黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

【特集】台湾 #13

2006-02-06 02:16:42 | 臺灣旅行記


仕事でほんの少しだけ行った台湾の話の最終回です。
最終日の夜、打ち合わせが押しに押して、
食事に行ったのが夜の10時過ぎ、さらに最終日ということで、
軽く打ち上げをしてホテルに戻ったのは午前2時半。
酔い覚ましにと思い、コンビニへお茶を買いにいったついでに、
夜風が気持ちよかったので、
夜の台北の街も少し歩いてみようと思いました。
ちなみにコンビニは日本と同じくらいの割合であって、
セブンイレブンはそのままですが、
ファミリーマートは「全家 便利商店」と看板がでています。
台北の夜は深いと聞いていましたが、
画像の看板通り、ホテルの目の前の交差点は不夜城でした。



台北の夜中は極めて安全で、
(たまたま事件に遭遇しなかっただけかもしれませんが)
東京と同じ様な感覚で歩けます。
また、台湾の冬は極めて暖かく、
東京の人間には、夜中でもジャケット一枚で充分です。

午前中にちょっとだけ見た、
裏通りの廃店舗を見に行きました。
台北の夜は東京並みに明るく、
以前に行った北京とは随分違いを感じますが、
さすがに廃墟筋は暗めで、
廃店舗は薄明かりの中に静かに佇んでいました。



近づくと、壁の壊れたところを通って、
野良犬が隠れるように中へ入って行きました。
台北には野良犬がけっこういます。

廃墟筋を抜けて、朝行かなかった方向へ少し歩いて見ました。
平日の午前3時だというのに、
けっこう住宅の窓から明かりが漏れています。
しばらく歩くと袋小路のようなところへ行き当たり、
古めの住宅のまわりに窮屈そうに車が止めてあります。
ここも住宅の方は使われていますが、
すぐ隣の2階建ての店舗は既に壁が崩落した廃墟です。
手前の建物の奥に1本だけ独立して写る椰子の木に見えるのが、
昨日の記事でとりあげた、檳榔の木です。



台北は、想像を遙かに超えた廃墟シティでした。
そして、台北の人は廃墟と共に生きていましたが、
そこには全く悲壮感はなく、
むしろ逞しさを強く感じました。
街の中にある廃墟がこれ程生き生きとしてる光景を、
かつて見たことがありません。
そしてそれは、檳榔売りや猥雑な看板など、
台北の街を彩る文化と一緒になって、
始めてその威力を発揮するものなのかもしれません。
そこに住む人の感覚やモラルが深く反映されているからこそ、
街に力があるのかなと、
そんなことを思いました。

成田に着いて、
台湾と同じようにバスの車窓を眺めながら東京へ戻ってみようと思い、
リムジンバスに乗りこみました。
湾岸高速から首都高を回る、
最高の東京プレゼンルートを通って、
バスは新宿へ向かいましたが、
高速道路の両側に建つ、全くほころびのないビルが、
妙に生気がなく、ペラペラなセットのように見えました。

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【特集】台湾
・#01 高速からの光景
・#02 原住民・邵族の村
・#03 原住民・邵族と拉魯島
・#04 日月潭
・#05 涵碧樓大飯店 The Lalu
・#06 台北の廃墟
・#07 『アキラ』の世界
・#08 ボーダーレスな台北の廃墟
・#09 大繁華街の完全廃墟
・#10 台湾の廃墟感覚
・#11 活気ある廃墟的光景
・#12 檳榔売り


【特集】台湾 #12

2006-02-05 04:07:06 | 臺灣旅行記


仕事でちょっとだけ行った台湾の話です。
台湾で最も印象深かったものの一つが、
檳榔(ビンロウ)という嗜好品を売る店です。



画像は台北市内の売場ですが、
前半を過ごした日月潭の周辺は檳榔の産地なので、
街道沿いには右も左も檳榔店の花盛りです。
なぜ「花盛り」かというと、この店構えが凄いんです!
コンテナくらいのサイズのビニールハウスの様な建物で、
正面と側面をガラス張りにし、
正面のガラスの周囲にピンクやグリーンの蛍光灯が、
びっしりと張り巡らされています。
中で売っている人は殆どが若い女性で、
しかも超ビキニのスタイルです。
最初、何の店か解らなかったのでビックリしましたが、
台湾の人に聴くと、檳榔を売る以外、
特になにをしているわけでもないということでした。
売っているモノが同じなので、
少しでも目を惹くようにと始まった事らしいですが、
ここでも台湾の猥雑なパワーをかいまみます。

