黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

鹿島鉄道線 #09 小川高校下・常陸小川駅跡

2012-02-15 07:30:27 | 鉄道遺産
2007年に廃線になった、茨城県の中部、
石岡駅から鉾田駅を走っていた鹿島鉄道線を、
シリーズでアップしています。

鹿島鉄道線路線図
鹿島鉄道線路線図

シリーズの最期は小川高校下駅と常陸小川駅です。
国道355号線を走っていると、畑の向こうに車輛が見えました。
おそらく保存車輛だろうと思い訪れてみると、
かつての車輛が奇麗な姿で野外展示されていました。→Mapion

鹿島鉄道保存車輛
鹿島鉄道保存車輛

朱色とアイボリーのツートンカラーは、
かつてこの路線をよく利用した頃を思い出させてくれますが、
記憶にある車輛は、もう少し角張っていて、
扉には凹凸のエンボスがあり、窓枠が木製でした。
冷房がなく、天井扇だけがカタカタと回る車内は熱く、
夏は窓を目一杯あけて風を感じたのを思い出します。





鹿島鉄道小川高校下駅跡
鹿島鉄道小川高校下駅跡

保存車輛にほど近く、小川高校下駅があります。
Mapion
農地の真ん中にポツンとあるのですぐ分かります。
ホームの壁面に残る「未来へ走れ!鹿島鉄道」のペイントが、
虚しさを募らせます。





鹿島鉄道小川高校下駅跡
鹿島鉄道小川高校下駅跡

自然に還りつつある自転車置き場ですが、
ホームではなくこの自転車置き場が、
なぜか今日の時点のMapionには表記されています。





鹿島鉄道小川高校下跡
鹿島鉄道小川高校下駅跡

残照に照らされるホーム。
待合室はなく、バス停のような簡易な造りは、
昭和の終わりに造られた新設駅だからでしょうか。
既に線路はなく、ススキが線路跡を埋め尽くしていました。





鹿島鉄道小川高校下駅跡
鹿島鉄道小川高校下駅跡

大正13年(1924)に鹿島参宮鉄道として開業した鹿島鉄道。
昭和4年(1929)に鉾田駅までの全線が開通し、
昭和の前期には、
水泳場をはじめとした各種行楽施設に観光客を誘致するなど、
この路線の全盛期を迎えます。
しかし戦後は、
昭和40年(1965)に関東鉄道の経営下になり鉾田線に、
昭和54年(1979)には鉾田線が分離し鹿島鉄道線にと、
その経営が点々とし、
後年は航空機燃料の輸送に頼るも虚しく、
平成19年(2007)、約80年の歴史に幕を下ろします。





鹿島鉄道園部川橋梁
鹿島鉄道園部川橋梁

Mapion

これまで拙ブログで取り上げて来た廃線跡を思い返すと、
大正10年(1921)に開業し平成22年(2010)に廃止されたくりはら田園鉄道、
大正15年(1926)に開業し昭和42年(1967)に休止となった安比奈線、
戦後すぐに開通し平成になってすぐ廃止になった東京都港湾局専用線など、
いずれも、昭和を駆け抜け、平成に入って消えた鉄道でした。
勿論都市部の鉄道の需要はまだまだありますが、
地方鉄道や貨物鉄道は、昭和という時代に輝き、
そして平成に消えて行った施設なんだと思います。





鹿島鉄道常陸小川駅跡
鹿島鉄道常陸小川駅跡

かつてのターミナル駅だった常陸小川駅には
すでに駅舎も線路もなにもなく、
駅前に小さなバス停があるばかりでした。
Mapion





鹿島鉄道沿線
鹿島鉄道沿線

Mapion
四箇村駅から石岡駅までは、
かつての軌道跡が路線バス専用通りに整備されています。
これは、自衛隊百里基地の滑走路を民間共有する、
2010年に開業した茨城空港と石岡駅を繋ぐ、
バス路線としての役割を担っているようです。

茨城空港開設の話題を聞いた時は、
その必要性に疑問を持ちました。
しかし、今回の鹿島鉄道散策の最初に、
石岡から鉾田へ向かう路線バスの中で運転手さんに聞いた話だと、
今、県内の農家で就労する人の多くは中国系の人たちだそうです。
事実厚生労働省発表の統計(ページ最下段)を見ると、
東京と政令指定都市を抱える県を除いて、
岐阜、三重に続き2.5%という高就労率の県になっています。
※政令指定都市を抱える県でも、
茨城より就労率の低い県が多くあります。

そして茨城空港が就航している海外線は上海とソウル。
つまり、県内に膨らむ中国系就労者を考慮しての、
空港の建設だったのではないかと思えて来ます。
また空港からは、ディズニーリゾートへの直行バスも運行しています。
ソウル便は、このあたりをターゲットにしたものでしょうか。

