シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
坑口施設の最後は三川坑です。
これまで沢山の三池の坑口をアップして来ました。
江戸時代から操業する龍湖瀬坑や生山坑、
明治初期の官営時代の大浦坑、七浦坑、宮浦坑、
そして三井三池炭鉱の黄金期を築いた、
勝立坑、宮原坑、万田坑、四ツ山坑、
そして最後に操業していた有明坑。
しかし、今回の三川坑は、
戦後最大の労働争議の舞台となった坑口でもあり、
また戦後最大の産業事故が起きた場所でもあり、
三池炭鉱の足跡という枠を越えた歴史的意味を持つ、
最も重要な坑口施設と言っても過言ではないと想います。
三川坑は第二次世界大戦の前夜、
昭和15年(1940)年に開削された坑口で、
その後閉山までの主力坑でした。
戦後、石炭増産政策のもとでは、
現在、文化財などの対象とはなっていませんが、
その多くの施設が現在でも残存しています。
その門は、永く閉ざされていましたが、
一昨年(2012)の秋、初めて一般公開されました。
草むらの中にひっそりと残る三川坑の施設群。
事務所跡。
さすがに最後まで操業していただけあって、
施設に歴史の趣はありません。
事務所を越えて暫く進むと、
小さな売店の跡の様にも見える建物がありますが、
実はこれが入坑口の跡です。
このシャッターの奥に階段があり、
斜坑の坑口へと繋がっていました。
今でも坑口までの通路はそのまま残っているそうです。
入坑口を左に見ながら通路は右折します。
そしてその奥にあるのは繰込場。
繰込場とは入坑する前の点呼などをとったり、
その日の作業の安全を祈ったりなど、
いわば入坑の準備室みたいなものです。
繰込場の建物は、最初の事務所とかとは違い、
完全な木造で、その時間経過の永さを感じさせてくれます。
外階段も全て木造です。
さらに奥へ進むと炭鉱風呂のあった建物も残っています。
勿論、風呂も残っているそうですが、
この見学の日、内部までは公開していませんでした。
浴場から小さなトンネルを抜けて更に奥へ進むと、
圧気室も残っています。
圧気室とは、坑内で使用する圧縮空気を製造する場所です。
こちらも事務所棟と同様、建屋はあまり趣がありませんが、
内部には沢山のコンプレッサーが残存し、
そのルックスは圧巻です。
ただ、屋根が一部崩落していて、
放置するとコンプレッサーも錆び付いてしまうと想うので、
なるべく早く屋根の修理はした方がいいと想いました。
繰込場や圧気室等はコの字型に配置されていて、
それらに囲まれた真ん中にトロッコの点検場があります。
この画像はトロッコの点検場を坑口とは反対方向に見ていますが、
振り返るとその先に、
歴史のオーラを強烈に放つ第二斜坑の坑口が見えます。
当然坑道は塞がれているものの、
坑道手前の建屋が残っているので、
坑道と繋がる斜坑の操業時の雰囲気がとてもよく伝わります。
坑口の付近には沢山のトロッコや人員運搬用の車輛が、
錆び付いた状態で横たわっています。
三川坑初の一般公開ということで、
この日は、沢山の報道陣も取材に訪れていました。
同時に、この三川坑でお仕事をされた方々も、
沢山いらっしゃっていました。
そこら中でインタビューが行なわれていたので、
否が応でもその会話が耳に入って来ましたが、
その多くは炭塵爆発に触れたものが多かった様です。
トロッコや圧気室の屋根に限らず、
その多くの施設の老朽化は否めません。
三川坑は三池炭鉱最後の生き証人として、
是非とも保存し、
その意義を後世へ伝えてもらいたいと想います。
◆
【三川坑】
福岡県大牟田市三川町
地図をご覧になってもお分かりの様に、
現在でも敷地内には沢山の施設が残っています。
また2014年以来、毎年11月の第一週末には、
一般公開されている様です。
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
