黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

『地形を楽しむ東京暗渠散歩』発売

2012-11-21 15:13:06 | ・東京暗渠
拙ブログのトップ記事にも取り上げている、
ムック『東京ぶらり暗渠探検』が好評につき、
地形で楽しむ東京暗渠散歩』として書籍化されました。



収録暗渠数が大幅に増量、
ムックで取り上げられた渋谷川、神田川、目黒川の支流の暗渠に加えて、
石神井川、吞川、玉川上水系の支流暗渠も取り上げ、
東京の山の手エリアの暗渠を殆ど網羅したものとなっています。
さらにムックで取り上げていた暗渠も、
その後の近況を含めて最新のものに書き換えられた内容です。

ムックでは殆どの画像が白黒でしたが、
今回はオールカラーなので、見応え満点です。

さらに『アースダイバー』以来人気のある地形の読み解きをとりあげ、
今回の書籍化では、地図が地形図に変わっています。
あたりまえのことですが、かつて東京に流れた数多の細流が、
すべて谷沿いに流れていたのが一目でわかって面白いです。

執筆陣もムック時の、
本田創氏(『東京の水 2009 fragments』)、庵魚堂氏(『世田谷の川探検隊』)、
三土たつお氏(『三土フォリオ』)、そして私に加えて、今回は
lotus62氏『東京peeling!』とnama氏『暗渠さんぽ』のお二方も参加。
尚、書籍化にあたり暗渠マスター本田氏の編・著のクレジットとなりました。

リンク先をご覧になってお分かりかと思いますが、
殆どの皆さん、暗渠だけを調べている方々ばかり。
ある意味、東京暗渠のエキスパートが結集した、
レファレンス・バイブル的な本になったのではないかと思います。

私はというと、たまたま神田川の笹塚支流と玉川上水の余水吐(よすいばけ)が、
個人的に意味のある暗渠だったんで、調べてみたまで。
この本に収録されているのも不思議な気がしますが、
ムック同様上記2つの暗渠で、スペシャル・リポートとして参加させて頂いてます。

ムックの発売から2年、今年の夏に、書籍化に向けて再探索に出かけると、
暗渠沿いには小さいながら様々な変化がおきていて、
静かな都市の鼓動を感じました。



地形を楽しむ東京「暗渠」散歩

著者 本田 創 編著
出版年月日 2012/11/26
ISBN 9784800300041
判型・ページ数 A5・240ページ
定価 本体2,400円+税

序 東京の暗渠
かつての川がたどってきた歴史とそこを探索する意味/暗渠探索のポイント

◎Ⅰ 渋谷川支流の暗渠 山の手地区南側を代表する川筋から都心部の地形を感じる
渋谷川(上流域)/玉川上水原宿村分水/河骨川/
宇田川初台支流(初台川)/宇田川/いもり川/笄川
Special Report 1 白金分水・玉名川・白金三光町支流を歩く

◎Ⅱ 神田川支流の暗渠 井の頭公園の池を源に、多くの支流を集める
桃園川/井草川/江古田川(上流域)/弦巻川/水窪川/蟹川/紅葉川/谷端川・小石川
Special Report 2 歴史が凝縮された東大下水をたどる
Special Report 3 神田川笹塚支流(和泉川) 時代の重なりを味わう
Special Report 4 存在わずか数十年 善福寺川支流・松庵川

◎III 目黒川支流の暗渠 世田谷全域と目黒区北部の水を集めた
北沢川/空川/蛇崩川/谷戸前川/羅漢寺川
Special Report 5 水源の池を求めて烏山川をさかのぼる

◎Ⅳ 呑川支流の暗渠 暗渠と開渠が交互に現れ、短いながらも多彩な表情を見せる
呑川(上流域)/九品仏川/駒沢支流・洗足流れ 

◎Ⅴ 石神井川支流の暗渠 中流域で支流の水を集め、下流域で多くの用水とつながっていた
貫井川/エンガ堀/田柄川/谷田川・藍染川

◎Ⅵ 上水・用水の暗渠 動脈と静脈の関係にあった上水・用水と山の手の川
玉川上水(暗渠区間)/千川上水/品川用水/三田用水
Special Report 6 玉川上水余水吐 遺跡の宝庫をめぐる

