黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

同潤会十条普通住宅 #02

2010-07-07 07:44:21 | ・同潤会アパート
国内初期の鉄筋アパートを建設し、
その後の住宅事情に様々な影響を与えた同潤会の仕事の中で、
あまり知られていない一般の住宅をアップしています。



画像に写る建物は殆どが改築されていますが、
エリア的には十条普通住宅街の、
ひとつの中心地的な位置に当たる場所です。
Mapion
Mapionをご覧になるとわかる様に、五叉路を広め造られています。
少し東へ行くと、同様に広く造られた交差点がありますが、
これらは、単に交差点としての機能以上に、
街の集会所的な使い方をするエリアとして、
意図的に設けられたスペースでした。
建設費の約10パーセントを福祉施設費に当てた同潤会の、
ただ家を建てるだけではない、福祉や教育まで視野に入れた、
街作りの発想の名残だと思います。



そういった街作りを見越した同潤会の住宅地ですが、
木造住宅が密集する場所は建物が接近し、
極めて細い路地を形成しています。
さらに、今でこそ23区内のエリアですが、
当時は郊外と呼ばれ、不便さを感じた地域でもあり、
初期に造られた木造の賃貸住宅は、
それほど人気がでなかったそうです。



住宅地の最奥地には、
こういった使われなくなった建物も残っています。
木造住宅が一段落した同潤会は、その後、
一連の有名な鉄筋アパートを建設し始めますが、
最終的には当初予定した木造と鉄筋アパートの戸数より、
木造は少なく、鉄筋アパートは多く造られたのは、
こういった賃貸木造住宅の不人気が原因だったと言われています。



奇麗に手入れされた大八車を見ると、
今でも使われているのかと思います。
同潤会の住宅は木造戸建てと鉄筋アパートともに、
当時の相場よりはかなり安く、
採算度外視の家賃だったと言われています。
これは羨ましい話ですね。



このお宅は随分と改修を施していますが、
やはり側面を見ると木造2階建家屋の名残が見てとれます。
戦後、十条の普通住宅は満州鉄道からの引揚者の方々によって、
おもに使われる事になったそうです。
エリアの住民の方にお話を伺うと、
かつては一帯が全部木造長屋だったが、
いまではすっかり様変わりしたそうです。
ちなみに話をうかがった方は、
このエリアが同潤会によって造られた街だったことを、
ご存じないようでした。



同潤会は、鉄筋アパートの建設が一段落すると、
再び木造家屋の建設に着手しますが、
今度は賃貸ではなく分譲で、
その規模も賃貸よりは大きく、
一戸建てが多かったようです。
やがて戦争の色が濃くなりだすと、
住宅も質より量が求められる様になり、
昭和16 (1941) 年、同潤会は幕を閉じます。

■参考資料■
『同潤会十八年史』(同潤会1942)


同潤会十条普通住宅 #01

2010-07-04 07:41:08 | ・同潤会アパート
前回まで同潤会のアパート、
三ノ輪と上野下をアップして来たので、
ついでに同潤会が手がけた一般の住宅も
アップしようと思います。

同潤会は趣のある国内初期の鉄筋アパートで有名ですが、
もともと関東大震災で壊滅的な打撃を受けた東京を、
住宅の側面から復興させようと発足した同潤会は、
震災直後の1924 (大正13) 年に、
木造の一般住宅を大量に建設しています。
そしてこれらは「普通住宅」と呼ばれましたが、
震災後突貫工事で造られたバラック状態の「仮住宅」
に対して付けられた名前です。

普通住宅は赤羽、大井、十条、西荻窪、砂町など、
今では23区内ですが、当時としては郊外と呼ばれた地域に、
建設されたそうです。
多くの普通住宅は既に解体されていますが、
十条の普通住宅は、今でもその多くが残存しています。
Mapion



Mapionを見てもお分かりの様に、
小さな家が密集していますが、
このエリアがかつて同潤会が普通住宅を建てた住宅地です。
今では、その多くが建て替えられてはいるものの、
エリアに入ると、そこかしこに
当時の住宅を元に手を入れた建物が散見できます。



普通住宅はメゾネットタイプの家屋も多かったらしく、
この建物等はその名残を残している様に見えます。
今となっては、どこまでがオリジナルかは
なかなか判別が難しいですが、
それでも細い路地を歩くと、
現代とは異なる街の空気が、今でも感じられます。