坑口施設の最後は三川坑です。
これまで沢山の三池の坑口をアップして来ました。
江戸時代から操業する龍湖瀬坑や生山坑、
明治初期の官営時代の大浦坑、七浦坑、宮浦坑、
そして三井三池炭鉱の黄金期を築いた、
勝立坑、宮原坑、万田坑、四ツ山坑、
そして最後に操業していた有明坑。
しかし、今回の三川坑は、
戦後最大の労働争議の舞台となった坑口でもあり、
また戦後最大の産業事故が起きた場所でもあり、
三池炭鉱の足跡という枠を越えた歴史的意味を持つ、
最も重要な坑口施設と言っても過言ではないと想います。
三川坑は第二次世界大戦の前夜、
昭和15年(1940)年に開削された坑口で、
その後閉山までの主力坑でした。
戦後、石炭増産政策のもとでは、
現在、文化財などの対象とはなっていませんが、
その多くの施設が現在でも残存しています。
その門は、永く閉ざされていましたが、
一昨年(2012)の秋、初めて一般公開されました。
草むらの中にひっそりと残る三川坑の施設群。
事務所跡。
さすがに最後まで操業していただけあって、
施設に歴史の趣はありません。
事務所を越えて暫く進むと、
小さな売店の跡の様にも見える建物がありますが、
実はこれが入坑口の跡です。
このシャッターの奥に階段があり、
斜坑の坑口へと繋がっていました。
今でも坑口までの通路はそのまま残っているそうです。
入坑口を左に見ながら通路は右折します。
そしてその奥にあるのは繰込場。
繰込場とは入坑する前の点呼などをとったり、
その日の作業の安全を祈ったりなど、
いわば入坑の準備室みたいなものです。
繰込場の建物は、最初の事務所とかとは違い、
完全な木造で、その時間経過の永さを感じさせてくれます。
外階段も全て木造です。
さらに奥へ進むと炭鉱風呂のあった建物も残っています。
勿論、風呂も残っているそうですが、
この見学の日、内部までは公開していませんでした。
浴場から小さなトンネルを抜けて更に奥へ進むと、
圧気室も残っています。
圧気室とは、坑内で使用する圧縮空気を製造する場所です。
こちらも事務所棟と同様、建屋はあまり趣がありませんが、
内部には沢山のコンプレッサーが残存し、
そのルックスは圧巻です。
ただ、屋根が一部崩落していて、
放置するとコンプレッサーも錆び付いてしまうと想うので、
なるべく早く屋根の修理はした方がいいと想いました。
繰込場や圧気室等はコの字型に配置されていて、
それらに囲まれた真ん中にトロッコの点検場があります。
この画像はトロッコの点検場を坑口とは反対方向に見ていますが、
振り返るとその先に、
歴史のオーラを強烈に放つ第二斜坑の坑口が見えます。
当然坑道は塞がれているものの、
坑道手前の建屋が残っているので、
坑道と繋がる斜坑の操業時の雰囲気がとてもよく伝わります。
坑口の付近には沢山のトロッコや人員運搬用の車輛が、
錆び付いた状態で横たわっています。
三川坑初の一般公開ということで、
この日は、沢山の報道陣も取材に訪れていました。
同時に、この三川坑でお仕事をされた方々も、
沢山いらっしゃっていました。
そこら中でインタビューが行なわれていたので、
否が応でもその会話が耳に入って来ましたが、
その多くは炭塵爆発に触れたものが多かった様です。
トロッコや圧気室の屋根に限らず、
その多くの施設の老朽化は否めません。
三川坑は三池炭鉱最後の生き証人として、
是非とも保存し、
その意義を後世へ伝えてもらいたいと想います。
◆
【三川坑】
福岡県大牟田市三川町
地図をご覧になってもお分かりの様に、
現在でも敷地内には沢山の施設が残っています。
また2014年以来、毎年11月の第一週末には、
一般公開されている様です。
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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