Extra Report 外堀通り下の暗渠 水道橋分水路を行く



『暗渠ナイト』@ゴールデン街 終了

2010-04-22 16:20:28 | ・東京暗渠
新宿ゴールデン街で行なった『暗渠ナイト』は、
無事終了しました。

雨の中、会場にいらして頂いた方が、
本当にありがとうございました。
この場を借りて、お礼申し上げます。

モニターがないお店なので、
iMacを持ち込んでスライドショー形式にし、
冒頭は暗渠の概要、
そしてメインはバーチャルウォークとして、
実際に歩いた流れに沿って画像を見ながら、
個人的な解説や感想を織り込んで行く形で行ないました。

暗渠をイベントで行なう。
これはまだ未知の分野だと思うので、
これからも模索して行けたらいいなと思います。


『暗渠ナイト』@ゴールデン街 開催

2010-04-13 01:39:38 | ・東京暗渠


来る4/20に、新宿ゴールデン街のお店
『マチュカバー』にて、暗渠のイベントを行ないます。

以前にお知らせしたお台場でのイベントは、
既刊のムック『東京ぶらり暗渠探検』(洋泉社)の発売を記念して、
4人の執筆陣全員の参加による、
けっこう豪華なイベントでしたが、
今回は私一人でのささやかなイベントです。

画像を見てもらいながら、
バーチャルに暗渠を遡る体験をしてもらえればと思います。
きっと休日の散歩の楽しみが、ひとつ増えると思います。
暗渠にまったく興味がない方も、
ゴールデン街のお店へ行きたい!という方も、
散歩に興味がある方も、
どなたもご参加頂ければと思います。


『暗渠ナイト~暗渠は江戸・昭和のタイムマシンだ!~』

日時:2010年4月20日 (火) 21:00~
場所:マチュカバー
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1065625
新宿区歌舞伎町1-1-6-1F (新宿ゴールデン街花園町五番街)
電話:03-3205-9288
チャージ:1,000円
ドリンク:500円~


暗渠MOOK 2/22リリース

2010-02-22 02:23:49 | ・東京暗渠
以前の記事ですでにお伝えしてますが、
本日、暗渠ムックが発売されます。



消えた川をたどる!

『東京ぶらり暗渠探検』

拙ブログの随分以前の記事には、
確かに暗渠リポートをアップしていますが、
特に暗渠に特化して興味がある訳でも詳しく調べてる訳でもないので、
当初出版社の方からお話を頂いたときに、
私なんぞでよろしいですかとうかがったところ、
素人目線が必要、という事でしたので、
それならオッケー、と思い書かせて頂きました。

といっても、担当させて頂いたのは実踏リポートの
「神田川笹塚支流」と「玉川上水余水吐」だけですので、
どちらかと言うと出来上がったムックを見るのが楽しみ、
といった感じです。
(※すみません、まだみてません)
が、是非ご覧になってください。



暗渠を知れば東京の見方が変わる!
くねくねした道の足元に眠る「土地の記憶」。
その声に耳を傾ければ、
江戸・明治・昭和の東京が浮かんでくる!


INTRO 暗渠は時空を超えた東京へとつながるタイムトンネルだ!

実踏リポート 東京の暗渠をぶらり探検!
 暗渠を歩く1 神田川支流・松庵川をたどる
 暗渠を歩く2 神田川支流・東大下水をたどる
 暗渠を歩く3 神田川笹塚支流(和泉川)をたどる
 暗渠を歩く4 古川に流れ込む各用水、支流をたどる
 暗渠を歩く5 新宿の玉川上水余水吐をたどる
 暗渠を歩く6 目黒川支流・烏山川をたどる
 スペシャル・レポ 都心の暗渠に“Eボート”で潜入!

消えた川はこんなにある! 東京暗渠ガイド
 1 昭和の名曲の舞台・神田川の支流をたどる
 2 若者の街を流れる渋谷川の支流をたどる
 3 緑道がきもちよい目黒川の支流をたどる
 4 江戸の面影・お濠とその跡をたどる

達人が伝授する大東京・暗渠探しのポイント
 地形・地名・遊歩道・銭湯などに注目せよ!