露出があまりに過激なため交通事故が頻発した台北では、
檳榔売りの服装に規制がかけられ、
今ではビキニで売る人はいなくなったそうです。
画像の店の奥に写る女性は一応服を着ていますが、
それでも濃いピンクのTシャツに薄いピンクの超ミニなので、
露出伝説は今も健在なんだと思います。

中には下の画像のような、
スタンドカフェを併設したような店もありますが、



殆どは限りなくケバいネオンや蛍光灯で飾った店構えです。

檳榔とは、葉の部分が椰子の木で幹が竹のような外観の植物の実で、
これに石灰を混ぜて、かみタバコのようにクチャクチャする、
もともと台湾の原住民の間に伝わる嗜好品だそうです。
最初の苦いところを吐き捨て、
次からくる渋みと甘みの混じった味をかんでいると、
やがて覚醒作用があって、目が覚めてくると同時に、
美味しい味が口に広がるそうですが、
その醍醐味を味わう前に吐きだしてしまいました。

長時間かんでいると真っ赤になり、
最後には吐き捨てるので、
台北市内の道端は、一見血を吐いた痕のようなものが沢山あります。
実際、台湾側のスタッフの一人はこの檳榔中毒で、
休むことなく噛んでいましたが、
口の周りがいつもドラキュラ状態でした。

檳榔・・・プンプンと廃墟臭が漂う台湾の文化でした。

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・#06 台北の廃墟
・#07 『アキラ』の世界
・#08 ボーダーレスな台北の廃墟
・#09 大繁華街の完全廃墟
・#10 台湾の廃墟感覚
・#11 活気ある廃墟的光景
・#13 最終回


【特集】台湾 #11

2006-02-05 03:02:05 | 臺灣旅行記


仕事でちょっとだけ行った台湾の話です。
せっかく台湾まできたので、
宮崎駿の傑作『千と千尋の神隠し』の舞台として有名な、
九分という街へ行ってみたいとは思いましたが、
なんせ仕事なものでかなうわけもなく、
しょうがなく台北の市内を時間が許す限り歩くだけです。

台湾は中国と同じ暦なので、
正月は2月頭の旧正月が盛大に盛り上がるそうです。
街を歩いていると、
年末のアメ横の様な市が開かれていました。
所狭しと並ぶ店の軒先には、
肉や総菜など見慣れない食材が並び、
画像のような店が何軒も軒を連ねます。



この店は、豚の足やレバーが吊されている位でまだいいほうです。
なかには小学校の解剖模型でしか見たことないような、
「それ、人の腎臓ですか?」といった形の、
トレイの溶液に浸された食材も売られていて、
食文化の違いをまざまざと見せつけれます。

以前の記事で宮崎駿作品の廃墟感については触れましたが、
宮崎作品に登場する廃墟は、
すごく騒がしくカラフルなのが不思議に思っていましたが、
この市場の光景をみて、妙に納得しました。
昨日までアップしてきた街中の廃墟的な光景に、
剥き出しの肉や魚を並べる市場の光景は、
とてもよくマッチしています。
宮崎駿が、廃墟を死のイメージではなく、
エネルギー溢れる活気あるイメージで表現する理由が、
よく分かります。

市場の光景に限らす、
街を彩る看板もまた、廃墟街とマッチして、
街のエネルギー感を盛り上げています。



看板の文字から、ここは日本人も多く訪れる道筋かと思いますが、
猥雑な看板はまた、廃墟シティ台北によく似合い、
同時にエグい色遣いの看板は、
それ自体が廃墟感を醸し出してくれます。

