、とても貴重な体験と言えます。歴史ある家に対する愛情が、上の句、特に二句によく表れています」


ユラーナ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨入りと紫陽花

2010年06月14日 | 短歌
関東地方も梅雨入りしましたね。雨だと洗濯物が乾かなくて嫌だなぁ、と思うのですが、「雨がすべてを浄化してくれる」、そんな風に思うと、梅雨も楽しめるように思います。

庭に下りてみたら、紫陽花がすでに咲いていました。ピンクとブルーの紫陽花。まだ、色はつき始めたばかりです。








古来、紫陽花を詠んだ歌は、そう多くないようです。


     夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり


これは、藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)の歌。平安後期から鎌倉初期の歌人。藤原定家の父。「紫陽花の四ひらの花の露に澄んだ月の光が宿っているのを見ていたら、夏であっても、あわれを感じ、心が尽きてしまった」という意味の歌だそうです。今の新聞歌壇に投稿しても採用されないと思いますが、美しい調べですね。

公家の時代から武家の時代に移り行く中で、俊成は、早くから出家願望があったと言います。淡々と自然の美を詠んだ中に、出家への思いがにじんでいるような気がします。


ユラーナ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船舶通信士

2010年04月28日 | 短歌
私の父は、船舶通信士でした。船舶通信士は、モールス信号を送受信していましたが、今は、GMDSSというシステムのために、客船以外は、船舶通信士が乗船する必要性はなくなってしまいました。よって、世界で現存する船舶通信士は、数える程だそうです。

父が船舶通信士になったのは、太平洋戦争のためです。海軍に入る予定でしたが、入隊直前に終戦となりました。その後、マッカーサー指令によって、引き揚げ船に乗り、それから、現在もある大手船舶会社に入りました。

私が生まれたときも、父は、イギリスに向かう船に乗っていて、すでに両親が亡くなっていた母は、私を一人で産みました。父が赤ん坊の私に会ったのは、生まれてから3か月後だったと言います。弟が生まれるときも、父は、インド洋の真ん中にいました。

外国航路に出ると、半年間は海の上で、家に帰ってくるのは約3日間だけでした。世界地図を壁に貼り、「今、お父さんの船は、ソロモン群島あたりだね」と言ったりしました。手紙を書いて、次に着く港に、航空便で送りました。太平洋のド真ん中で船が座礁に乗り上げて遭難し、運よく日本の漁船に救助され、すべてを置いて、身一つで帰って来たこともあります。

出港する船の見送りに行ったことがあります。港から出る巨大な船は、海の上をなかなか進みません。水平線は、遥か遠くなのです。いつまでも、いつまでも、手を振っていても、父とさよならすることが出来ませんでした。涙がポロポロこぼれました。

        父の乗る船見送れば水平線はるかにまぶしここのつの冬
                                  詠み人 ユラーナ


今のネットや電話の時代は、夢のようです。お陰さまで、父は、健在です。


ユラーナ


デジタル大辞泉より GMDSSとは
《 Global Maritime Distress and Safety System 》海上における遭難および安全の世界的制度。国際海事機関(IMO)が世界的に導入している人工衛星を利用した船舶の海上安全通信システム。1992年から導入され、99年にこれまでのモールス通信体制からGMDSS体制に完全移行した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿

2010年03月19日 | 短歌
藪(やぶ)椿がやっと咲きました。数年前の冬に、植木市で買ったものです。植木屋さんによると、「最近は、茶花として侘助(わびすけ)ばかりが人気になってしまって、椿の原種である藪椿がなくなってきてしまっているので、あえて売っている」、ということでしたので、買ってみました。

去年、大きな鉢に植え替えたところ、よく咲いてくれました。花芽をつけたのは、去年の10月でしたので、ここまで育つまでに、随分と時間がかかりました。


一昨日の朝の時点では、まだ、蕾は固かったのですが。




昨日の朝は、こんなに開きました。




そして、今朝。





同じときに、本白玉という品種も買いました。これは、去年の10月に咲いてくれました。

そのときに詠んだ歌です。


       客人を迎へる朝に本白玉の白きつぼみが一輪ひらく
                                       詠人 ユラーナ


この歌には、短歌を指導してくださっている先生から、次のようなご講評をいただきました。「一首の背景を知らなくとも、全体を貫く清浄とした感じに心を打たれます。『客人』もここでは、マロウドと呼びたいくらいです」と。

「客」と書いて、「まろうど」と読めるとは、知りませんでした。古語辞典を引くと、「まらうと」とありました。「稀(まれ)人」から「まれに来る人の意」だそうです。美しい日本語に出会いました。

ユラーナ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする