黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

吉見百穴~後編

2013-12-17 03:14:04 | 廃墟その他
前回の記事でアップした埼玉県の吉見百穴は、
古墳時代の集合墳墓跡という以外にもう1つ、
軍需工場跡という側面も持っています。

吉見百穴

山の裾野の一角に、
かつての地下軍需工場への入口があります。
勿論軍需工場用なので、
入口の大きさは墳墓のそれより遥かに大きく、
人が歩行したまま入れます。





吉見百穴

内部は照明が設置されているものの、
それほど明るくはなく、
少しひやりとした空気を感じます。
通路は縦横に整然と掘られています。

解説板を要約すると、
第二次世界大戦末期、都内にあった中島飛行機の工場の疎開地として、
この吉見付くが選ばれ、
工作機械が搬入されてエンジンの製造がはじまったものの、
結局本格的な製造が行なわれることなく、
敗戦を迎えたとあります。
掘削の使役には3500人もの朝鮮人がかりだされ、
昼夜問わず掘り続けたそうです。





吉見百穴

入口付近は照明も施され、
そこそこ見えますが、
奥に行くに従って照明もなくなり、
漆黒の闇がどこまでも続くかの様です。





吉見百穴

見学出来るのは全体のほんの一部で、
深部は全て柵で頑丈に塞がれています。





吉見百穴

現在では、製造工場で使われた什器等は一切なく、
がらんどうの地下空間が広がるばかりですが、
壁面や床面に残された手掘りの掘削の跡が、
戦火の過酷な状況を今に伝えています。





吉見百穴

昭和の時代には仮面ライダーやウルトラマンなどの
特殊撮影の舞台としても使われた吉見百穴。





吉見百穴

今では脱力系のお土産屋が数件建ち並び、
いい感じのほっこり具合です。





吉見百穴

悠久の古墳時代と過ぎ去りし戦争時代に想いを馳せながら、
埼玉名物「五家宝」を頂きました。





吉見百穴

吉見百穴~前編

2013-12-16 04:28:17 | 廃墟その他
昨年のことですが、
仕事がらみで埼玉県の熊谷へ行く機会があり、
しかも早々に用件が終わってしまったので、
かねてから行きたいと想っていた吉見百穴へ脚を伸ばしました。

吉見百穴

「吉見百穴」…その名前からして奇妙なこの遺跡は、
埼玉県のほぼ中央、比企郡吉見町にある、
古墳時代の墳墓跡。
江戸時代中期の文献にその名が残り、
明治時代には居住vs墳墓論争が繰り広げられたものの、
結局現在では墳墓説が定説になっているようです。





吉見百穴

入場料を払って敷地に入ると、
いきなりそこかしこに穴の空いた、
巨大な蟻塚のような百穴遺跡が現れますが、
実際に見るとかなり大きく異様な光景でもあります。





吉見百穴

穴の配列は西から東へ行くに従って整然とし、
また、上中下段で穴の空き方が違う様ですが、
それが時代によるものか、はたまた、
埋葬した人の身分とかと関係があるのは謎だそうです。





吉見百穴

配置によっては、こういった顔の様に見える場所も。
穴の大きさは目分量で高さ約1m位です。
穴へ導く様な「羨道」を通って穴の中の玄室へと続いています。
玄室入口にはかつて「封鎖石」と呼ばれる石製の扉があり、
粘土で固定されていたそうです。





吉見百穴

玄室には「棺座」と呼ばれる、
遺体を安置する場所を造り込んだものが多くあります。
棺座はけっこう大きく、
一族代々に渡って使うためのものだったようです。
棺座手前の床麺は出入口に向かって傾斜し、
内部に入り込んだ水を排水できる構造になっていた様です。





吉見百穴

古墳時代の人々は、死後の世界を信じていた様です。
横穴の構造も、死者が出入りし易い様にとの配慮から。
そういう意味では、古代エジプトとかと同じですね。





吉見百穴

幾つかの穴には「ヒカリゴケ」が生息しています。
太陽の光を反射して発光している様にみえるコケですが、
平地での生息は極めて珍しいようで、
天然記念物に指定されています。





