黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

廃道のロケハン・白川郷・飛騨高山~夜2

2014-09-11 18:10:22 | ロケリポ・旅
昨年リリースした国内初の廃道DVD『廃道クエスト』、
そして、今年の春にリリースした第二弾『廃道ビヨンド』、
そして廃道三部作完結編となる『廃道レガシイ』を9/2にリリースしました。
今回も前作や前々作同様、作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



前回の記事でアップした高山での昼食後、
翌日の撮影場所のロケハンと許可取りのために、
御母衣湖(→google map)へ向かいました。
廃道DVDシリーズ最後の撮影は、
白川郷のすぐ南にある巨大ダム湖<御母衣(みぼろ)>湖畔の廃橋です。
そしてシリーズ初の水上戦に備えて、ボートが着水出来る地点を探します。

御母衣湖

めざす廃道がある地点に最も近い対岸付近で、
ボートを着水させることのできる入江を発見。





御母衣湖

ボートと言ってもエンジンボートとかではなくカヤック。
しかも折りたたみ式なので、探索前に組み立てなくてはなりませんが、
その組み立てができるスペースも確認。
地下水が集まって滝の様に落水しているので、
汚れたカヤックも洗えて、まさに最適な場所です。


ところで、なぜカヤックで、なぜ対岸なのかと言うと、
目指す廃橋へ辿り着くために地上を歩いて行く場合、
コースは3つあるのですが、どのコースを通っても片道10キロ前後あり、
徒歩でアプローチするのは困難と判断したためです。
平沼さんは、3つあるルートの2つを過去に制覇していますが、
何れも時間がかかりすぎて、
最終目的地の廃橋へ到着したのが暗くなる前。
当然帰り道は真っ暗な森の行軍だったため、
カヤックでのアプローチを計画しました。

その後、カヤックを水上に浮かべる許可を湖の事務所に申請し、
これで明日の準備が整いました。
申請の受付が16時までだったので、日没までにはまだ時間が沢山あります。
そこで、周囲の探索をすることにしました。



旧椿原橋

御母衣湖から国道156号を北上し、
白川郷を越えて飛越渓合掌ラインに入ります。
そして椿原ダムをめざし、新内ヶ戸トンネルを抜け、
その先の椿原橋の手前を左折します。
するとほどなくして見えてくる旧椿原橋
Google map

元来黄色に塗装されていたのが錆びまくって、
過激にいい色に変色した美しいカンチレバートラス橋です。






そして、せっかくここまで来たので世界遺産白川郷も!

白川郷

徐々に傾く山影に身を沈めてゆく合掌造り!
すばらしい!





白川郷

小さな合掌造りの家と一本道。
道がアスファルト舗装なのが残念ですが、
こりゃ確かにヨーロッパの人から見たら異世界ですね!





白川郷

山に囲まれた緩やかな傾斜地に広がる農地で作業する風景も、
これまた日本昔話。





白川郷

今回の岐阜での撮影は、
当初合掌造りの宿に宿泊しようとも思いましたが、
さすがに周囲にコンビニはなく、撮影のための前準備も必要なため、
涙をのんむことにしました。
機会があったら、是非泊まってみたいものです。

日も暮れて来たので高山へ戻ることにしました。



高山

高山では同じホテルに連泊できなかったんで、
二泊目は木造の雰囲気ある旅館<吉野屋>さんへ。





高山

高山市内には、海外のお客さん対応の旅館が沢山あります。
この旅館も、元来はそうでなかったのかもしれませんが、
今は、かなり海外の観光客を受け入れているようで、
多くの絵画からの家族連れ観光客が宿泊していました。





高山

もしかしたらもう一生来ないかもしれない飛騨高山。
せめて食事だけは高山らしいものを食べておこうと、
飛騨牛、再び!





高山

店の周囲は高山一のネオン街。
後ろ髪を引かれながらも、明日の撮影は早朝出発なので、
またまた涙をのんで宿へ戻りました。



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廃道DVD三部作・完結編
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廃道レガシイ



飛騨高山~昼

2014-09-09 00:43:57 | ロケリポ・旅
昨年リリースした国内初の廃道DVD『廃道クエスト』、
そして、今年の春にリリースした第二弾『廃道ビヨンド』、
そして廃道三部作完結編となる『廃道レガシイ』を9/2にリリースしました。
今回も前作や前々作同様、作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



前回、前々回とアップしたニコイ廃遊歩道の撮影は、
距離も短かったので3時間くらいで終了。
12時過ぎ現地をたって、
その日の内に別の土地へ移動しなくてはならない石井さんを送りながら、
一旦高山へ戻ることにしました。
なので、今回の記事には廃道は出てきません。

高山

高山の市街へ戻ったのは13時前。
市内は観光客があふれ、夜とは違った顔を見せます。
人力車も年季が入った印象です。





高山

高山名物、みたらし団子の屋台風出店もいい感じです!
この感じのだんご屋さんは、市内の至る所にあります。





高山

年季の入った右書き文字で書かれた看板も、
これまたとっても雰囲気です。
こういった感じで、高山の中心街はとても江戸情緒満載。
廃道探索がなくても充分楽しめる街です。





高山

お腹がすいたので、この看板に誘われて入店。
精進系和食の久田屋





高山

茶蕎麦定食の冷やしを注文。
食べログの総合評価にある様に、
特に料理だけを取り上げたら絶品とはいえませんが、
この店のウリはなっといっても店内。





高山

店内から眺める外の景色は、
日本情緒を感じるすばらしい眺め。
畳敷きの和室で仕切られた店内もいいのですが、





高山

トイレへ行く途中で通る土間!
土間の上に敷かれた朽ちた木材片。
周囲を囲む木製の引き戸や障子戸。
土間の一角に造られた洗い場。
奥に無造作に置かれた石臼。
総てが完璧なまでに日本の原風景!



