黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

1945年8月9日 11時2分

2013-08-09 11:02:00 | 軍事遺産
11時2分で止まった時計


時々、
会社がない社会はどうだろうかと夢想することがある。
会社はあくまでも経済の世界だけど、
ヒエラルキーは支配を生み出す基礎になる。

20世紀。
支配する感覚が肥大し、
支配している感覚が麻痺したとき、
原爆が落とされたのかもしれないと。

今日、DVDレコーダーの番組キーワード検索で、
「長崎」を入力してみた。
表示されたのは、数番組に過ぎなかった。
少しでも記憶を風化させないために。





黙祷

片島魚雷発射試験場跡 #12

2007-11-10 00:40:20 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
シリーズ最後の今日は、片島のある川棚町の、
海軍の工場跡<川棚海軍工廠 (しょう)>です。

片島の見学を終え、国道205号線で長崎へ向かう途中、
道から崩れかけの煉瓦の建物が幾つも見えたので、
ちょっと寄ってみることにしましたが、
ぐるぐると回ってやっと辿り着いた煉瓦の建物は、
民家の敷地の中に建っていました。



たまたま家の人がいて、建物の事を訪ねると、
気持ちよくいろいろ教えてくれ、見学も許可してくれました。
建物の敷地は川棚町のものだそうですが、
完全に個人宅の敷地の奥に収まっています。
近くで見るとかなりしっかりした煉瓦造りです。







川棚町の敷地といっても、町がなにかしている訳ではなく、
建物の中は芋畑に転用されています。
屋根がなく周囲が囲われているので、
作物を育てるのにはうってつけの環境なのでしょうか。







建物内部の一角に
人一人がやっと入れるくらいの浴槽らしきものがあることから、
人が常駐して使っていた建物だったのかと思います。

川棚町の海側のエリアは、
かつて大規模な海軍の工場があった場所だそうです。(川棚町談)
その当時の施設の名残がこうして町内に点在し、
今でも転用されています。
建物の中には屋根が残っているものもあり、
それらは倉庫としてつかわれているようです。







海軍工廠の跡地は、戦後大規模な工業地帯に変貌し、
沢山の人があつまって、賑わったそうです。

そして今、海寄りの工業地帯だっと思われる敷地には、
荒涼とした更地が広がっています。

■追記:JUNE 18, 2008
ブックマークさせて頂いているALL-Aさんが、
この施設のひきの光景をアップされているので是非ご覧下さい。
ALL-A川棚海軍工廠02

◆ 片島魚雷発射試験場跡 ◆
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片島魚雷発射試験場跡 #11

2007-11-09 00:33:22 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
今日は島内の施設の最後です。



明治期の鎮守府開庁以来、軍港都市の歴史を歩んできた佐世保。
その付属施設的な役割を担った片島の魚雷発射試験場跡は、
そういった過去があったことを全く感じさせないそぶりで、
大村湾の片隅にひっそりと佇んでいます。







今はただ木漏れ日にそよぐ木々の葉が影を落とし、
自然のしじまに身を委ねる美しい光景が広がっているだけです。







島への入口に立つ案内板からは、
町が戦争遺跡として保存しようとする意欲を感じます。
撮影をしていると、建設業者の人が見学に来ました。
省庁からの依頼で、保存へ向けての下見に来たそうですが、
別にここはなにもする必要がありません。
平日には、犬の散歩をする地元の人に、
休日には、たまに訪れる見学者に見守られながら、
静かに崩れていくのもまたいいもんだと思います。

◆ 片島魚雷発射試験場跡 ◆
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片島魚雷発射試験場跡 #10

2007-11-08 01:54:19 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
今日は島の頂上に残る、観察施設です。



島高は60~70メートルくらいでしょうか。
蛇行して登る行程の感じが、以前アップした中ノ島に近い感じがしました。
地続きということもあってか、中ノ島より遥かに整備されいますが、
それでも道の両側には鬱蒼とシダが茂り、
南国の雰囲気を醸し出しています。