吉見百穴

後編へ続きます。

鶴岡市加茂中学校跡

2011-10-31 00:57:35 | 廃墟その他
前回アップした善寳寺駅の近辺を走っていると、
使われなくなった中学校がありました。
Mapion



加茂中学校。







それほど古い印象はなく、
窓枠はアルミサッシュに変えられているところも多いものの、
なかなか味のある木造校舎です。







やはり少子化の影響で廃校になったのでしょうか。







東京生まれ東京育ちの自分は、
きっと大人になる頃には、
卒業した小学校や中学校はなくなっているだろう、
とよく思いました。
実際、都内の小中学校は、
合併廃校になったものも数多くあります。







しかし自分の通っていた小中学校は、
いずれも当時の姿をとどめていて、
しかもいまだに現役です。







母校が残っている事が、
染みてしまう年になったんだと、
最近思います。







すぐ近くは日本海。
生まれて初めて見る裏日本(←死語?)の夕日。

沖縄 #05:中城高原ホテル跡

2010-06-11 01:26:10 | 廃墟その他
シリーズでアップしている沖縄。
今回は、前回アップした中城城跡の奥にある、
中城高原ホテルです。
Mapion



中城城跡の2の郭から1の郭へ通じる門越しに、
その奥に立つ中城高原ホテル跡が見えます。






中城城から見える高原ホテルは、
鬱蒼した深い森の中に建ち、
話に聴いてた通りかなり大きなもののように見えます。





しかし実際に近づいてみるとそれほど大ききくもなく、
(と言ってもシティホテルとかよりはでかいですが)
リゾート観光地のホテルとしては、
普通ぐらいの規模の物件です。




前回の記事の最後にアップしたカンジャーガマを背にして立つと、
目の前が高原ホテル跡です。
城跡に一番近い場所にはバーを作ろうとしたんでしょうか。
コンクリートを塗装しダイレクトに
「ROYAL ROAD PUB 食事と飲物」と書かれた奥には、
中央にバーカウンターだけが残るスペースが広がっています。



少し横へ迂回して正面玄関へ回ってみました。
中国的な雰囲気を漂わせる造りの玄関ですが、
落書きが至る所に描かれています。
玄関に書かれているのはチェでしょうか。




結局オープンする事なく、
そのまま廃墟になってしまったホテルですが、
窓枠のアルミサッシュまで残っているのをみると、
相当完成はしていたんだと思います。




建物は、築35年が経つわりにはとても奇麗で、
周囲も雑草が少なく、とても歩きやすいです。
実際に営業していたホテルなら、
館内に作られた水道管の老朽や浴場の湿気等で、
その後の傷みも早かったんではないかと思いますが、
一度も使われていない為に、コンクリートの劣化なども、
極端に少なかったんではないでしょうか。



館内にも至る所に時間をかけた作品が沢山書かれていますが、
どれもこれも色褪せる事なく、奇麗な状態で残っています。






館内の柱もご覧のように極めて奇麗で、
クラックの入っている様子もありません。
天井の板が所々剥落していますが、
むしろ35年という年月を考えれば、
驚異な残り具合だと思います。



天井にも水染みが殆どないのは、
台風が多い沖縄ならではの鉄壁な屋根の造りによるのでしょうか。
たぶん全体の1/3位まで来たと思いますが、
日も暮れて来たので、このあたりで帰ることにしました。


◆ シリーズ 沖縄 ◆
> NEXT  >TOP  > INDEX


沖縄 #04:中城城跡

2010-06-10 02:28:51 | 廃墟その他
シリーズでアップしている沖縄。
今回は、琉球王朝の1400年代に築城され、
2000年に世界遺産に認定された中城(なかぐすく)城跡です。
Mapion



敷地の入口には世界遺産認定の碑が。
訪れたのが平日だったからかもしれませんが、
客は他に2人だけで、
世界遺産という肩書きの力のなさを痛感します。



でもおかげでじゃまをされずに見放題!
城郭跡は大きく3つに分かれた造りで、
観光路の入口から入ると、裏門から見ることになります。
裏門の横には3の郭があり、
その城壁は「亀甲乱れ積み」ですが、