昼食の後、石井さんと高山駅で別れ、
明日撮影する場所のロケハンへと向かいました。



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飛騨高山~夜

2014-09-06 01:56:32 | ロケリポ・旅
昨年リリースした国内初の廃道DVD『廃道クエスト』、
そして、今年の春にリリースした第二弾『廃道ビヨンド』、
そして廃道三部作完結編となる『廃道レガシイ』を9/2にリリースしました。
今回も前作や前々作同様、作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。



シリーズ最後の撮影は、関東を離れて、岐阜の飛騨高山での撮影を敢行。
今回は東京から自動車での遠征です。
余裕をもって昼過ぎに東京を出発したもの、
途中まったく渋滞にひっかからず、約4時間半で高山へ到着しました。

高山

これまでの廃道撮影は、
前作『廃道ビヨンド』での新島と神津島以外、
常に平沼さんや石井さんとは現地待ち合わせですが、
今回は石井さんが同行したので、
ちょっとおしゃれにアルピナというホテルを予約。
小奇麗で、雰囲気も良いホテルでした。





高山

荷物をホテルに置いて、さっそく街の探索開始。
高山も、昨今流行の江戸街並再生を進めているようです。





高山

中心地へ行くと、画像の様な看板を掲げる珈琲ショップも。
このフォント、かなりグッときます!
COFFEEの豆文字とのバランスをとりながらも、
店名である煉瓦感を嫌みなく盛り込んだフォントは、
かなり手練のしわざとお見受けしました(笑)
看板のフォルムや、周囲を囲む木材の雰囲気も抜群です。





高山

高山市内を南北に流れる宮川は、
河川敷や河岸の雰囲気が鴨川等を彷彿とさせ、
旅行気分を盛り上げてくれます。
やはり観光地には川が必要ですね。





高山

江戸の街並を完全に再生した観光の中心地は、
ウェブ上でもたくさん紹介されているので、ここではアップしませんが、
それ以外の気になった物件を2、3アップしておこうと思います。
まずは「天狗商店」という名の精肉店。
高山といえば飛騨牛!
商店街にもステーキを売りにする店が何軒もありました。
それにしてもこの建物、素晴らしすぎます!
そのデザインから昭和初期の建築だな、と思いましたが、
今ググってみると、何と国の登録有形文化財!(ブラボー!!)
昭和11年(1936)年築で、木造だそうです。
木造?。。。ではこの鉄筋造に見えるのはモルタルか?
おそらく建設当時の窓枠は木製だったのでは、などと想像してしまいます。





高山

こちらは有形文化財ではないと思いますが、
角地に建つおもちゃ屋さん。
「おもちゃ」の文字とバランス、そして2階の窓。
こちらも精肉店に負けず劣らずです!





高山

かわたれ時の火見櫓も、またいいもんですね。
川と火見櫓がある江戸の街並、ところにより近代建築とくれば、
これはみんな喜んで高山へ行くのが分かります。





高山

ひとしきり街を堪能してホテルの近くまで戻り夕食。
椿屋という、江戸情緒の雰囲気漂わす和食屋さんへ。





高山

本日のお薦めと言って並べられた魚たち。
そう、飛騨高山は山の中ですが、
富山の鮮魚が入るのだそうです。
せっかくなんで赤っぽいのを一匹、焼きで注文。





高山

そしてやはり高山へ来たので、飛騨牛も!
ほどよいとろけ具合がGooood!

食事が終わる頃、DVD発売元である日活の牟田ディレクターが合流したので、
河岸をかえて二次会へ。
殆ど東京での生活パターンと同じ。
翌日からの撮影は大丈夫なのか。。。



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廃道レガシイ



沖縄 #15:琉球村

2012-06-14 01:30:52 | ロケリポ・旅
シリーズ沖縄。今回は琉球文化を体感出来る琉球村。

琉球村
琉球村

これまで沖縄に残る琉球王朝の話を中心にして来ましたが、
それらが一同に体感出来るテーマパークがあります。
琉球村です。





琉球村
琉球村

入口を入ると、赤瓦を積み上げて作った、
風変わりな塀が出迎えてくれます。





琉球村
琉球村

パーク内には築100年級の、
実際に使われていた古民家が移築されていて、
かつての「ホンモノ」の琉球の生活が体感できます。





琉球村
琉球村

屋根瓦に乗るシーサーも、様々な形のものがあります。





琉球村
琉球村

ドラマ『テンペスト』では、
琉球村をロケ地として大幅にフィーチャーし、
当時の庶民の暮らしを再現しています。





琉球村
琉球村

縁側に置かれた琉球陶器の飲茶セット。
琉球陶器は、荒削りな掘り込みと大胆な色使いが特徴の、
沖縄独特の陶器で、
無骨な中に暖かみのある魅力的な器だと思います。





琉球村
琉球村

これは旧平田家住宅フールと言って、
豚の飼育場と便所を兼ねた、100以上も前の施設。
1頭分のスペースは狭く、しかも便所兼用とは、
いささか豚がかわいそうですね。
ドラマ『テンペスト』では、八重山流しになった孫寧温が、
マラリヤにかかってしまうシーンで使われていました。