道なりに進んだ頂上の再奥に小さな観測所がぽつんと残っています。
以前アップした海上観測所同様、
丘の上からも魚雷の性能を監視したのだと思いますが、
今は草木に囲まれて、施設から大村湾を見る事はできません。







観測所の内部。
当時は2階があったようですが、
いまでは階段や2階の床面の跡がトマソンとして残るだけです。
壁面はかなり落書きが激しいのですが、
この建物の内部には落書きがあまり似合わないので、
画像処理してあります。







◆ 片島魚雷発射試験場跡 ◆
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片島魚雷発射試験場跡 #09

2007-11-07 06:33:41 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
昨日に引き続き、周囲に点在する付属施設の数々です。



魚雷格納庫から少し距離のある木立の中にも、
プール状の水槽があります。
昨日アップした実験用水槽とほぼ同じ規模なので、
これもまた浮かして実験をする施設かとも思いますが、
すこし距離があるのが気になります。







水槽の近くにはこんな年期の入った鉄管の残骸もあります。
水槽への給水管の名残でしょうか。







またそのすぐ近くには、鬱蒼と茂った木立の中に、
鉱山の斜坑口を思わせる、アーチ状の横穴跡もあります。
内部は10メートル位で塞がれていますが、
これは何の施設だったのかわからないそうです。(川棚町談)
その頑丈そうな造りから、
弾薬庫系の施設とか避難系の施設を連想します。

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片島魚雷発射試験場跡 #08

2007-11-06 02:40:01 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
今日は、周囲に点在する付属施設の数々です。



一番大きな施設、魚雷格納庫のすぐ隣には、
四隅の梯子がない以外、殆どプールと同じ作りの水槽跡があります。
これは魚雷を浮かべて、その浮き具合等をチェックした水槽だそうです。







そのすぐ隣には、素材は格納庫と同じ大振りの石ながら、
かなり規模の小さな小屋の跡もあります。
水槽の調整室かなにかかと思いますが、
周囲を相当木に囲まれて、怪しげな雰囲気を漂わせています。







また格納庫の裏手には、
貞子の井戸を彷彿とさせる構造物もあります。
これは水槽のためのポンプ等が乗っていた基礎とかでしょうか。

小さな小屋や井戸状の構造物等、
周囲には用途がわからないものもけっこう残っています。

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片島魚雷発射試験場跡 #07

2007-11-05 05:15:12 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
昨日に引き続き、海に出っ張った堤防の上の遺構、
魚雷発射施設跡です。



この場所から大村湾に向かって、ズバーン!っと発射されたわけですね。
ここは試験場なので、魚雷の中には火薬を積まず、
ただの水進実験のための発射も行われたと思います。
ということは、大村湾のこのへんの海底には、
今でも沢山の魚雷が眠ってる、ってことでしょうか。

現在では突堤の先にポツンと塔の形で残っていますが、
1階部分の崩れ具合や周囲の状況からすると、
恐らく当時は
右側の突堤の上にも建物があり、
左の塔と何らかの形で繋がっていたんではないかと思います。







昨日アップした画像の真ん中の画像の奥に写る施設。
これは発射された魚雷の様子を階上から観察する施設だそうです。
当時は手前のコンクリの道が施設まで繋がっていたんでしょうが、
途中で落ちてしまっているので、
施設まではいけません。







発射場付近からの、格納庫方面の眺め。
突堤の下はアーチ状に造られています。
突堤の上には2状の凹みがありますが、
格納庫から発射場へ魚雷を運ぶための軌道跡だと思います。

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片島魚雷発射試験場跡 #06

2007-11-04 00:24:19 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
今日は、最初の頃にアップした、海に出っ張った堤防の上の遺構、
魚雷発射施設跡です。



唐突に突き出したL字型の突堤の先端が、
魚雷発射場跡です。
トーチカ程小さくはありませんが、それでも小さめの窓穴が、
軍事施設だった事を感じさせてくれます。
建物の右側、対岸の木が禿げている部分に、
先日アップした海神神社が見えます。