消えた川をたどる!『東京ぶらり暗渠探検』
2010.02.22発売 / B5 / 112ページ / 税込価格:1,260円
発売:洋泉社




『東京ぶらり暗渠探検』開催

2010-02-13 05:13:23 | ・東京暗渠
昨日に引き続き、イベントのご案内です。



洋泉社刊
『東京ぶらり暗渠(あんきょ)探検 消えた川をたどる』発売を記念して、
イベント『東京ぶらり暗渠(あんきょ)探検』が、
来る3/6に東京カルチャーカルチャーにて開催されます。

> 詳しくはこちら

すでに拙ブログでアップして来た東京暗渠シリーズ。
アップした当時は、暗渠なんて誰も関心ないだろうな~、
なんて思って思ってましたが、
実は静かに盛り上がってたんですね(>_<ゞ)
知らなかった。。。
そんな流れをふまえての出版だと思いますが、
『知られざる軍都 東京』などのムックで知られる洋泉社さんから、
2/22に発売される『東京ぶらり暗渠(あんきょ)探検 消えた川をたどる』
に、執筆させて頂きました。

といっても暗渠&川筋だけに興味があるというわけではないので、
それほど物件を知るよしもなく、
既にアップしてきた『神田川支流』と『玉川上水余水吐』
の2本をやらせて頂きました。
ただしブログではアップしなかった、
その後のぶらり探検の成果も含め、
内容はけっこう変えたつもりです。(汗)

特に『余水吐』は暗渠の話と言うよりは、
新宿の話と言ってもいいくらい、
暗渠のことはあまり書いていません。(汗)

まだムック自体は見ていないので、
どういった内容かはわかりませんが、
他の執筆陣の方々は皆様川筋にお詳しい方々なので、
きっと充実した内容だと思います。

その出版記念として、
東京カルチャーカルチャーでイベントが開催されます。
このイベントは洋泉社さん主催なので、
ムック同様具合的な内容はまだわかりませんが、
面白いイベントになればいいな、と思っています。
だいたい暗渠のイベントってどんなんだ?
と自分の事ながら他人事のように興味があります。

ちなみに画像はイベントのイメージ画像ですが、
渋谷川の金王橋から渋谷方面を眺めたところでしょうか。
暗渠が口を開けて、誘ってますね。

ぜひご参加ください。



DVD『東京ぶらり暗渠探検 消えた川をたどる』発売記念
東京ぶらり暗渠探検

【日時】2010年3月6日(土)
OPEN: 12:00 START: 13:00 END: 15:30


【場所】東京カルチャーカルチャー
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/

【出演】
 福田伸之庵魚堂日乗』/本田創東京の水 2009 Fragments』/
 三土たつお@nifty:デイリーポータルZ』/黒沢永紀廃墟徒然草』/

【料金】前売2,000円/当日2,500円(共に飲食代別)

【ご予約】
廃墟徒然草宛メール(ruinsdiray@mail.goo.ne.jp)
に直接ご連絡を頂くか、もしくは、
イープラス・チケットにてお取り扱いしております。

※イープラス・チケットは2/16より発売開始。
※廃墟徒然草mailに直接お申し込みの場合は、
お名前、メールアドレス、電話番号、人数、をお知らせ下さい。


「消えた川である暗渠を知れば、あなたの〈東京の見方〉が変わる!」

歌舞伎町も、渋谷センター街も、裏原宿「キャットストリート」も、
池袋にも、じつは川が流れていた。
それらの消えた川の痕跡を追って、くねくねした道を歩けば、
江戸・明治・昭和の東京の姿が浮かび上がってくる。
本邦初の「暗渠」ガイド本刊行を記念して、
執筆者である暗渠好き&暗渠探しの達人たちに、
暗渠の魅力や探し方のコツなどを存分に語ってもらいます!
暗渠好きも街歩き好きも、必見!
*当日は物販コーナーにて、2月22日発売
『東京ぶらり暗渠探検 消えた川をたどる!』(洋泉社MOOK、1,260円)
の販売も予定しております。


春の小川:源流付近

2007-12-24 05:35:55 | ・東京暗渠


は~るのおがわはさらさらゆくよ~
の『春の小川』は誰もが知る文部省唱歌です。
1912年、高野辰之作詞、岡野貞一作曲。
この歌の題材になった川<河骨川>が、渋谷区のど真ん中を流れていた事は、
最近メディアでも取り上げられるようになったので、
ご存知の方も多いと思います。
現在も暗渠としてひょろひょろとした路地が残っています。

