黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #76

2018-01-10 17:50:32 | ・新宿ノーザンウエスト
新宿の北西エリアに広がる時の止まった街、新宿ノーザンウエスト。
思えば、このブログを“気合いを入れて投稿する”きっかけは、
この新宿ノーザンウエストのリポートだったと思います。
気合いを入れたおかげかどうかはわかりませんが、
伝説の雑誌『ワンダーJAPAN』に寄稿させていただくきっかけも、
この特集でした。

ブログを見返してみると、
新宿ノーザンウエストのタイトルで最初に投稿したのが2005年の7月。
今からもう12年半も前のこと。(12年半。。。クラクラ)

当時の新宿ノーザンウエストは、
どこもかそこも昭和の街並が遺り、
完全に時が停まったエリアでした。
それから12年半、徐々に更新されて行く様子を伝えて、
気がつけば投稿回数も今回で76回。

前回の約3年前にアップした西新宿6丁目のエリアは、
3年経った今もそれほど変わった印象はありません。
短時間で建設が終わる昨今の時間感覚からすると、
かなり時間のかかっている印象を受けます。



画像は2015年の西新宿6丁目の様子。
この時点で、エリアの中にはトタン張りの民家と事務所が1棟、
そして開発エリアの隅に、現役の民家が2軒残っていました。
それ以外のエリアには工事用フェンスが巡り、
フェンスの中では、解体工事が行われていたのを思い出します。







上画像のほぼ同じ位置からの2018年の様子。
工事用フェンスが、開発区画の端までせり出し、
フェンスの中では、すでに建設が始まっています。
エリア中央のトタン民家と事務所は解体されたのでしょう。
隅にあった2軒の民家のうち、1軒が現存していました。
既に建設工事が始まっていることを考えると、
このお宅は土地を売却しなかったのだと思います。







別角度からもう1枚。





ついでに時々取材していた西新宿8丁目のエリアにも足を伸ばしてみました。



画像は新ノーザンウエストのシリーズで時々アップした、
西新宿8丁目の香ばしい木造アパート「ときわ荘」。
画像は2014年頃のもので、ホームレスの方が寝るなど、
既に終焉を感じさせる雰囲気です。
2017年の夏に訪れた時にはまだありましたが、







2018年初頭の現在、遂に更地に。
最初に遭遇した時から住人も少なく、
老朽化も激しかったので、
いずれ解体されるとは思っていましたが、
そのわりに、随分と頑張った方だと思います。
典型的な昭和の木造モルタルアパートだったので、
なくなってしまうと、すこし寂しさも感じます。







ときわ荘の2軒隣に、
おなじく木造モルタルの香ばしいアパートがありましたが、
こちらも解体され、すでに新築が始まっています。







ときわ荘から少し奥(北)には、
これまた以前に多少アップしたことのある、
木造モルタルのアパート群があります。
「瑞雲荘」や「紫雲荘」など、時代を感じさせるネーミングの棟が、
6、7棟並ぶ一角です。



画像はその中の一つ「青雲荘」
2階への階段が総て塞がれ、1階前庭の植え込みも撤去されるなど、
すでに人は棲んでいないようです。
おって、解体されるのでしょうか。
ただ、この一連のアパート群のいくつかは綺麗にリフォームされて、
現在も現役で使われているものもあり、
また、古い状態のものも、人が住まわれている棟もあります。

なお、西新宿8丁目は、
再開発が進む前の西新宿5丁目や6丁目、そして北新宿2丁目ほど、
古色蒼然とした建物が乱立せず、
一見、レトロな印象は薄いですが、
昭和の木造建造物が密集することには違いありません。

いずれ大規模な再開発が進むのも、
時間の問題かと思います。

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #75

2014-09-23 22:07:02 | ・新宿ノーザンウエスト
新宿に残る時の止まった街、新宿ノーザンウエスト。
今回は、前回アップしたエリアの隣、西新宿5丁目の最近の様子です。

この界隈の約7年前の様子は消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #29をご覧下さい。



そしてこの様子が、先日訪れた同じエリアの様子。
この界隈はけやく商店街という小さな商店街があり、
そこそこ店も建ち並んで営業をしていました。
それが今では再開発のために殆どが撤去され、
白いフェンスに囲まれています。
新宿ノーザンウエスト~ #29に掲載した、おもちゃやさんや鰹節屋さんなど、
すべて奇麗に撤去されています。







商店街の奥へ進んでみましたが、
かってそこにあった殆どの建物が消滅していました。
きさくなお母ちゃんが印象的だっただんごのやよいや、
土門拳賞受賞の写真家がマスターだったくっくわんなど、
このブログでも取り上げた思い出深い店は総て跡形もなく消えてしました。







かろうじて商店街の入口に位置する場所にある中華料理秀苑は、
既に営業は終わってはいるようですが、店自体は残っていました。
新宿ノーザンウエストへは冬の寒いさなかに見学に行くことも多く、
そんな時にはここのワンタンをよく食べたものです。
いまでは少なくなってしまった、昭和の味を伝える街の中華屋さんでした。