その先の2の郭、1の郭は、
整然と積まれた「石切り積み」です。
積まれた石は上へ行く程小さいくなっていて、
実際より高く見える構造になっています。



乱れ積みで作られた外側の城壁は、
高さが一定でなく、またゆるやかに蛇行しています。
地形を活かしたためか、
それとも意図的に作ったものかはわかりませんが、
規模は別として、その形だけ見る限り、
万里の長城を彷彿とさせます。
外壁の内側へ急勾配で奈落へ落ちてゆく様な階段があります。



降りてみるとそこは「ウフガー(大井戸)」と呼ばれる、
かつての井戸の跡だそうです。
今でも奇麗な清水が沸き出しているのか、
水はとても澄んでいて、
画像では水があるかどうかわからない程です。



2の郭は城壁の上へも登れます。
高台に作られた城の構造から、
相当外敵を警戒していた様に感じます。
特に一番高い位置にある1の郭の城壁からは、
2の郭や3の郭は勿論、周囲の様子が全方位一望できます。
眼下には中城湾の工業地帯が見えますが、
かつてはきっと奇麗な沖縄の海が見渡せたんではないでしょうか。



画像中央には1の郭の城壁がみえます。
1の郭同様、2の郭も3の郭も、
北東面だけは直線的に作られていますが、
それ以外の面は外側の城郭同様、
かなり蛇行した形で造られていて、
この直線と蛇行のミックスが、
とても奇麗に見えます。



1の郭の先には南の郭と呼ばれるスペースがありますが、
ここに数々の御嶽(うたき)が設置されています。
御嶽とは有名な沖縄独特の拝所のことで、
王朝時代にはむやみに人が入れなかった、
神聖なエリアですね。
この御嶽は、琉球創世の島と言われる、
久高島を拝む為の遥拝所。



画像は同じ南の郭にある「雨乞いの御嶽」
この他南の郭にある「首里遥拝所」をはじめ、
城内の至る所に御嶽が点在しています。





南の郭に先には正門があり、
そこを出て城郭のもっとも南端へ行くと、
カンジャーガマと呼ばれる鍛冶屋跡があります。
どのように使われ、なにを作っていたか等は謎だそうですが、
妙に吸い込まれるパワーを持った場所でした。



九州南部からの移民がその発祥とも言われる琉球。
1400年代の初頭から明治まで存続しながらも、
1600年代以降は薩摩の支配下にあった琉球は、
常に日本と清の間に立ち、
その短い歴史に泰平ということも殆どなかったんではないかと、
中城をみて思いました。

◆ シリーズ 沖縄 ◆
> NEXT  >TOP  > INDEX


沖縄 #02:辺野古社交街跡

2010-06-07 06:19:39 | 廃墟その他
前回からアップしている沖縄シリーズ。
今日は普天間基地移転で話題の辺野古(ヘノコ)です。
といっても飛行場予定地のすわりこみ海岸ではなく、
かつて繁栄した社交街の跡を訪れてみました。
Mapion



wikiによれば、隣接する米軍のキャンプ・シュワブの
社交街として発展したのは1960年代までの事、というだけあって、
その痕跡ぶりには年季が入っています。





おそらくですが、
もともとKingと言う名のバーだったところを、
その後同じ店名でリサイクルショップに
リサイクルしたんではないでしょうか。




右側の看板建築部分に、
かろうじてサンドウィッチショップの文字が見えます。






辺野古社交街跡の中でも、最もきていた建物。
もともとBARだった建物が浅井電気として使われながら、
その電気店名すら殆ど消えかかっている状態です。





画像ではCLUBの文字しか見えませんが、
肉眼では「ACE OF CLUB」と確認できます。






最初の「BAR FLAMINGO」しかり、
民家を改装した様なこれらのBARは、
どんなものだったのかと想像します。





壁は比較的新しいですが、既に看板は撤去され、
店としての形態は失われています。
画像の様に沖縄風の平屋の前面を、
看板建築にして店にしている形態も、
多く見受けられました。

県の約10%、本島だけだと約20%が、
米軍の施設用地として使われるという、
特殊な環境にある沖縄は、
日本が抱える平和維持の問題を、
リアルに感じる場所でもあると思います。