ではその源流は今どうなっているんでしょうか。
代々木公園のすぐ横にある石碑をスタートし、
昔の地図と今の地図を見比べながら進んでみました。

途中、よくわからくなるところもありますが、
昔の地図をたよりに進むと、
ちゃんと暗渠が続いているのがわかります。

小田急線の参宮橋駅近辺から西へ蛇行し、
やがて山手通り(環状6号線)へ突き当たるのですが、
その突き当たり近辺の光景がこれです。







道を迂回し山手通りへ出て、同じ位置を探してみると、
どうやらここがそうみたいです。



春の小川は、
牧歌的な日本の原風景を連想させる魔力のある歌ですが、
現在の様子を見る限り、その面影はどこにもありません。
すみれやれんげの花もなければ、こぶなの群れも、
およそ想像できません。

昔の地図をみると、
山手通りを越えてほんの少し先が源流だったように書いてあります。
一応その近辺も探してみましたが、
山手通りを渡ると暗渠らしき道もわからず、
源流もどこなのかはっきりわからなくなります。


玉川上水余水路 #07

2007-02-13 23:55:10 | ・東京暗渠
玉川上水余水路の最後は、
JR線を越えたところに残るわずかな痕跡です。
昨日アップした煉瓦造りのトンネル跡からJR線を越えた位置に、
当時の水路と何らかの関係があると思われる石垣がほんの少しだけあります。→Mapion



このすぐ隣には、現在は企業の建物が建っていますが、
そこの人に尋ねたところ、かつてこの石垣の近辺に川が流れていた、
ということでした。

画像上方に写る石垣を、少し降りた地点で正面からみたもの



石垣に囲まれた内側に、そこそこ大きな木が育っているので、
たとえ川だったとしても、相当以前に埋められたんではないかと思います。

以前アップした神田川支流が暗渠になったのは、
東京オリンピックの年、昭和39年 (1964) でした。
この余水路がいつ埋められたかはまだ調べていませんが、
国立競技場のすぐ近くという場所柄、
東京オリンピックの時と考えるのが妥当かと思います。

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玉川上水余水路 #06

2007-02-12 03:53:29 | ・東京暗渠
今週ずっとアップしてきた玉川上水余水路。
昨日アップした暗渠公園の先は、
都の建築資材置き場から幼稚園の敷地へとつながり、
道を隔てて再び暗渠公園として川筋が現れます。→Mapion



こちらの公園の整備は、昨日の公園より後なのか、
滑り台や動物オブジェのデザインも、少し凝ったものになっていて、
手前の桃色のゾウなんかは、かなりリアルです。

ほんの短い区間の公園が終わると、
JR中央線/総武線の土手に突き当たりますが、
かつて水路が流れていたトンネルとおもわれる痕跡が、
いまも残っています。→Mapion



JRの土手の一部が煉瓦造りになっていて、
ほぼ中央の下の方に、コンクリの構造物がほんの少し見えますが、
おそらく埋没している部分がくりぬかれていて、
その下を水路が流れていたんではないでしょうか。

Yahoo! 古地図で東京めぐり(明治)を見てみると、
この地点で余水路と玉藻池からの水流、
そして御苑内のもう一つの池、中ノ池と下池からの水流が合流して、
国鉄の下を水路が流れています。
そしてこの合流した水路が、渋谷川の源流になっていたようです。

ところで明治時代の地図を見ると、
千駄ヶ谷駅から分岐して信濃町方面へ平行に走る、
今では影も形もない線路が書かれていますが、
これは広大な外苑の敷地にかつてあった、
陸軍の練兵場への軍用引込線で、
その後大正時代になって、聖徳記念絵画館と明治記念館建設の際に、
工事資材の搬入のための専用線「造営局千駄ヶ谷側線」
として転用されたこともある路線だそうです。
(『葵から菊を訪ねて』参照)

余水路の裏手に建つ慶応大学関連施設が、
陸軍輜重(しちょう)廠(糧食被服や武器弾薬など、輸送用の軍需品の施設)跡
だったり、
外苑が青山練兵場跡だったりと、
この一帯も軍都の名残が色濃い地域なんですね。
以前アップした新宿区の戸山一帯や板橋区の十条一帯
そしてこの外苑一帯、
いかに東京が軍都として整備されて行った街かが分かります。