秀苑のならびにあった万年屋の本社。
万年屋とは西新宿にある激安作業服洋品店です。
この画像は約3年前のものですが、
鋭角な角地にたつ三角形のビルに貼付けられた店名板が、
とても印象的なビルでした。







しかし現在、看板が取り外されているのを見ると、
もう万年屋さんとしては使われなくなったようです。
十二社通りのランドマークとして、
とても印象深いビルでしたが、残念です。







すこす南に移動した西新宿4丁目も、
少しずつですが変化がありました。



約3年前にアップしたこの記事の一番下に掲載した、
十二社銀世界の名残を今に伝える数少ない施設『ホテルニュー寿』も、
画像の様に入口に細いロープがかけられているのを見ると、
どうやら営業は終了したようです。







また、同じく約3年前にアップしたこの記事の、ホテルニュー寿の上に掲載した、
鉄パイプが周囲を囲む建物も、
現在では無数の鉄パイプが撤去され、
普通の建物に変わっていました。
扉の張り紙を見ると「売り家 貸家」と書いてあります。
この道を通るといつもビックリさせられていた、
鉄パイプハウスがなくなってしまったのも残念です。


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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #74

2014-09-21 21:47:53 | ・新宿ノーザンウエスト
久しぶりにアップする、
新宿に残る時の止まった街、新宿ノーザンウエストのシリーズ。
約3年前にアップした西新宿6丁目界隈の最近の様子です。

3年前の様子は消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #66からNEXTで#69までをご覧下さい。



この記事のトップに掲載した駐車場のその後です。
既に駐車場は撤去され、工事用のトラックが停まっています。
かつての駐車場の画像に写る奥の民家も解体され、
周囲をフェンスに囲まれた様子は、明らかにビルの建設待ちです。







同上記事の二番目に緑色に塗装された民家も、
すでに解体されています。







この記事のトップに掲載したビルも解体。







また、この記事のトップに掲載した光景は、
当時既に網フェンス等で工事の始まりを現していましたが、
現在では画像の様に、完全なる鉄フェンスに囲まれ、
騒音測定器まで設置されていました。







唯一、同上記事の2番目や3番目に掲載した民家は、
ご覧のように現在でも同じ姿で存続しています。
その理由に関しては、あまり詳しくは触れない方がいいように思いますが、
やがてビルが建ち並んだ時に、
同じ場所に存続する光景も見てみたいものです。







西新宿6丁目エリアの一角には、
かつて梅月湯というビルの1階を使用した銭湯がありました。
そのビルは十二社通り沿いなので、解体されることはないと思いますが、
銭湯はすでに終了し、コインランドリーに転用されていました。

かつての脱衣場にマシーンが並べられています。
奥の洗濯機の横に椅子があったので、
透明のフェンス越しに洗い場の方を覗いてみました。








洗い場は勿論使われていないものの、
当時の姿を留めています。
思えば銭湯も、街からどんどんと姿を消していますが、
800年以上続いた銭湯の文化がなくなるのかと思うと、
相当寂しい気持ちになります。

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #73

2012-01-12 00:36:32 | ・新宿ノーザンウエスト
大都会に残る時の止まった場所、
新宿ノーザンウエスト・シリーズです。

前回の記事の最後にアップした、
ホテルニュー寿の前の道を更に登ると、
道はだんだん狭くなり、
石畳と周囲の植物が迫りよって、
風情ある光景が始まります。
Mapion


十二社の池跡

ほんの短い距離ですが、
十二社跡の異空間っぷりとはまた違う、
特別な異空間を感じる場所なので、
ここを訪れる時はいつも行ってしまいます。
異空間のトンネルを抜けると小さな十字路があり、
その先もほんの短い区間だけ、
極めて細い路地が残っています。
Mapion



既に廃屋となった民家と、
まだ現役で使われている民家が共存し、
昭和の風情を今に伝えています。
またこの路地は、猫が沢山います。


十二社の猫

訪れれば必ずと言っていい程、
人なつこい猫に出会います。

ちょっと戻って小さな十字路を北へ進むと、
そこにもまたほっこりした猫がいました。


十二社の猫

猫のすぐ脇には、
かつての料亭を改装した居酒屋「品川亭」があります。
Mapion


十二社の品川亭

品川亭の前にも、ニュー寿の前と同様、
急峻な坂道があります。


十二社の小さな坂道

かつての花街の香りをほんの僅かですが残す、
とても風情のある坂道です。
奥にはパークハイアットが見えます。


十二社

かつて十二社の小池のあったあたりに建つ民家。

十二社の花街の雰囲気はもう殆ど残ってはいませんが、
それとは違う独特な風情を漂わせるこの一角が無くなるのも、
そう遠くないことなのかもしれません。

■追記 : JAN. 14, 2012 ■

後日、十二社の池をNHKのバラエティ番組『ブラタモリ』で、
既に2010年に取り上げていたのを知り、早速視聴。
十二社の池に限らず、
淀橋浄水場と現在の地下水施設や四谷大木戸などを取り上げ、
新宿の水にまつわるスポットを巡っていました。
十二社池のコーナーは時間も短く、さらっと流す程度でしたが、
それでも十二社にある蕎麦屋さん「福助」に立寄り、
店の裏手がすぐに池だった写真を見せてもらっていました。


