シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は三池港の諸施設です。
三池港は明治35年(1902)に團琢磨の指導のもとで着工。
團琢磨は三池港の築港に祭し、以下の様に述べています。
「石炭山の永久などという事はありはせぬ。
無くなると今この人たちが市となっているのがまた野になってしまう。
これはどうも住民の救済の法を考えて置かぬと
実に始末につかぬことになるというところから、
自分は一層この築港について集中した。
築港をやれば、築港のためにそこにまた産業を起こすことができる。
石炭が無くなっても他処の石炭を持ってきて事業をしてもよろしい。
築港をしておけば、何年もつかしれぬけれども、
いくらか百年の基礎になる」
その言葉通り百年経った今も、
三池港は大牟田市の重要な施設として活躍しています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f2/62cbad252a5d944047813acc97bddc7d.jpg?random=922ef4067f2bacf0e53328751a686955)
三池港の諸施設の中でも最も重要なものの1つが、
「閘門(こうもん)」と呼ばれる水位調節扉です。
元来潮の干満が激しい大牟田湾で、
干潮時にも石炭積出用の大型船舶を停泊出来るようにと、
開閉式の扉を設置することで、
港内の水位を維持出来るようにした施設です。
画像は遊覧船からの光景。
この日は満潮に近かったため、
閘門が閉まることはありませんでしたが、
干潮時にはいまでも開閉が行なわれ、
港内の水位を調整しているようです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/cb/dbef70cac5f6ae2da2c429de1d86f2bf.jpg?random=8ff221f20c23e9c39966445f8081b8b8)
堤防にしっかりと収まっている閘門の片側の上部。
閘門は築堤によって狭くなった場所の両側から真ん中に向かって開閉し、
中央で閉じ合わさると、水の出入りがなくなる構造です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e0/7e1430093df6aaffb61ca055dc247044.jpg?random=f6d328709d786d48c69c5f193b9aaf6c)
閘門が開いている時には、
閘門の手前にあるスライド式通路で、
対岸と行き来します。
手前に写るのが両側から伸びる途中のスライド式通路。
画像奥に写る青い4本の柱の部分が閘門の一方の扉部分です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/be/d990bcfd8e56fcda9d70d358a6cd7a1b.jpg?random=fc8240521f244b15a9b6fcf7e2daa1c2)
閘門に隣接する事務所内にあった閘門の施設図。
図の上が内湾側、下が外海側です。
中央に、右の閘門だけ開閉の様子が描かれています。
また上の画像のスライド式通路は、
この画像の下部に描かれた横一直線の構造のところです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/cc/785c64af0bc6dfc27e36dc04d8257e3d.jpg?random=8d25fe15cbf0d7b7c8a53258de9fd47a)
隣接する事務所は木造で、
敷地内に立つレトロな鉄塔とともに、
日本離れした雰囲気を醸し出しています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b6/0509d4fddd2459a0bb3402d0265d0b87.jpg?random=a135280ef0faec008038fd678d132034)
現在、閘門は三池港物流株式会社が管理していますが、
今でも○に井桁と三の三井のマークが残り、
團琢磨の百年後の構想が今も息づいていることを伝えています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/6f/f06a7c3c61d491644059601dd7852b09.jpg?random=ac90640ff98695dc5f8f7fe1ba8a923b)
建屋の中には、閘門を開閉するための水圧ポンプがあります。
このポンプも明治時代のものだそうですが、
今でも現役で、カタカタと軽快な音をたてて駆動するその様子は、
小さいながら産業遺産の風格を充分に出しています。
◆
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/cc/edf3044e91e47c7a7f359aea6a54cdaf.jpg?random=52f8b884ad624ee26e17fce6ba6f7a78)
閘門のすぐ南に位置する堤防沿いには、
「大金剛丸」というクレーン船が停泊しています。
明治38年(1905)に三池へやってきた、
三池港築港のために活躍したクレーン船です。
クレーンの機動部分はイギリス製で、
石炭による蒸気機関で動くそうですが、
100年以上経った今でも現役というのには驚かされます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/c5/2a99db00973f8806dfc8879fe80eff21.jpg?random=3a821fffaaad1226c46772f33350ad93)
大金剛丸のすぐ隣には、
バンカー炭(船舶で焚く用の石炭)の積み込み桟橋も残っています。
◆