◆ シリーズ 沖縄 ◆
> NEXT  >TOP  > INDEX


『廃線×廃墟×廃道 廃祭り 2010』受付終了

2010-03-26 14:37:04 | 廃墟その他


先日お伝えしたイベント、
『廃線×廃墟×廃道 廃祭り2010』は、
おかげさまで先行予約は終了となりました。
全席SOLD OUTですので、
当日券の発行もございません。

尚、
今回のイベントはネット中継がございますので、
観覧ご希望の方は、
お申し込み頂ければと思います。

> 詳しくはこちら


『廃線×廃墟×廃道 廃祭り 2010』開催

2010-03-14 08:07:43 | 廃墟その他
今月初頭の2つのイベントをまとめられないまま、
またまた次のイベントです。(>_<)
今回は3/19発売のオムニバスムック『廃線跡の記録』の発売を記念して、
来る3.28、東京カルチャーカルチャーでのイベントです。
※分量少なかったけど、『軍艦島全景』より疲れた。。。(>_<)

といっても廃線というよりは「廃」にまつわる熱中人が集合して、
「何故、廃に惹かれるのか」から「廃の未来とは」
と高尚な(?)トーク・セッション・イベントだそうで~す
「廃墟ってなんんだか。。。」という方も、
「廃線って、興味ないんだよね~。。。」という方も、
「廃道って、面白いの~?(←面白いです!)」という方も
是々非々、ご参加くださいませー!
きっとアカルイ未来が開けます!!


画像はクリックすると拡大します

『廃線跡の記録』刊行記念
廃線×廃墟×廃道 廃祭り2010

【日時】2010年3月28日(日)
OPEN: 17:30 START: 18:30 END: 21:00


【場所】東京カルチャーカルチャー
http://tcc.nifty.com/accessmap/

【出演】オープロジェクト

【料金】前売2,000円/当日2,500円(共に飲食代別)

【ご予約】
オープロジェクト・メール(o-project@mail.goo.ne.jp)
に直接ご連絡を頂くか、もしくは、
イープラス・チケットにてお取り扱いしております。

※オープロジェクトSTAFFに直接お申し込みの場合は、
お名前、メールアドレス、電話番号、人数、をお知らせ下さい。
現在予約殺到につき確実に入場を希望されたい方はお早めに
チケット購入されることをお薦めいたします。

> 詳しくはこちら



廃線、廃墟、廃道。
みんな同じ廃趣味だけど、ちょっぴり違う!?
廃ファンは、みんなまとめてカルカルに集結だ!!

意外となかったそれぞれのクロスセッション。
三才ブックスより発売の『廃線跡の記録』にて
廃線ファン、廃墟ファン、廃道ファンがそれぞれ執筆。
こうなったらお祭りだとばかり、
揃ってカルカルのステージで競演です。

廃道を代表して、
ムック本『廃道本』『廃道をゆく』でおなじみの
サイト『山さ行がねが』のヨッキれん。

廃墟を代表して、
いまや廃墟サイト検索で不動のトップ
『廃墟デフレスパイラル』の芝公園公太郎。

廃墟・産業遺産を代表して、
ヘリテージツーリズム(産業遺産旅行)を普及させるため、
なんとNPOを立ち上げてしまった、
J-heritage の前畑洋平。

廃墟・廃線を代表して、
軍艦島のDVDや書籍を手がけ、
先頃『鉄道廃線浪漫 風の声、時の音』を発売した、
メディア制作ユニットのオープロジェクト。

と、廃ファンなら誰でも気になる旬のメンバーが、
廃トークを繰り広げる。

どんなトークになるかは、本人達にも予測不能。
これは参加するっきゃない!
質問もバンバン受け付けますよ~!

お祭りだけに、
各々の廃墟、廃線、廃道の画像・映像もたっぷり紹介。
当日は二次会も実施予定(イベント終了後予定)。
そちらもお気軽に参加あれ!!!
同じ廃なら踊らにゃ損々!

