黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

【特集】中ノ島 #28 御大典記念碑

2017-06-29 02:49:32 | ・特集 中ノ島


軍艦島の隣にある、元祖軍艦島ともいえる中ノ島の特集。
今回は、島内に遺る謎の石碑です。

中ノ島の御大典記念碑
中ノ島の山頂に遺る石碑。クリックで拡大。

画像は、中ノ島の山頂に遺る、
植物がアンコールトム状態でからみついて、
なんのものかまったくわからなかった石碑。

中ノ島のことは、拙書でも常に取り上げ、
その都度「解読不能な石碑」としてきました。
下の部分が礎石で、上部に原石に近い形での石碑が載っている、
ということまではわかったのですが、
とにかく絡み付く枝の量が半端無く、
何度か試みたものの、現地で確認することはできませんでした。

しかし、2016年に発売した、
誰も見たことのない世界遺産軍艦島 DVD BOOK』の取材の際に、
お話を聞きに伺った元島民、石川さんのご自宅で、
驚きの写真を発見。
これがその写真です。

中ノ島の御大典記念碑
中ノ島の山頂に遺る御大典記念碑。クリックで拡大。

くっきりと見える「御大典記念」の文字。
そう、昭和天皇ご即位の記念碑だったんですね。

海上に写る軍艦島の学校7階や3号棟が真新しいので、
昭和30年代の後半頃に撮影されたものでしょうか。

それにしてもこの当時は、
碑の周りにはまったく植物がありません。
昭和が記憶の底に沈んでいくように、
中ノ島に遺る昭和もまた、
大自然の中へと沈んでいくのだと思います。

■シリーズ:中ノ島■
> INDEX

■中ノ島を詳しく知ろう!■
端島ご出身の方の中ノ島調査報告にアップされている、
中ノ島の様々な謎解きのキーをご覧下さい!




■中ノ島へ行こう!■
中ノ島へは対岸の野々串漁港から渡し船が出航しています。
中ノ島へ行って明治の炭鉱と無人島探検を楽しみましょう!

※波のコンディションによって渡れない事も多々あります。。。


【特集】中ノ島 #27 旧竪坑跡

2017-06-28 02:07:20 | ・特集 中ノ島


前回の記事で中ノ島の新聞記事を取り上げたので、
中ノ島の投稿です。

中ノ島の旧竪坑跡
中ノ島の旧竪坑跡。クリックで拡大。

画像は、中ノ島の島内に残る旧竪坑跡。
三菱の経営下になる以前の、
明治13年(1880)年に開削された竪坑です。

以前の記事でも1度とりあげましたが、
その時よりもさらに水位が低く、
竪坑の跡がくっきりと見える画像なので、
アップしました。

高島炭鉱に遺る、
世界遺産<北渓井坑>をご覧になった方はご存知と思いますが、
明治時代初期の竪坑は矩形に造られました。
そして、入気/人員昇降/揚炭の坑と、
排気用の穴が並列しているのが特徴です。
画像右の大きい坑が入気/人員昇降/揚炭用、
左の小さい坑が排気用。

竪坑がこの形で現存するのは、
国内でおそらくこの中ノ島だけではないかと思います。
炭坑遺産、特に明治期の遺産ということであれば、
軍艦島に遺る全ての遺産をもってしても太刀打ちできないくらい、
貴重な遺構です。

■シリーズ:中ノ島■
> INDEX

■中ノ島を詳しく知ろう!■
端島ご出身の方の中ノ島調査報告にアップされている、
中ノ島の様々な謎解きのキーをご覧下さい!




■中ノ島へ行こう!■
中ノ島へは対岸の野々串漁港から渡し船が出航しています。
中ノ島へ行って明治の炭鉱と無人島探検を楽しみましょう!