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/5b/6b2b90b63d344b6829adb493ed07c2a4.jpg?random=d5e1143b4bb0866d5c9969433bf7fdfa)
大金剛丸からさらに南へ行くと、
「長崎税関三池税関支署」があります。
三池港開港と同時に作られた税関ですが、
国内に残存する税関の建屋は少なく、
三池港とともに三池の足跡を今に伝える、
貴重な建物だと想います。
なお、
税関支署は平成22年(2010)に市の文化財に登録され、
現在のものは、かつての姿に復元されたものです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/1c/0b1d22703078c0f0db0cd144e5b4d42a.jpg?random=ccb6cfedfe44137ccaa6e4c85d6f4bc8)
税関支署のすぐ近くには、
かつて港に縦横無尽に走っていた、
炭鉱鉄道の軌道跡が残っていました。
なお、税関支署以外の三池港の諸施設は、
文化財には指定されてはいませんが、
昨年世界遺産への推薦が出された、
『明治日本の産業革命遺産』の構成資産として
リストアップされています。
◆
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/31/8a4f4c644821ff6c134023149366bb7b.jpg?random=625570af595ae30f09557d0d5551943f)
三池港の外海寄りの敷地には、
港沖竪坑と呼ばれる、
以前アップした四ツ山坑関連の施設跡も残っています。
画像は海上から見た事務所棟跡。
昭和40年(1965)に開坑し、昭和62年(1987)まで稼働した竪坑だそうですが、
その櫓の姿は、
このシリーズの一番始めにアップした記事の画像
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/ee/054b2752742800de9f527b8f2fe7ed6c.jpg?random=dc1da0824c520dd817b51d734e3849b4)
駅前の炭鉱資料館に展示されていた絵画の左奥に描かれています。
もともとは筑豊の田川炭鉱から移設された櫓だそうですが、
竪坑櫓は既に現存せず、
現在では竪坑の右隣に描かれている事務所棟などが、
わずかに残っているだけです。
◆
【三池港】
地図にはこの記事で取り上げた施設の所在地を記入しました。
ただしこの記事で取り上げた施設は、
税関支署の外観以外、特別な許可を頂いて取材したもので、
一般の見学は受け付けていません。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/90/5f47aa9c014a50f2eb18a1f922a43a83.png?random=2374214803033d4be05a163db6cf650f)
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は三池港の諸施設です。
三池港は明治35年(1902)に團琢磨の指導のもとで着工。
團琢磨は三池港の築港に祭し、以下の様に述べています。
「石炭山の永久などという事はありはせぬ。
無くなると今この人たちが市となっているのがまた野になってしまう。
これはどうも住民の救済の法を考えて置かぬと
実に始末につかぬことになるというところから、
自分は一層この築港について集中した。
築港をやれば、築港のためにそこにまた産業を起こすことができる。
石炭が無くなっても他処の石炭を持ってきて事業をしてもよろしい。
築港をしておけば、何年もつかしれぬけれども、
いくらか百年の基礎になる」
その言葉通り百年経った今も、
三池港は大牟田市の重要な施設として活躍しています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f2/62cbad252a5d944047813acc97bddc7d.jpg?random=922ef4067f2bacf0e53328751a686955)
三池港の諸施設の中でも最も重要なものの1つが、
「閘門(こうもん)」と呼ばれる水位調節扉です。
元来潮の干満が激しい大牟田湾で、
干潮時にも石炭積出用の大型船舶を停泊出来るようにと、
開閉式の扉を設置することで、
港内の水位を維持出来るようにした施設です。
画像は遊覧船からの光景。
この日は満潮に近かったため、
閘門が閉まることはありませんでしたが、
干潮時にはいまでも開閉が行なわれ、
港内の水位を調整しているようです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/cb/dbef70cac5f6ae2da2c429de1d86f2bf.jpg?random=8ff221f20c23e9c39966445f8081b8b8)
堤防にしっかりと収まっている閘門の片側の上部。
閘門は築堤によって狭くなった場所の両側から真ん中に向かって開閉し、
中央で閉じ合わさると、水の出入りがなくなる構造です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e0/7e1430093df6aaffb61ca055dc247044.jpg?random=f6d328709d786d48c69c5f193b9aaf6c)
閘門が開いている時には、
閘門の手前にあるスライド式通路で、
対岸と行き来します。
手前に写るのが両側から伸びる途中のスライド式通路。
画像奥に写る青い4本の柱の部分が閘門の一方の扉部分です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/be/d990bcfd8e56fcda9d70d358a6cd7a1b.jpg?random=fc8240521f244b15a9b6fcf7e2daa1c2)
