黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

三池炭鉱 #22:四ツ山配水池

2014-02-16 18:38:02 | ・三池炭鉱
シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は炭鉱施設ではありませんが、
巨大な地下水槽、四ツ山配水池です。

明治末期から大正の初期にかけて、
三井三池の発展によって人口が増加し、
それに伴う飲料水不足を解消すべく造られたのが、
四ツ山第一配水池です。

大正10年(1921)に供給を開始した貯水槽は、
三池炭鉱閉山後もずっと使用され、
平成24年(2012)にその役目を終るまで、
大牟田の市民の水を供給し続けた施設です。





三池炭鉱

小高い平らな丘の上に整然と並ぶ換気塔。
これが、四ツ山第一配水池の地上部分の光景です。
地下に貯水槽を掘り、上部を塞いだ後に盛り土をし、
その上部を平らにして、換気塔を均等に配置してあります。

一つひとつの換気塔は、
まずコンクリートで八画柱状に作られ、
換気窓をそれぞれの面にくり抜いています。
本来、機能的はここまででいい筈ですが、
さらに各面に型抜き(だと想います)で、
出っ張りのあるデザインを追加し、
しかもそれが同種のコンクリートではなく、
洗い出し仕上げになっているのは驚きです。





三池炭鉱

土もりされたほぼ正方形の四辺のうちの、
対格する二辺の中央に内部への入口が作られ、
ちょうど配水池の中央上部を横断する形で通路が造られています。





三池炭鉱

通路両側にある蒲鉾型の窓の奥が、
すべて巨大な貯水槽です。
貯水槽は左右5つに区切られ、
それぞれは流動壁によって区切られています。

壁面下部の赤くなっている部分が、
かつて水が溜まっていた高さの跡だと想います。





三池炭鉱

そして壁面の色が変わっている高さの位置に、
配水口と想われる太い鉄管が口を開けています。
配水口の上部に張られたネットは、
おそらくごみ取りだと想います。







三池炭鉱

第一配水池から南の位置にあたる四ツ山神社の裏手には、
昭和初期に配水を開始した第二配水池もあります。
第一配水池の盛り土はかなりの高さがあり、
出入口の施設は盛り土の高さより低いのに対し、
第二配水池の盛り土はそれほど高くないので、
出入口の施設が盛り土よりはるかに出っ張っています。

第一配水池の換気塔の装飾に使われていた、
洗い出し仕上げの壁面による円筒形の出入口施設は、
扉の左右のヨーロッパテイストの柱や、
銅板張りのドーム型の天井とともに、
かなり趣のある凝ったデザインです。





三池炭鉱

また、第二配水池上面の換気塔は、
第一配水池のそれとはまったく異なり、
よく古い時代のトイレ等で見かける形のベンチレーターです。
ベンチレーターは、第一配水池同様、
施設の上面にも均等に設置されていますが、
第二配水池では、上部盛り土の側面にも均等に設置されています。





三池炭鉱

第二配水池の敷地には、
水道記念碑が立っています。
記念碑の下部には龍の蛇口が取り付けられていますが、
もともと大牟田市は龍に年の深い土地だったことを表しているそうです。





三池炭鉱

また敷地の出入り口付近には、
珍しい角柱形のコンクリート電柱が立っていました。

四ツ山の配水池は、大牟田の水を供給し続けたという歴史と同時に、
建築的に見ても、大正から昭和のデザインを色濃く残す施設なので、
これもまた是非とも保存して欲しいと想います。



【四ツ山第一・第二配水池】

熊本県大荒尾市大島
現在四ツ山配水池は、第一と第二ともに、
一般の見学はできませんが、
唯一、四ツ山神社の境内から、
第二配水池の一部を見ることができます。

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