十二社の池 (『ブラタモリ』よりキャプチャ)

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #72

2012-01-11 01:52:33 | ・新宿ノーザンウエスト
大都会に残る時の止まった場所、
新宿ノーザンウエスト・シリーズです。

前回まで西新宿4丁目の歴史を見てきましたが、
これから現在の西新宿4丁目を見ていこうと思います。
最初にこの記事にこられた方は、
このページからNEXTで進んでご覧になる事をお進めします。

熊野神社から十二社通りを渡り西の方を見ると、
たいがい道は画像の様に下り坂になり、
その先が再び上り坂になっています。


十二社の池跡

Mapion:ポインターから西側をみた光景
この窪んだ付近が、かつて十二社の大池があったあたり。
池が小さかっただけに、周囲の高低差が急峻で、
窪地の様子がよくわかります。

坂道を下って、画像中央の交差点を右に曲がると、
明らかに民家とは違う造りの日本家屋が1軒建っています。
Mapion



かつての割烹料亭の名残。
今はもう営業していないようですが、
かつて池の周りには、こういった料亭が軒を連ね、
賑わっていたんだと思います。

料亭跡の前を北へ進むとやがて行き止まりになり、
西方向を見ると、やはり急峻な上り坂になっています。
坂の中腹に茂みが見えたのでちょっと上ってみると、
こちらは旅館の様ですが、なんと現役です。


十二社 一直旅館

その造りからして、
明らかに大池の時代からあったと思われる一直旅館です。
現在ではファスト・インターナショナルという会社が経営しているようですが、
サイトを見ると、
「十二社と呼ばれていたかつての景勝地」や
「十二社池の畔に建つ料亭旅館」といったキャッチコピーと共に、
「(かつての花街の)歴史、今では一直旅館でしか味わうことができません。」
とか、
「今では池も埋め立てられましたが、かつての花街風情が残る旅館です。」
などと、
かなり花街の歴史を売りにしています。
イイですねぇ~!


十二社 旅館一直

かつては連れ込みとして使われていた時代もあったのかもしれませんが、
現在では素泊まりの旅行客や海外の泊まり客をターゲットにしているらしく、
玄関にはハングル語の表示もありました。

旅館一直を後にして再び坂を下り、
池跡周辺を散策すると、
今度は要塞のような民家があります。
Mapion


十二社の池跡

この民家。一見解体の為の足場かとも思いますが、
少なくともここ6~7年はこの様子で佇んでいます。
ここを通るたびに、いつもちょっと驚かされます。
この付近はかつての十二社の2つの池のうち、
北寄りの小池があった付近ですが、
今では全く池の面影を見る事はできません。

しかし民家の目の前の道が西に向かって上り坂になり、
その先を見ると、


十二社 ホテル ニュー寿

石段の設置された、やはり急峻な坂道になっています。
この辺りが小池の畔だったんではないでしょうか。
階段坂の中腹には「ホテル ニュー寿」


十二社 ホテル ニュー寿

こちらは旅館一直ほど風情はありませんが、
目の前の階段坂の光景と相まって、
昭和の香りを伝えてくれる一角です。

一時期、閉店の張り紙が出されていた事がありましたが、
最近ここを通った時は、張り紙もなく、
また特に荒れた様子もなかったので、
再び営業を再開したのでしょうか。

約100軒の料亭に約300人の芸妓を抱えた、
大花街だった十二社の面影は、今は殆どありません。
それだけの規模にもかかわらず、
ウェブ上でも殆ど当時の写真を見つける事ができません。
かろうじて見つけたのが、
1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶

十二社の料亭で撮られた写真
くらいでしょうか。
『1960年代の東京~』は、写真の構図からして、
東から西方面を撮影したものかと思いますが、
今とはずいぶんと違う風情だったのだと思います。


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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #71

2012-01-10 07:21:05 | ・新宿ノーザンウエスト
大都会に残る時の止まった場所、
新宿ノーザンウエスト・シリーズです。

前回アップした西新宿の熊野神社を中心にした十二社が、
かつて花街だった要因となる池を求めて、
更に熊野神社に掲示された資料から、
当時の様子を見て行きたいと思います。


角筈熊野十二社 (名所江戸百景) 熊野神社境内啓示物

十二社の池は、江戸時代の初期、
湧水を利用して田畑の用水溜として、
大小2つの池を開発したものが端緒で、
現在の熊野神社の西側、
十二社通りをへだてた一帯にあったっそうです。