※波のコンディションによって渡れない事も多々あります。。。


中ノ島、保存と観光見学へ向けて

2017-06-27 04:09:51 | ・特集 中ノ島
2017年5月28日付の長崎新聞の記事になりますが、
やっと中ノ島の保存計画が始動したようです。

長崎新聞:中ノ島特集
長崎新聞/中ノ島特集の1面。クリックで拡大。

中ノ島に関しては、
既に拙ブログにてシリーズでお伝えしているので、
そちらをご覧下さい。

シリーズ:中ノ島~軍艦島の光と影を担った島~ INDEX

軍艦島より早くから開発されたものの、
わずか9年で閉山した不遇の炭鉱。
しかし、人工地盤を築き、炭鉱施設と住宅棟を建設した中ノ島は、
軍艦島の雛形のような島。

そして昭和に入ってからは、
軍艦島の火葬場兼海上緑地公園としてつかわれた、
いわば軍艦島の光と陰を担ったような島です。





長崎新聞:中ノ島特集
長崎新聞/中ノ島特集の1面。クリックで拡大。

そんな中ノ島が、
今後10年をめどにした、観光上陸の計画が発表されました。
世界遺産登の前提条件として、
軍艦島や高島が国の指定史跡に認定された時に、
中ノ島も一緒に認定はされていました。
まだまだ謎が多いため、
世界遺産の構成資産には入りませんでしたが、
やっと中ノ島にも光があたることになって、
とてもよかったと思います。

2005年に最初に上陸した時、
私の軍艦島関連の知り合いの方は誰も上陸したことがなく、
拙blogにアップした数々の炭鉱遺構をご覧になって、
多くの問い合わせて頂たことを思うと、
隔世の感があります。

【特集】中ノ島 #26

2010-06-18 12:53:03 | ・特集 中ノ島


久しぶりに訪れた軍艦島の姉妹島、中ノ島。
今回は南部の岩礁の方へ行ってみようと思いました。



前に訪れた時は気がつきませんでしたが、
以前の記事で触れた、海底電線ケーブルの埋設跡付近に、
階段の遺構らしきものがありました。
一見岩が波浪で削られた様にも見えますが、
実際に登り降りしてみると、とても楽なので、
おそらくかつての人工階段の跡ではないかと思います。







中ノ島南部岩礁の先端です。
中ノ島 #24の記事の最後の画像に写る、
先端の岩礁が少し切り込んだ付近です。
海水が奇麗で、見晴らしも良く、
とても気持ちがいい場所です。

また中ノ島 #24の記事の最後の画像、
中央手前の少し岩礁が白っぽくなっている付近は、
岩場の海岸線にはよくある風景だとも思いますが、
地球外惑星を思わせる光景が広がっています。
※空の色はいじってます。あしからず。。。







無限に広がる無音の荒野。







生命の起源の痕跡を残す様な水たまり。







かつて大氷河が削り取った様な跡を残す岩。







明治の炭鉱よりも遥かに遠い時の記憶も、
この島には刻まれているんだと思います。



■シリーズ:中ノ島■
> INDEX

■中ノ島を詳しく知ろう!■
端島ご出身の方の中ノ島調査報告にアップされている、
中ノ島の様々な謎解きのキーをご覧下さい!




■中ノ島へ行こう!■
中ノ島へは対岸の野々串漁港から渡し船が出航しています。
中ノ島へ行って明治の炭鉱と無人島探検を楽しみましょう!

※波のコンディションによって渡れない事も多々あります。。。




【特集】中ノ島 #25

2010-06-17 02:31:55 | ・特集 中ノ島


久しぶりに訪れた軍艦島の姉妹島、中ノ島。


※画像はクリックすると拡大します。

以前の記事でアップした旧竪坑跡の穴は、
その様子がよくわからない画像だったので、
今回はわかる画像を撮影しようと思いましたが、
また失敗。(泣)
以前とあまりかわりませんね。
今度は広角レンズを持って行こうと思います。
竪坑跡の穴をいい感じに撮影してくれる人、
誰かいないでしょうかね。。。