◆追記 07.AUG.2006◆

リンクさせて頂いている別冊観光のべろ蔵さんとのお話で、
廃墟的ではないけれど、
台湾で気になったモノを追加アップしようと思いました。

一つは上記の市に軒を連ねていた下着屋さんです。



この大胆なディスプレイ、気になります。
例えば草津の温泉街とかへいくと、
木のワゴンに下着を並べて、
ズロース三着1.000円とかしているのは見ますが、
なんと言っても色が違います!
さすが「赤い国」だと思いました。

赤い国といえばこの巨大ホテルも気になります。



帰りの高速からの撮影なので大きさが伝わりにくいですが、
アホなほど大きい丸山大飯店(台湾名圓山大飯店)です。
廃墟のキーワードでこの記事へ来られた方は、
横浜ドリームランドの目の前に建つ
ホテル・エンパイアーのノリと言えばその雰囲気がお分かりかと思います。
元々蒋介石の奥さんの別荘を転用した建物ということですが、
次回台湾に行ったときは、
是非目の前で見てみたいと思います。

ちなみにホテルの背後の山は、
地下に軍事要塞があるそうなので、
そのルックスと共に、
あまり落ち着いて宿泊できるホテルではなさそうです。

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・#13 最終回
 

【特集】台湾 #10

2006-02-04 01:38:08 | 臺灣旅行記


仕事で少しだけ行った台湾の首都、
台北の廃墟事情に関してです。

昨日まで台北市内に溢れ返る、
廃墟や廃墟テイストの街並をアップしてきましたが、
あまりの多さに、その原因が単なる開発の遅れという意外に、
なにかあるのではないかと思うようになり、
台湾で撮影してきた画像を改めて全部見直してみました。
その中に、日月潭の湖畔を走っていた時に撮影した、
共同墓地の画像がありました。



走行中の車窓から一瞬だけ見えたので、
どういう造りなのか詳しくはわかりませんが、
そこはかとなく漂う廃墟感が印象的でした。

思えばお墓ないし共同墓地は、
国民性や民族性が色濃く反映される場所なのではないかと思います。
ビル単体の造りなら、
別の国の流行を取り入れたりもするでしょうが
それらが集まった街の景観や造りとなると、
だいぶその国の国民性が反映される場所になると思います。
そして、お墓と言う場所は、
宗教的な流儀を国民が納得する形で解釈した、
最も国民性が反映された場所のひとつだと思います。

もちろん台湾の共同墓地の中には、
整然と整備された奇麗なものもあると思いますが、
この殺風景な共同墓地を許容している台湾の人には、
基本的に廃墟的光景を許容する感覚があるような気がします。
でなかったら、もう少し整備すると思います。
台中と台北を結ぶ高速道路の車窓から見えた、
じつは廃墟じゃないかもしれない廃墟的な風景と、
この共同墓地の風景が妙に一致しているのに、
驚きを感じます。

そう思ってみると、
台湾のもの全てが廃墟感覚溢れるものに見えてきました。
店先に置いてあった自転車も、



街中を歩いていた犬でさも



全て台湾の廃墟感覚を満たすルックスをしているように、
思えてならなくなってきました。

台北の市内に溢れ返る廃墟は、
開発の遅れが原因の部分もあるのでしょうが、
それよりも台湾の人の感覚の根底に廃墟感があるから、
街中の廃墟を放置しているのではないかとすら思えてきます。
勿論、奇麗で新しいものへの憧れはあるでしょうし、
廃墟が溢れかえるほうがいいとは思っていないと思います。
ただ日本とはけた違いに深い、
廃墟を受け入れる度量があるような気がします。

そう思って改めて台北の廃墟を思い出してみると、
実は台北の街の活気を作り出しているのは、
これら廃墟が持つ年期の入った汚れや、
細かくくだけ散った瓦礫が放つパワーではないかと思えてきます。
逆に表通りに並ぶ新しいビルが、
すごく無味乾燥な、
ぺらぺらで活気のないビルに見えてくるのが不思議です。

