黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

三池炭鉱 #23:大牟田点景

2014-02-17 01:43:24 | ・三池炭鉱
シリーズでアップしている三池炭鉱。
今回は、これまでアップしてこなかった物件にさらっと触れたいと想います。

◆石炭露頭◆

三池炭鉱

石炭の発見伝説が残る稲荷山の付近には、
今も石炭の露頭があります。
今でも採掘出来る石炭なので場所は非公開に、
ということなので所在地はアップ出来ませんが、
「伝治左衛門夫妻がとろとろと燃やした石」
の伝説をリアルに実感出来ます。





◆排気竪坑用の人工島◆

三池炭鉱

画像中央に写るのは、有明海に浮かぶ「初島」と呼ばれる、
排気竪坑の為に造られた人工島です。→google map
稲荷山近辺に露頭していた石炭の層は、
有明海に向かって徐々に深くなって行き、
採掘拠点も次第に海寄りへと移動して行きました。
そして有明海の外海へどんどん行くに従って、
坑道内の換気施設も海上に造らざるおえなくなり、
その結果造られた人工島です。
上から見ると円形をしていて、かつては竪坑が口を開けていましたが、
現在では坑口は塞がれ、島の上には植物が繁茂しています。

手前に写る無数の細かな柱は海苔の養殖場です。
有明は海苔で有名ですね。





三池炭鉱

初島は海岸から見ることができますが、
更に遠くの沖合には三池島と呼ばれる、
初島同様排気竪坑のために造られた人工島もあります。
google map ※もう詳細写真が表示されないエリアです。





◆泉橋と旭橋◆

三池炭鉱

画像は大正5年(1916)竣工の「泉橋」で、
大牟田に残る最古の鉄筋コンクリート橋だそうです。
上から見るとラッパのような形をしていて、
南側の幅が4.5mなのに対し北側が13mもある、
不思議な形をした橋です。→google map





三池炭鉱

泉橋のすぐ隣には大正13年(1924)竣工の「旭橋」があります。
こちらは泉橋と違って橋の形は普通で、
頂部に球を載せた四隅の親柱と中央にある、灯りを載せた台座柱は、
泉橋より遥かに凝った趣のあるデザインですが、
欄干等は作り替えられてしまっています。





◆炭鉱鉄道軌道跡◆

三池炭鉱

泉橋の近くに残る炭鉱鉄道の軌道敷跡。→google map
これまでアップして来た主要な坑口と港を結び、
大牟田市内をぐるっと曲線で囲む様に走っていた鉄道敷は、
すでに線路は殆ど撤去されているようですが、
それでもコンクリート製のホームや鉄橋等、
残存する施設もあるというので、
今回は時間がなく巡ることはできませんでしたが、
次回訪れた時は、是非巡ってみたいと想います。

ちなみに三池鉄道の軌道跡は、
「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産にリストアップされています。

また、以前の記事でアップした、
電気機関車が保存されている三井の化学工場のヤードから、
鹿児島本線までの約1.8kmを繋ぐ旭町支線は、
かつての炭鉱電車の機関車が現役で運行しています。





◆大牟田の夜◆

三池炭鉱

市内に残るかつての炭鉱電車軌道の橋跡。
彫刻風のレリーフを左右にあしらい、
中央には時計まで埋め込んだ、
凝った造りの鉄橋です。

炭鉱鉄道は築堤の上を走っていたようで、
市内には、至る所に築堤をくぐるトンネルがあります。





三池炭鉱

夜の市内はひなびた雰囲気が色濃く漂います。
炭鉱が最盛期だったころには20数万人いた人口も、
現在では約半数の12万人ぐらいだといいます。
駅前の商店街も、かつては大いに賑わっていたのでしょうが、
今では使われなくなった雑居ビルが点在し、
草が生い茂る更地も目立ちます。





三池炭鉱

炭鉱の時代からあったスナック通りでしょうか。
多くの炭鉱マンの疲れを癒した場所かもしれませんが、
そのほの暗い灯りは、
かつての栄光を夢見ながら消え行く残照のようでもあり、
なんか切なくなります。





三池炭鉱

画像は1本10円!の焼き鳥。
戦後すぐの昭和25年(1950)に開業した「元禄」は、
三池炭鉱とともに歩んだ焼鳥屋さん。

当初は5円だったそうですが、
二代目の店長さんの今でも赤字覚悟の1本10円!
大牟田には以外と焼鳥屋は少ないらしく、
とても繁盛している様です。

この10円の焼き鳥は皮でしょうか。
さすがに10円。決して<凄く>美味しいとはいえませんが、
炭鉱時代からの時間の繋がりを感じれば、
その味も格別でした。



◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
> NEXT  >TOP  > INDEX


最新の画像もっと見る

post a comment