琉球村
琉球村

古民家だけでなく、
三線をはじめ紅型やシーサー造りなど、
様々な文化体験コーナーもあります。





琉球村
琉球村

1日何回かアトラクションタイムがあります。
時間になると、
首里城でみた王冠をかむった尚氏の王様が、
家来を引き連れて入場し、観覧席の玉座に座ります。





琉球村
琉球村

布袋様と同一視する中国南方の弥勒信仰が、
沖縄に伝来して形をかえたミルク様。
五穀豊穣を司る神だそうです。





琉球村
琉球村

艶やかな紅型を来た踊りもあります。





琉球村
琉球村

最後はエイサーで〆。
さきほど三線を教えてた人も踊っています。





琉球村
琉球村

出口付近では、水牛によるサトウキビの、
絞り出しの実演も行なわれています。

あまりにも奥深い琉球文化。
ドラマ『テンペスト』も今日で最終回です。

琉球村



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沖縄 #14:三重城

2012-05-24 03:11:24 | ロケリポ・旅
シリーズ沖縄。今回は那覇港内に残る城(ぐすく)。

三重城
三重城

那覇港の外海よりに建つロワジール・ホテルの先に、
三重城(みいぐすく)跡があります。
駐車場の奥にかくれて少し解りにくいですが、
海上保安庁の信号塔が目印になります。
近づいてみると、確かに中城等で観て来たのと同様の、
石積みの跡が残っています。





三重城
三重城

三重城は元々倭漢の攻撃から守る為に作られた、
いわば台場のようなもの。
台場までは石垣で固められた細く長い道が繋がっていたようですが、
前大戦で壊滅的な打撃を被り、
現在では、その姿は留めていません。
沖縄では珍しく、祠が祀ってあります。





三重城
三重城

やがて平和な時代が訪れると、
寄港する船を出迎えたり、出航する船を見送たりする場所に形を変えます。
そういった城のいわれから、
現在では旅先や県外で亡くなった人の霊を拝んだり、
離島を遥拝するための場所として使われているそうです。





三重城
三重城

実際に遥拝するカップルもいました。
しかし、これまで観て来た御嶽のように、
女性が拝んで男性が後ろで控える形ではなく、
男女が並んで座って拝んでいましたが、
これもまた、祠と同様、
沖縄では不思議な光景に思えました。





三重城
三重城

かつて多くの人が見送り出迎えた三重城のすぐ隣は那覇空港です。
沖縄にとって、いまでもこの場所は
見送りそして出迎える場所なのだと思います。

ドラマ『テンペスト』では、
第1話で真鶴が寧温になる決意をして髪を切る場所が三重城です。
その他、多くの重要なシーンで登場する三重城は、
『テンペスト』にとって、とても重要な場所といえます。





三重城
三重城

ロワジールホテルのロビーに、
かつての三重城の様子を描いた絵が展示してありました。
かなり海の中に張り出していたんですね。





むら咲きむらの三重城
むら咲きむらの三重城

那覇より北上した読谷(よみたん)村にある、
テーマパーク「むら咲きむら」の中に、
かつての三重城が再現されています。
大河ドラマ『琉球の風』のセットとして作られたものですが、
上の画像にある当時の姿と比べると、
形も規模もだいぶ違うようです。





むら咲きむら
むら咲きむら

むら咲きむらの三重城のすぐ近くにあった、
かつての浮き桟橋でしょうか。
陸に干上がってる桟橋を観たのは初めてです。

三重城



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沖縄 #13:久高島3

2012-05-17 01:11:26 | ロケリポ・旅
シリーズ沖縄。久高島の続きです。

久高島
久高島/ハタス

前回の記事の最後に触れた、
久高島の西海岸に点在する井戸=ガーのひとつ、ヤクルガーの近くに、
ハタスと呼ばれる拝所があります。
久高島の最初の記事で触れた五穀が、
最初に植えられた畑として祀られたものです。
ここでも勿論祠等はなどは一切なく、
知らなければ見逃してしまいがちな形は、
島民だけが知る信仰の現れだと思います。





久高島
久高島

島内を奥へ進むと、鬱蒼と茂る林がありました。
この林は特になんということはない林だと思いますが、
それでも木立の奥に息をひそめる得体の知れない息吹を感じます。

数々の神聖な御嶽を持つ久高島ですが、
その中でも一番神聖視されている御嶽が、
島のほぼ中央にあるフボー御嶽です。
様々な神事が行なわれるフボー御嶽は勿論男子禁制。
以前は女性なら中を見学出来たそうですが、
近年ではそれも禁止され、
今は道から少し入った所までしか行けません。
それだけ久高の人にとって大事な場所ということだと思います。

最近流行のパワースポットとしても人気が高いらしく、
訪れた人の中には、奇声を発して狂った様に奥へ走って行ったとか、
その場で痙攣を起こして失神した、とか、
都市伝説的な逸話にもこと欠かないようですが、
個人的には何も感じませんでした。
ただ、カメラを構える気持ちが一切起きず、
結局フボー御嶽の画像が1枚もないのは、
神にそうしむけられた結果だったのかもしれません。





久高島
久高島

鬱蒼と茂る木立の向こうに、光を浴びて輝いている空間が見えました。





久高島
久高島/ウドゥンミャー(久高殿)

その昔から島の繁栄を祈った神聖な場所、ウドゥンミャー。
麦の収穫、大漁、健康祈願など様々な祈りが捧げられたこの場所は、
イザイホーでも重要な場所として使われます。