JR線を越えると水路跡は姿を消し、
やがてキラー通りの中程から再び現れますが、
渋谷川に関しては、また別の機会にアップしようと思います。

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玉川上水余水路 #05

2007-02-11 06:52:57 | ・東京暗渠
東京の中心地の中に残る、玉川上水の水路跡。
四谷大木戸から地下水道になっていた玉川上水が、
その余った水を落としていた水路跡です。

昨日アップした水路跡公園をさらに奥へ進むと、
遊戯具がぽつぽつと並んでいます。



滑り台、鉄棒、ブランコ、
どれも公園の遊戯具が鉄製になりだした初期の、
オーソドックスな造りのものですが、
色は塗り直したのか、不要にカラフルです。

一連の公園遊戯具の事故のながれだと思いますが、
4人乗りブランコのゴンドラは撤去されています。



それにしてもこの水路は、
余水の水路というわりにはかなり幅が広く、
以前の記事でアップしたように、
渋谷川の水量を稼いでいたのは、確かにこの水だった事が伺えます。

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玉川上水余水路 #04

2007-02-10 02:04:39 | ・東京暗渠
シリーズでアップしている、玉川上水余水路の話です。
外苑西通りの地下を流れて姿を現す水路跡は、
都内に数多くある暗渠のご多聞に漏れず、動物遊具公園になっています。→Mapion



手前のはリスですが、
奥の首をねろ~んとうなだれてる動物はなんでしょうか。

しばらく水路跡を進んで、振り返った光景です。



かつては子供が遊んだのかも知れませんが、
今は点々と並ぶ動物の後ろ姿が寂しそうです。
この撮影は冬なので、水路跡は見晴らしがいいですが、
夏場は植物が繁殖し、遊戯具は草の中に埋もれてしまいます。

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玉川上水余水路 #03

2007-02-09 06:49:25 | ・東京暗渠
一昨日からアップしている、玉川上水余水路の話です。
昨日までは「玉川上水はけ水路」というタイトルでアップしてきましたが、
『渋谷の玉川上水』渋谷区教育委員会編 をみると、

「上水の水は、四谷大木戸まで野方堀で送水されてきたが、ここに水番所があって、
水量が多過ぎる場合、余水を渋谷川へ落水させた。今もその落水口が東京都水道局
大木戸出張所の裏手にある。渋谷側はもともと水量の少ない川であったが、この余
水の流入で、水量が増え、その結果、川筋に水車が架けられるようになった。」
『渋谷の玉川上水』渋谷区教育委員会編 より引用

と書いてあるので、
「はけ水路」よりは「余水路」の方がわかりやすいと思い、
記事のタイトルを変更しました。

この水路は外苑西通りの下を流れていたらしく、
道沿に、地下水路の開口部が今でも残っています。→Mapion



これは通りから水路跡へ降りて開口部を見た画像ですが、
古いガードレールを立てて、侵入防止の柵代わりにしています。
すきまが沢山あるので中をのぞいてみると、
ほんの数メートル、トンネルになっているものの、
その先は完全に塞がれ、土砂も流れ込んでいます。



Yahoo! 古地図で東京めぐりの明治と現代をみ比べると、
水流の上に、外苑西通りが通っているのがよくわかります。

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玉川上水余水路 #02

2007-02-08 00:54:52 | ・東京暗渠
昨日からアップしている、玉川上水のはけ水路跡。
新宿御苑の外郭塀沿いに蛇行しながら残る暗渠。→Mapion



新宿御苑の外郭塀沿いには、
一般家屋の敷地が塀に隣接しているところもあるので、
この水路跡にこれだけスペースを取っているという事は、
今も水道局関連の施設が地下にあると言う事だと思います。

それでも殆ど人がこない場所なので、
御苑側の樹木もそれほど手入れはされていないようです。
下流へ向かってはっきりと低くなっていってます。

外苑西通りから少し入った地点→Mapion



このあたりも、民家が建ち並びながらも、
ちゃんと水路跡のスペースだけ、空き地が確保されています。

Yahoo! 古地図で東京めぐり」の、新宿御苑西側あたりを見てみると、
この付近の変遷の様子がよくわかります。

江戸時代、確かに「玉川上水吐」と書いてあります。
また御苑内にある、渋谷川の源流と言われている玉藻池は、
当時は玉川上水の吐水が流れ込んでいただけのようですね。

明治時代をみると、
まだ玉川上水と書かれた水路がありますが、
玉藻池からも水流が流れ出し、
渋谷川の源流の一つになっています。

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玉川上水余水路 #01

2007-02-07 01:55:49 | ・東京暗渠
江戸時代、
玉川兄弟がたった7ヶ月で工事を完了した玉川上水は有名ですが、
開渠部分は四谷で終わり、その先は地下水道になって、
江戸市中を潤していました。

