黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

佃島の建築3

2018-02-22 04:25:16 | 建築
先日オフ会的に催行した街歩き『東京古埋立地と呑み散歩』で、
久しぶりに訪れた佃島。
今回は、旧佃島に残る、東京の原風景的な建物を観ていきます。
※佃島の概要はこの回の記事を参照



旧佃島(佃島一丁目)は、その歴史の古さに比べて、
現在では、古い街並が遺っていません。
建ち並ぶ民家は昭和の後半から平成にかけて建てられた、
比較的新しい印象のものがほとんどです。
なので、一見古い土地には思えませんが、
大きなビルなどがあるわけではないので、
区画自体は、かなり古い時代からのものだと思います。


→google map

そんな新しい民家が建ち並ぶ佃島も、
東京下町の中で、戦禍をあまり浴びていない地域の一つなので、
時代を超えて遺る素晴らしい建家がいくつか散見します。

画像は、漁師の網元「正政商事」の町家。
新佃島で観てきた出桁造りの町家は、
いずれも壁のトタン張り替えを筆頭に、
格子を外したり、玄関戸をアルミサッシュに変えるなど、
必ずどこかにオリジナルとは異なるリフォームを加えていました。
しかしこの町家は、
型ガラスがはめ込まれた木枠の玄関扉から、
下見板張りの壁面、そして呉服屋格子や屋根瓦など、
主要なパーツは総てオリジナル、
あるいは、オリジナルと同等のものでリフォームされている印象です。

路地の奥へ移動して観ると、のし瓦は8枚位積まれていました。
戸袋も檜の1枚板を使用するなど、
新佃島に残るものより、ワンランク上の町家だとわかります。







雨樋も、大切に使ってきた結果のオリジナルか、
常に銅を使ってリフォームしてきた結果か、
いずれかはわかりませんが、とても綺麗な緑青色で、
赤茶色の建家にアクセントを与えています。
本来必要のない、銛をモチーフにした飾りからも、
この町家の気合いの入り方がうかがえます。







正政商事の路地には、画像のようなシンプルな町家も。
こちらは1階が迫り出していないタイプの町家で、
手摺はアルミ製にリフォームされているものの、
木製の窓枠や下見板張りの壁などは残っています。
おそらく1階の軒先庇は、かつては瓦屋根だったのではないでしょうか。
いずれにせよ、正政商事の懲りに凝った外装と比べると、
いささか安普請の感がいなめません。






→google map

隅田川沿いの道には、
町家よりも豪華な日本建築の小沢家住宅もあります。
鼻隠しや這樋を含めた雨樋など、
銅製部分の緑青が美しいですね。

画像には写ってませんが、
母屋の屋根は入母屋造りで、
それ以外の屋根の構造も、かなり凝った造り。
組跳の高欄も、綺麗に遺っています。

右側の窓格子は、佃島で多く見かける呉服屋格子ではなく正統派の連子格子。
道端の駒寄せは、佃島に限らず、
都内の民家としては、とても珍しいと思います。

一階左の煉瓦壁の部分は、かつての汲取用の扉でしょうか。







小沢家住宅の並びには、佃煮の老舗「天安」もあります。
基本的な出桁造りのこぢんまりとした建家ながら、
屋号をあしらった丸瓦や、ある程度高く積まれたのし瓦など、
それなりに意匠が散りばめられた良品だと思います。







天安の裏、というか正政商事と天安の間に、
少し気になる建家がありました。
佃島に遺る町家が、ほとんど平入り造りなのに対して、
妻入り造りの建家です。
しかし、右橋の平面をよくよく見ると、
タイル張りのこった意匠が確認できます。







天安さんの横の路地を入り、
タイル張りの壁に近づいて確認すると、
かなり凝った造りのスクラッチタイル張り壁面が確認できました。
これは想像ですが、おそらく当初は、
この面に玄関を持つ妻入り造りだったのを、何らかの事情で改装し、
平入り造りになったのではないかと思いました。



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