イザイホーとは、かつて久高島で12年に1度行なわれていた、
31歳以上の既婚女性が神女になるための儀式。
ノロと呼ばれる位の高いシャーマンのしきりのもと、
ナンチュと呼ばれる、その年に神女になる女性が、
様々な洗礼を受けて巫女になる儀式です。

イザイホーは島民だけで行なわれ、
その実体はずっとベールに包まれていましたが、
ノロのはからいで1966年から特別に公開され、
78年の時の貴重な記録映像が残っています。

イザイホー Part1

イザイホー Part2

しかし、
残念ながら最後のノロと言われる久高ノロの西銘シズさんの逝去と、
後継となるナンチュの不在で、
1978年を最後に、イザイホーは行なわれていません。





久高島
久高島/イラブーの燻製小屋

ウドゥンミャーに隣接してイラブーの薫製小屋があります。
イラブーとはエラブウミヘビのこと。
かつて王朝に献上されていた最高級の薫製作りの技術が今も伝わり、
現在でも当時の小屋のなかで当時の製法通り作られているそうです。





久高島
久高島/ウフグイ(外間殿)

神女には久高家と外間家の2つの流があり、
両方とも久高島の始祖の家系です。
この画像は、ウドゥンミャーから少し離れたところにある、
かつて琉球王朝時代に公事に関わる神事を司った、
外間家の祭場です(画像右)。

「男は海人(ウミンチュ)、女は神人(カミンチュ)」
という沖縄の古来からの言葉をそのまま形にした様なイザイホーは、
女性崇拝という原始的な、逆を言えば人間の根源的な信仰が、
色濃く残った祭祀だと思います。

そんなイザイホーが途絶えてしまったのはとても残念ですが、
最近久高島に、
当然知らない筈の100年以上も昔の言葉を使いながら、
当時の様子を語る若い女性が現れたそうです。
島民の方は、もしかしたらノロが復活し、
イザイホーも復活するのではないかと、
とても期待しているそうです。





久高島
久高島/ウプラトゥー(大里家)

ウドゥンミャーからほど近いところにある、
ウプラトゥーと呼ばれるこの小屋は、
祭事を行うための建物ではありません。
琉球王朝には第一尚氏と第二尚氏の2つの王朝の時代がありましたが、
その第一尚氏王朝最後の17代尚徳王が久高島に渡った際、
この家の神女クニチャサと恋に落ち、ずっと入り浸っている隙に、
王朝は第二尚氏に乗っ取られてしまった、
という逸話が残っています。





久高島
久高島/ウプラトゥー(大里家)

尚徳王は絶望の果てに、
帰途の船から海に飛び込んで自らの命を絶ってしまったそうです。
またクニチャサも王の死を知り、
家の前にあるガジュマルの木で首を吊って命を絶ってしまったそうです。

琉球王朝の劇的な史実の舞台は、
とても儚く質素な建物でした。

久高島



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沖縄 #12:久高島2

2012-05-11 00:02:32 | ロケリポ・旅
シリーズ沖縄。
前回アップした久高島の続きです。

久高島
久高島/カベール

島の東北端、すなわち鬼門の先端にあるのが、
カベールと呼ばれる場所です。
琉球神話で、沖縄の祖神が初めて降り立った場所。
ビールのロケ地でも有名な神の道は、
久高島、ひいては沖縄にとって最も重要な聖地の一つなので、
限りなく自然の形で保存されています。





久高島
久高島

神の道の突き当たりまで行くと海岸に出ます。
この地が沖縄発祥の地と言われている場所だそうです。





久高島
久高島

ここでも祈りを捧げる人がいます。
勿論、斎場御嶽をはじめ他の聖地で見てきたと時と同様、
祈りを捧げるのは女性で、
男性はその背後から見守ります。





久高島
久高島

カベールから今度は西側の海岸を巡ってみます。
久高島は東側がなだらかで、西側が隆起しています。
なので、東側の海岸は緩やかな斜面を降りると海岸でに出ますが、
西側はそのほとんどが急峻にそそりたつゴツゴツとした岩場です。
岩場の陰にいるのは海で漁をする女性でしょうか。





久高島
久高島

更に西側の海岸沿いを南へ進むと、
ガー(琉球語で井戸の意味)がいくつもあります。
イザイガーは12年に一度島で行われていた、
イザイホー神事を行う女性が禊を行った泉。
そのため男子禁制です。
行こうと思えば行けますが、
そこは島のルールを守って入り口だけ。
久高島の核心に触れるイザイホーに関しては、
次回の記事で触れようと思います。





久高島
久高島

すぐ近くにミーガーと呼ばれる井戸があります。
ここは男子禁制ではないようなので、
岩場の間を通り抜け、水が湧き出る泉まで行ってみました。
これまでの記事で触れてきた首里城や中城城跡でも、
至る所に湧き水を汲み取れるようにした場所がありましたが、
ここも同様な造りになっています。
琉球にとって水が神聖なものだったことが分かります。





久高島
久高島

海は東側より西側の方が美しく、
その透き通ったボンダイブルーの海は、
もはやこの世のものとは思えません。





久高島
久高島

これで海岸をほぼ一周見てきました。
次回は内陸を見てみようと思いますが、
島内を歩いていると、
どこからともなく甘い香りが漂ってきます。
特に香りの強いところには必ずこの花が咲いていたので、
おそらくこの花の香りだと思いますが、
この脳を溶かす香りがより一層、
特別な島にいることを実感させてくれます。