この国の人たちは廃墟と共に生き、
廃墟を普通の街の光景として受け止めいるんだと思えてきました。
なんてすばらしい国なのでしょう(^.^



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【特集】台湾 #09

2006-02-03 11:22:57 | 臺灣旅行記


仕事で行った台北で、
ちょっとした空き時間に市内を歩いた時の話です。
宿泊したホテルは日本で言ったら銀座通りに面したような所にあって、
部屋は10階だったのでそこそこ市内を見渡せましたが、
大通りを一本中に入ったあたりのビルの谷間に、
雰囲気ある平屋の屋根が並ぶ道筋が見えたので、
すぐ近くだし、気になったので行ってみることにしました。

約100m位の短い露地で、
煉瓦造りの平屋が並ぶ古い街並みには、
椅子と鏡が2つだけの理髪店や、
店なのか家なのかわからない仕出し弁当屋風のものや、
小さな祠(台湾の街角には小さな祠がほうぼうにあります)などが
所狭しと並んでいました。
さらに道筋に沿って進むと、
画像のような何らかの店舗跡と思われる建物がありました。



この物件は、他にもまして放置時間の長さを物語っています。
手前に写る焼却炉に施された鶴のレリーフが、
中国感をあおってくれます。
右側の完全に崩壊した壁のところからなかをのぞくと、
画像のような光景です。



小さく切られた窓、狭い通路の上に設置された棚、
床面近くの壁に施された色違いの煉瓦による装飾跡、
見慣れない欄間に煉瓦壁、
なかなか見られない造りです。
そしてこの部屋の反対側をみると、
屋根が完全に抜け落ちた壁だけの部屋があります。



ここだけみると例えば日本だったら、
北海道の炭鉱跡に残る安全灯室跡といったところでしょうか。
室内の植物の繁殖具合をみると、
相当この状態で放置されていたことがわかります。
中心地から遠く離れた地方の光景ならまだしも、
台北の話の当初から書いてきたように、
ここは日本で言ったら銀座の大通りから1本入った所です。

台北の市内を歩き始めた当初は、
単に開発が遅れているのが、
こういった光景を生み出しているのかと思いましたが、
怒濤の廃墟を見ているうちに、
本当にそれだけの理由なのかという疑問がわいてきました。

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【特集】台湾 #08

2006-02-03 10:12:39 | 臺灣旅行記


仕事でほんの少し行った台湾の、
滞在の後半を過ごした台北の廃墟事情の話です。

昨日までアップした建物や廃墟的光景は、
日本にはない台湾独自の色合いが出た風景で、
同時に全てに現役の建物が写り混むものでしたが、
逆に結構綺麗な外観ながらちゃんとした廃墟も、
市内のあちこちに点在しています。



画像は建物の形から、なんらかの発送代理の施設跡だと思いますが、
日本にあってもおかしくない雰囲気を出しています。
壁面の傷み具合から、
閉鎖後それ程時間が経っていないものに見えますが、
完全な廃墟です。

また、この建物のすぐ隣には、
窓枠のデザインを除けば、
日本の公営住宅の解体前の光景と言ってもまったく違和感のないような、
アパートか寮の廃墟もありました。



建物がそんなに傷んでいないことや、
台湾の廃墟を特徴づける煉瓦の瓦礫がないことなどが、
これらの廃墟が日本的な廃墟の印象を受ける理由だと思いますが、
建物の傷み具合だけみると、
昨日までの現役の建物の方が進行しているように見えます。

このように台北の市内には、
廃墟より廃墟的な現役の建物と、
現役の建物より綺麗な廃墟が混在して、
廃墟とそうでない建物の境界線が曖昧な光景が広がります。

勿論画像のような明らかな廃墟物件も、
大通りを1本中に入った通り沿いにはごろごろしています。



この筋には20件くらいの低層ビルが並んでいましたが、
その内の3件が画像のような完全廃墟として放置されていました。
台北の記事を始めてからアップしている画像は、
全て日本で言ったら銀座~新橋のような場所を中心に、
徒歩で20分圏内の光景なので、
ここまで放置しておくのは、
日本ではありえませんね。