いずれにせよ、
長閑な景色の中をディーゼル車がほっこり走った時代は終わり、
茨城に新しい時代が始まろうとしているのを感じました。

夕日にシルエットを浮かび上がらせる筑波山は、
かつて鉄道が走っていた時と同じ姿でした。


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★ 廃線跡の記録 2 ★

  

KLO@廃墟徒然草による鹿島鉄道線のリポート掲載。
その他、鉄道ファンとはひと味違う、
ワンダーJAPANならではの廃線跡の記録が満載。

鹿島鉄道線 #08 桃浦駅跡

2012-02-14 09:41:22 | 鉄道遺産
2007年に廃線になった、茨城県の中部、
石岡駅から鉾田駅を走っていた鹿島鉄道線を、
シリーズでアップしています。

鹿島鉄道線路線図
鹿島鉄道線路線図

前回最期にアップした八木蒔駅駅の次は桃浦駅です。
2010年の時点では、浜駅や八木蒔駅同様、
線路はなく駅の関連施設だけが残っていました。

鹿島鉄道桃浦駅跡
鹿島鉄道桃浦駅跡

Mapion
構内の外れにぽつんと立つ信号機。
足元に線路がなく、ただの草むらに立つ信号機は、
時空を超えて突然現れた様な錯覚を覚えます。





鹿島鉄道桃浦駅跡
鹿島鉄道桃浦駅跡

これまで見て来た駅と同様、桃浦駅も無人駅でしたが、
かつては駅員がいた駅だったので、
小さいながらホームとは別の場所に駅舎があります。
wikiを見ると、かつては駅前に水泳場等もあり、
沿線の観光地として賑わったようです。





鹿島鉄道桃浦駅跡
鹿島鉄道桃浦駅跡

駅舎は鹿島鉄道の特徴でもある丸太を使った造り。
小さい鉄の出札やプラスチック製のベンチが、
かつて利用していた人たちの面影を今に伝えます。





鹿島鉄道桃浦駅跡
鹿島鉄道桃浦駅跡

2010年の時点で駅の関連施設が最も残る駅で、
ホームの外れには、詰め所など幾つかの建物も残っていました。





鹿島鉄道桃浦駅跡
鹿島鉄道桃浦駅跡

駅前ロータリーに残る「桃浦驛新道開設記念碑」。
大正15年(1926)、常陸小川ー浜駅間開通の際に、
国道から桃浦の駅前までの道路を造った記念碑。
Mapionで見てもお分かりの通り、100mにも満たない道路です。
しかしこれだけの記念碑が残っていることから、
当時の鉄道に対する大きな期待が感じられます。





鹿島鉄道/小さな鉄橋
鹿島鉄道/小さな鉄橋

Mapion
桃浦駅を出ると、鉄道は最も霞ヶ浦に接近します。
この付近の線路はちょっとした堤になっているので、
ところどころ小さな鉄橋が設置されています。
頭を下げないと通れない、極めて低い鉄橋です。





鹿島鉄道沿線
鹿島鉄道沿線

Mapion
ここからはもう線路は残っていないので、
並走する国道355号線へ出て、
形の残る最期の駅、小川高校下駅を目指します。
国道355号線から見る鉄塔と筑波山。
筑波山は標高900m弱の低い山ですが、
茨城の南部は、その殆どが平地なので、
色々な所から見る事が出来ます。





鹿島鉄道/小さな鉄橋
鹿島鉄道/小さな鉄橋

小川高校下駅近くの用水路をまたぐ小さな鉄橋。→Mapion


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鹿島鉄道線 #07 浜・八木蒔駅跡

2012-02-08 23:40:22 | 鉄道遺産
2007年に廃線になった、茨城県の中部、
石岡駅から鉾田駅を走っていた鹿島鉄道線を、
シリーズでアップしています。

鹿島鉄道線路線図
鹿島鉄道線路線図

前回アップした玉造町駅は沿線のだいたい真ん中の駅で、
そこまでタクシーで移動して見学してきましたが、
それだと途中の沿線を飛ばすことになるので、
ここで一端常陸小川駅跡まで行き、
駅前のレンタサイクル屋さんで自転車を借りて、
散策を続けることにしました。





鹿島鉄道浜駅跡
鹿島鉄道浜駅跡

いったん常陸小川から玉造町まで自転車で移動し、
そこから再び沿線沿いに見学の再開です。
玉造町駅を出ると線路は大きく迂回し、
霞ヶ浦の湖畔を走り始めます。
湖畔に並走し始めて最初の駅は浜駅。→Mapion
駅舎も改札もないのに駐輪場だけがあるのは、
利用者が殆ど学生さんだったことを物語っているのでしょうか。





鹿島鉄道浜駅跡
鹿島鉄道浜駅跡

ホームへ行く道順の仕切りに使われていた、
年季の入った枕木。
やがて無へ還るゆるやかな時の流れ。





鹿島鉄道浜駅跡
鹿島鉄道浜駅跡

浜駅も、もともと無人駅です。
電柱と駅名標の脚、それに素朴なベンチだけのホームには、
待合室は既になく、その基礎だけが残っていました。
浜駅の待合室もこれ迄の駅同様、
木製のログハウス風の建物で、
廃線後、玉造の道の駅に転用されたようです。
Mapionをご覧になるとお分かりだと思いますが、
今日の時点では、かろうじて浜駅のホームが記されています。