※悔しいけど、
遠方で会場に駆けつける事の出来ない方々のために
ネット中継も実施しちゃいます。
お祭り気分でご覧下さい。→詳細は近日発表

*当日は物販コーナーにて、
廃線跡の記録
(三才ブックス・3月18日発売 定価1,600円)
ほか、各参加者の制作した書籍、DVDを即売予定。

※当初アップされていた「廃のタッグマッチ」から
イベント名変更になりました(笑)


【ナビゲーター】
●斉藤崇:三才ブックス編集担当
 『ワンダーJAPAN

●西田信之:オープロジェクト構成担当
 『廃墟賛歌

【出演】
●ヨッキれん:オブローダー、廃道探検・研究家
 『山さ行がねが

●芝公園公太郎:廃墟写真家
 『廃墟デフレスパイラル

●前畑洋平:産業遺産伝道師、NPO法人J-heritage理事長

●黒沢永紀:オープロジェクト音楽担当
 『軍艦島オデッセイ』『廃墟徒然草

●大西悟:オープロジェクト映像演出担当
 『廃墟幻想


花月横丁

2009-06-08 01:31:02 | 廃墟その他


京急花月園前駅の駅前にある、花月横丁。
「いらっしゃいませ」と一緒に、
大衆酒場 大黒屋や、ゲームコーナー アーミー
の看板が掲げられるも、
その周囲には居酒屋もゲームセンターもなく、
住宅のみがひしめき合う一角。
おそらく以前はこの先に飲食店が広がっていたんでしょうが、
いまではそれらの面影は全くなく、
ただ入り口のゲートだけが残っています。

花月園は今では競輪場になっていますが、
かつては大正3年にオープンした由緒ある遊園地があったところ。
宝塚遊園地の宝塚歌劇団にならって花月園歌劇団が作られ、
「西の宝塚、東の花月園」とまで言われたほど、
隆盛を誇った遊園地だったそうですが、
高台にあったため戦中は高射砲台がおかれ、
施設も解体され工業用品に流用、
戦後すぐに廃園になった幻の遊園地。
その名前が想像をかき立ててくれます。



普賢岳・大野木場小学校

2009-05-09 03:05:49 | 廃墟その他
16年前に起きた普賢岳火砕流の被害校舎、
大野木場小学校跡をアップしています。
最後の今日は「教室に残る思い出」です。



2階の教室は1階のそれに比べて被害も少なかったのか、
被災地の様相は殆ど感じられません。
むしろ純粋な廃校の趣で現存しています。




電動鉛筆削りなどは、
コンセントをさせば今にもギュイ~んって動き出しそうなほど
きれいです。




教室の片隅に打ち捨てられたスクール傘は、
まだ使えそうなものもあるほどです。





仕事柄、音の鳴るものには反応してしまいます。
懐かしの赤青カスタネット。





そして半音のない一段ハーモニカ。






廊下と教室の境目に落ちていたチャイム用ベル。
火砕流の時はけたたましく鳴り続けたのかもしれませんね。

校舎内は立ち入り禁止とは書いてありませんが、
周囲にそれなりの柵が巡らされているんで、
本来は立ち入り禁止なんでしょう。
確かに柵の外から見るだけで、
火砕流の恐ろしさは十分わかりますし、
逆に校舎内に入ると火砕流の爪痕を感じることは、
それほどできません。
瓦礫の積もった校舎内へ、
わざわざ入らなくてもいいことがわかりました。

ただ火砕流とは別に、
そこには時の止まった教室がありました。

ミステリー作家、筒井康隆の代表作に、
『時をかける少女』という作品があります。
学校の理科室でかいだラベンダーの香りがきっかけで、
時空を行ったり来たりする話ですが、(殆どの人はご存知かな)
時空が歪んだ学校、というものには、
なぜか惹かれるものがあります。

人生の中でのたった3年間、長くても6年間しか過ごさず、
しかも実生活ではなく、幻想のような時間を過ごす場所なので、
大人になって思い出すとき
時空の歪んだ場所のように思い出されるから、
時空の歪んだ教室というのは、
妙に共感できてしまうのかもしれないと思ったりしました。


