黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

三池炭鉱 #16:大浦坑

2014-02-08 03:23:37 | ・三池炭鉱
シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回はこのシリーズの最初の頃の三池炭鉱 #03:沿革~後編の冒頭で触れた大浦坑です。

三池炭鉱

明治6年(1873)、官営となった三池炭鉱で、
最初に洋式の炭鉱技術を投入して開削されたのが、
大浦坑でした。
画像は沿革の記事でもアップしました、
『筑後地誌略』に掲載されている官営時代の大浦坑の様子。
※画像はクリックで拡大します
左右のページが一連の場所を表したものなのか、
それとも異なる場所を表したものかは判別しがたいですが、
右頁の蒸気機関で動く巻上機から伸びるワイヤーが、
左頁の斜坑のトロッコに繋がっていると考えると、
途中、多少の省略はあるものの、
一連の場所を表したものではないかと想います。

右頁を見ると、空の炭車は人が押し、
石炭を搭載した炭車は馬が引いているのが見てとれます。
また、右頁の煙突の裏では、
露頭した石炭を手掘りで採掘している様子などが描かれ、
官営時代の炭鉱の様子がわかります。





三池炭鉱

「大浦坑 官営時代の少年労働」と題された写真。
囚人労働が行なわれていたことは龍湖瀬坑の記事でお伝えしましたが、
囚人に限らず、少年も沢山労働力として使われていたんですね。





三池炭鉱

明治22年(1889)の大浦坑。
木造の立屋が建ち並ぶ坑口付近の様子。
明治22年と言えば、三池炭鉱の経営が、
官営から三井になった年。
おそらく官営時代からあった大浦坑を、
三井が記録として撮影したものではないでしょうか。





三池炭鉱

明治31年(1898)の大浦坑。
手前には軌道を走る炭車も写り、
奥の施設からは至る所から蒸気が立ち上っています。
まさにスチームパンク時代の炭鉱の様子ですね。

その後明治40年(1907)に第二斜坑が開削され、
二本の斜坑体制で採掘されましたが、
大正15年(1926)にその役目を終えます。





三池炭鉱

昭和44年(1969)の大浦坑斜坑口。(高木尚雄氏撮影)
大浦坑は戦後一時期復活し、
昭和31年(1956)まで使われて時期があったようです。
なので、昭和44年でも、写真の様に、
そこそこ奇麗な姿て残っていたのだと想います。





三池炭鉱

尚、大浦坑の坑口は2つとも現在でも残存しています。
ただし、市の一般廃棄物最終処分場の敷地内のため、
普段見ることはできません。
画像の右奥に閉塞された坑口の跡があるそうです。
この時は時間もなく、坑口まで見ることはありませんでしたが、
市役所に申請すると見学も可能な様です。

フクダジマ探検記様のサイトページに大浦坑を見学された様子がアップされています。
両坑口の現在の様子もアップされていますので、
是非ご覧下さい。





三池炭鉱

また、以前にアップした三井港倶楽部の記事で触れた、
敷地内の残る『大浦坑遺址』は、
大浦坑で使われていた捲座の礎石、
および明治14年(すなわち官営時代)に造られた油小屋の煉瓦、
を用いて、大浦坑の記念碑として造られたものだそうです。

既に、コンクリートで塞がれ、
往時を偲ぶにはあまりにも姿を変えてしまっていますが、
官営時代の三池炭鉱を今に伝える遺構として、
是非とも残ってもらいたいと想います。



【大浦坑】

福岡県大牟田市大浦町
道が行き止まりになっている所までは行け、
金網越しに坑口を確認することは可能です。

三池炭鉱

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