シンプルな造りながら、
上部のちょっとしたレリーフがアクセントになっている綺麗な建物です。
3階建てだったようですが、
1、2階に比べて半分くらいの高さの窓枠を持つ3階は、
果たして何に使われたものだったんでしょうか。
煉瓦の周りをコンクリで塗り固めたようですが、
所々コンクリが剥落し、煉瓦が顔を出しているのも、
またいい感じです。
建物の先端と海面の接点付近に黒い色のスリットのようなものがみえます。
恐らく開閉用の板が差し込まれていたんではないかと思います。







内部はがらんどうで、各階の床は完全に抜け落ちています。
内側の壁は外に比べて薄かったのか、
殆どが剥落して煉瓦が露出しています。

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片島魚雷発射試験場跡 #05

2007-11-03 00:18:31 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
今日は、この残存施設群の中でもっとも大きな建物、
魚雷格納施設跡の2つめの部屋の内観です。



魚雷格納庫は2つの部屋に分かれていて、
奥の部屋は、昨日アップした海寄りの部屋よりやや狭い造りです。
壁の剥落が、手前の部屋より弱いので、基礎の大きな石が見えず、
コンクリで塗り固められた印象ですが、
こちらはこちらでまた素晴らしい景観です。







手前の部屋も、この部屋も、
床を見ると1m位の幅で不規則に掘られた溝が残っていて、
その様子は変電所の施設でよく見かける床の構造とかなり似ています。
当初変電施設かと思いましたが、
川棚町の話では、魚雷の格納庫だったという話なので、
そうなのでしょう。







手前の部屋と違って、こちらの部屋は、
カンボジアやタイなど、東南アジアにある石造の寺院や、
あるいは戦渦の集落にある廃墟などを連想します。
(実際に行った事はありませんが)

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片島魚雷発射試験場跡 #04

2007-11-02 00:04:07 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
今日は、この残存施設群の中でもっとも大きな建物、
魚雷格納施設跡の内観です。



昨日アップした格納庫の中へ入ってみると、
外観よりさらに素晴らしい光景が広がっています。







屋根が抜けた建物の内部に木々が育っている廃墟は各地にありますが、
ここまで絵に描いたようにど真ん中に一本の大きな木が育っているのは、
珍しいのではないでしょうか。
あまりにも出来過ぎですが、
ともあれ、サンクチュアリーです。







窓枠から差し込む日差し。いい具合の石の感触。
ほどよい色の壁と緑の葉のコントラスト。
この建物は過去も今も犯罪です。

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片島魚雷発射試験場跡 #03

2007-11-01 01:32:11 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
今日は、この残存施設群の中でもっとも大きな建物、
魚雷格納施設跡です。まず外観から。



昨日アップした、海に突き出した堤防と突端の施設を見ながら島内へ進むと、
ほどなくこの施設跡が見えて来ます。
1階部分と2階部分の石組を変えているだけですが、
素朴ながら味わい深い雰囲気を醸し出しています。
一部の関係者にしか知られる事のなかった軍事施設だったことは、
とてももったいなかった建物だと思いますが、
実際にここで働いていた人たちは、
そんなことを感じる余裕はとてもなかったんではないかとも思います。







日が射すと、建物の美しさが際立ちます。
敗戦から60余年、もはや当時の面影はどこにも感じられません。







別の場所から眺めてみましたが、どこから見ても絵になります。
もともと島だったと思われるエリアには人が住んでいないので、
視界をさえぎるものはなにもなく、
ただ生い茂る植物の中に静かに佇む遺構群が点在するだけです。

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片島魚雷発射試験場跡 #02

2007-10-31 01:35:42 | 軍事遺産
長崎県のハウステンボスの近くにある、
片島魚雷発射試験場跡のはなし。
昨日は試験場跡までの道中の話でしたが、
今日からは実際の遺構の話にいきたいと思います。
ひなびた漁村を抜けるとその先が片島です。
こんもりと木が茂る高さ50m位の小さな島ですが、
なんとなしに神聖な雰囲気も感じられ、
かつて陸続きでなかった時は風光明媚な場所だったんではないかと思います。



もとから島だったと思われる敷地に入ると、
入り江に突き出した堤防に残る塔のような遺構が目に入ります。
島内は特に整備されている訳でもありませんが、
手入れは行き届いているので、容易く施設跡へ近づく事ができます。