普賢岳・大野木場小学校

2009-05-07 03:57:40 | 廃墟その他
前回からアップしている、
雲仙普賢岳の火砕流被害にあい、その後保存されている、
大野木場小学校跡。
この小学校に関してウェブ上の画像をいくつか検索しましたが、
内部の様子がアップされているものがなかったので、
ちょっと内部を。



廊下はおそらく火砕流の熱で床面が解け、
基礎だけが残ったのでしょうか。
被災跡と思うからか、基礎が墓標の様にも見えます。
ただし、被災時の避難はスムーズに進み、
幸い小学校からの犠牲者はいなかったそうです。



1階の教室は相当ダメージを受けたのでしょうか。
部屋に残る鉄製の勉強机はぐにゃりと湾曲しています。





さらにほかの教室をのぞくと、
壁は剥落し、相当荒れた状態ですね。





廊下に倒れるロッカーも、
画像の様に相当歪んでいます。





階段部分は比較的守られていたのか、
壁面の塗装がまだはっきりと残っています。
剥落の具合から言っても、これは後におちたものでしょうか。





しかし廊下の窓などは、相当ひびが入っています。
発生時の写真を見ると、
小学校の何倍もの高さの噴煙とともに、
火砕流が校舎を襲ってきています。
時速は100kmにもなるそうです。
これは相当怖かったんじゃないでしょうか。

火山の噴火などは全く経験したことがないんで、
こうして被災地を廃墟として残してくれると、
いざというときの心構えみたいなものを知ることができますね。


普賢岳・大野木場小学校

2009-05-06 02:52:01 | 廃墟その他
シリーズ「長崎ひとりさるく」で長崎の話題をアップして来たので、
ついでに他の長崎の話もアップしようと思います。

1991年 (平成3年) 9月15日。
雲仙普賢岳の噴火による火砕流で、
麓の一帯が甚大な被害を受けたニュースはまだ記憶に新しい出来事でした。
火砕流によって被災した大野木場小学校は、
今も当時の姿のまま保存されています。



隣に建つ大野木場砂防未来館からみた小学校。
校舎の表側は火砕流の裏側にあたるので、
裏側よりは被害がややすくないように見えます。





裏側へ回ってみます。
アルミサッシュの窓枠が完全に湾曲し、
配水管のビニールパイプには焼けこげの跡が残っています。
もっと高温なら校舎もろとも跡形もなく消え去ったのでしょうが、
この中途半端な残り具合が、逆に被災の時を想像させます。



校舎を取り囲む鉄パイプの柵も、
画像の様に相当湾曲しています。






それでも校舎の裏側は思いのほか綺麗です。
保存に際してクリーニングをしたのか、
それとも16年の歳月が、相当すすけていただろう壁面を、
人の記憶から被災が薄らぐ様に、
洗い流していったのでしょうか。



画像をご覧になってもお分かりの様に、
完全に廃墟として保存してあります。

広島の原爆ドームもそうですが、
人は被災地を残す時に、
廃墟とというキーワードを思い出すようですね。


名曲 らんぶる #02

2008-05-31 00:32:18 | 廃墟その他
昨日アップした名曲 らんぶる。
その建物の背後に建つ(残る)建物もまたきになります。



2階への階段屋根はほぼ限界ですね。





上を見上げると、葉にじゃまされていますが、
抜けのいい屋根がみえます。





また昨日アップした一番上の画像の右隅に写る物件。
これはこれでらんぶるとは違った趣があります。
UCカードの看板がひっついていること。
ビニール幌が付いていたと思われる鉄骨があること。
入口のドア以外窓らしい窓がないことなどから、
スナック、パブ、バーのたぐいだったかと思いますが、
らんぶると違って、この店の記憶は全くありません。


名曲 らんぶる #01

2008-05-30 06:36:39 | 廃墟その他


高田馬場から早稲田方面へ早稲田通りをしばらく行った所にある
『名曲 らんぶる』→Mapion
最後の「る」は、もう痕跡も見えませんが、
確かにこの店はらんぶるでした。