…続く

久高島



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沖縄 #11:久高島1

2012-05-03 08:08:30 | ロケリポ・旅
シリーズ沖縄。今回から久高島です。

以前アップした『斎場御嶽』の記事で、
丸くくり抜かれた枝越しに見える久高島へ、
次回は是非行こうと書きましたが、
ついに行く事が出来ました。

久高島
久高島/フェリー

久高島は、沖縄本島の南東の海上6kmに浮かぶ小さな島です。
本島南部の知念岬にある安座真港から、
軽自動車が数台しか積み込めない小さなカーフェリーで行く事が出来ます。





久高島
久高島

海上に出て約30分。海の向こうに久高島が近づいて来ます。
久高島は長尺が約3Kmなのに対して短尺が約500mと、
極めて細長い島ですが、
ファリーはちょうど長尺を真横から眺める角度で進むので、
かなり大きな島に見えます。





久高島
久高島

やがてフェリーは島の南端に作られた港へ入港し、
ついに神の島といわれる沖縄発祥伝説の島へ上陸です。
本島よりも更に美しい海に、期待が膨らみます。





久高島
久高島

まず最初に訪れたのは島の東側に広がる海岸。





久高島
久高島

着色した様な空や海、そして人工的に作った様に見える植物など、
ニライカナイへの入口だということを実感させてくれます。





久高島
久高島

漁師さんが使う網かと思いきや、
スナヅルという植物だそうです。
根も葉もなく、ただ人工的なオレンジ色のツタだけの植物もまた、
不思議な感じです。





久高島
久高島

強い日差しと台風から身を守る為に、
このような育ち方をしているんでしょうか。





久高島
久高島

海岸に残されていたグラスストーン。
これもニライカライからの贈り物には違いないと思います。





久高島
久高島

島の中央付近にある伊敷浜へでる手前に、
小さな拝所がありました。
この先にある浜は、正月(久高島は旧正月)にお祈りを捧げ、
家族の人数分の小石を持ち帰る事で知られる浜だそうですが、
ただしそれは久高島内に限っての事。
島外へ持ち出すと病に冒されるという言い伝えがあり、
それは、祈りの詰まった石が、
ここへ戻ろうとすることに由来するそうです。

またこの伊敷浜は、
海の向こうからから最初に五穀が流れ着いた浜、
とも言われているそうです。





久高島
久高島

伊敷浜からほど近い所に、
今から約750年前、現在の久高島に住む人々の祖先が、
移り住んだと言われる場所があります。
祖先を最も大切にする久高島では、
勿論、ここも聖地あり霊場です。

一般的に聖地と呼ばれる場所は、
それと分かる目印や建物が建っているのが通例ですが、
久高島では、そういったことはありません。
いわゆる自然のまま手を加えずに、共に生きる思想があるそうです。

画面中央の小さな香台が唯一の拝所を表すもので、
あとは祠はおろか、この場所へ入る目印すら一切ありません。



かつて岡本太郎が沖縄の御嶽を訪れ、
その何もない神聖な空間に感動を覚えたというエピソードは、
沖縄の中でも特にこの久高島の事ですが、
世の中にその存在を広めた岡本太郎は、
実は久高島の人にとってはけむたい存在のようです。

久高島は現在でも風葬で、
家族が亡くなると三年風葬し、
その後海で洗い流して納骨するそうです。

その風葬の場を無断で訪れ、
しかも内部の様子を写真で撮影して発表したので、
久高島の人達は憤りを覚え、
それ以来風葬の場所を一切公開しなくなったそうです。

…続く

久高島



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沖縄 #10:首里城2

2012-04-26 18:14:42 | ロケリポ・旅
シリーズ沖縄。
前回に引き続き首里城です。

首里城
首里城/御差床

正殿の外観は殆ど真っ赤でしたが、
内部も同じ色で塗られています。
首里城正殿は、首里城の中で最も重要な建物。
1階と2階の中央にある国王が座る場所は、
御差床(うさすか)と呼ばれ、
両階にあるのは珍しいそうです。





首里城
首里城/玉座

玉座の肘掛をはじめ、
御差床の周りにも沢山の龍がいます。
いずれも左は口を閉じ、右は口を開けた、
阿吽一対の龍です。





首里城
首里城/国王の玉冠

正殿の中には幾つかの王朝にまつわる物品が展示されています。
その中でも一番目につくのは、
冊封(さっぷう)によって中国(明や清)から戴冠される王冠。
展示されているのはレプリカですが、
本来は生地の部分は絹で、
金や銀、水晶や珊瑚の玉が散りばめられているそうです。





首里城
首里城/琉球国王印

冠の隣には清の国王から送られた琉球王の王印がありますが、
こちらも展示されているのは玉冠同様レプリカです。
ひょうきんな顔をしたらくだの持ち手が、
国王印というイメージに違和感をあたえる印象ですが、
琉球王朝崩壊の時に消失してしまったという、
謎を孕んだ印です。





首里城
首里城/御庭

正殿からながめる正殿前の御庭(うなー)。
奉神門と正殿を中央で繋ぐ赤い道は浮道とよばれる神聖な道。
その両側の縞模様は、各種儀式に際に、
士官たちが奇麗に並んで座れるためのガイドがわりだそうです。