鹿島鉄道霞ヶ浦
鹿島鉄道霞ヶ浦

浜駅のすぐ近くに「アサザ群生地」の看板があり、
霞ヶ浦の方を指していたので、湖畔へ向かってみました。
このへんかな→Mapion
しかし夏~秋に花を咲かせるアサザが咲いている訳もなく
真冬の冷たい風が水面を揺らす湖の向こうに、
茨城の名峰、筑波山が霞むだけでした。





鹿島鉄道浜駅付近
鹿島鉄道浜駅付近

このへんかな→Mapion
浜駅の構内には既に線路はありませんでしたが、
駅を離れると、暫く続く一直線の線路が、
長い距離にわたって残っていました。
この一帯は線路の両側が農地なので、
わざわざ撤去する必要がないのかもしれません。





鹿島鉄道沿線
鹿島鉄道沿線

このへんかな→Mapion
一つ前の画像からそれほど進んでいませんが、
すすきの群生に飲み込まれて行く線路。
冬の枯れ草は、廃線の侘しさを一層募らせます。
そして、すすきの向こうに見えるこんもりとした茂みの中に、
次の駅、八木蒔駅があります。





鹿島鉄道八木蒔駅跡
鹿島鉄道八木蒔駅跡

開放的なローケーションにある事が多い鹿島鉄道の駅の中で、
唯一切り通しの茂みの中にある八木蒔駅。→Mapion
線路も電柱も駅名標もなく、
ただ四角い待合室がポツンと残る八木蒔駅は、
これ迄見て来たどの駅よりも、
ウラ寂れた印象でした。





鹿島鉄道八木蒔駅跡
鹿島鉄道八木蒔駅跡

踏切をはさんで駅と反対側にも切り通しがあり、
緑のトンネルの途中から線路が始まる光景は、
廃線となった鹿島鉄道の中で、
最も感銘を与えてくれる光景でした。


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鹿島鉄道線 #06 坂戸・巴川・玉造町駅跡

2012-02-08 08:27:25 | 鉄道遺産
2007年に廃線になった、茨城県の中部、
石岡駅から鉾田駅を走っていた鹿島鉄道線を、
シリーズでアップしています。

鹿島鉄道線路線図
鹿島鉄道線路線図

前回は鉾田駅とその周辺をアップしたので、
これからは順番に石岡へ向かって上って行こうと思います。





鹿島鉄道坂戸駅跡
鹿島鉄道坂戸駅跡

鉾田から最初の坂戸駅。→Mapion
廃線になっても、線路が残っているうちは、
ウェブ地図に表示されている事が多いですが、
この鹿島鉄道は、google map や Mapion などで、
既に全く表示されません。
2010年の暮れの時点では、
鉾田から数駅は、まだ撤去作業が行なわれず、
駅舎からホームまで、往年の姿を留めていました。

坂戸駅はもともと無人駅だったので、
駅名板が無くなっている以外は、
それほど現役時代と変わらない様子です。
撮影が冬だったせいもあって、線路を覆う雑草がなく、
今でもコトコトとディーゼル車輛が入ってきそうです。





鹿島鉄道巴川駅跡
鹿島鉄道巴川駅跡

鉾田から2駅目の巴川駅。→Mapion
ここも、もともと無人駅で、坂戸駅同様、
ログハウス風の待合室だけがポツンとある、
1本ホームの駅です。

動く鉄道には殆ど興味がありませんが、
なぜか鉄道の駅は特別で、
特に無人駅は昔から気になる存在でした。

最近ではにわかに無人駅が脚光を浴びているようで、
AKBのメンバーが『無人駅』という曲を出したり、
無人駅を紹介する書籍等もちらほらみかけます。
でも、なぜ無人駅に惹かれるのだろう?と思います。

AKBの『無人駅』は演歌調の曲で、
これは明らかに秋本氏の戦略ですが、
それは別としても、無人駅は、
「演歌ー哀愁」といったキーワードに結びつきやすいようです。





鹿島鉄道巴川駅跡
鹿島鉄道巴川駅跡

個人的には、
これまでの記事で時々アップして来ましたが、
映画『ミッション・トゥ・マーズ』に登場するドン・チードルが、
無人の火星の廃墟基地で、何年もひとりで過ごしたり、
築50年級の団地での孤独死といった系列の魔力の、
ほんの入口なのかもしれない、などと思ったりします。
しかし実際の理由は、
長閑な風景に溶け込むほっこりした無人駅の癒し効果、
といったあたりでしょうか。