新宿四谷四丁目の交差点には、
今も暗渠になる前の水門の跡が「四谷大木戸」の碑として建っていますが、
水量が豊富だった玉川上水は、
その余った水を、この四谷からはけていたそうです。
そして、そのはけ水を流していた水路が、
今も新宿御苑の敷地沿いに、ひっそりと残っています。

四谷大木戸から少し南下した地点。→Mapion



四谷大木戸方面をみた光景です。
新宿御苑の杜と隣のマンションの前庭の木々に覆われて、
昼でもかなり暗いながら、
あきらかに川筋の跡が残っています。
左側は新宿御苑の塀になってますが、
右側には古い石組が今も残っています。

少し南下すると、なんらかの石の遺構があります。



おそらく水量調節のための堰板を差し込む遺構だと思いますが、
当時の遺構だとすると、
江戸時代からの劇的な変化を乗り越えて、
よく残ったものだと思います。

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東京暗渠:神田川支流 #40

2006-07-04 08:41:40 | ・東京暗渠
…∽ 源流:玉川上水 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしてきましたが、
最終回の今日は、これまで見てきた神田川支流の水源のうち、
一番はっきりとした形で現存する場所、玉川上水です。

昨日アップした甲州街道沿いに流れていた逆川、
そして逆川と玉川上水をつないでいた水路は、
今ではまったくわからないので、
玉川上水の話からはじめたいと思います。

京王線笹塚駅の南口には玉川上水跡があります。
新宿付近では甲州街道と京王線に沿って流れていながら、
徐々に南へ離れていった玉川上水は、
大きく蛇行して再び京王線に向かって急接近し、
笹塚駅前で急カーブを描いてまた南西方面へと続いています。
一番カーブが大きかった場所には、
水流が川岸にあたってドンドンという轟音をたてた事から名づけられた、
南ドンドン橋の親柱が今も残っています。→Mapion



Mapionをみてもわかるとおり、
笹塚駅前の暗渠を中心に、
東西のほんの短い区間だけ玉川上水は暗渠化されていません。
西側の開渠がはじまる場所には第二号橋がかかり、
そこから眺める水路は両岸の緑も深くとても和めます。→Mapion



『幡ヶ谷郷土誌』を見ると、
ちょうどこの第二号橋のたもとあたりから玉川上水の水を取水し、
甲州街道沿いに流れる逆川経由で、
神田川支流へ水を引き込んでいたそうですが、
玉川上水は本来、東京市への給水が目的の水路だったため、
神田川支流への分水量はそれほど多くはなかったようです。
それでも江戸時代にはしのげた水量が、
明治に入って神田川支流の流域にも人が増え、
水田の数も飛躍的に増えたにもかかわらず、
分水量だけは以前のまま据え置きにされ続けた結果、
幡ヶ谷地区の農民が考えついた苦肉の策は、

以前の弁天橋の記事で取り上げた弁天神社を
この取水口のすぐ近くに移転し、祠の周りに池を掘り、
夜な夜な池の地下と玉川上水をつなぐ地下水路を掘り、
その池があたかも湧き池かの様に装っては、
逆川に池経由の玉川上水の水を流し込んで、
水量を確保した


というものでした。

幡ヶ谷地区の死活をかけた作戦の主役になった弁天神社は、
『幡ヶ谷郷土誌』に記された住所をたよりに付近を調べてみるものの、
今ではまったくなんの痕跡もなく、
小規模な学習塾の入ったビルと民家があるだけです。→Mapion



また第二号橋のたもとの護岸を見ると、
2本の導水管があったり、
下水管と思われる穴が口を開けたりしているので、
もしかしたらこれらは当時の名残なのかもしれません。



やがて時代は大正に入り、
幡ヶ谷地区の農村を苦しめた取水制限も緩和し、
弁天神社の偽装湧き池も必要がなくなり、
本尊の弁天様は幡ヶ谷地区の氷川神社へ摂取され、
境内の片隅に厳島神社として祀られていることは、
以前氷川橋の記事でお伝えしましたが、
『幡ヶ谷郷土誌』をみると、
どうやらこの弁天様は自然石をほとんどそのまま祀ったような形のもので、
神社の神主さんの、
今でも小さな祠の中に祀られているという話を思い出し、
なんとなく本尊を見てみたくなり、
もう一度氷川神社を訪れてみました。
境内の片隅に鳥よけの網がかけられ、
埃をかぶってなかば廃墟状態の小さな摂社です。



祠の扉は閉まっているので、横から入り扉を開けてみると、

中はカラッポでした!