十二社菖蒲の図 一松斉芳宗 (1860) 熊野神社境内啓示物

大池 (中池・上の溜井) は南北126間・東西8~26間、
ということですから、
南北約300m、東西約15m~50mくらいでしょうか。
同じ東京にあって、現在も観光地として賑わう井の頭公園の池が、
長尺約600m、短尺約200mなので、
十二社の大池はこじんまりとした池だったことがわかります。
その後100年くらい経った享保年間頃から周囲に多数の茶屋ができ、
景勝地として賑わったそうです。
泳いでいる人や池畔の茶屋から、その大きさが想像できます。


十二社大池の船遊び(『淀橋誌考』) 熊野神社境内啓示物

明治時代以後は、
大きな料亭が建ち並び、花柳界として知られるようになり、
最盛期には料亭や茶屋が約100軒、芸妓約300名を擁した、
というから、相当な規模の花街だったと思います。
ボート、屋形船、釣り、花火などの娯楽も盛んに行われ、
明治から昭和初期にかけて、花街として隆盛を極めたそうです。

また大池の北側に隣接してあった小池 (下池・下の溜井)は、
大池の分水で、南北50間・東西7~16間
(南北約90m、東西約12m~30m)と、
大池に比べるとかなり小振りだったようです。

大池と小池を現在の地図に重ね合わせてみました。


十二社の池 地図

極めてアバウトな輪郭ですが、
時代別の地図に記された大池と小池の変遷を、
1枚の地図にまとめてみました。
大池は縦長の3色全体が元来の池で、
昭和初期から徐々に埋めたてられ、
その規模を縮小して行きました。

大正15年(1925)年の地図を見ると、
最大規模時の大池と小池が書かれています。
小池の北寄りには瓢箪のような形があるので、
弁財天などを祀った人工の小島でしょうか。

その後昭和8年(1933)の地図にはもう小池はなく、
大池も一番下のブルーの部分がなくなっています。
そして第二次大戦が始まる頃は更に縮小し、
中央のライトブルーの部分だけになっています。

戦後も周囲の料亭とともに存続するものの、
水質の汚濁などから、
昭和43年(1968)には全て埋め立てられ、
十二社の池は完全に消えました。

池の埋め立てに際して、水質がかない汚濁したらしく、
その時に死んだ鯉供養の「こひ塚」が境内に祀られています。


熊野神社/こひ塚

また、埋め立てられる直前の十二社の池は、
確かに水質の汚濁は半端なかっただろうな~
と実感させられ写真が、
このページを開いて、少し下へスクロールしたあたりにアップされています。

このサイト『歩いて見ました東京の街』は、
60年代から90年代の東京を記録した写真を、
息子さんがアップされているサイトの様ですが、
劇的に変化して来た東京のビフォーが克明に記録されたサイトなので、
興味のある方は是非ご覧になることをお薦めします。



熊野神社は十二社通りからせり上がった高台にあり、
また池のあったエリアは低い土地だったので、
その高低差から、この界隈には大小幾つもの滝もあったそうです。


十二社 (江戸名所図絵) 熊野神社境内啓示物

その中で特に大きかった十二社の大滝は、
『江戸名所図会』『江戸砂子』などに熊野の滝・萩の滝と記された滝で、
高さ三丈(約10m)・幅一丈(約3.3m)の大きさだったというので、
これは確かに壮観だったと思います。
滝があったのは、
神田上水助水堀が、熊野神社の東端から落ちるところというので、
上記地図の熊野神社敷地の右端と区立区民ギャラリーの間付近だと思います。
現在のその付近の様子を見てみると、


新宿区立区民ギャラリーと熊野神社

左の黄色い建物が区民ギャラリー、右奥が熊野神社。
確かに区民ギャラリーと手前の道は、かなり高低差があります。

滝の多くは、大池や小池よりも早く、
明治以後、淀橋浄水場の工事などにより埋め立てられたそうです。

今では熊野神社の境内にその記憶を留めるかの様に、
弁天池と滝のモニュメントがあるだけです。


熊野神社/弁天池と人工滝

随分と長い予習になってしまいましたが、
そんな数奇な運命を辿った十二社を、
次回から実際に巡ってみようと思います。



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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #70

2012-01-07 07:20:20 | ・新宿ノーザンウエスト
大都会に残る時の止まった場所、
新宿ノーザンウエスト・シリーズです。

これまでこのシリーズでは、
再開発によって消えゆく昭和の街を中心に、
西新宿3丁目~8丁目と北新宿2丁目をアップして来ましたが、
これらのほぼ真中の位置にありながら、
再開発計画が表立って発表されていないので、
今まで触れてこなかったのが西新宿4丁目です。

西新宿4丁目は、
パークハイアットのある3丁目と、
前回までアップして来た6丁目との中間にあるエリアで、
西新宿としては珍しく、高層ビルが1本もない、
低層の雑居ビルと住宅がひしめき合う雑然とした街です。
そんな一見色のない様に見える街が、
江戸西郊の風光明媚な場所として一大花街を形成し、
西新宿の中で最も色のある街だったとは、
今からは想像もつきません。