鹿島鉄道玉造町駅前
鹿島鉄道玉造町駅前

次は借宿駅、榎本駅と続きますが、
鉾田駅から遡るのにタクシーを使ったので、
これらの駅は飛ばしてしまいました。

そして、沿線では一番のターミナル駅だった玉造町駅。
残念なことに、駅の施設は完全に撤去されて、
跡形も無くなっていました。
ただ、駅前の商店街は幼少の頃の記憶のままでした。
画像の道の突き当たりが玉造町駅の跡です。





鹿島鉄道玉造町駅前
鹿島鉄道玉造町駅前

木造とトタンでできた建物が並ぶ商店街。
今ではだいぶ仕舞屋も多い印象で、
何十年もかけてゆっくりと変化してきたんだと思います。





鹿島鉄道玉造町駅前
鹿島鉄道玉造町駅前

商店街を歩いていると、
昭和レトロまっしぐらな看板がありました。
生まれたてのバンビの右横にある黒いものは、
練炭、ということでしょうか。

それはともかく「京阪練炭」が気になり、
ちょっと調べてみると、
現在は「ケイハン」の名で営業する、
手広く工業製品を扱う京都の会社でした。
もともと旧国鉄の蒸気機関車用練炭の製造ではじまったそうで、
サイトには支社の情報も出ていますが、
そこには志免の名前があります。
MAPもあるのでクリックしてみると、
なんとついこの前アップした志免鉱業所の敷地の中です!

→ Mapion

地図のすぐ真下には志免鉱業所の竪坑櫓があります。
旧国鉄の練炭を作っていたということから考えると、
志免鉱業所に大きなかかわりがあった会社だったんでしょうか。


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鹿島鉄道線 #05 鉾田駅跡

2012-02-05 12:47:19 | 鉄道遺産
2007年に1度アップした鹿島鉄道線
その時は夕方の訪問で、鉾田駅しか見学出来ませんでしたが、
それから3年後の2010年の暮、
ワンダーJAPAN誌のムック『廃線跡の記録2』の取材で、
再び訪れる機会がやってきました。
ムックには掲載出来なかった画像を含めて、
シリーズでお送りしようと思います。

鹿島鉄道は上野からわずか1時間、
常磐線の石岡駅から東へ約27km走っていた鉄道です。
東京からの距離のわりに、その沿線は極めて長閑で、
ほっこりしたローカル線の風情を満喫出来る、
貴重な路線だったのですが、
残念ながら2007年に廃止になってしまいました。

鹿島鉄道線路線図
鹿島鉄道線路線図

路線図の右端にある新鉾田駅は、
水戸駅と鹿島サッカースタジアムを南北に結ぶ、
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅ですが、
ご覧のように、なぜか鹿島鉄道の鉾田駅と離れています。
鹿島臨海鉄道は、大洗マリンセンターや鹿島スタジアムの利用客を中心に、
現役で運行中の路線なので、鉾田駅と新鉾田駅を連結すれば、
鹿島鉄道の利便性も向上されたかもしれないと思いますが、
なぜ連結しなかったかわ、わかりません。

また後年は旅客収益だけでは経営がままならず、
路線図のほぼ中央にある航空自衛隊百里基地への、
燃料輸送による収入に頼っていたそうですが、
輸送用パイプラインの老朽化にともなう輸送打ち切りで、
深刻な経営難を迎えてしまったと言う話は、
石岡から鉾田へ移動中のバスの運転手さんに聞きました。

石岡から鉾田迄、ほぼかつての路線に沿って、
路線バスが運行していますが、
駅によってはわざわざ街道からそれて駅ターミナル跡へ寄るなど、
かつての路線駅が現在でも十分生きているのがわかります。

というわけで、前回の記事が鉾田駅で終わっているので、
今回も一旦終点の鉾田駅までバスで移動し、
そこから石岡へ向かって上るかたちで見て行こうと思います。

鹿島鉄道鉾田駅跡
鹿島鉄道鉾田駅跡

2007年の時には数台の車輛か停まっていましたが、
2010年の暮れには、もう1輛もありませんでした。
ホームと途切れた線路だけが、
かつての終着駅だった事を物語るだけです。
かつての鉾田駅は関東の駅百選のも選ばれた、
趣のある木造駅舎だったので、
せめて駅舎だけでも残してもらいたかったものです。





鹿島鉄道鉾田駅跡
鹿島鉄道鉾田駅跡

構内には幾つかの転轍機が残っていますが、
風前の灯火の感は否めません。

路線バスの運転手さんは、元鹿島鉄道の職員さんで、
鉾田駅の駅名看板を譲り受ける予定だったのに、
廃止になったとたん、すぐに駅名看板は盗まれ、
結局貰えずじまいだったそうです…





鹿島鉄道鉾田駅跡
鹿島鉄道鉾田駅跡

以前の記事でもアップした、駅前のガソリンスタンド。
2007年の時は、建物の前面に大きな木が育ち、
とてもいい雰囲気を醸し出していたのですが、
木は伐採され、建物が剥き出しになっていました。