※画像はクリックすると拡大します。

島頂上部の第一休憩所は、
今回も鬱蒼と木が生い茂り、ほどよいLOST感です。






※画像はクリックすると拡大します。

緑地公園に整備された時に桜が植えられた話は以前しましたが、
花見の後に置き忘れたとおもわしき一升瓶が、
根元に瓶が食い込んでしまった木も健在。
画像は5年前の物ですが、今年もそれほど
食い込みが激しくはなってはいませんでした。






※画像はクリックすると拡大します。

展望台、通称「神殿」も健在ですが、
以前よりコンクリートのクラックが進行している様に見えます。
植物に邪魔をされて、以前からとても展望はできませんでしたが、
以前にもまして神殿自体の全貌をみることも出来なくなっていました。






※画像はクリックすると拡大します。

以前アップしたシリーズ記事では取り上げなかった、
神殿のすぐ横にある石碑。
ご覧の様に南無妙法蓮華経の文字が彫られていますが、
果たしてお墓なのか石碑なのかはわかりません。
裏に沢山字が彫られていますが、解読不能。
次回いったら、読解にトライしてみようと思います。






※画像はクリックすると拡大します。

前回の記事でアップした、
軍艦島を展望できる場所のすぐ近くにある石碑跡。
前回訪れた時は完全に木に覆われて、
全く確認できませんでしたが、
あれから木が成長し、石碑の周囲に空洞が出来ていたので、
石碑の形をかろうじて確認できました。
どうやら土台には台形の石がおかれ、
その上に不定形の石が乗っているようです。

しかしわかるのはそこまでで、
あいかわらずこれがなんの石碑かは、
全くわかりません。
そのためには石碑に絡み付く、
植物を全部伐採しなくてはなりませんが、
ありえないほどいい感じで絡み付いているので、
それもしのびなく感じます。

■シリーズ:中ノ島■
> INDEX

■中ノ島を詳しく知ろう!■
端島ご出身の方の中ノ島調査報告にアップされている、
中ノ島の様々な謎解きのキーをご覧下さい!




■中ノ島へ行こう!■
中ノ島へは対岸の野々串漁港から渡し船が出航しています。
中ノ島へ行って明治の炭鉱と無人島探検を楽しみましょう!

※波のコンディションによって渡れない事も多々あります。。。



【特集】中ノ島 #24

2010-06-16 00:52:43 | ・特集 中ノ島


久しぶりに軍艦島の姉妹島、中ノ島を訪れました。
最後に訪れたのが2005年なので、5年が経ちましたが、
島内は思いのほか変貌を遂げていました。


※画像はクリックすると拡大します。

以前の記事にアップした船着場が、
かなり崩壊しています。
折れ曲がった船着場の、海側の部分半分が、
崩れてしまったんですね。
5年前に、船着場の根元にあった煉瓦の塊も、
どこかへ消えてしまっています。






※画像はクリックすると拡大します。

以前の記事2番目の画像の左に写る、
上陸してすぐのところにある高台への階段も、
いつのまにか崩壊し、
容易に登ることができなくなっていたので、
とりあえず迂回して高台を目指すことにします。
その途中から見えた朝日を浴びる軍艦島。
以前は霧だったり曇りだったりでしたので、
海の色はそれほど奇麗ではありませんでしたが、
この日はほぼ快晴だったので、海も真っ青です。






※画像はクリックすると拡大します。

島の頂上までの行程は次回アップするとして、
軍艦島が空撮感覚で撮影できるポイントからの眺めです。
ここは『軍艦島全景』の表紙画像と同じビューポイントです。
全景の表紙の画像を撮影した時は霧が出ていたので、
水平線がぼやけて幻想的な雰囲気でしたが、
今回はご覧の様に大快晴なので、
みえかたも全然違います。






※画像はクリックすると拡大します。

岩礁の南部方面を一望です。
画像手前に写る階段は、以前はかろうじて昇降できましたが、
今回は崩壊と完全に植物に覆われて、
通行不可能な状態になっていました。
それにしても海が奇麗すぎます。
海の奇麗さに見とれて、殆ど撮影してません。