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【特集】台湾 #07

2006-02-02 01:31:55 | 臺灣旅行記


仕事でちょっと行った台湾の話です。
昨日に引き続き台北の廃墟事情に関して。
右も左も廃墟感溢れる建物が並ぶ町並みに誘われて、
しばらく歩いていると、
画像のような解体現場にでくわしました。


正面のアパートは現役ですが、
下に写る塀にはかつて何らかの構造物がくっついていたのでしょう。
手前を解体した時に無造作に塞いだままになっています。
正面の建物の右側の壁面の中腹あたりに、
すこし赤く見えるところがありますが、
これが昨日の記事にアップした、
セメントの外壁から露出する煉瓦部分です。
手前の解体現場に散乱する破片に赤く見えるのも、
全て煉瓦片です。

ちょっと歩くと、また似たような解体現場があります。
こちらには立入禁止のロープが張ってありましたが、
相当年期が入っていたので、
だいぶ長い間この状態なのではないかと思います。



ここで気になるのは、
画像左寄りに写る2カ所の白い壁です。
なぜこれだけ残しているんでしょうか?
ちなみに左奥に写る煉瓦造りの小さな建物は、これまた現役の民家で、
撮影中に郵便配達の人が手紙を届けていました。
近づいて見るとこの2つの白壁は、
民家の壁も兼ねているので壊せないようですが、
しかし、この壁の残し方に、
日本の街の感覚から言ったらありえなさを感じます。

街中には解体現場や解体途中の建物も沢山ありますが、
中には半分解体された建物の壁面の、
各階にぽっかりと口を開ける寸断された廊下の先に
洗濯物を干している光景も見ました。
確かに、風通しが良いとは思いますが・・・

そしてこれら瓦礫の中に建つ
廃墟よりも廃墟然とした人が棲む建物をみているうちに、
大友克洋の『アキラ』や『童夢』の光景を思い出します。
大友克洋のコミックに登場する廃墟は、
限りなく細かく壊れていますが、
同時にその中で人が生きている廃墟です。
日本ではこのような状態になる遙か前に人の手を放れるので、
こういった光景は滅多に生まれませんが、
台湾では日常の一風景になっています。

台湾の初日、高速道路から見た廃墟は、
実はその多くが廃墟ではなかったのかもしれないと思えてきました。

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【特集】台湾 #06

2006-02-01 00:24:26 | 臺灣旅行記


仕事でちょっと行った台湾の話。
昨日までは、前半いた台中でしたが、
今日からは後半を過ごした台北の話です。
夜遅くに台北に到着し、
朝、ホテルの部屋の窓を開けて真っ先に目に入ってきたのが、
このビルです



壁の具合、ビニール部分の壊れた感じ、
所々割れた窓ガラス、錆の垂れた色合い、
どれをとっても廃墟ビルですが、
ちゃんと現役で使われている雑居ビルでした。
壁面の感じからいって、
日本だったら昭和30年代後半から40年代位にかけてのビルですが、
台湾の建築事情は全く知らないので、
いつ頃の建物なのかは分かりません。
それより、同じ時期だとしても、
おそらく1回もメンテナンスがされていないんではないでしょうか。
ちなみに泊まったホテルがある場所は、
日本で言ったら銀座の新橋寄りくらいな感じの場所です。

実際に街中を歩いてみると、
右も左も廃墟然とした建物がずらずらと並んでいます。
しかも大通りを1本中へ入ると、
その廃墟度数は格段にあがります。
雑居ビルと並んでアパートも多く、
その外観は同潤会アパートを彷彿とさせるものも少なくありません。
画像のようなアパートがあちこちに残存しています。



4階建ての屋上を、増築したプレハブが完全に埋め尽くしています。
ただ同潤会アパートとの大きな違いは、
鉄筋コンクリート造ではなく、煉瓦造が多いことです。
剥落した壁面から積み上げた煉瓦が露出している建物が、
かなりめだちます。

