黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

三池炭鉱 #24:エピローグ

2014-02-18 11:48:19 | ・三池炭鉱
シリーズでアップしている三池炭鉱。
今回で最終回です。

三池炭鉱

こうして三池炭鉱を、表面的ですが一通り見て来ました。
1つの炭田をまるごとその黎明期から閉山まで、
一企業が独占して経営した例は、
国内では三池以外にありませんが、それもひとえに、
初代の指導者である團琢磨の力に寄る所が大きいのかと想いました。





三池炭鉱

国内に数多あった炭鉱は、
その殆どが閉山後放置され、廃墟と化しています。
経営していた企業の多くは、
その会社の発展に大きく貢献したはずの炭鉱の跡地を、
自然に還元することもなく、地元民のために有効利用することもなく、
「用がなくなったら知らん顔」を決め込みます。

しかし、百年後の未来を見通した團琢磨は、
炭鉱の発展にも役立ち、
同時に炭鉱が無くなったあとの町の発展も考慮に入れて、
三池港を造ったといいます。
そして今も三池港は現役で大牟田の産業に貢献しています。





三池炭鉱

しかし、文化財として既に保存されている施設は別として、
本来、充分保存に値すると想われる多くの施設が、
文化財の指定も受けず、保存の手だてもなく、
ただ時の流れに任せて放置されているものも少なくありません。
特に藩営から官営そして三井の創成期に関わる施設は、
日本の近代化をしるうえでも重要な施設なので、
是非とも保存して頂きたいと想います。





三池炭鉱

そこには今の日本を作り上げた石炭産業の、
いわば象徴的な形が残っていると同時に、
明治期の囚人労働や戦中の強制労働、
そして戦後最大の労働争議と産業事故という、
三池の、ひいては日本の20世紀の光と影が、
丸ごと封印されているからです。





三池炭鉱

逆にこのシリーズをアップする切っ掛けとなった有明坑をはじめ、
多くの三池炭鉱関連の施設が解体されてしまったのは残念です。
一度解体されてしまった施設は元には戻りません。
解体するのはせいぜい長くて数ヶ月ですが、
それは長い歴史の記憶が無くなってしまうことでもあります。
そして営々と育まれて来た文化を消し去ってしまうことだと想います。





三池炭鉱

三池には激動の20世紀が全て詰まっています。
そして三池を語り継ぐことは、
20世紀の日本を語り継ぐことだと想います。
三池を語るとき、時には重く暗い話が多くなるかもしれませんが、
それが20世紀の日本であり私たちの過去であることには違いません。
そして、未来は過去の積み重ねで造られます。





三池炭鉱

三池の光と影を語り継ぐことは、
未来へ襷をわたすことだと想います。
保存された建物や施設も、いずれ老朽化し崩れてなくなると想います。
たとえ残ったとしても、それらはなにも語りません。
残った建物や施設は、
人が語ることではじめて命を吹き込まれるんだと想います。

そして今、三池炭鉱が残してくれているものは、
この記事をご覧になって頂き、
そして何かを考えたり感じたりして頂いたことを一例として、
人と人が、地域と地域が繋がり、
未来を考える場を与えてくれていることだと想いました。





最後にこのシリーズで取り上げた坑口と炭鉱関連施設、
それに記事では取り上げなかった坑口施設を、
おおまかな地図にまとまました。
画像はクリックすると拡大します。
記事を読まれる際にご参考頂けたら幸いです。

またこのシリーズでアップして来た操業時と写真は、
すべて大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブさまからお借りしたものです。

<参考文献>
『筑後の近代化遺産』(弦書房)
『大牟田の宝もの100選』(海鳥社)

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