エリアの中心にある熊野神社の境内に、
この街のかつての様子が展示されているので、
まずはそれから見て行こうと思います。


角筈村熊野十二所権現社 (江戸名所図絵) 熊野神社境内啓示物

図絵のタイトルにある角筈村とは、
新宿の西側を中心としたエリアのかつての地名で、
その村の中に淀橋や十二社といった字がありました。
現在では行政上は西新宿1丁目~8丁目というように、
無味乾燥な名称になっていますが、
実際にこのエリアを訪れると、
表札からバス停、ビル名や通り名など、
至る所に当時の町名や字名が残っています。

それにしても「角筈」とは変な単語ですね。
以前にシリーズでアップした、
都営角筈アパートもその名残の一つでした。
幼少の頃から知っていたので疑問に思いませんでしたが、
キーボードで何度も打っていると、改めて気になります。

新宿区教育委員会編纂『新宿区町名誌/地名の由来と変遷』には、
「角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で、
角にも矢筈にも見えたことから、人々が与兵衛を角髪または矢筈と呼び、
これが転じて角筈となった」
とあります。

また地域情報サイト『マイプレ』の「町名の謎」を見ると、
「角筈とは真言宗で在俗の僧を呼ぶ言葉で、
当地の名主、渡辺与兵衛がその名で呼ばれていたのが起源」
と書いてあります。

どちらが本当か、また別の意味があるのかは分かりませんが、
どうやら渡辺さんが関わっている事には違いないようですね。



また淀橋は、今はなき西新宿の巨大施設だった淀橋浄水場や
ヨドバシカメラでも良く知られますが、
この「淀橋」も、思えば変わった名前です。

同じく地域情報サイト『マイプレ』の「町名の謎」には、
「中野村や角筈村など地境の周辺4個所の意味の四所から淀橋」
とか
「これら四所の“余戸”が集って住んでいたから淀橋」
更には、
「この橋を“姿不見(姿みず)の橋”と呼んでいたのを、
縁起が悪いというので、水車のある風景が京都の淀に似ていることから、
淀橋と呼ぶようになった」
などと、幾つもの説があると書かれています。



字名の「十二社」は「じゅうにそう」と読み、
熊野神社に隣接する通りやバス停にその名前が残っています。


京王バスのバス停「十二社池ノ下」

これもまた上記の地名同様に変わった名称です。
熊野神社境内の掲示板にその由来が書かれてありました。

新宿熊野神社は、
中野長者と呼ばれた鈴木九郎が室町時代の1400年前後に、
故郷の熊野から十二所権現をうつし祀ったのが始まり
と書かれていますが、そのすぐあとに、
上述の渡辺与兵衛が1500年中頃の熊野の乱の時に、
熊野から流れて来てこの地に開闢したのかも、
とも書かれています。
その差100年以上の、極めてアバウトな開闢ですが、
熊野の権現様関連である事は、間違いなさそうです。


現在の熊野神社

さらに
十二所権現社が十二社 (じゅうにそう) と呼ばれるようになったのは、
複数の神社を一つの建物に祀る造りを相 (双) 殿形式といい、
その相 (双) の発音が残って「じゅうにそう」となった、
などと書かれてあります。
ちなみに江戸時代の文献には、
「十二荘」「十二叢」「十二層」などの記述もあるそうですが、
「じゅうにそう」と呼ばれていた事は間違いないようです。

上記の中野長者、鈴木九郎の伝説にまつわる物件は、
また別の機会にアップするとして、
以前にアップした神田川支流暗渠で取り上げた、
長者第一號橋もまたこの伝説に因んだ橋。
鈴木さんが当時どんだけだったかが分かります。


この江戸名所図絵では、神社はわかるものの、
周囲の様子がよくわかりません。
そこで以前の記事でも取り上げた、
柏木角筈一目屏風の右半分を見てみます。


柏木角筈一目屏風 右半分 新宿歴史博物館蔵より

図中央上方の霧がかかっているあたりが高層ビルの中心地、
その向こうが新宿駅で、
青梅街道と甲州街道がちょうどハの字に広がっている図です。

ちょうど中央に、
前回の記事で取り上げた、動物のいる細長い暗渠の前身、
神田上水助水掘りが単に「助水掘」として書かれ、
その下に十二社通り、
その少し右下を見ると渡辺家とかいていあります。
上述の渡辺さんですね。
そしてその右隣のこんもりした森が熊野神社。
さらにその右隣に十二社池と書かれてあります。

随分と前置きが長くなってしまいましたが、
次回はこの池を取り上げたいと思います。

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #69

2012-01-04 04:47:43 | ・新宿ノーザンウエスト
あけましておめでとうございます。
昨年は色々な事が起こり、大変な1年でしたが、
今年は皆様に幸せになれますように!