かつて幡ヶ谷地区の農村を救った弁天様は、
どこへ消えたのでしょうか?
あるいはもうこの世にないのでしょうか。
また神社の神主さんは、ないはずのご神体を、
なぜ今もあると言ったのでしょうか?

最後の最後に大きな謎を残しながら、
この特集を終わりたいと思います。

++++++++++++++++++++++++

新宿から始まって渋谷区と世田谷区の区界まで、
たった3km位の短い暗渠でしたが、
実際にその土地や人に触れながら調べ歩くと、
結構面白い話が寝ているもんだと思います。
また最後まで西新宿の高層ビルが見えるこんな場所に、
豆腐売りのラッパが鳴り、
地元の人に守られる庚申塚がいくつもあり、
殆どの流域が暗渠のまま残っているというのも、
不思議な感じがします。
忘れ去られた大都会のトワイライトゾーン。
管理人的にはとても面白い探索でしたが、
みなさんはどうお感じになったでしょうか?
 
◆東京暗渠:神田川支流◆
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東京暗渠:神田川支流 #39

2006-07-03 06:24:23 | ・東京暗渠
…∽ 逆 川 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

神田川支流のほぼ発端と思われる、
本水路と北水路の分岐点付近へ向かって合流していた、
南からの2本の水路に関してです。
一本はちょうど渋谷区と杉並区の区界を、
そしてもう一本はほんの少し東寄りの渋谷区内を流れていました。
『渋谷区の橋』をみると、
この東寄りの水路に大正13年竣工の幡ヶ谷小橋があると記されていたので、
その付近を探してみるものの結局みつからず、
唯一確認できたのは、
東京水道通り沿いに作られた公園敷地から見える、
私有地の裏にひっそりと残る、
埋まりかけのかつての水路跡だけでした。→Mapion



私有地の裏ということもあってか、
かつての水路に土砂が自然堆積して埋まったような感じで、
神田川支流の中では唯一暗渠化されていない部分です。
画像中央の少し上寄りに僅かに見える2本の横棒が、
かつてどぶ川の上に渡されていた、
コンクリの渡し棒の名残かと思います。

付近に古くから住んでいそうな人を見つけ、
かつての水路に関して聞いてみると、
今では完全に私有地になっている土地の中を貫通しているようなので、
これ以上確認することはできません。

2つの支流はやがて甲州街道へでる手前 (→Mapion) で、
1本の水流にまとまっていたようですが、
Mapionで見てもわかるとおり、
この付近の渋谷区と杉並区の区界には道がありません。
ただ道もないのに区界なところが、
かつて土地を分断する水路があった証拠なのかもしれないと思います。

しかし甲州街道へでてみると、
ほんの短い距離ですが水路跡が残っています。→Mapion



その後水路は甲州街道沿いに流れていた逆川に合流します。
東京の川は基本的に西から東へ流れますが、
この川は東から西へ流れていたのでその名がついた川です。
別の川へ合流したので、
本来ここで神田川支流は終わりかと思われるでしょうが、
実は逆川から神田川支流への水流は、
自然の水流ではなく、人工的に作られたものだったそうです。
逆川の先にある神田川支流の一つの源流の話は、
明日アップしようと思います。

また上記の短い水路跡の延長線上をみると、
甲州街道を越えた先にも水路跡が続いています。→Mapion



コンクリの板で蓋をされた水路跡は、
明らかにいまでも下に水が流れている様子で、
道端に無造作に横たわる2本のコンクリ柱は、
かつての橋のどこかの部分かとも思います。

この水路は『明治末葉農村幡ヶ谷地図』にも記載されていて、
まだまだ先がありそうですが、
思えばこれはもう神田川支流ではなく、
逆川へ合流していた別の水路ではないかと思い、
ここで見学をやめることにしました。
 
◆東京暗渠:神田川支流◆
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