閘門に隣接する事務所内にあった閘門の施設図。
図の上が内湾側、下が外海側です。
中央に、右の閘門だけ開閉の様子が描かれています。
また上の画像のスライド式通路は、
この画像の下部に描かれた横一直線の構造のところです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/cc/785c64af0bc6dfc27e36dc04d8257e3d.jpg?random=8d25fe15cbf0d7b7c8a53258de9fd47a)
隣接する事務所は木造で、
敷地内に立つレトロな鉄塔とともに、
日本離れした雰囲気を醸し出しています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b6/0509d4fddd2459a0bb3402d0265d0b87.jpg?random=a135280ef0faec008038fd678d132034)
現在、閘門は三池港物流株式会社が管理していますが、
今でも○に井桁と三の三井のマークが残り、
團琢磨の百年後の構想が今も息づいていることを伝えています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/6f/f06a7c3c61d491644059601dd7852b09.jpg?random=ac90640ff98695dc5f8f7fe1ba8a923b)
建屋の中には、閘門を開閉するための水圧ポンプがあります。
このポンプも明治時代のものだそうですが、
今でも現役で、カタカタと軽快な音をたてて駆動するその様子は、
小さいながら産業遺産の風格を充分に出しています。
◆
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/cc/edf3044e91e47c7a7f359aea6a54cdaf.jpg?random=52f8b884ad624ee26e17fce6ba6f7a78)
閘門のすぐ南に位置する堤防沿いには、
「大金剛丸」というクレーン船が停泊しています。
明治38年(1905)に三池へやってきた、
三池港築港のために活躍したクレーン船です。
クレーンの機動部分はイギリス製で、
石炭による蒸気機関で動くそうですが、
100年以上経った今でも現役というのには驚かされます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/c5/2a99db00973f8806dfc8879fe80eff21.jpg?random=3a821fffaaad1226c46772f33350ad93)
大金剛丸のすぐ隣には、
バンカー炭(船舶で焚く用の石炭)の積み込み桟橋も残っています。
◆
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/5b/6b2b90b63d344b6829adb493ed07c2a4.jpg?random=d5e1143b4bb0866d5c9969433bf7fdfa)
大金剛丸からさらに南へ行くと、
「長崎税関三池税関支署」があります。
三池港開港と同時に作られた税関ですが、
国内に残存する税関の建屋は少なく、
三池港とともに三池の足跡を今に伝える、
貴重な建物だと想います。
なお、
税関支署は平成22年(2010)に市の文化財に登録され、
現在のものは、かつての姿に復元されたものです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/1c/0b1d22703078c0f0db0cd144e5b4d42a.jpg?random=ccb6cfedfe44137ccaa6e4c85d6f4bc8)
税関支署のすぐ近くには、
かつて港に縦横無尽に走っていた、
炭鉱鉄道の軌道跡が残っていました。
なお、税関支署以外の三池港の諸施設は、
文化財には指定されてはいませんが、
昨年世界遺産への推薦が出された、
『明治日本の産業革命遺産』の構成資産として
リストアップされています。
◆
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/31/8a4f4c644821ff6c134023149366bb7b.jpg?random=625570af595ae30f09557d0d5551943f)
三池港の外海寄りの敷地には、
港沖竪坑と呼ばれる、
以前アップした四ツ山坑関連の施設跡も残っています。
画像は海上から見た事務所棟跡。
昭和40年(1965)に開坑し、昭和62年(1987)まで稼働した竪坑だそうですが、
その櫓の姿は、
このシリーズの一番始めにアップした記事の画像
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/ee/054b2752742800de9f527b8f2fe7ed6c.jpg?random=dc1da0824c520dd817b51d734e3849b4)
駅前の炭鉱資料館に展示されていた絵画の左奥に描かれています。
もともとは筑豊の田川炭鉱から移設された櫓だそうですが、
竪坑櫓は既に現存せず、
現在では竪坑の右隣に描かれている事務所棟などが、
わずかに残っているだけです。
◆
【三池港】
地図にはこの記事で取り上げた施設の所在地を記入しました。
ただしこの記事で取り上げた施設は、
税関支署の外観以外、特別な許可を頂いて取材したもので、
一般の見学は受け付けていません。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/90/5f47aa9c014a50f2eb18a1f922a43a83.png?random=2374214803033d4be05a163db6cf650f)
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