学生時代に数えきれない程その前を通り、
そしてその度に気になったルックスは、
画像に写る現在の姿と殆ど変わらないものでした。





見れば見る程気になり、
ある日意を決して入ってみました。
看板に「名曲」とあるので、本来はクラシックを流す、
いわゆる名曲喫茶だったんだと思いますが、
店内に入って聴こえて来たのは、
高校野球を中継するラジオでした。

人を良くした喪黒福造のような主人は、
ラジオ中継に首っ丈で、客が来たのにも気がつきません。
勿論他に客もいません。
しばらくして注文をしようと声を出すと、
悪びれる様子もなく、
あたかもずっと前から高校野球の話をお互いにしていた様に、
極めてしぜ~んに試合経過を話しだしたのには唖然。
あのぉ~、コーヒーをお願いします。と注文すると、
はいはい、ちょっと待ってね~
と言ってカウンターへのそのそと入って行く様子は、
「店」というより「自宅」でした。





ガラス越しにのぞく店内は当時の記憶のまま、
天井に抜けた穴から差し込む陽光が、
スポットライトの様に店内を照らしていました。

もちろんこの後、
この店に行く事は一度も無かった事は、
いうまでもありません。


KFC青山店

2008-05-27 03:47:47 | 廃墟その他
ある日、東京の国道246号線、通称青山通りを渡ろうとした時に、
不思議な光景に出くわしました。



森林の図柄の工事用フェンス越しに六本木ヒルズがニョキっと頭を出し、
その横に静かに佇む、ヒルズとは不釣り合いなどんよりした建物。
この左に写る建物。確かケンタだった筈だけど・・・





ケンタ、つまりKFCの青山店跡。
今では紅白の巻き込み式ビニールシェードだけが、
ここがKFCだったことを思い出させてくれます。

KFCは1970年 (昭和45年) 11月に第一号店が名古屋にオープン、
その翌年の7月、東京進出の第一号店としてオープンしたのが青山店。
当時まだ外食産業が隆盛でもなく、
またチキンだけのメニューにも馴染みのなかった日本では、
それほど受け入れられなかったらしく、
1号店の名古屋店はほどなく閉店してしまったそうです。

そんな中、
KFCを今日の地位にのしあげる最大の要因を作り出したのが、
この青山店だそうです。
ある日、日本に住む外国人が青山店に来て、
「日本ではターキーが手に入らないのでKFCのチキンでクリスマスを祝おうと思う」
と言ったことにヒントを得た営業マンが、
『クリスマスにはケンタッキー』をキャッチフレーズにアピールしたことが功を奏して、
今日のクリスマス=ケンタッキー伝説が誕生したそうです。

この時代、既に街の肉屋さん等の中には、
骨付きもも肉のローストチキンを特にクリスマスの時期にプッシュして、
店頭に並べているところがあった気がしますが、
おそらくその下地もあって、
KFCの伝説が出来上がっていたんではないかと思います。





建物の一面は空地なので、壁面がよく見えます。
ブロックが積んであるので、建物もブロック造かと思いますが、
これは補強の為の後付けで、建物自体は木造だそうです。
さらにこの建物は青山店オープン当時の建物でもあるそうです。(KFC談)





KFC青山店が閉店したのは2006年の11月。
35年もの歴史があったんですね。
閉店から1年半、落書きは結構激しいですが、
それほど痛んでいる様にはみえません。





外階段があったので、ちょっと上まで登ってみました。
打ち捨てられたテラスから、妙に清々しい光景が広がっていました。



小学校の時に初めて体験したKFCは、それまで全く食べた事のない味で、
今でもその衝撃(←大ゲサ)は忘れません。
依頼ずっとKFCにはまりっぱなしですが、
開店当時には、ギザートという今ではないメニューがありました。
おぼろげな記憶を思い出すと、
恐らくレバーのフライだったんではないかと思いますが、
これはKFCの人に尋ねても、既に解らないそうです。

またこれはご存知の方もいるかと思いますが、
チキンを注文する時は部位を指定できます。
KFCで出している部位は
ウイング(手羽)、リブ(あばら)、サイ(腰)、ドラム(脚)、キール(胸)。
の5種類。
お好きな部位を注文してみてはいかがでしょうか。
ただし複数購入する時に、
全部同じ部位にすることは出来ないんではないかと思います。