ここ数年、オープロジェクトの活動が増えて、
ブログ更新もままならなくなって来ていますが、
アップしたかったネタはまだまだありますので、
ゆっくり更新して行ければと思います。

本年もよろしくお願いいたします。



昨年末に引き続き、
新宿ノーザンウエストで最期に残っていたエリア、
西新宿6丁目の最近の様子。
今回は点景です。



西新宿6丁目のゴーストタウンに残る、
廃マンションのエントランスを見ると、
画像の様に空き缶を中心としたゴミだらけです。
どうやら近隣のオフィスが全館禁煙のために、
缶コーヒーを買って、ここで一服しているようです。
廃墟には落書きをしてもいい、
と同じ発想ですね。







これもまた移転したオフィスの残骸でしょうか。







ペロンと剥けたベニヤの扉。
昭和はまた、
表面だけを作るのが精一杯だった時代でもあったんだと思います。
昭和が追い求めた豊かさは、
実は幻想に過ぎなかったのかもしれない、
と思えて来ます。







アパートの2階へ登る鉄製の外階段もまた、
昭和の産物だったかもしれません。
今ではどんな小さなアパートでも、
さすがに鉄製外階段を新しく設置するものはないと思います。
この鉄製階段を登る音は、
工事現場のパイルドライバーの音同様、
昭和の音だったのかもしれません。







このエリアの西寄りには、
けやき児童遊園という細長い公園があります。→ Mapion
愛嬌のある動物が点在し、植え込みの木が涼しい木陰を作る、
気持ちいい場所ですが、
遊園というにはその用を果たさないくらい細長く、
遊園というよりは遊歩道に近い造りです。

これはかつての神田上水助水路の暗渠で、
西新宿の北を流れる神田上水の水量を補うために、
同じく西新宿の南を流れる玉川上水から水を引っ張った、
人工水路の名残です。

そしてこの遊歩道の南の延長線上には、
かつて滝や大きな池があり、
一大歓楽街が広がっていました。

次回はその歓楽街に関してアップしようと思います。

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #68

2011-12-31 14:54:54 | ・新宿ノーザンウエスト
新宿ノーザンウエストで最期に残っていたエリア、
西新宿6丁目の最近の様子です。

最近このgooブログでは、
ログインした最初のページに以前アップロードした画像が表示されます。
今日ログインしてみたら、
ちょうど5年前の年末にアップした画像が表示されましたが、
それが西新宿6丁目の画像でした。
その画像を使った記事を見ると、
下画像の背景に写るセントラルパークシティがまだ空き地で、
沢山の猫が明日の行き場を求めてさまよっていた時代でした。
あれから5年、
セントラルパークシティには、
かつての面影は微塵もありません。



バブルの初期から始まった再開発に伴う、
新宿ノーザンウエストの地上げ。
これらの土地が大手ゼネコンに売却された時には、
5倍とも10倍とも言われる値段になっていたそうです。
その後地上げ屋は法律に触れて摘発され、
ゼネコンも莫大な投資がたたって撤退。
ポストバブルの頓挫期間の大規模な駐車場を経て、
平成らしいビルが完成しました。







思えば、現在林立する西新宿の高層ビルの中で、
バブル景気のただ中に建った大規模な高層ビルは、
都庁を除いてありません。
土地をころがすのに躍起になって、
まさに泡のように、お金だけが動いた時代だったのかもしれません。







かつて新宿ノーザンウエストのシリーズを始めた時は、
その副題に「昭和と平成の交差点」と付けた様に、
そこは昭和と平成が混在した街でした。
そして今、新宿ノーザンウエストを見ると、
もはや昭和の町は殆どなく、
もう平成の街に変貌を遂げた印象です。







もともと農村地帯だった西新宿に人が多く住む様になったのは、
関東大震災の後。
市部で焼けだされた人たちが家を求めて移り住んだことが、
西新宿の住宅地化に拍車をかけた時でした。
おそらく農村時代を知る人は、
淀橋浄水場とめざましい宅地化を見て、
時代の変化を感じたと思います。
そして現在、再開発によって変貌した街は、
同様に時代の大きな変化だと思います。

淀橋浄水場の跡地に立ち並ぶ高層ビルがすべて商業施設なのに対して、
6丁目に立ち並ぶ多くの高層ビルは、
住宅と商業を兼ね備えた複合タウンを形成しているのが特徴です。
そしてこれからはきっとこういった形が、
新しい街のスタンダードになって行くんだ実感します。







夜、ビルの谷間で静かに消滅の時を待つ、
暗闇のゴーストタウン。




それにしても2011年はいろいろなことがあった年だと思います。
東日本大震災の津波被害は未曾有のもので、
被害に遭われてなくなられた方々のご冥福を、心からお祈りいたします。

また5月にビンラーディン、10月にカダフィ、12月に金正日と、
ビンラーディンの真偽には定かではありませんが、
世界を震撼させた人々が死んだのも今年のこと。
スティーブ・ジョブスも10月に亡くなっています。

6月には女子サッカーがワールドカップで優勝。
まさか生きているうちに、
日本のサッカーチームがワールドカップで優勝するのを見られるとは、
思ってもいませんでした。