思いのほか大廃墟シティだった台北。
時間が許す限り歩き回ってみようと思いました。

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【特集】台湾 #05

2006-01-31 04:16:38 | 臺灣旅行記


仕事ですこし行った台湾の話です。
昨日の記事でアップした日月潭(sun moon lake)の真ん中に浮かぶ島、
拉魯(ラルー)島の名前を付けたいい感じのリゾートホテルが湖畔にあります。
涵碧樓大飯店 The Laluという、
アマン系のGHMグループのホテルです。
アマン・グループは、世界最高のリゾート・ホテルのチェーングループで、
その廉価版を展開しているのがGHMグループといったところでしょうか。

今回台中へ来たのは、
この The LALU 撮影のためのロケハンの同行だったので、
私には直接関係がなく、
スタッフがミーティングしている間、
せっせと画像撮影に専念してました。
まあとにかく、スキのない造りで、
世界標準のリゾートホテルの一端をかいまみました。



建築設計はオーストラリアのケニー・ヒル、
証明設計は同じオーストラリアのネーザン・トンプソンという人たちですが、
特に時間やシーンに応じて7種類の効果が用意されているという照明は、
半端ないです。
建築のほうも、素材を全て現地で調達するといった、
地に足のついた哲学が反映されているようです。

内装も、どこをとっても絵になるようなところばかりです。



左:
湖畔の急斜面を利用しているので、
フロントは最上階にあり、
階下にいくに従って客室や共同プールがあり、
一番したの階に、プール付きガーデン・ヴィラなどがあります。
右上:
フロントの横にはラウンジ・バーがありますが、
とても落ち着いた雰囲気のスペースです。
右下:
エントランス横の飾り付け。
蝋燭が随所に効果的に使われています。
昼になると行灯がはずされ、鳥籠に代わっていました。

昼は昼で、夜とは全く違った表情になります。



左上:
1階カフェ『池畔茶館』のデコレーション。
ピータンか紹興酒の瓶でしょうか。
ジャスミンミルクティーが美味しかったです。
左下:
エントランス横の蓮の花。
エントランスの両側には、
水を張った堀が切ってあって、
間隔をおいて浮かぶ漆黒の丸皿に蓮の花が乗っています。
夜になると蝋燭にかわります。
右:
1階共同プール。
湖が見える位置に設置されたプールですが、
湖側にプールサイドがないので、
画像や映像で撮影すると水が繋がってみえます。
曇り空と多少晴れた空のもとで見ましたが、
いずれも翠がかった日月潭の湖面の色と同じ色に見えるのが、
不思議です。



台湾はかなり暖かく、
さすがに温水ですが、プールサイドに水着でいても、
別に震えることはないだろうと思うくらいの気温で、
実際、泳いでいる人が結構いました。

このホテルの細かな説明はサイトに詳しく出ているので、
わざわざ書く必要もありませんが、
もともと蒋介石の別荘だったところ、
そして中国名の「涵碧樓」は、
大正5年(1916)に日本人が日月潭の畔に建てた、
後にリゾートホテルのように使われるようになる、
豪邸の名前からとったそうです。

昨日の記事で、日月潭を日本の芦ノ湖の様と書きましたが、
芦ノ湖畔のホテルを思い出してみると、
残念ながら涵碧樓 The LALU の足下にも及びません。

ところで、画像に部屋のシーンが無いのは、
泊まったのは別の湖畔にある、景聖楼飯店という所だったからです(泣

ちょっと廃墟から離れてしまいましたが、
明日から大廃墟シティ台北ヘ行きたいと思います。

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【特集】台湾 #04

2006-01-30 09:53:17 | 臺灣旅行記


仕事でちょっと行った台湾の話です。
最初の記事から登場する日月潭(にちげつたん・sun moon lake)について少し。
台湾で最大の淡水湖の日月潭は名勝でもあり、
複雑に入り組んだ湖岸や岸からの眺望は、
神奈川県にある芦ノ湖に近い雰囲気があります。
実際湖のデータを調べてみると、
日月潭:
海抜748m、水深27m、周囲37km、面積5.4平方キロ
芦ノ湖:
海抜725m、水深44m、周囲21km、面積7平方キロ
なので、海抜の高さが同じくらいなのが、
似た空気感をだしているのかと思います。
面積に比べて周囲が長い日月潭は、
芦ノ湖より入り組んでいることになります。