鹿島鉄道鉾田駅跡
鹿島鉄道鉾田駅跡

ガソリンスタンドの横に設置された、
修理用のリフトスペースと言うんでしょうか。
全然関係ない話ですが、
自動車とか電車の車輛の修理用の溝が、
気になります。





鹿島鉄道鉾田駅跡
鹿島鉄道鉾田駅跡

まもなく解体されるのかも知れませんが、
3年前の状態と比べると、
とてもゆっくりした時の流れを感じます。





鹿島鉄道鉾田駅跡
鹿島鉄道鉾田駅跡

駅前のタクシー会社。
幼少の頃、鉾田駅から親戚の家へ行く時は、
決まって乗ったタクシー。
2階は既に使われていないようです。





鹿島鉄道鉾田駅町<
鹿島鉄道鉾田町

鉾田駅の周辺を少し散策。
これはかつてのスナックでしょうか。
昭和レトロ感を濃厚に漂わせる建物ですが、
これ以外はそれほど目につく建物はなかった印象です。


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★ 廃線跡の記録 2 ★

  

KLO@廃墟徒然草による鹿島鉄道線のリポート掲載。
その他、鉄道ファンとはひと味違う、
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昌平橋駅跡

2011-12-21 02:10:47 | 鉄道遺産
父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院し、
その流れでアップして来たお茶の水界隈。
父親は無事退院し、今ではお茶の水に通う事もなくなりましたが、
以前に訪れたお茶の水界隈のネタがまだあるので、
ついでにこの機会にアップしようと思います。

前回アップした万世橋駅跡がある万世橋から、
お茶の水方面へ橋一つ戻ると、
昌平橋という橋がありますが、
そのたもとにも、かつて駅がありました。

1908年(明治41年)から、
1912年(明治45年)の万世橋駅が完成するまでのたった4年間、
仮説的に造られていた昌平橋駅。→Mapion
今では、駅舎は勿論ホームもない幻の駅です。



万世橋駅同様、
かろうじて残る重厚な煉瓦造りの装飾が、
一般の高架と違う場所だったことを物語っているようです。







万世橋駅と違って、煉瓦高架の下には、
当時の面影はまったくなく、
現在はスパニッシュ料理店が入っています。
リーズナブルな店なので、
昌平橋駅跡へ行かれたら、立ち寄るのも良いかと思います。









御茶ノ水で万世橋、昌平橋とくれば、次は聖橋です。
昭和初期に造られた橋脚の奇麗なアーチ橋で、
御茶ノ水の顔とも言うべき橋。
震災後の節電で夜間のライトアップをしてませんでしたが、
父親が退院する12月初旬頃、
再びライトアップを始めたようです。

万世橋駅跡

2011-12-20 02:34:09 | 鉄道遺産
父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院し、
その流れでアップして来たお茶の水界隈。
父親は無事退院し、今ではお茶の水に通う事もなくなりましたが、
以前に訪れたお茶の水界隈のネタがまだあるので、
ついでにこの機会にアップしようと思います。

鉄道ファンの間では有名な万世橋駅跡が、
お茶の水と秋葉原の間、万世橋のたもとにあります。
1912年(明治45年)に中央線の始発駅として造られるものの、
7年後に東京駅が完成、その後秋葉原駅や神田駅が造られ、
その存在意義を失って、戦中に休止になった幻の駅。



現在でもホームは残り、
中央線の車窓から見る事ができます。







また神田川沿いには幾本かの側線が残り、
こちらはホーム下の煉瓦アーチの施設も、
まだ残っている様です。







万世橋の付近にはかつての煉瓦遺構が残っていて、
その壮麗な造りから、かつての駅の面影を感じる事が出来ます。







万世橋駅は休止後、交通博物館の一部となり、
近年まで静かに眠り続けましたが、
2006年、老朽化により交通博物館は閉館。
画像は閉館後の交通博物館ですが、
現在では既に解体されてしまいました。







手前に写るレールにはかつて、
最初のひかり号の先頭車輛が野外展示されていました。
小学生の頃に訪れた時のわくわくした記憶も、
いまは幻と消えてしまいました。

酒田臨港開発線跡

2011-11-03 20:47:21 | 鉄道遺産
シリーズでアップして来た東北廃線ロケの最期は、
山形県の県北、酒田市の工業港に残る酒田臨港開発線跡です。

酒田港の地図で見てもお分かりの様に、
酒田の工業地帯には葉脈のように、
沢山の貨物線が張り巡らされていていて、
その一部はJRの経営下にあり現在も現役で稼働中です。
その先の埋立地の各工場や倉庫などに繋がる線路が、
臨港線の様ですが、
一部は現役で使われているのでは、
と思われる線路があるものの、
広大な敷地に延びる殆どの線路は、
草に埋もれ、途中で分断され、
鉄道の役に立たない形に成り果てています。