※画像はクリックすると拡大します。

10時頃でしょうか。上陸ツアーの船、
やまさ海運のマルベージャ号がやって来ました。
南部方面の岩礁を上から見ると、
途中に海で寸断されているところがあります。
満潮の時は画像の様に海水で埋もれますが、
干潮になると人工の渡り橋が現れ、
先端まで行く事ができます。

今回は中ノ島の先端も行ってみました。
次々回の記事でアップしようと思います。

■シリーズ:中ノ島■
> INDEX

■中ノ島を詳しく知ろう!■
端島ご出身の方の中ノ島調査報告にアップされている、
中ノ島の様々な謎解きのキーをご覧下さい!




■中ノ島へ行こう!■
中ノ島へは対岸の野々串漁港から渡し船が出航しています。
中ノ島へ行って明治の炭鉱と無人島探検を楽しみましょう!

※波のコンディションによって渡れない事も多々あります。。。



【特集】中ノ島 #23

2005-11-01 01:27:38 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
第2回探索レポートの最終回です。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は岩礁頂上部付近から撮影した軍艦島です。
軍艦島の創業時の写真に、
おそらく中ノ島のこのあたりから撮影したと思われる写真があります。
その写真も画像のように右上に木の枝が写り込んでいます。
この光景を見た時にここから撮影したのだと思いシャッターを切りました。
しかし帰ってからその写真を見ると、
もっと低い位置から撮影し、右上に写る木も松でした。

この画像以外にも
昔の写真はここから撮ったんだなと思って撮ってみたものの、
実際見るとかなりずれてることが多く、
次回探索の時はコピーを持参で、ちゃんと同じ位置から撮影してみようと思います。






※画像はクリックすると拡大します。

画像は小さな岩礁の上から大きな岩礁の方をみた光景です。
画像下に見えるのが、
何度となくとりあげてきた遺構が沢山ある高台平坦地で、
右寄りの茂みの中に旧井坑跡や仏像群があります。






※画像はクリックすると拡大します。

細長いひょうたん島のような形をした中ノ島。
結局今回の探索は、前回より一層謎を残して終わりました。
南部の岩場に残るケーブルと石畳は、果たしてなんのためのものだったのか?
島内に残存する煉瓦遺構は、果たして総て火葬施設だったのか?
蒟蒻煉瓦と豆腐煉瓦は、果たして同じ時期に作られていたのか?
謎の新井坑は、果たして内海側の海岸線の窪みの位置にあったのか?
岩礁の至る所にあけられた杭穴らしきものは、果たしてなんだったのか?

それら沢山の謎を含めて、
また今回も、中ノ島の強烈な時間旅行に乗っかってしまいました。
前回もそうでしたが、中ノ島の記事をアップしている間は、
現実を生きている感じがしません。
今最終回をアップして、やっと日常に戻ってきた気がします。
それ程この島は強烈に時間旅行をさせてくれると思います。
今回も最高の時間旅行が楽しめました。
(楽しめたのはわたしだけかもしれませんが ^^;)
>この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!

【特集】中ノ島 #22

2005-10-31 01:43:40 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
煉瓦に関する話がもう一つあるので、
前回に引き続きアップします。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は中ノ島の隣の島、高島にある明治時代の竪坑跡<南洋井坑>です。
メインのみちから入った所にひっそりと佇んでいる、
看板がないとそれと解らないくらい地味に残存する遺構です。
かろうじて3面残る煉瓦は、かつて竪坑の内壁を覆っていた煉瓦だと思います。






※画像はクリックすると拡大します。

南洋井坑の煉瓦面をアップした画像です。
この煉瓦が気になったので、
前回同様ほぼ正面画像で縦横比を計ってみました。
すると
長い側面は20:5.3
短い側面は10:5.3
でした。
中ノ島内に残る厚めの煉瓦よりも更に若干厚いことになります。