首里城
首里城/冊封

隣接する博物館には、
御庭で行なわれる冊封の儀式の様子が、
ジオラマで再現されています。

冊封は中国が近隣諸国とかわすゆるやかな主従関係で、
中国の国王が従国に冊封使とともに訪れ、
その国の国王に戴冠して王位をあたえることで、
国王として認められたそうです。

この様子はドラマ『テンペスト』の第1話でも、
実際の御庭をつかって撮影されたシーンが流れていましたが、
それはまだ中国が、
現在のように地球外独立国のようになってしまう前の、
アジアの頂点に君臨していた時代の話だと思います。



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沖縄 #09:首里城1

2012-04-12 03:18:33 | ロケリポ・旅
2年前にシリーズでお送りした沖縄
その後昨年の春、神の島<久高島>を訪れると共に、
仕事がらみのロケもかねて再び沖縄を訪れました。

仕事がらみとは、NHKドラマ『テンペスト
池上永一氏原作、仲間由紀恵さん主演の、
琉球王朝の最期を描いた歴史ドラマです。
昨年のオンエアはBSのみでしたが、
本日から地デジ (NHK-G 毎週木曜 午後10時) でオンエアです。
お時間のある方は、是非ご覧下さい!

まず最初に訪れたのは世界遺産の首里城。

首里城
首里城/守礼門

沖縄3回目にしてやっと訪れた首里城。
敷地に入ってまず通過するのは2,000円札でも知られる守礼門。
現在は「守禮之邦」の扁額が常設されていますが、かつては、
中国から冊封使(使節団のようなもの)が来ている間だけ掲げられ、
それ以外は「首里」の扁額が掛けられていた時代もあったそうです。





首里城
首里城/園比屋武御嶽石門

守礼門を越えてしばらく進むと、
世界遺産「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門」があります。
首里城の多くの施設は琉球王朝時代に幾度も焼失しては再建され、
更に沖縄戦で完全に焼失したために、
1992年に再建されたものなので、
世界遺産の対象ではありません。
世界遺産の対象は、あくまでも城跡がメインです。
ちなみに守礼門も沖縄戦で焼失し1958年の再建です。
しかし、修復を施されているものの、
当時の姿を今に伝えるこの園比屋武御嶽石門は、
世界遺産の一つ。

園比屋武御嶽は、
琉球国王が各地巡航の旅に出る前に、
旅の安全を祈願した御嶽。
門の奥の鬱蒼と茂った森が御嶽だそうです。





首里城
首里城/歓會門

園比屋武御嶽石門のすぐ近くにある歓會門。
首里城の城郭内へ入る第一の正門で、
中央部の木造櫓は、本殿同様沖縄戦で焼失し、
現在のものは1974年に復元されたもの。
なので、真新しい印象の正殿(後出)に比べて、
少し時代を感じさせる雰囲気です。

仲間由紀恵さん扮する主人公の孫寧温(ソンネイオン)が、
史上最年少で官吏登用試験を受けに行く際に、
門番とひともめするシーンで登場する門でもあります。





首里城
首里城/漏刻門

歓會門を越えると、
勾配のきつい傾斜に曲がりくねった石段が続き、
瑞泉門、漏刻門、広福門と幾つもの門をくぐります。
画像はそのうちの一つ、漏刻門。
櫓の中に水槽を設置し、水の漏れる分量で時刻を計り、
城内に時刻を知らせた、という不思議な役割の門。

首里城の基礎に使われている石はどれも、
珊瑚石だそうです。





首里城
首里城/首里森御嶽

広福門を越えると塀に囲まれた、
「下之御庭(しちゃぬうなー)」という広いスペースに出ます。
沖縄語で「下の庭」という意味の広場は、
正殿の控えの間の役割をはたし、
その中央に、神が生まれた伝説を持つ、
「首里森御嶽(すいむいうたき)」があります。
以前にアップした中城城跡の至る所に御嶽があったように、
ここ首里城内にも至る所に御嶽があります。

特に画像背景に映る塀の向こう側に、
「京の内」と呼ばれる首里城最大の御嶽があります。
首里城発祥の地ともいわれ、
聞得大君(琉球王朝一番のシャーマン)をはじめ、
おおくのノロ(沖縄の神女)が祈りを捧げた所だそうです。

それにしても植物が一切ない石敷の下之御庭に、
熱帯雨林状態で木々が生い茂る首里森御嶽とは…





首里城
首里城/正殿

下之御庭を越え、最期の奉神門をくぐると、
目の前に巨大な正殿が聳え立ちます。
二層三階建ての深紅の正殿は迫力満点。
装飾もかなり凝って施されているものの、
とにかく、この深紅の色が目に焼き付いて離れません。
国内の神社仏閣などで観る朱に近い赤ではなく、
まさに深紅。

正面の唐破風の中央と棟の左右に、
3体の大きな龍が乗っています。
顔立ちがかなりコミカルな印象ですが、
ドラマ『テンペスト』の冒頭では、
この龍たちが荒れ狂う夜、
龍の子、孫寧温が生まれて物語が始まります。





首里城
首里城/龍柱

正殿の右側に立つ阿龍の柱。
これも再建だそうですが、
とにかく首里殿の至る所に龍がいます。





首里城
首里城/シーサー

正殿の欄干の柱には、幾つものシーサーが乗っています。
戦前の焼失前からいたものかどうかは分かりませんが、
どのシーサーも表情が違い、とてもかわいい印象のシーサーたちです。

