黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

三池炭鉱 #19:三川坑

2014-02-12 01:44:46 | ・三池炭鉱
シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
坑口施設の最後は三川坑です。

これまで沢山の三池の坑口をアップして来ました。
江戸時代から操業する龍湖瀬坑や生山坑、
明治初期の官営時代の大浦坑、七浦坑、宮浦坑、
そして三井三池炭鉱の黄金期を築いた、
勝立坑、宮原坑、万田坑、四ツ山坑、
そして最後に操業していた有明坑。
しかし、今回の三川坑は、
戦後最大の労働争議の舞台となった坑口でもあり、
また戦後最大の産業事故が起きた場所でもあり、
三池炭鉱の足跡という枠を越えた歴史的意味を持つ、
最も重要な坑口施設と言っても過言ではないと想います。





三池炭鉱

三川坑は第二次世界大戦の前夜、
昭和15年(1940)年に開削された坑口で、
その後閉山までの主力坑でした。
戦後、石炭増産政策のもとでは、

現在、文化財などの対象とはなっていませんが、
その多くの施設が現在でも残存しています。
その門は、永く閉ざされていましたが、
一昨年(2012)の秋、初めて一般公開されました。





三池炭鉱

草むらの中にひっそりと残る三川坑の施設群。





三池炭鉱

事務所跡。
さすがに最後まで操業していただけあって、
施設に歴史の趣はありません。





三池炭鉱

事務所を越えて暫く進むと、
小さな売店の跡の様にも見える建物がありますが、
実はこれが入坑口の跡です。
このシャッターの奥に階段があり、
斜坑の坑口へと繋がっていました。
今でも坑口までの通路はそのまま残っているそうです。





三池炭鉱

入坑口を左に見ながら通路は右折します。
そしてその奥にあるのは繰込場。
繰込場とは入坑する前の点呼などをとったり、
その日の作業の安全を祈ったりなど、
いわば入坑の準備室みたいなものです。





三池炭鉱

繰込場の建物は、最初の事務所とかとは違い、
完全な木造で、その時間経過の永さを感じさせてくれます。





三池炭鉱

外階段も全て木造です。





三池炭鉱

さらに奥へ進むと炭鉱風呂のあった建物も残っています。
勿論、風呂も残っているそうですが、
この見学の日、内部までは公開していませんでした。





三池炭鉱

浴場から小さなトンネルを抜けて更に奥へ進むと、
圧気室も残っています。
圧気室とは、坑内で使用する圧縮空気を製造する場所です。
こちらも事務所棟と同様、建屋はあまり趣がありませんが、





三池炭鉱

内部には沢山のコンプレッサーが残存し、





三池炭鉱

そのルックスは圧巻です。
ただ、屋根が一部崩落していて、
放置するとコンプレッサーも錆び付いてしまうと想うので、
なるべく早く屋根の修理はした方がいいと想いました。





三池炭鉱

繰込場や圧気室等はコの字型に配置されていて、
それらに囲まれた真ん中にトロッコの点検場があります。
この画像はトロッコの点検場を坑口とは反対方向に見ていますが、
振り返るとその先に、



三池炭鉱

歴史のオーラを強烈に放つ第二斜坑の坑口が見えます。
当然坑道は塞がれているものの、
坑道手前の建屋が残っているので、
坑道と繋がる斜坑の操業時の雰囲気がとてもよく伝わります。





三池炭鉱

坑口の付近には沢山のトロッコや人員運搬用の車輛が、
錆び付いた状態で横たわっています。





三池炭鉱

三川坑初の一般公開ということで、
この日は、沢山の報道陣も取材に訪れていました。
同時に、この三川坑でお仕事をされた方々も、
沢山いらっしゃっていました。
そこら中でインタビューが行なわれていたので、
否が応でもその会話が耳に入って来ましたが、
その多くは炭塵爆発に触れたものが多かった様です。





三池炭鉱

トロッコや圧気室の屋根に限らず、
その多くの施設の老朽化は否めません。
三川坑は三池炭鉱最後の生き証人として、
是非とも保存し、
その意義を後世へ伝えてもらいたいと想います。




【三川坑】

福岡県大牟田市三川町
地図をご覧になってもお分かりの様に、
現在でも敷地内には沢山の施設が残っています。
また2014年以来、毎年11月の第一週末には、
一般公開されている様です。

三池炭鉱

◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
> NEXT  >TOP  > INDEX


最新の画像もっと見る

post a comment