海岸には松が育っていて、
松越しにみる遺構もまた風情があります。
かつて付近の住民すら知らなかったとう極秘の軍事基地だったとは、
とても想像しがたい和みきった光景です。







漁港の小さな湾越しに対岸を見ると、せり出した崖の海岸線に鳥居がみえます。
いわくありげな岩窟神社は海神神社。
元禄時代、筑前藩主が大村湾を渡っていた時に嵐にあい、
無事を海神様にお祈りしたところ、無事渡る事が出来た事から創建された、
八大竜王をまつった神社だそうです。
ということは、この片島が魚雷試験場だった時代を、
ずっと見て来た神社ということですね。
周囲の状況から、船でしか行けないのかと思いましたが、
引き潮になると海岸線づたいに行けるそうです。

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片島魚雷発射試験場跡 #01

2007-10-30 01:12:36 | 軍事遺産
長崎県佐世保市の南、ハウステンボスのすぐ近くにある小さな町、
川棚 (かわたな) 町 (→Mapion) の、片島魚雷発射試験場の話。
まずは魚雷試験場までの道中の話から。



長崎県には彼杵 (そのぎ) という地名のついたところが沢山あります。
由来は諸説あるようですが、その発音を初めて聞いた時に、
とても長崎にマッチした発音だと思いました。なんとなくですが。。。
そんな土地の名前がついた、道の駅で販売されていた「そのぎ茶」
ソフトクリームやお菓子も販売していましたが、
魚雷試験場のある川棚町を含む彼杵地方はお茶の産地でもあるそうです。
とても自然で素朴な味が美味しいお茶です。

魚雷試験場は片島 (→Mapion) という場所にあります。
もともとはその名の通り小さな島だったようですが、
埋め立てられ、今では完全に陸続きになっています。
埋め立てられた土地と思われる平地にはひなびた漁村があり、
魚雷試験場までの道すがら、心なごませてくれます。



かつて漁船が乗っていたと思われる台車。
川棚町は長崎県の中央にで~んとある大村湾のはずれに位置するので、
海の綺麗さは東シナ海側の外海程ではありませんが、
それでも青緑の海水は長崎の海らしく、透き通っていて綺麗です。







民家の庭にあるひなびた物置。
潮風と太陽に晒され、焼けきった風情は、
漁港ならではのものだと思います。







1棟だけ建つ公営アパートの雰囲気を漂わせる建物。
まだ住人がいるのか、それとももう既にではらっているのか。
いずれにせよ物静かな日に焼けた町にはマッチする建物です。

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北の丸公園 5

2007-07-21 06:14:47 | 軍事遺産


今週アップしてきた北の丸公園の話。
江戸城の城門の中で、最も北に位置する田安門のすぐ裏には、
地図や北の丸公園の案内図に載っていない弥生慰霊堂があります。→Mapion
▼wiki(コピペでお願いします)
http://ja.wikipedia.org/wiki/弥生慰霊堂
当初見学する予定にはなく、
この日たまたま田安門の近くを通りかかった時に見つけた場所でしたが、
後日wikiの解説を見て、この場所の意味を知りました。
もともとは靖国神社の発祥と深いかかわりがある、
2,500柱以上の警察、消防関連の仕事で命を落とされた人たちのための、
慰霊神社だそうです。

昨日までの記事でアップしてきたように、
一般市民のために、綺麗に整備され、公開されているように見える北の丸公園が、
実は日本陸軍への祝福と鎮魂的な意味が強く反映された場所だったように、
弥生慰霊堂をはじめ、
科学技術館裏手の警視庁第一機動隊や皇宮警察宿舎(→Mapion)など、
江戸城跡全体が、
国家機関に強く支配されている場所だということがよく分かります。





田安門のすぐ近くにある高灯籠(通称、常灯明台)は、
明治4年(1871)靖国神社に祀られた霊のために立てられた灯明。





かつては東京湾の運航目標にもされたと言われる灯りは、
今はビルの谷間でひっそりと輝いています。

◆ 北の丸公園 ◆
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