日本とは全く違った文化を形成していた、
琉球王朝の一端を感じる事のできる遺産です。



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酒田市

2011-11-04 23:18:57 | ロケリポ・旅
シリーズでアップして来た東北ロケシリーズ。
最期は酒田市です。

同行したオープロジェクトの西田氏は、
かつて酒田市に住んでいた時期があり、
いわば故郷の一つ。
そのおかげで市内をいろいろと案内してもらいました。



酒田市で印象深かったのは山居倉庫。→Mapion
明治26年(1893)に、米穀倉庫として建設され、
米倉庫の役割は終えたものの、
現在でも農業倉庫として使われている、
木造の美しい倉庫群です。







山居倉庫は一部資料館にも転用され、
現在でも沢山の観光客でにぎわっています。
前回アップした国立米穀倉庫も、
山居倉庫同様、日本の米を管理した重要な施設。
しかし、かたや奇麗に保存され、
かたや廃墟として忘れ去られています。
国立米穀倉庫には機銃掃射の跡や戦中の迷彩塗装の跡が残り、
地元住民からは疎まれている存在だと聞きますが、
目とかに左右されずに、
その建物の意義を考える様になって欲しいですね。







映画『おくりびと』で一躍脚光を浴びた、
NKエージェント(旧割烹小幡)。→Mapion
アカデミー賞の受賞により観光客は激増し、
酒田の街に活気をもたらした廃墟だと思います。







上記NKエージェントに隣接する日和山公園内にある、
旧宮野浦灯台 (通称六角灯台)。
ウェブ上ではよく「国内最古の木造灯台」という記述を見かけますが、
兵庫の今津灯台や石川の福浦灯台など、
六角灯台より古い灯台はかなりあるようですね。







地元にとどまらず人気のあるラーメン店、
『新月』のワンタンメン。
スープは魚介中心のやさしいハイブリッド系。
手打ちの麺はすこし柔らかめの中太のちじれ麺。
2種類の肉を使ったチャーシューに、
もちっとしたワンタン。
全体的に少しぼやっとした印象があるものの、
味はとても美味しいラーメンでいした。









最期はそばの実を剥いて茹でたものにだし汁をかけた
「むきそば」という食べ物。
もともと関西地方の寺院で食べられていたものが酒田に入り、
酒田の家庭食になったもの、というだけあって、
味は極めて上品な薄味だけど、
それがまたそばの味をひきたてて、
とてもおいしい食べ物です。
生まれて初めて食べましたが、
酒田へ行った甲斐があったと思う食べ物でした。

鳴子温泉郷

2011-10-22 05:03:29 | ロケリポ・旅
前回まで宮城県の県北にある細倉鉱山をアップして来ましたが、
そのロケでは、更に東へ移動した鳴子温泉に一泊しました。
Mapion

鳴子温泉は、
9世紀の『続日本後期』にも記述された約1,200年の歴史を持つ、
観光経済新聞社によるランキングでも、
20位前後にランクされる、とても有名な温泉なんですね。



温泉街には「奥の細道湯けむりライン」の愛称で知られる、
JR陸羽東線が走っています。
朝霧に包まれる鳴子御殿湯駅。
自動販売機の色まで統一した駅舎が、
旅気分を盛り上げてくれます。







湯けむりラインの下をくぐる、いい雰囲気の隧道。







駅から暫く歩くと、温泉街が広がります。
と言っても温泉街はこの羽後街道沿いの500m位で、
1,200年の歴史があるとは思えない、
ひなびた温泉街の印象です。







これはどうやら終わってしまった旅館のようです。







木枠の窓ガラスがいい雰囲気ですね。
かつては窓の手摺に肩肘就いて、
外を眺めながら夕涼み等していたのでしょうか。







ひなびた印象がとても良かったんで、
そういった雰囲気の画像しかアップしませんでしたが、
勿論ちゃんとした設備の温泉も何軒もあります。

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沖縄 #08:牧志公設市場

2010-06-15 04:32:48 | ロケリポ・旅
シリーズでお送りしている沖縄。
今回は、那覇市の話です。



那覇の観光名所として有名な国際通り。
その途中から分かれて広がる市場本通りは、
国際通りの観光化された街並とは一線を画し、
東京のアメ横にも通じるカオスを感じる街でした。




店舗に見とれて歩いていると気がつきませんが、
市場本通りの店舗は、
どうやら極めて細長い鉄筋のビルになっているようです。
店舗に埋もれて、ところどころに2階への階段があり、
そこから登るとコンクリートに包まれた、
延々と続く廊下が広がっています。
現在は殆どが使われていないようですが、
洋裁店や画廊等が数件営業していました。



市場本通りは、
奥に行くに従って徐々に細かく分岐し、
徐々に細く蛇行した通りへと変わっていきますが、
その蛇行具合から、
かつて川筋だったんではないかとも思います。
場所によっては道の突き当たりが、
洋品店になっているところ等もあり、
一大迷路を形成しています。



そしてその中心にあるのが、
第一牧志公設市場とよばれる市場ビルです。
1階には精肉と鮮魚を中心とした食料品店がひしめき合い、
チラガー(豚の顔)等が生で陳列される様子は、
アジアの市場に近い雰囲気を感じます。



特に鮮魚は聞いた事のない名前の魚のオンパレード。
赤マチ、ピタロー、インディアン、ミーバイ、
オジサン、、、オジサンっ?
スズキの仲間で、あごの下にヒゲがある魚ですね。




でも、一番気になったのはこいつ。
イラブチャーと呼ばれる魚で、
その見た目からは想像できないタイの仲間だそうです。
これは食べてみたい!と思ったら、
1階で買った魚を2階の食堂街で食べられるというんで、
早速注文してみました。
調理法は半分刺身、半分はあんかけです。