十条の普通住宅を見て感じるのは、
その建物の規模のわりに、造りが凝っている事です。
もっと大きな木造住宅になれば、
母屋、お勝手、書斎などを複雑に造っているものは見ますが、
この規模の木造住宅の場合、
これまで都内各所に残る木造住宅を見て来た、
いくつかの記憶と照らし合わせる限り、
外周を矩形に造ったものが殆どです。
このあたりに、細かいところまで気を配る、
同潤会のスピリットが反映されているんではないでしょうか。



中には、1階の一部を店舗として改装して、
使っている住宅もあるようです。
埋め込みガラスの看板がいい味をだしています。


同潤会上野下アパート #03

2010-07-02 05:01:48 | ・同潤会アパート
現存する唯一の同潤会の集合住宅、
上野下アパートをシリーズでお送りしています。
Mapion

上野アパートが、同潤会の解散後、
自主団体によって管理されてきた話は、
前回の記事でも触れましたが、
建物の内部を見ると、それがよくわかります。



2号館の入口にある受付の窓口。
ほんの少し20年代風のデザインが施された木枠の窓が、
今でも奇麗に残っています。
そして中央に写る「受付」のプレートの文字は、
なんと右書き文字です。
(画像をクリックすると拡大します。)



上野下アパートは戦火を逃れたので、
今でも多くの戦前から住んでおられる方や、
そのご家族によって使われているようですが、
三ノ輪とは正反対に、
内部もとても奇麗な状態に管理されています。



玄関の扉も、ほぼ当時のまま奇麗に使われています。
手前の手摺も、丸みを帯びた四角と曲線で構成された、
ささやかな20年代を感じるデザイン。
80年の間には老朽化したこともあったと思いますが、
これもまた行き届いた管理の賜物でしょうか。



共同トイレも、汚いという印象は全くなく、
手入れが行き届きながら使い込まれた味が、
滲み出ています。
おそらく木部が多い事が、
この味をだしているんじゃないでしょうか。



屋上のペントハウスには、
ちょっと不思議な空間があります。
これは三ノ輪アパートにもありましたが、
ペントハウスの半分くらいのスペースに、
石造りの土台があり、その中央に水タンクが乗っています。
石造りの周囲は円形のシンクのような造りになっていて、
ここで水仕事ができるような造りですが、
歯磨粉などが置かれているのを見ると、
洗面所として使われているようです。

風呂無しに共同トイレの生活は、
住むにはとても不便だと思います。
いまでこそ、貴重な遺産として見れますが、
時代によっては、ただ古めかしい、
不便なビルだとしか思えなかった時期もあったと思います。
でもそれをおして、ここまで改造をせずに使い続けたのは、
ひとえに住民の方々のアパートへの愛じゃないでしょうか。

しっかりと使い込まれたこのアパートは、
多くの物が、無用に更新されていく今の日本に、
沢山のことを教えてくれるんではないかと思います。


同潤会上野下アパート #02

2010-07-01 01:32:34 | ・同潤会アパート
現存する唯一の同潤会の集合住宅、
上野下アパートをシリーズでお送りしています。
Mapion
前回は建物の外観を見ましたが、
今回は中のエリアを見て行こうと思います。



中庭の面積はそれほど広くはなく、
どちらかというと狭い方だと思いますが、
大きな銀杏の木を中心に大小さまざまな植栽が、
程よい配置で植えられていて、
囲い塀の外と内側では別世界です。



前回の記事でも少し触れたダストシュート。
現在では使われていないようですが、
その周りを植木鉢で囲んでいます。
植物の配置は、三ノ輪アパートにはあまりみられず、
どちらかというと今は亡き青山とか代官山に通じる、
印象をうけます。



清洲橋通りに面した1号館の裏側。
中央に移る太い管は、
各階の壁から太いパイプが結合されているので、
トイレの配水管かと思いますが、
上部の色が違っています。



横長の2号館の裏側にも同様の配水管があり、
やはり同じ様に上部の色が違っています。
前回の記事の画像にも沢山写っている様に、
この配水管は道側の前面にも何本も設置されていて、
同様に上部だけ色が違っています。
その形から、屋上の雨水の配水管ではなく、
臭気抜き管のような気がします。



当初、奇麗な青緑は緑青のたぐいかと思いましたが、
配水管に銅関連の素材を使う筈もないな~と思って、
もう少し良く見てみると、
どうやら薄青緑に塗装しているようです。