南洋井坑は、『高島炭鉱史』によると、
明治4年(1871)~明治25年(1892)の間稼働した竪坑なので、
中ノ島が炭鉱として操業していた
明治17年(1884)~明治26年(1893)の時に、
既に厚みのある煉瓦が長崎で使用されていたことになります。

これからわかることは、
「中ノ島の島内に残る厚みのある煉瓦遺構が、
蒟蒻煉瓦の遺構より早い時期に作られた可能性もあるのではないか」
ということです。

さらに煉瓦といえば、最近気になる所があります。
オープロジェクトのメンバー大西氏が先日ロケハンで行った西表炭鉱の画像をご覧下さい。
画像に写る遺構の煉瓦が<蒟蒻煉瓦>のように見えます。
この記事の前後には、何枚かの画像がアップされていますが、
本人の話だと、薄いのもあれば厚いのもあったと言うことです。
果たして蒟蒻煉瓦は、沖縄そして西表でも使われていたのでしょうか?
因みにこの炭鉱は明治期から大戦前まで稼働していました。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!

【特集】中ノ島 #21

2005-10-31 01:11:00 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今回は中ノ島の煉瓦に関してです。

中ノ島内に残存する遺構の幾つかには、
初期長崎で製造された、現代の煉瓦より薄い<蒟蒻煉瓦>といわれる
煉瓦が使われていることは既にお伝えしてきました。
記録に残る、国内で最初に焼かれた建築用煉瓦が、
オランダ人技師ハルデス氏により長崎で作られた蒟蒻煉瓦でした。
ネットなどで調べると、その特徴は厚さが4cmということでした。




画像は南部岩礁地域に残存する
矩形煉瓦遺構(【特集】中ノ島 #02の中段)の壁面です。
偶然にもほぼ正面から捉えた画像があったのでアップします。
画像の部分を拡大して、幾つかの煉瓦の縦横比をサンプルし平均してみると、
長い側面のモノは20(ないし21):4
短い側面のモノは10:4
でした。







次に内海側海岸線の半壊護岸の上に残存する、
矩形石組と煉瓦複合遺構(【特集】中ノ島 #03の最下段)の
すぐ横にある小屋状の煉瓦建造物の壁面の画像です。
これもほぼ正面から撮影していたので、
煉瓦の縦横比を計る参考になりました。
上記同様幾つかのサンプルを平均化してみると、
長い側面のモノは20(ないし21):5
短い側面のモノは10:5
でした。またこの遺構以外にも、







高台平坦地にある火葬炉の壁面(画像)や、
また同じく平坦地にあるなんらかの小屋状の煉瓦建造物の壁面も、
正面から捉えた画像があったので計ってみましたが、
その比率は
長い側面のモノは20(ないし21):5
短い側面のモノは10:5
でした。

ちなみに煉瓦の積み方ですが、
島内に残る全ての煉瓦遺構の積み方は、
一段長い面をずらっと並べたら、次の段は短い面をずらっと並べる、
所謂イギリス式積み方です。

さてここで気になるのは、JIS規格で決められている現代の煉瓦は、
上記の比率で言うと厚みが「6」になります。
つまり、明らかに蒟蒻煉瓦とわかるそれは別として、
それ以外の煉瓦も現代の煉瓦よりは薄い作りになっているということです。
この特集をアップするにあたって、何度となく煉瓦の画像をみましたが、
時に豆腐煉瓦と記憶していた場所の煉瓦が、蒟蒻煉瓦にみえたりしていたのは、
カメラレンズによる歪みや撮影角度が、
この微妙な誤差をより曖昧にしていたのだと思います。

※縦横比の計測は、あくまで正面画像からのものですので、
次回探索のときには正確に計ってみたいと思います。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!