7月には最期のスペースシャトルが帰還。
NASAのUstream中継を見ていましたが、
アポロ11号の帰還とはまるで違う、
極めて地味なランディングでした。

本当に色々な事があり、
そして時代が大きく変わる1年だったんではないかと思います。



そしてささやかながら拙ブログをご覧になって頂いた方々に、
感謝いたします。



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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #67

2011-12-30 01:37:02 | ・新宿ノーザンウエスト
新宿ノーザンウエストで最期に残っていたエリア、
西新宿6丁目の最近の様子です。



三角形のエリアの北寄りにあたる地域は、
エリアの中でも最も樹木が多く、
夏ともなると木陰が暗闇を作り出す程、生い茂ります。







奥に建つビルはもともとツタが絡まる植物ビルでしたが、
人が使わなくなってからは、一気に植物が増殖したようです。







エリアの中で、ここだけ侵入防止板が張られていないのは、
まだこの住宅には人が住んでいらっしゃるからだと思います。
夜訪れると、建物の中には灯りがともっています。







すぐ隣は、かつての記事でもアップした、
通路が完全に植物に覆われてしまっている建物。
陽が当たらないせいか、
植物の繁殖状態は以前とそれほど変わりません。







エリアの東側には、
2つの建物を中央の物置の2階のベランダを介して繋げた、
楽しそうな改造が施された建物も残っています。







でも、ちょっと引いてみると、
背後には黒川記章氏の遺作、
コンシェリア西新宿 TOWER'S WEST が聳えたっています。

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #66

2011-12-28 18:51:23 | ・新宿ノーザンウエスト
新宿ノーザンウエストで最期に残っていたエリア、
西新宿6丁目の最近の様子です。

新宿ノーザンウエスト・シリーズを始めた頃は、
このエリアにはまだまだ沢山の人が住んでいて、
再開発もかなり先のことかと思っていましたが、
先日訪れてみると、殆どの建物に侵入防止板が張られ、
現在では数件のみに人の気配を感じるばかりです。
エリアに足を踏み入れると、
ゴーストタウンの空気が満ち始めているのを感じます。



墓標の様に立ち並ぶ機械式駐車場の鉄柱奥には、
再開発で建設された高層ビルが沢山見えます。
左からアイタウンの新宿スクエアタワー(31階)とアイタウン・レピア(22階)、
西新宿パークサイドタワー(20階)、その奥に西新宿三井ビル(27階)、
さらにその奥に三菱新宿フロントタワー(35階)、
住友新宿グランドタワー(40階)、
そして右に住友新宿セントラルパークビル(17階)とラ・トゥール新宿(44階)。
最近の青緑のガラス張りのビルに囲まれています。







駐車場のすぐ近くにあった、緑色のトタンばりの民家。
かつてその背景にはこのエリアと同様、
木造住宅が密集していましたが、
今では去年完成したラ・トゥール新宿が聳え立ち、
かつての面影は微塵もありません。







エリアのほぼ中央に建つ2階建木造住宅の背景にも、
44階建ての高層分譲マンション、
コンシェリア西新宿 TOWER'S WEST が聳えたっています。







新宿セントラルパークシティにある、
44階建て高層住宅棟のラ・トゥール新宿を背景にした木造住宅。
数多く建つ西新宿の高層ビルの中でも、
特にこのラ・トゥール新宿は最も<かわいげ>がないビルなので、
手前の木造住宅とのコントラストがひと際目立ちます。







上の画像よりこのような撮り方の方が、
より谷間感が伝わるかもしれません。
ここはまさに消えゆく高層ビルバレー。
同じ土地の、昭和と平成の使い方の圧倒的な違い
みたいものを感じます。







西新宿の高層ビルバレーに、
タイムスリップした様相で残る昭和の街並。
現在の街並を見る限り、再開発は目前に迫っている様子ですが、
新宿区の再開発情報には、
再開発の予定がない状態でアップされています。

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #65

2011-12-25 12:51:46 | ・新宿ノーザンウエスト
最期に新宿ノーザンウエストの様子をアップしたのは2009年6月でした。
あれから2年半、先日久しぶりに訪れた新宿ノーザンウエストの様子を
アップしようと思いますが、その前に、
ウェブ地図に大きな変化が現れていたので、まずはそれから。



これは2008年2月にキャプチャした
Mapion 1/3000 のに西新宿6丁目の地図です。
南寄りの13番地から20番地に、
建物らしき形のものが全く記入されていませんでした。



そしてこちらが2011年12月、
つまり上の地図から約4年経過して現在表示される
Mapion 1/3000 の同じエリアの地図です。
4年前になにも表示されていなかったエリアに、
大きな建物の形がいくつも表記されています。
同時に18・19番地にも小さな建物が記入されています。
単純にMapionの精度が上がったのだと思いますが、
13・15番地そして17番地の大きな建物は、
この新宿ノーザンウエストシリーズを始めた時は、
全くなかった建物です。







