シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は七浦坑です。
七浦坑は、明治16年(1883)に稼働開始した、
大浦坑に継ぐ官営時代の主力坑で、
その後第二竪坑と第三斜坑が造られ、
昭和6年(1931)まで稼働した坑口でした。
約40年稼働した七浦坑から産出した石炭は、
主に上海に輸出、外貨獲得に貢献したそうです。
写真は大正末期の七浦坑ですが、
少し珍しい形の竪坑が写っています。
また高さのある4本の煙突や、
煉瓦造りの建屋も幾つも見え、
規模の大きな坑口施設だったことが伺えます。
写真は現在の七浦坑第一竪坑巻上機室。
(大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在では、第一竪坑巻上機室の建屋や、
竪坑の煉瓦囲いおよび櫓の一部が残存。
最初の写真に写る竪坑櫓が第一竪坑ならば、
その左隣に移る、屋根が開いている建物が巻上機室なので、
おそらく現存する建物だと想います。
前回アップした大浦坑は、
既に官営時代の施設は残存していませんが、
七浦坑の巻上機室はまさに官営時代のものなので、
是非とも残って欲しいものです。
また、官営の時代には、
これまでアップして来た大浦坑、七浦坑、宮浦坑の他にも、
三池炭鉱で最初に坑底(坑道の一番深い所)に排水用ポンプを設置した、
明治10年(1876)操業開始の三ツ山坑や、
大浦坑などの坑内排水坑として、
明治20年(1886)から操業開始する早鐘坑など、
多くの坑道が造られていました。
◆
【七浦坑】
福岡県大牟田市合成町
今回は時間がなく見学出来ませんでしたが、
いずれ機会があれば見てみたいと想います。
『筑後の近代化遺産』(弦書房刊)によると、
許可を求めれば見学出来る様に書いてありますが、
詳細はわかりません。
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は七浦坑です。
七浦坑は、明治16年(1883)に稼働開始した、
大浦坑に継ぐ官営時代の主力坑で、
その後第二竪坑と第三斜坑が造られ、
昭和6年(1931)まで稼働した坑口でした。
約40年稼働した七浦坑から産出した石炭は、
主に上海に輸出、外貨獲得に貢献したそうです。
写真は大正末期の七浦坑ですが、
少し珍しい形の竪坑が写っています。
また高さのある4本の煙突や、
煉瓦造りの建屋も幾つも見え、
規模の大きな坑口施設だったことが伺えます。
写真は現在の七浦坑第一竪坑巻上機室。
(大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在では、第一竪坑巻上機室の建屋や、
竪坑の煉瓦囲いおよび櫓の一部が残存。
最初の写真に写る竪坑櫓が第一竪坑ならば、
その左隣に移る、屋根が開いている建物が巻上機室なので、
おそらく現存する建物だと想います。
前回アップした大浦坑は、
既に官営時代の施設は残存していませんが、
七浦坑の巻上機室はまさに官営時代のものなので、
是非とも残って欲しいものです。
また、官営の時代には、
これまでアップして来た大浦坑、七浦坑、宮浦坑の他にも、
三池炭鉱で最初に坑底(坑道の一番深い所)に排水用ポンプを設置した、
明治10年(1876)操業開始の三ツ山坑や、
大浦坑などの坑内排水坑として、
明治20年(1886)から操業開始する早鐘坑など、
多くの坑道が造られていました。
◆
【七浦坑】
福岡県大牟田市合成町
今回は時間がなく見学出来ませんでしたが、
いずれ機会があれば見てみたいと想います。
『筑後の近代化遺産』(弦書房刊)によると、
許可を求めれば見学出来る様に書いてありますが、
詳細はわかりません。
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