完成当時の写真を見ると、同様の造りになっていますが、
残念ながらカラーではないので、当時の色はわかりません。
しかし、
上野下アパートは同潤会の解体後、
協和会という自主団体が管理し、
増築や改築などをしないよう徹底しているそうなので、
おそらく、当時もこの色だったんではないでしょうか。

で、なぜ臭気管に拘ったかというと、
これがいいアクセントになっているんです。
上野へ行かれた際には、
ちょっと足を伸ばしてご覧になる事をお薦めします。


同潤会上野下アパート #01

2010-06-30 09:15:33 | ・同潤会アパート
前回まで同潤会の三ノ輪アパートをアップして来たので、
ついでに上野下アパートもアップしようと思います。
三ノ輪アパートが解体されてしまった今、
同潤会アパートでは唯一残る物件になってしまいました。

JR上野駅から徒歩で約10分、
地下鉄なら稲荷町からすぐの所にある上野下アパートは、
ウェブ地図にも名称が掲載されていて、
とても分かりやすい場所にあります。
Mapion



稲荷町から清洲橋通りを北上すると、
道沿いに同潤会特有の壁が見えて来ます。
上野下アパートは三ノ輪と同様2棟だけの造りですが、
三ノ輪がほぼ同じサイズの2棟だったのに比べて、
上野下は横長の大きな2号館と、
その横におまけの様に建つ小さな1号館という、
極めて変則的な造りです。
画像はそのおまけの棟ですが、1階には店舗が入居しています。



道を入ると、大きな2号館があります。
中期同潤会アパートに多い4階建てですが、
特に4階部分が張り出して、
独身用の部屋になっている所など、
三ノ輪アパートと共通しています。



2号館のほぼ中央にある門が、一応正門になるのでしょうか。
三ノ輪の翌年、昭和4(1929) 年に竣工していますが、
ほぼ同じ時期の建築とは思えない位奇麗です。
三ノ輪は空襲で焼けてますが、
上野下は空襲を受けていないので、
ここまで奇麗に残ったのだと思います。



こちらの門は、1号館と2号館の間の門。
手書きの看板が今でも使われているのがいいですね。
ダストシュートが見えますが、
これもまた同潤会が作り出した集合住宅の技の一つと
言われていますね。



アルミサッシュに変えられている窓もありますが、
画像のように今でも木枠サッシュの窓枠も、
奇麗な状態で沢山残っています。


同潤会三ノ輪アパート #04

2010-06-26 04:26:02 | ・同潤会アパート
シリーズでお送りしている同潤会三ノ輪アパートです。



ストッパーがすべて外れた階段や、
丸みを帯びた木製の手摺、錆び付いた手摺の足等から、
三ノ輪アパートが積み重ねてきた時間の長さを感じます。





三ノ輪アパートの老朽化が特に激しかったのは、
前大戦時に戦火に包まれたためといわれていますが、
逆を言えばよく残ったものだと思います。





4階建ての4階部分は独身者のための部屋でした。
三ノ輪アパート #02の2番目の画像に見えるように、
4階部分は張り出しの構造になっていますが、
この構造を造ったのも同潤会が最初といわれています。




4階の部屋の玄関部分。かなり狭いですね。
三ノ輪アパートは同潤会の中では規模が小さく、
児童公園や共同風呂などといった施設もありませんが、
それでも当時は申し込み倍率が10倍強あったそうです。
いわゆる「最先端の住宅」として、
人々に受け入れられたんではないでしょうか。



畳敷き4畳半の部屋は、
部屋の隅の四角い出っ張りがなければ、
木造アパートの一室と言われても納得する造りで、
80年という時間の距離を感じます。



関東大震災の後の1924年(大正13年)、
震災に耐えうる鉄筋アパートの建設を目的に、
当時の内務省によって設立された同潤会は、
単に丈夫なアパートを建設するだけではなく、
家族と独身の混住や街造りを視野に入れたアパート造りを通して、
新しい大衆社会を造ろうとしたんだと思います。

また一つ、
集合住宅の原点がなくなってしまったことは、
とても残念です。


同潤会三ノ輪アパート #03

2010-06-24 04:06:20 | ・同潤会アパート
シリーズでアップしている、
既に取り壊されてしまった同潤会三ノ輪アパートです。



2棟あるうちの南に位置する棟の屋上へ行ってみると、
気合いの入った落書き、というよりはペイントがありました。
訪れたときは、イベント会場などに使われた跡かと思いましたが、
その後公開された映画『ハチミツとクローバー』の、
ロケ地として使われたときの美術だとわかりました。
ex : インタビュー