次に航空写真を見てみようと思います。
まずは2004年の西新宿6丁目のもの。
赤い枠で囲んだのが西新宿6丁目、
下方の透過着色した部分の両側の薄い色の2つが、
上記地図で触れた大きなビルが建設されたエリア。
こうして見ると、もともと駐車場だった所に、
それぞれ大きなビルが建設されたのがわかります。

右側エリアの上部に、
かろうじて小さな家が残っているのが確認できますが、
ここがかつて昭和な建物が密集していたエリアで、
その後大きな桜の木だけが残っていたものの
最終的には更地になってビルが造られたエリアです。



そして2011年12月にアップされている航空写真。
下方の透過着色した両側のエリアに、
ビルが建っているのがよくわかります。
航空写真に写る他のエリアには、
既に沢山の高層ビルが建ち並んでいるので、
それらと並んで写っているとあまり大きさがわかりませんが、
実際に現場で見ると、どのビルもかなり大きく、
圧倒されます。

そして透過着色した中央の赤いエリアを見ると、
上の航空写真と同じ状態なのが分かると思います。
そう、このエリアこそ最期に残った昭和エリアです。
かつてこのエリアをアップした時は
まだ住人が沢山いたので、それほどアップしませんでしたが、
先日訪れてみると、殆どの家が封鎖され、
ついにこのエリアにも最期の時が近づいているのを感じます。

次回からはこの西新宿6丁目最期のエリアを、
アップして行こうと思います。

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消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #64

2009-06-10 03:11:31 | ・新宿ノーザンウエスト
久しぶりに新宿ノーザンウエストの様子を見に行ってみました。
そしてその変貌ぶりに、ただ驚くばかりでした。



まず西新宿6丁目界隈から見て回りましたが、
以前の記事でもアップしたあたりは、
かろうじてそのままだったものの、





こんな不思議な光景だった、そしてその後、
大きな桜の木が印象的だった空き地には、
そのだだっ広さにみあう大きさのビルが完成間近でした。





そして、かつてのこの一角や、
こんなアパートがあった西新宿8丁目界隈は、
こんな感じです。
も全く当時の面影を見いだすことはできません。




同じ西新宿でも、駅前の高層ビルが立ち並ぶエリアは、
もともと大規模な淀橋浄水場の跡地なので、
あそこまで計画的な開発が行えた理由はわかります。
しかし、
かなり古くからの住宅と商店がひしめき合っていたこのエリアを、
ここまで新設の埋立地なみに開発できたのには、
相当知られざる出来事があったんではないかと思います。



そしてモザイクタイルの壁画が強烈なインパクトを与えていた吉野湯も、
もう全く面影はありません。
ツタがからまるマンションや、
民家にしては遊郭風な作りの木造家屋があった、
銭湯の裏の小高い丘は、
丘の土地ごとまるまる削り取られていました。

せっかくここまで見てきたので、
全てのノーザンウエストが完成するまで、
見届けようと思います。

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新宿ノーザンウエスト掲載 #04

2008-09-17 03:37:18 | ・新宿ノーザンウエスト


ワンダーJAPAN誌vol.09に新宿ノーザンウエストが掲載されています。
4回シリーズでお送りして来た最終回は、
本来のノーザンウエスト地域から少し南下した、
西新宿4丁目と3丁目です。

完成すれば国内最高層となる77階建てのビルを含む、
一大高層ビル街になる計画があるものの、その兆しはまったくみられず、
今でも現役の木造家屋が軒を連ねているエリアすらある3丁目。
新宿中央公園を挟んで都庁のすぐ裏手にあるにもかかわらず、
再開発の声すら聞かない4丁目。

いずれも道ばたにうたた寝する猫やブタの蚊遣りが似合う、
昭和を色濃く残した街並をとりあげ、
最後にノーザンウエストを通して見て来た、
新宿という街、そして東京という街をまとめました。

ご興味のある方はご覧になってください。


 
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◎去年、新宿ノーザンウエストのウェブ同時アップ企画にご参加頂いた方々のblogです。
西新宿副都心に残る最後の昭和に興味のある方は、併せてご覧下さい。
冬野は今。 / 新宿ノーザンウエスト
えいはち@十二社の写真館 / 西新宿


新宿ノーザンウエスト掲載 #03

2008-06-20 06:49:37 | ・新宿ノーザンウエスト


既に先日の記事でお伝えしましたが、
ワンダーJAPAN誌 Vol.08に新宿ノーザンウエストが掲載されています。
4回シリーズで、第三回の今回は、
今週ずっとアップして来た西新宿8丁目。
成子富士がある成子天神を中心に、
昭和を色濃く残すアパートや飲食店がひしめきあっていたものの、
他の地区同様、この春に再開発で消滅し始めたエリアです。
blogではアップしていない吉の湯の内部の様子や、
その裏手にあった廃墟雑居ビル、遊郭を思わせる民家跡などを掲載。
ご興味のある方はどうぞ。


 
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西新宿副都心に残る最後の昭和に興味のある方は、併せてご覧下さい。
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