湖の周囲には観光街が点在しますが、
日本で言ったら、箱根と熱海を足して2で割ったような雰囲気です。
安宿系はケバい観光街の中に林立し、
高級系の宿泊所は景色のいいロケーションに単体で建っているあたりは、
湖観光地の基本的な造りと同じです。

芦ノ湖との最大の違いは湖の水の色で、
かなり緑がかっていますが、
その緑が「緑」というより「翠」の印象を受けます。
湖水に繁殖する大量の微生物が作り出す色だそうです。



この季節台湾では滅多に晴れないので条件は悪かったですが、
画像の湖面が翠がかっているのがわかると思います。
湖面一杯に霧が立ちこめる枯淡の風景は、
幻想的な雰囲気を醸し出します。

湖には見慣れない舟が何艘か浮かんでいました。
長方形の板状の甲板の端に、
いい感じに錆び付いた鉄製の小屋が乗っかり、
前方に巨大な四手網を装備した漁船です。



船の左や右奥に草の生えた小さな島が見えますが、
これは昨日までの記事で触れた原住民、邵(サオ)族に伝わる、
漁のための人工魚礁です。
竹を編んだものに泥を敷き、野花や雑草を植え、
下へ伸びた根が食べ物を探して集まる魚を誘き寄せる構造で、
日月潭の湖畔にはこの魚礁が沢山浮かんでいます。

夜になると、湖畔の観光地の明かりが、
霧の立ちこめる上空に反射して、
昼とはまた違った風景を作り出します。



中央に島のように見えるのは島ではなく半島で、
日月潭の複雑な入り組み方がわかります。
半島の左側が日潭、右側が月潭と呼ばれています。
半島の右3分の1位の位置の手前に、
ほんの少し黒が濃い部分がありますが、
そこがかつて邵族が住んでいた、
そして台湾921大震災で崩壊してしまった、
拉魯(ラルー・lalu)島の痕跡です。

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【特集】台湾
・#01 高速からの光景
・#02 原住民・邵族の村
・#03 原住民・邵族と拉魯島
・#05 涵碧樓大飯店 The Lalu
・#06 台北の廃墟
・#07 『アキラ』の世界
・#08 ボーダーレスな台北の廃墟
・#09 大繁華街の完全廃墟
・#10 台湾の廃墟感覚
・#11 活気ある廃墟的光景
・#12 檳榔売り
・#13 最終回
 


【特集】台湾 #03

2006-01-29 09:25:09 | 臺灣旅行記


仕事でほんの少し行った台湾の話です。
昨日に引き続き、
台湾の中部にある日月潭(にちげつたん・sun moon lake)という、
台湾内最大にして名勝の湖のほとりに暮らす、
邵(サオ)族という原住民の村です。

遠目には竹だけでシンプルにくみ上げた平屋かと思いましたが、
近くで見ると、竹以外の素材も使われていそうです。
この画像では分かりにくいですが、



玄関の周囲の壁は煉瓦を組み上げ、
その周りを塗り固めたような作りになっていますが、
殆どの家の玄関の周りは塗り固めた漆喰がはがれ。
結構煉瓦の壁が露出しています。
手造りと思われる木のテーブルとベンチ。
テーブルの上に飲みかけのボトルや灰皿が乗っているところをみると、
ここは家族のダイニングなんでしょうか。

さっき猛ダッシュで走って行った子供たちが、
家の敷地に入って安心したのか、
元気にピースサインを送ってきました。



ところでこの邵族は、
以前は日月潭の中にある拉魯(ラルー・lalu)島にすんでいたといいますが、
1999年の「921震災」によって殆どが壊滅してしまったため、
湖畔のこの地へ移住したそうです。
「拉魯」とは邵族の言葉で「神聖な場所」と言う意味。
台湾の殆どの人は漢民族で、しかも日本統治の時代もある国なので、
台北の街中を歩いていると、
多くの人は日本人と区別がつかない顔立ちをしていますが、
原住民の人たちはこの邵族も、昨日触れた卑南(プュマ)族も、
色黒でエキゾチックな、独特な風貌をしています。
あまり「原住民」という言葉がピントこない雰囲気でしたが、
滅多に会えない民族との遭遇でした。