地図上でも巨大な大きさが分かる国立米穀倉庫跡跡。
Mapion→Mapion
米価格の安定を図るために、
大正15年(1925)年に建設された堅牢な鉄筋の倉庫。
戦前から戦後と長きに渡って、
日本の主食「米」を扱って来た倉庫ですが、
飽食の時代の訪れとともに備蓄米の需要が減り、
平成4年(1992)に閉鎖された倉庫です。







3棟ずつ並列する倉庫の中央には、
かつて運び出しに使われた鉄道が敷かれていましたが、
後年はトラック輸送に変わり、
その役目を終えていたようです。







臨港線の中には、車輛もあります。
Mapion→Mapion
いわば車輛の墓場ですね。
の壁面には、
解体されたタンクローリー車の外壁が使われています。







かろうじて確認できる、草に埋もれた線路。
誰に知られる事もなく、粛々と仕事をし、
静かにその役目を終える貨物鉄道の、
一つの姿がここにあります。







海寄りの外壁は、
貨物車輛がそのまま使われているところもあります。







埠頭の先端へ行く程、線路はその姿を消し、
車止めだけが、かつて線路があったことを伝えるばかりです。
Mapion







更に埠頭の先端へ進むと、
殆どアスファルトの地面と土に埋もれた線路もあります。
Mapion
酒田臨港の工業地帯は、
東ソーなどの化学系工場もありながら、
夜は殆ど真っ暗で、
川崎をはじめとした「夜景の奇麗な工場地帯」
の印象は全くありません。

その後いろいろな人にその話をすると、
どうやら夜の工業地帯には、
真っ暗なところと明るすぎる所があるようですが、
確かに真っ暗な工業地帯しか知らない人にとっては、
工場地帯は魅力的な場所には思えないと思います。
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ブログ付属のフォトアルバムに廃線百景をアップしました。
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ムック『廃線跡の記録』三才ブックス
国立米穀倉庫のリポート掲載
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オープロジェクト DVD『鉄道廃線浪漫画』日活
静かに眠る貨物線跡もフィーチャーした、
鉄道廃墟を映像と音楽、随想的なナレーションで綴る映像詩集

庄内交通湯野浜線 善寶寺駅跡

2011-10-26 01:40:11 | 鉄道遺産
前回までくり電や細倉鉱山など、
宮城県の県北ロケをアップして来ましたが、
今回からは隣の山形県へ移動し、アップして行こうと思います。

山形県の日本海にほど近い内陸に、
かつて走っていた庄内交通湯野浜線の善寳寺駅が、
今も残っています。→Mapion

庄内交通湯野浜線は、かつて新潟県の鶴岡から、
日本海沿岸の温泉地、湯野浜温泉までを結んでいた、
昭和4年(1929)に開業した鉄道です。

操業時は温泉への観光客や善寶寺への参拝客で賑わったもの、
モータリゼーションに押されて昭和50年(1975)に廃止。

35年も前の廃線なので、殆どの施設は残っていませんが、
廃線後鉄道記念館として営業していたおかげで、
現在でも唯一残っているのがこの善寶寺駅です。

しかし鉄道記念館も90年代には閉館し、
今は訪れる人がいない記念館の跡が、
ひっそりと眠っているだけです。



現在も残る記念館。







当時の姿を留める駅構内と、
1輛だけ保存された車輛。







植物に埋もれながらひっそりと佇む車輛。







味のある木造の待合室。
善寶寺駅には、ホーム2つと車輛1輛、
そしてこの待合室だけが残されています。







善寶駅に隣接して、国内農産物米穀検査場所がありますが、
その建物の前面に沿って、
湯野浜線は走っていたようです。→Mapion







善寶寺は敷地も広く、とても風格のあるお寺でした。







善寶寺は、かつて人面魚ブームと共に、
その名を全国に知られた寺でもありましたが、
今は殆ど訪れる人もいないようです。
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ブログ付属のフォトアルバムに廃線百景をアップしました。
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ムック『廃線跡の記録』三才ブックス
善寶駅のリポート掲載
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オープロジェクト DVD『鉄道廃線浪漫画』日活
くりはら田園鉄道もフィーチャーした、
鉄道廃墟を映像と音楽、随想的なナレーションで綴る映像詩集

くりはら田園鉄道 #08

2011-10-11 07:02:19 | 鉄道遺産
かつて宮城県の北部を横断していた、
くりはら田園鉄道、通称「くり電」のシリーズの最終回です。



かつての終着駅、細倉駅周辺。→Mapion
細倉鉱山が1987年に閉山し、
1990年にマインパークが作られるのに合わせて、
約200m先に細倉マインパーク駅が作られると同時に、
廃止になった駅。







オープロジェクト制作のDVD、
『鉄道廃線浪漫~風の声、時の音~』のジャケットは、
この場所のものです。
このDVDのジャケットはとても苦労しました。
日活さんからなかなかオッケーがでず、
結局タイトルフォントと合わせて120種類位作った記憶があります。