【特集】中ノ島 #20

2005-10-30 00:52:04 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
第二回探索レポートも、もう終わりに近付いてきました。
今回は、島内に残る、殆ど何の施設跡か全く解らない遺構です。



※画像はクリックすると拡大します。

画像は船着場近くの高台平坦地に残る、煉瓦製の建物らしき遺構です。
この裏にはトイレ(【特集】中ノ島 #06 最下段)があります。
壁の煉瓦すでにお伝えしてきた蒟蒻煉瓦よりは厚く、現在の煉瓦より薄い、
中ノ島内で最も多い厚みの煉瓦でできています。
内部は外観通りの四角い空間が広がり、
床は現在の地表レベルよりやや下がっています。
また画像に写る入口と反対側の壁には、
窓とも換気穴ともとれるくらいのおおきさの穴があります。

かつて戦後すぐくらいまで<中ノ島牧夫>という役職があり、
中ノ島でヤギ、ウサギなどを飼育していたそうなので、
その関連施設かとも思いましたが、人が使うにはかなり狭く、
全くなんの遺構かわかりません。






※画像はクリックすると拡大します。

画像は同じ高台の平坦地の、外海側の傾斜に残る遺構です。
あきらかに岩を人工的に削り、なにかを流していた溝かと思いますが、
溝の床面が赤茶色に変色しています。
前回の上陸時にも気になりましたが、今回は天気がよく、
溝床の色がはっきりと解るのでアップしました。
成分を化学的に調べれたりすれば、すぐに解るのでしょうが、
全くなんの遺構かわかりません。






※画像はクリックすると拡大します。

画像はまたまた同じく高台平坦地の、
溝とは反対側の内海側のヘリに残存する煉瓦遺構です。
これまで島内の煉瓦遺構はいろいろ見てきましたが、
この人の腰ぐらいの高さのそれ程大きくない煉瓦遺構は、
特に中が空洞になっているわけでもなく、
周囲になにかあるわけでもなく、
全くなんの遺構かわかりません。






※画像はクリックすると拡大します。

また画像は岩礁の頂上付近の遊歩階段の脇に残る鉄パイプ状の遺構です。
どうやら管状で、地盤に埋め固めてあるようですが、
場所は岩礁の頂上付近なので、
果たして低地からここまでずっと繋がっているものでしょうか?
そして既に埋まっていますが、管状な事を考えると、
水道管のようなものでしょうか?
全くなんの遺構かわかりません。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!

【特集】中ノ島 #19

2005-10-29 00:52:16 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今日は北部海岸線に残る人工路盤跡です。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は、中ノ島の最北部の海岸線にある人工通路らしき跡です。
海の向こうに見えるのは高島です。
波打ち際には、殆ど岩礁と同じ色ですが、
明らかに人工的に作ったと思われる構造物があります。
中ノ島の特集では、何度となく海岸レベルより遥かに高く作られた、
人工地盤の話をしてきましたが、
この遺構はほぼ海面レベルで作られています。
更に人工通路の一部は、その作りが海の方向へ向かって
延びていたのではないかと思われる部分もあります。

ここで思い出すのは端島の旧船着場のことです。(このページの最下段の解説
かつて端島には、島の最北端にも船着場がありましたが、
同様に中ノ島も、その昔、この最北端の場所に船着場があったのではないでしょうか?
高島の石炭資料館の中にある中ノ島の昔の写真を見る限り、
この付近に船着場と思われるようなものは確認できませんが、
あったとしても、恐らく岩礁の一部と見間違えるような構造だと思います。
(船が停泊していたりすればそれとわかりますが)
可成りの高さに構築した人工地盤に比べて、
この遺構のあまりの低さに、何らかの意味があるのではないかと思いました。






※画像はクリックすると拡大します。

また画像は、すこし外海側へ進んだ所に残る、
これも人工路盤の一部と思われる遺構です。
かなり崩れていますが、逆にその崩れた断面から、
当時どのようにして路盤を作っていたかがわかります。
かなり大きめの石を詰め、回りをコンクリで固めただけの、
極めてシンプルなものです。
鉄筋もなにも入っていないので、時間とともに崩壊したのでしょう。
そしてこの先の外海側には、人工路盤的なものはみあたりませんでした。

船着場の話は別にしても、
この2つの地点は、まだ中ノ島が岩礁だった時代、
切り立った岩に海が鋭く入り込み。
人が行き来できない状態になっていたのではないかと思います。
この路盤をつくることによって初めて
島を一周できるようになったのではないでしょうか。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!