しかし映画の公開は2006年の7月。
ここを訪れたのは2005年の秋なので、
おそらく撮影直後くらいだと思うんですが、
画像でも分かるように、真新しさがまったくなく、
描かれてから10年くらい経っている雰囲気です。



屋上に限らず、1階の壁面もペイントされていましたが、
こちらもその掠れ具合がとてもいい感じです。






また別のところにはモザイクによる装飾もありました。
その色使いから、これも美術の一部だと思いますが、
相当気合いが入っていました。

まだ映画を見ていないので、
今度見てみようと思います。


同潤会三ノ輪アパート #02

2010-06-23 02:26:08 | ・同潤会アパート
前回からアップしている、
既に取り壊されてしまった同潤会三ノ輪アパートです。



敷地の入口のすぐ横には、なんと共同トイレがありました。
三ノ輪アパートの方位を見てみると、
Mapion
のポインターの上下が2棟のアパートですが、
下の棟のすぐ右に小さな建物があるのがわかります。
これが共同トイレでの位置すが、
風水ではトイレが吉とされる東の方角です。
果たして風水まで考えて設計されたかは分かりませんが、
居住エリアに最も影響のないところにしようとした結果、
選ばれた場所なような気がします。

2回目に見学に行ったときは、
住民の方が水を打って、奇麗に掃除をされていました。



狭い中庭の中央には、共同洗濯場がありました。
トイレはブロック塀だったので、
元来作られていた場所ではないのかもしれませんが、
共同洗濯場は住宅棟と同じ壁なので、
元来造られていたものだと思います。



共同洗濯場の内部。
左右の流しの高さが違うのには意味があるんでしょうし、
右側の流しの上の壁で仕切られたスペースは、
ビニールの水道管が渡される前に使われていた構造だと思いますが、
共同洗濯場というものを使った経験がないんで、
なんだか分からないのは残念です。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら、
ご教授くださいませ。



これはたぶん井戸のあとでしょうか。
後ろの壁面の鍵型に曲がった部分の上部の装飾など、
20年代を彷彿とさせるデザインが施されています。





洗濯場の隅には、かつて使われたであろう、
洗濯桶が奇麗に積み上げられていました。
もうこの時点では使われていないようでしたが、
周囲の床麺にはゴミ一つなく、最初のトイレ同様、
最後まで愛情が注がれて、使われていたんだと思います。


同潤会三ノ輪アパート #01

2010-06-22 04:01:59 | ・同潤会アパート
そういえば同潤会三ノ輪アパートが解体されていましたね。
解体されると話題にのぼってから相当年月が経った様な気がしますが、
残念です。。。。。orz



三ノ輪同潤会を訪れたのはもう6、7年くらい前でしょうか。
下町の住宅街の中に、窮屈そうに2棟だけ建っていた三ノ輪は、
同潤会の中では、かなり規模の小さい物だったと思います。
規模が小さかったせいか、他の同潤会によく見られる様な、
1階の店舗はありませんでした。



この時点で殆ど人は住んでいらっしゃらなかったようですが、
その満身創痍な出で立ちは、生ける屍と呼ぶにふさわしい、
痛ましいものでした。





同潤会はその殆どが、
1926年(大正末年)から4年間の間に造られていて、
この三ノ輪も1928年(昭和3年)築ですから約80年!
よく頑張ったと思います。




窓枠もアルミサッシュに交換されたものに混じって、
往年の木枠サッシュの部屋も、幾つも残っていました。
壁は、同潤会特有の鮫皮おろしのような、
ざらっとした造りでしたが、
至るとこが剝落して、鉄筋がむき出しになっていました。



鉄枠のテラス、木枠のサッシュ、
剝落した壁、至る所に育つ植物。
そして真っ黒い土管。
できればもう一回見てみたかったものです。

Mapion
マーク地点の上下の建物が三ノ輪アパートだと思います。

※訪れたのは6、7年前じゃなくて、
2005年の秋ですね。



同潤会青山アパート #09

2006-02-18 02:56:00 | ・同潤会アパート
blogに書き込みを頂いたいた
『同潤会記憶アパートメント』展がもう最終日なので、
仕事の合間をみて出かけました。
狭い会場は沢山の人で溢れ返っていてなかなか入れず、
タイミングを伺おうと裏通り側へでてみると、
裏の壁面には各階にネームプレートが張られていて、
その下には「DOJUN WING」の文字が。