操業時の最後の頃の終着駅だった、
細倉マインパーク前駅。 →Mapion
単線と片側ホームの造りが、
運航時にはきっと旅心を楽しませたと思います。







駅舎は新しく、プレハブ小屋のような印象ですが、
三角形のファザードは、鉱山の山を表しているのでしょうか。







構内には、若柳駅の記事でアップした、
機関車と貨車が保存展示されていました。







若柳駅の記事でもアップした腕木式信号機。
この信号機も、見れば見る程魅力的なフォルムをしています。

以前アップした沢辺駅同様、この保存コーナーにも、
「乗って残そう 栗原電鉄」の看板が掲げられていました。
地元の人にとっては、存続して欲しい鉄道でもあったのだと思います。

ただ、マインパーク前駅や若柳駅の保存を見ると、
消えて行った多くの鉄道の中では、
まだ記憶に残る形の方ではないでしょうか。

次回からは細倉鉱山です。

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ブログ付属のフォトアルバムに廃線百景をアップしました。

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ムック『廃線跡の記録』三才ブックス
くりはら田園鉄道の詳細リポート掲載

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オープロジェクト DVD『鉄道廃線浪漫画』日活
くりはら田園鉄道もフィーチャーした、
鉄道廃墟を映像と音楽、随想的なナレーションで綴る映像詩集


くりはら田園鉄道 #07

2011-10-10 06:58:43 | 鉄道遺産
かつて宮城県の北部を横断していた、
くりはら田園鉄道、通称「くり電」のシリーズです。



前回アップした津久毛駅の次の駅の杉橋駅は、
既に駅舎やホームは撤去されていました。
杉橋駅のほど近くを流れる烏沢川にかかる橋梁の横には、
ほっこりとした地蔵尊が並んでいました。 →Mapion







杉崎駅から2つめの栗駒駅は、
操業時の写真を見ると、かなり大きな駅だったようですが、
現在は駅舎は取り壊され、線路だけが残っています。→Mapion







駅前通りからかつての駅舎があった方向を眺めます。
手前に栗駒牛の看板が見えますが、
若柳牛とともに宮城県の自慢の牛肉だそうです。
残念ながら食べる機会がなかったので、
次回訪れたときは、是非食べてみたいと思います。







栗駒は西にいただく栗駒山からその地名が付いたのだそうですが、
実際も馬にまつわる町でもあったようです。
画像は駅前通りから1本目の六日町通りですが、
その1本北には、無用に道幅の広い通りがあり、
バス停には馬場通りといった名前も見えます。→Mapion
その昔馬の競売が行われていた名残だそうです。

栗駒には1泊し、夜訪れたスナックのママさんに聞きました。
残念ながらお店の名前を思い出せない程飲んだくれてしまって、
おかげで翌日の撮影は、
全く使い物にならなかったのを思い出します。







栗駒駅からだいぶ先にあった鶯沢駅跡。→Mapion
実はこの区間に、
かつての軽便鉄道時代に使われていた隧道が残っていたり、
切り通しの林の中を抜けるいい雰囲気の公開があったんですが、
上述の様に飲み過ぎでまったく体が動かず、
撮影する事が出来ませんでした。orz







鶯沢駅にほど近い二迫川の橋梁→Mapion







だいぶ日が暮れて来ました。
次回はいよいよくり電の終着、
細倉駅近辺です。

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くりはら田園鉄道 #06

2011-10-08 23:11:45 | 鉄道遺産
かつて宮城県の北部を横断していた、
くりはら田園鉄道、通称「くり電」のシリーズです。



前回までアップしてきた若柳駅を離れ、
次に駅舎が残っていた沢辺駅。→Mapion
若柳駅はモルタル造りでしたが、
木製窓枠から飛び出すストーブの煙突が、
いい味を出していました。
壁に貼られた
「みんなの足だよ栗電は 乗って残そう子孫のために」
のスローガンが寂しさを募らせます。







沢辺駅はシックな木造駅舎で、
改札も木製でした。







残念ながら駅舎内には何も残っていません。
かつてここを行き交った人たちの、
時の音が聞えるだけです。







三角屋根の下の丸い部分いは、
かつて時計が設置されていたんでしょうか。







地方都市の駅前にはやはりタクシー会社です。
ノスタルな車庫と事務所ですが、
よく見るとソーラーを設置しています。
以外と近代的なんですね。








沢辺駅の次の津久毛駅も、
まだ駅舎や線路が残っていました。→Mapion
玄関先に自転車がおかれているなどして、
おそらく地元の人に転用されているんではないかと思います。







ホームのはずれからは、
栗駒山をはじめとした奥羽山脈が見えます。
1本の松の木が印象的でした。

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くりはら田園鉄道 #05

2011-10-08 00:20:43 | 鉄道遺産
かつて宮城県の北部を横断していた、
くりはら田園鉄道、通称「くり電」のシリーズです。



前回に引き続き若柳駅。→Mapion
くり電の車輛の中では最も新しく、
最期まで走り続けたディーゼル車。
ヘッドライトは、かつて運搬事業を行っていた、
細倉鉱山にちなんで、カンテラの形を模しています。
内装にも宮城県産の木材を使う等していたらしく、
再生をかけた車輛だったに違いありません。