【特集】中ノ島 #18

2005-10-28 00:32:02 | ・特集 中ノ島

  
軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今回は島内に残る、なんかの杭を打ち込んだ痕跡についてです。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は、島南部の岩礁部分に残る、
規則正しくあけられた穴の痕跡です。
直径は30cm位でしょうか。
穴の中には、相当朽ちていますが、木部の残骸がしっかり残っています。
この画像は今回の探索の時に撮影したものですが、
前回の探索時にも、沢山の<杭穴>を発見しました。






※画像はクリックすると拡大します。

画像は、島北部の階段近く(【特集】中ノ島 #07の最下段)の岩礁一面に残る<杭穴>の一つです。
この一帯には、かなり多くの穴が確認できます。






※画像はクリックすると拡大します。

またこの画像は、南部岩礁のかなり高い位置に残存する、
なにかの受け口とおもわれる構造物です。

中ノ島の操業時の写真をみると、
いずれの場所にも木造とおもわれる建物が建っています。
それらは、築堤された護岸によって作られた、
現在よりも遥かに高い位置の人口地盤に建てられていたと思われますが、
これらの穴は、人工地盤に不安を抱いた明治の人たちがとった、
安心の痕跡なのかもしれませんね。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!

【特集】中ノ島 #17

2005-10-27 02:19:59 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今回は内海側海岸線沿いに残る、何らかの穴の遺構です。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は、前回の探索の時に撮影した、内海側海岸線の波打ち際に残存する、
何らかの穴を埋め戻したと思われる窪みです。
場所は半壊護岸の上に残る矩形石組遺構(【特集】中ノ島 #03の真中の画像)の、
すぐふもとの位置にあります。
この時は窪みよりも周囲のコンクリ製の枠に気を取られ、
それに焦点をあてて見ていたため、
画像では窪みの存在が余り明確にわかりませんが、
その後この窪みの位置が、中ノ島に2つあった竪坑のうちの、
新しいもの<新井坑>の位置にかなり近いことに気が付きました。






※画像はクリックすると拡大します。

画像は今回の探索で、
上記の石組矩形遺構のある半壊護岸の高さから撮影したモノです。
海岸レベルではわかりにくかった周囲のコンクリ製の枠と、
中央の穴を埋め戻したと思われる範囲がはっきり解ります。
近くでみると、窪んだ部分の周囲には、
明らかに岩礁を人工的に削った跡があり、
また窪みの径は、極めて目算ですが、
船着場近くの高台に残る旧井坑(【特集】中ノ島 #03の上段の画像)と、
ほぼ同じくらいの規模(やや小さめ)です。
また陸側の岩礁の中腹に、しっかり打ち込まれた鉄製の留め具がありました。
残念な事に、それ以外は何もみつからず、
また窪みも、かつてそれが深い穴だったかどうかを知る痕跡は、
どこにもありませんでした。

中ノ島の操業当時の写真をみると、
岩礁の右奥に櫓らしき構造物が見えますが、
おおまかに言って、この窪みの位置に匹敵します。
また岩礁との距離を考えると、かなり波打ち際に建っているように見えます。
これらの事から、この窪みは、中ノ島にあった、
第二の竪坑<新井坑>を埋め戻した跡ではないかと思われます。

※この島の全てのものがそうであるように、
この窪みに関しても、確かな証拠は何もありません。
今後、未見の写真や文献資料などがみつかり次第、
随時情報をお伝えしていきたいと思います。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!