小さな会場ながら共同展ということもあって、
写真から映像、絵画、立体と凄く充実した内容で、
まだアパートがあった頃なんでもっと観ておかなかったんだと、
思わずジタンダを踏んでしまう展覧会でした。

かつてのアパートのパノラマ写真を見入るお客さん(左上)
アパート時代に使われていた玄関上の再生旗立(右上)
建設当時をそのまま再現したといわれる壁面(左下)
立体鏡でみられるかつての同潤会アパート(右下)



入場者数も20,000人にせまる数らしく、
いかに同潤会アパートが気になる建物だったかが伺えます。

何回かに渡ってアップしてきた、
同潤会青山アパートと同潤館はそろそろ終わりにしようと思いますが、
ついでなので表参道ヒルズを一つ。
駐車場の出入口のフォントが気になります。



数字やアルファベットに使われているフォントは、
'BANK GOTHIC'といわれるフォントですが、
かつて商業施設等の外壁にこれが使われているのは見たことがありません。
といっても、以前アップした軍艦島のピアノ同様、
仕事柄このフォント使いには感動してしまいましたが、
一般的には「ふ~ん」って感じかもしれませんね。

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■シリーズ:同潤会アパート■
旧青山アパート #01
旧青山アパート #02
旧青山アパート #03
旧青山アパート #04
同潤館
表参道ヒルズ
ゼルコバテラス
柴犬と同潤館
 


同潤会青山アパート #08

2006-02-11 20:40:16 | ・同潤会アパート
表参道ヒルズがオープンしました。
以前の記事でもアップした、
同潤会アパートを再現した<同潤館>のギャラリーで、
『同潤会記憶アパート』展を開催すると、
いしまるあきこさんからのコメントがあったのを思い出し、
仕事の合間にちょっと行ってみると、
入場制限がかかって外に人がたくさんに並んでます。
平日にまた来ればいいと思い入場は即座に断念。

一応表参道沿いに外から見ましたが、
TASCHEN のショップが入っていました。
TASCHEN はドイツ(だったかな)の出版社で、
廉価で良質な写真集や画集を出版しているところです。

同潤館も一応外観だけ観ておこうと思って行ってみると、
壁になにやら変なマークがついています。
表参道の「参」をロゴ化したものでしょう。
サイトをみてみると、
タイクーングラフィックスですか。

道ばたに停めてあった自転車のカゴに、
目を細めた柴犬が入っていました。



「またヒルズっすかぁ~、アタシにゃあ関係ないっすけど」
とは思ってないですね。
ただ眠いだけだと思います。

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旧青山アパート #01
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ゼルコバテラス
同潤会記憶アパートメント展
 


同潤会青山アパート #07

2005-11-24 07:12:37 | ・同潤会アパート


同潤会青山アパートの跡地に建てられた<表参道ヒルズ>
もともとの細長い敷地をめいっぱい使った、
とても長~いショッピングモールに生まれ変わるようですが、
丁度その真ん中へんが一カ所くびれていて、
4階以上の住宅部分がはみ出してます!
なんかやだな~

欅の紅葉がひとひら、はらはらと落ちてきました。
秋ですね~(しみじみ)

ちなみに上に乗っかってる住宅部分は
<ゼルコバテラス>という名前だそうです。
地元住民による「表参道ヒルズ」完全攻略ブログ
から教わりました。

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旧青山アパート #01
旧青山アパート #02
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同潤館
表参道ヒルズ
柴犬と同潤館
同潤会記憶アパートメント展
 


同潤会青山アパート #06

2005-11-23 05:42:45 | ・同潤会アパート


同潤会青山アパートの跡地に建てられた<表参道ヒルズ>
表参道の道側はガラス張りでしたが、
裏側へ回ってみると、やはりコンクリ打ちっ放しでした。
例によっていくつもの巨大なコンクリートが
バランスをとりながら互い違いに積み重ねられたようなつくりですが、
これはちょうど向かいに建つ、
同じ安藤忠雄氏設計の<フォレストプラザ表参道>とのバランスも
考慮したような造りに見えます。