車輪のついた栗がコトコトと線路を走る、
かわいいヘッドマーク。







年季の入った転轍機標識。
これがどのように使われるのか全く知りませんが、
廃線を訪れると、いつもその魅力的なフォルムに、
取り憑かれてしまいます。
改めて見ても、完成されたデザインだと思います。







だいぶ陽が傾いて来ました。
西日を浴びて、車輛が真っ赤に染まります。

思えば、鉄道という乗り物は、
20世紀で役目を終えた乗り物なのかもしれないと思います。
長い鉄の道を造り、駅を様々な施設で構築し、
沢山の従業員が日夜安全を守らなくてはならない鉄道は、
その労力とは裏腹に、決められた場所にしか行く事ができず、
道路に比べると、あまりにも効率が悪すぎます。







しかし、それだけ手間ひまをかけるからこそ、
鉄道は、とても魅力的な乗り物だったとも思います。

特に「駅」は特定の場所だからかそ、
広大に広がる無彩色の土地の中に点在する、
光り輝く色の付いたポイントの様に感じ、
どんな駅でもワクワクします。

今、各地には、道の駅が作られたり、
複合ショッピングセンターが集中するエリアが作られたりして、
道路の途中に人が集まる構造が主流になって来ていますが、
この作りはかつての宿場町のようでもあります。
そう考えると、鉄道という構造は、
20世紀だけの特殊なものだったのかも知れないと思います。







夕日を浴びて佇む若柳駅舎。
若柳駅は2010年に、他の駅舎の素材を使いながら、
木造駅舎として再生保存されましたようです。
また、車輛も屋根が付けられて保存され、
定期的に乗車会も開催されているようです。
くり電乗車会 (栗原市オフィシャルサイト)





若柳駅に隣接して建つ、くり電の本社跡。
また一つ、20世紀に光り輝いた栄光が、
残照の時を迎えたんだと思います。

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くりはら田園鉄道 #04

2011-10-07 07:35:46 | 鉄道遺産
かつて宮城県の北部を横断していた、
くりはら田園鉄道、通称「くり電」のシリーズです。



前回に引き続き若柳駅。→Mapion
駅舎の中を覗いてみると、
一部にブルーシートがかけられたりしてはいますが、
デスクの上に残るペットボトルや、
ストーブの煙突にひっかけたタオル等、
現役時代の息遣いが生々しく残っています。







ホームの電球。
夜、光量の少ない電球に照らされて、
ボ~っと浮かび上がるいい雰囲気のホームが、
目に浮かびます。







こんな電球も天井には設置されていました。







駅舎を離れて周囲を散策すると、
台車を外された木造貨車がひっそりと佇んでいました。
なんでも大正時代の製造で、
かつては西武鉄道を走っていた貨車だそうです。
貨車…
夜中、旅客電車が終わった丑三つ時、
ゆっくりと走る真っ黒い長蛇の貨車を、
子供の頃、とても怖く思った記憶があります。







貨車の裏手には、ひしゃげた建物がありました。
年季の入った木造の、趣のある建物です。







建物の中には、機関車が打ち棄てられていました。
貨物列車を牽引した機関車ですが、
あまり馬力がなく、晩年は活躍する場も殆どなかったようです。







建物の裏手には小さな事務所が併設してありました。
取っ手の大きな木製デスク。
コクヨ系事務椅子。
そして木造の引き戸に木造の窓枠。
ついこの前まで現役だったはずなのに、
そこは昭和で時が止まったような空間でした。

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くりはら田園鉄道 #03

2011-10-06 04:12:26 | 鉄道遺産
かつて宮城県の北部を横断していた、
くりはら田園鉄道、通称「くり電」のシリーズです。



荒町駅跡を越えて約1km。
腕木式の信号機が見えて来ました。 →Mapion







近くまで行って見上げると、それはかなり奇麗で、
現役で使われていてるのでは?と見まがう程です。







信号機の足元を見ると、
「東京 深川 峰(かな?)製作所」と刻印されています。
東京で作られたものだったんですね。







こじんまりとしたヤードの先には、
草に埋もれた車止めが並んでいました。







やがて若柳駅の駅舎へ到着します。
小振りながら木造の趣のある駅舎です。
自転車置き場から停車中の車輛が見えます。







改札を通過してホームに出てみました。
最近は電車の旅をすることも、とんとなくなり、
こういった曲げ鉄で作った出札も、
懐かしく感じます。







島式ホームの横には車輛が1輛、停車していました。
くり電は昭和25年(1950)から平成7年(1995)まで、
電化路線でしたが、その後気動車になります。
電車として使われていたこの車輛は、
操業当時から屋外展示されていたので、
時間の積み重ねを感じるルックスになったのでしょう。

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