【特集】中ノ島 #16

2005-10-26 01:18:24 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
前回の探索で2体確認できた地蔵尊のその後です。

奈良原一高氏の写真集『人間の土地』には3体写る地蔵尊。
前回の探索では2体しか確認することができませんでした。
しかもそのうちの一体は、地表に倒れ込んでいました。
倒れた地蔵尊を起こす場合の方法がわからず、そのままにして帰りましたが、
その後、ある方からの連絡で、倒れた地蔵尊が起こされたことを知りました。
また、今回の探索はオープロジェクトのメンバーおよび、
軍艦島オデッセイに写真を提供して頂いているlon-sinさんとの探索でしたが、
lon-sinさんから、その後更に3体目の仏像を土中に発見し、
起こしたというお話を伺いました。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は、前回の探索の後に起こされた2体の仏像です。
手前が土中から発見された観音様に見える仏像、
奥が、前回土中に倒れ込んでいた、子供ないしは花を抱く仏像です。
こうやって並んでいるのをみると、
光背の形などがすごく似ていることがわかります。






※画像はクリックすると拡大します。

ちなみに手前の仏像の光背の裏をみると、
「昭和三十年三月吉日」の日付と数人の人名が刻まれていました。
※人名は、まだ生きておられる方もいるかと思い、トリミングしました。
残念ながら他の仏像には、年号らしきものを見つけることができませんでしたが、
もしかしたら土中に埋まる台座などに刻まれているのかもしれません。
昭和三十年と言えば、奈良原氏が『人間の土地』を発表する1年前のことですが、
確かに奈良原氏の写真に写る3体の仏像はとても奇麗にみえます。
おそらく設置されてまもなくここを訪れた時に撮影したのでしょう。
ともあれ何十年かの時を越えて、再び3対の仏像が立ち並んだことになります。

合掌

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!


【特集】中ノ島 #15

2005-10-25 10:05:39 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今回は、前回の探索で行きそびれた、
船着桟橋近くの高台に残る火葬炉跡です。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は船着桟橋を降りて直ぐの護岸高台を見上げたところです。
手前に綺麗な煉瓦、奥に色褪せた煉瓦の構造物が見えます。
前回の探索では、時間切れで近くへ行けなかったので、
今回行ってみることにしました。






※画像はクリックすると拡大します。

鬱蒼と茂る低木の中を進んでたどり着くと、
そこには画像のような施設跡がありました。
中ノ島内の火葬施設に関して詳しく書かれた『廃墟探索』の情報や、
室内の燃焼跡の状態、
以前アップした高台平坦地の火葬炉との類似点などから、
恐らくこれも、複合式火葬炉跡だと思います。

前回の探索で見た火葬炉を仮にA火葬炉、今回のをB火葬炉とすると、
BはAに比べて、両室内の横幅が狭く、
Aは排煙口が奥の壁面にあるのに対して、
Bは奥の天井にあることなどの違いがあります。
またAには扉はありませんでしたが、
Bには画像でもわかるように鉄の扉が残存しています。

中ノ島の煉瓦遺構を見て思うのは、
その発色がとにかく良いことです。
恐らく風雨を直接受ける場所にあるため、
常に洗われている状態だからだと思いますが、
この火葬炉は木立に囲まれているせいか、
山中などにある他の廃墟の煉瓦遺構同様、
それ程綺麗な色をしていません。
また風通しが悪いせいか、
この施設が使われていた当時の空気感のようなものが、
今でもあたりに漂っているのを感じました。
軍艦島で仕事をし、この島で荼毘に臥された方々のご冥福を、
心からお祈りします。

合掌

追記:
この施設は、一つ上の画像でいうと、奥の色褪せた煉瓦構造物の方で、
手前に写る色の鮮やかな煉瓦構造物を見忘れてしまいました。
次回再探索の際に、また行ってみようと思います。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:中ノ島■ INDEX

【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
            通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!