それにしてもコンクリ打ちっ放しはいつのまにか街にあふれました。
80年代にはあれほど新鮮に感じた打ちっ放しも、
時代が経って随分と色あせたものに見えます。
安藤忠雄氏の手掛ける建築は、打ちっ放しである以上に優れたデザインなので、
色褪せることは少ないと思いますが、
そうでない多くの打ちっ放しは、
今みるとただの建築途中の建物にみえなくないものもあります。

かつて西武百貨店が、
ハイテックやローテックというキーワードで非装飾的なイメージを展開し、
一世を風靡したことがありました。
それは「重厚で装飾的な程いい」的なそれまでの百貨店のイメージを、
一気に「鈍長で古~い」イメージに陥落させた、凄く新鮮なものだった記憶がありますが、
しかし、その軽快な素材むき出しのイメージも時代が経ってみると、
すごく安っぽいただの手抜きにしか見えなくなっていたのを思い出します。
むき出しのコンクリも、
安っぽい装飾をするよりは遥かに新鮮かつ高級なイメージだったものの、
時代が経ってみると、すごく味気ないイメージに見えてきます。

しかしそれはあくまでも普段の生活の中にある建物としての感覚で、
軍艦島の建築群しかり、工場の廃墟しかり、給水塔の廃墟しかり、
むき出しのコンクリは、廃墟になって絶大な効果を発揮します。
たぶん不可能ですが、いい感じになった80年後の表参道ヒルズは、
みてみたいものです。

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旧青山アパート #01
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同潤館
ゼルコバテラス
柴犬と同潤館
同潤会記憶アパートメント展
 


同潤会青山アパート #05

2005-11-22 02:43:21 | ・同潤会アパート
同潤会青山アパートの跡地に造られていた
<表参道ヒルズ>の工事用フェンスがとられ、
その全貌が明らかになってきましたが、
初めてそれを見てびっくり。
なんと同潤会アパートのままではなですかぁ~!?



というのは嘘で、
敷地の最東端の一部が<同潤館>という名で、
同潤会アパートのをそのまま再現したそうです。
森ビルではこれを再生建物と名付けて、
建築時の資料や住民からの聞き込みを元に、
壁の素材や塗りから、かなり克明に再現したそうです!

左側の部屋が2部屋ぶち抜きになっていたり、
裏面が裏面の造りになっていなかったりと、
気になる所はありますが、
でもこれがあるとないとでは、
同潤会がここにあったっていう記憶の残り方が違うのは事実だと思います。
それにしても、完全な商業施設がここまで建替前の建物に拘った例は、
かつて他にあったでしょうか?

それはともかく、それ以外の部分は下のような感じです。▼



これまたびっくりです!
コンクリート打ちっ放しじゃあありません!
思えば表参道の欅並木の隣に打ちっ放しは重いかもしれませんね。
(歳月を重ねたコンクリと新緑や紅葉はとても合いますが、
表参道にはむかないかもしれません)
ガラスもまた安藤建築には欠かせない素材です。
とはいえ随分とおとなしいデザインかなとも思います。
ちょうど向かい側に建つ、最近改装された日本看護協会の建物や、
ヴィトン、ディオール、アルマーニといった
一連のガラスを多用した建物に完全に溶け込む外見に仕上がっています。

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同潤会青山アパート #04

2005-11-21 12:21:50 | ・同潤会アパート


画像は原宿寄りに建つアパートの裏側ですが、
この光景が最も青山アパートらしい光景だったのではないかと思います。

同潤会青山アパートは、一見4階建てに見えながら、実は3階建てでした。
屋上には共同浴場もあったらしいですが、
結局確認することが出来ないうちに、解体されてしまいました。

同潤会青山アパート #02でもアップしたピンクのスエットのおばさんは、
ちょうどその時、入浴セットを入れた洗面器を持っていました。
それから考えると、このおばさんの部屋には風呂がなく、
また屋上の共同浴場も使うことがなかったんではないかと思います。
ではこのおばさんは原宿のど真ん中で入浴セットを持って何処へ行ったのかというと、
おそらく原宿に唯一あった銭湯だと思います。
隠田商店街というそこそこレトロな商店街の入り口付近に
第二桜湯という銭湯がありました。
その近くを通るたびにいつも気になってはいましたが、
いつのまにかなくなっていました。

銭湯がなくなり、青山アパートがなくなった原宿、
次からは、生まれ変わった表参道ヒルズを、
ちょっとアップしていきたいと思います。

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