来ました、来ました!
青い鱗のがイラブチャーのお刺身。
やっぱり青いんですね。
早速試食。これは美味しい!
きわめてさっぱり味でいけます。
ところで左に移る海ぶどうは、なんと付け合わせ。
さすが沖縄!
で、赤身とハマチもサービス!
一緒にシャコ貝も頼みましたが、
こちらはただ歯ごたえがあるだけで、
あまりいただけませんでした。

またイラブチャーのあんかけの方は、
魚の身自体は美味しかったのですが、
あんがなんともベタな味付けだったので残念。



そんなこんなで沖縄リポートも終わりです。
本当は奇麗な海見てほげ~っとしようと思っていましたが、
実際に行ってみると見どころ満載で、
海見てほげ~っとしてられませんでした。
国内の米軍基地の20パーセントがある沖縄。
琉球王国とともに、アジアとも日本とも違う、
独自の文化を作り出していた沖縄。

次回沖縄へ行く事があったら、
久高島と同時に、港川人の発見の地、
具志頭村へも行ってみたいと思います。

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沖縄 #07:亀甲墓

2010-06-13 04:28:17 | ロケリポ・旅
シリーズでお送りしている沖縄。
中城城跡や斎場御嶽を通して、
琉球王朝の政治と宗教を見て来ましたが、
今回はその宗教観を今日にも伝えている、
沖縄のお墓です。

亀甲墓(かめこうばか)と呼ばれる沖縄のお墓は、
本土のお墓と比べ、その規模も形も全然違います。



亀の甲羅状の石を上に乗せて造ることから、
亀甲墓と呼ばれるそうですが、
今回はあまり時間がなく、
お墓を俯瞰で見られる場所を探す事ができず、
画像では甲羅状がわかりにくくなっています。

正面の中央下が入口で、その中は広く、
もともとは遺体を室内で数年の間風葬し、
その後家族が洗骨して再度納骨したそうです。



もともと沖縄には、中国から伝来した、
人生を四季に例える習慣があり、
母体の暗闇から生まれて春夏秋冬を生きた人は、
再び暗闇の母体へ帰るという思想を、
墓の形に繁栄しているようですが、
これには別の説もあるようです。



墓に入った遺体はニライカナイへ旅立ち、
戻って来た時には村の守護神となっているそうです。

母体への回帰と死者復活というと、エジプトのピラミッドを思い出します。
世界最大のクフ王のピラミッドは、狭い入口から入って暫く進むと、
大回廊と呼ばれる広い傾斜路が続き、やがて小さな部屋へ辿り着きます。
この構造を母体の造りと解釈し、何日も部屋で過ごした王が、
大回廊、すなわち子宮を通過して再び入口から現れ、
神となって復活する儀式のための建築物だという説があります。
ピラミッドが王墓か復活の儀式のための施設かはともかく、
女性の体内から神として復活するところは、
沖縄の神道に近い物を感じます。

ただエジプトの場合、死者の地は西方なのに対して、
ニライカナイは日が昇る方角、つまり東方を表しています。



沖縄のお墓には、
亀甲墓の他に、破風墓と呼ばれるお墓もあります。
破風型の屋根を乗せた家状のお墓ですが、
屋根の形がシンプルな屋形墓も数多く散見します。
いずれも本土では見ることのできない、
めずらしいお墓だと思います。

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沖縄 #03:金武社交街

2010-06-08 02:35:42 | ロケリポ・旅
シリーズでお送りしている沖縄。
今回も前回に引き続き、米軍キャンプ前の社交街です。
金武と書いて「きん」と呼ぶ土地にある社交街は、
目の前に広大な敷地で広がる、
キャンプ・ハンセンの米軍兵を相手にした歓楽街で、
こちらは前回の辺野古社交街とは違って、
いまでも現役で営業している店も多いようですが、
やはりベトナム戦争の時の賑わいはないようでう。
Mapion



キャンプ・ハンセンの第一ゲートの真ん前に、
社交街の入口があり、その上には星条旗と日の丸が見えます。
左には「ゲートワン」という文字が見えますが、
ゲートの真ん前にある飲食店。




メニューが全部ドルで書かれていたので、
ついつい入ってしまいました。
ネオンチューブがアメリカのダイナーを彷彿とさせます。
勿論店内でかかっているBGMはヒップホッポ。




この街には「キングタコス」という、
タコライス発祥と言われる店もありますが、
とりあえずゲートワンでタコライスとタコスを注文。
かなり美味!




タコライスを食べた後は社交街を散策。
壁一面に書かれたHAWAIIの文字。
どうみても日本の街にはない壁面ですね。





社交街とは、
米軍兵の慰安の為に作られた街でもあったそうですが、
戦争によって未亡人になってしまった女性達の、
働き口という意味もあったそうです。




有名なsurfsideも健在です。








「フローショー」は気にかかりますが、
確かに正確な発音には近いかもしれませんね。






奥の店、「グランドパレス」と言われても。。。






街は既に終わっている店と、おわりかけの店と、
まだまだ現役の店が混在し、
摩訶不思議な空気を醸し出しています。





小規模な宿泊施設が多いのも、
同伴で訪れる米軍兵によって使われることが多いそうです。



日本の平和に限らず、
ベトナム戦争、そして沖縄の日本の中での意味など、
様々な事を考えさせられます。

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