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【特集】台湾
・#01 高速からの光景
・#02 原住民・邵族の村
・#04 日月潭
・#05 涵碧樓大飯店 The Lalu
・#06 台北の廃墟
・#07 『アキラ』の世界
・#08 ボーダーレスな台北の廃墟
・#09 大繁華街の完全廃墟
・#10 台湾の廃墟感覚
・#11 活気ある廃墟的光景
・#12 檳榔売り
・#13 最終回
 


【特集】台湾 #02

2006-01-28 03:20:34 | 臺灣旅行記


仕事でほんのすこし行った台湾の話です。
前半は台湾の真ん中あたりにある
日月潭(にちげつたん・sun moon lake)という湖へいきましたが、
この湖畔に邵(サオ)族という原住民の村がありました。
湖畔沿いの道に「原住民」という看板が目立つようになり、
最初は意味がわかりませんでしたが、
同行してくれた台湾のスタッフに聞くと、
台湾には漢民族の支配以前から島に住んでいた民族が今も沢山いて、
邵族はその中でも最も人数の少ない(300人)民族だそうです。

村に一歩足を踏み入れると、
それまで車窓から見てきたどの建物とも違う、
竹を組み上げただけのシンプルな平屋が並んでいます。



ちなみに今回の台湾行きの最大の目的は、
台湾原住民の一つ、卑南(プユマ)族の歌手との打ち合わせだったのですが、
同じ原住民でも卑南族と邵族とでは種類というか分類が違うらしく、
卑南族の方は高砂(たかさご)族と呼ばれる原住民の一つで、
漢民族の支配下でも自らの文化を根強く残した民族の一つだそうです。
邵族のほうも原住民は原住民なのですが、
漢化した平埔(へいほ)族とよばれる原住民の一つだそうです。
高砂族は早くから台湾の原住民として認められていましたが、
平埔族のほうはずっと原住民籍がなく、
2001年に邵族が平埔族の中で始めて原住民として認められたそうです。

随分複雑な社会構造なんだと始めて知りました。
子供が近づいてきたのでカメラを向けると、
猛ダッシュで家の方へ走って行きました。
漢化した民族というだけあって、洋服を着ていて、
電化も進んでいるようです。



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【特集】台湾
・#01 高速からの光景
・#03 原住民・邵族と拉魯島
・#04 日月潭
・#05 涵碧樓大飯店 The Lalu
・#06 台北の廃墟
・#07 『アキラ』の世界
・#08 ボーダーレスな台北の廃墟
・#09 大繁華街の完全廃墟
・#10 台湾の廃墟感覚
・#11 活気ある廃墟的光景
・#12 檳榔売り
・#13 最終回
 


【特集】台湾 #01

2006-01-27 17:33:34 | 臺灣旅行記


ちょっと台湾へ行って来ました。
といっても仕事での4日間なので、探索が出来るわけでもなく、
かろうじて台北での2時間位が唯一のフリータイムでしたが、
台湾という国は日本程廃墟をわざわざ見に行かなくても、
充分感動と満足を与えてくれる国でもありました。

前半は台中にある日月潭(にちげつたん・sun moon lake)へ、
そして後半は台北市内でしたが、
台中へ行く高速からの風景も、
日月潭周辺の湖畔道路沿いも、
そして台北市内も、
限りなく廃墟テイスト溢れまくる国でした。



画像は台中へ向かう高速道路からの光景で、
かろうじて台北市街はこぎれいなマンションなどが並びますが、
一歩近郊へ出ると、台中へ着くまで右も左も、
廃墟と廃墟テイスト満載の建物の見本市です。

以前観た台湾が舞台の映画『Moon Child』に映る、
何気ない街の風景が全て廃墟感溢れるものだったので、
多少は予想していましたが、
事実は予想を遙かに上回るものでした。

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・#12 檳榔売り
・#13 最終回