シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は勝立坑です。
前回までは官営時代に開削された竪坑をアップして来ましたが、
今回からは三井時代に開発された竪坑です。
写真は明治31年(1898)の勝立坑。
勝立坑は元来官営時代に着手されていましたが、
三池炭鉱の最大の大敵である大量の地下水に阻まれ、
結局操業することは無かった竪坑でした。
それを三井の時代になって、
團琢磨が当時国内最大であるデビーポンプを導入することで、
湧き水問題を克服し、操業に至った竪坑でした。
デビーポンプ原動部分の据付けと題された写真。
デビーポンプに関しては既に沿革~後編や宮原坑の記事でお伝えしましたが、
写真に写る竪坑櫓の手前側のものがデビーポンプだと想います。
また、写真に写る竪坑櫓は、
現存する万田第二竪坑や宮原第二竪坑の櫓のように、
細かな鉄骨の組み合わせではなく、
シンプルな鉄骨構造の櫓だったことが分かりますが、
現存しない宮原の第一竪坑もまた同様の構造の櫓ででした。
沿革~後編の記事でもアップしましたが、
改めて当時国内最大だった勝立坑のデビーポンプ。
写真は昭和14年(1939)の勝立二坑跡俯瞰と題された写真。
勝立坑は第一竪坑が明治28年(1895)、
その第二竪坑が翌年に始動し、
昭和3年(1928)まで操業した竪坑でしたが、
実は第二竪坑は、
昭和23(1948)年に一度再開坑され、
再び昭和25(1950)年に再閉坑されています。
その理由はわかりませんが、
勝立坑は操業が終わったあとも閉坑せずにいたので、
戦後の一時期、再開坑出来たのだと想います。
一般的に明治時代の竪坑は四角く造ることが多いですが、
この竪坑の跡は円形をしています。
写真は昭和14年(1939)の勝立坑跡竪坑櫓台座と題された写真。
1つ上の写真を見ると、第二竪坑の周囲には、
壁状の構造物が隣接していますが、
この写真の周囲には、壁状のものが隣接していないので、
この竪坑は第一竪坑の跡ではないかと想います。
写真を見る限りこの竪坑も閉塞していないように見えます。
またこちらの竪坑は四角い穴のように見えます。
現在の勝立坑第二竪坑跡。
(大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在では第二竪坑の基礎部分の一部が残るのみです。
コンクリートの塊の下部を見ると、
煉瓦造りのアーチ状の構造が見えますが、
これがおそらく2つ手前の写真の、
右寄りに写る部分だと想います。
◆
【勝立坑】
福岡県大牟田市新勝立町
ここも今回の見学では訪れていないので詳細はわかりませんが、
竪坑の基礎までは近づける様です。
google map の航空写真を見ると、
四角い構造物がはっきりと分かります。
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は勝立坑です。
前回までは官営時代に開削された竪坑をアップして来ましたが、
今回からは三井時代に開発された竪坑です。
写真は明治31年(1898)の勝立坑。
勝立坑は元来官営時代に着手されていましたが、
三池炭鉱の最大の大敵である大量の地下水に阻まれ、
結局操業することは無かった竪坑でした。
それを三井の時代になって、
團琢磨が当時国内最大であるデビーポンプを導入することで、
湧き水問題を克服し、操業に至った竪坑でした。
デビーポンプ原動部分の据付けと題された写真。
デビーポンプに関しては既に沿革~後編や宮原坑の記事でお伝えしましたが、
写真に写る竪坑櫓の手前側のものがデビーポンプだと想います。
また、写真に写る竪坑櫓は、
現存する万田第二竪坑や宮原第二竪坑の櫓のように、
細かな鉄骨の組み合わせではなく、
シンプルな鉄骨構造の櫓だったことが分かりますが、
現存しない宮原の第一竪坑もまた同様の構造の櫓ででした。
沿革~後編の記事でもアップしましたが、
改めて当時国内最大だった勝立坑のデビーポンプ。
写真は昭和14年(1939)の勝立二坑跡俯瞰と題された写真。
勝立坑は第一竪坑が明治28年(1895)、
その第二竪坑が翌年に始動し、
昭和3年(1928)まで操業した竪坑でしたが、
実は第二竪坑は、
昭和23(1948)年に一度再開坑され、
再び昭和25(1950)年に再閉坑されています。
その理由はわかりませんが、
勝立坑は操業が終わったあとも閉坑せずにいたので、
戦後の一時期、再開坑出来たのだと想います。
一般的に明治時代の竪坑は四角く造ることが多いですが、
この竪坑の跡は円形をしています。
写真は昭和14年(1939)の勝立坑跡竪坑櫓台座と題された写真。
1つ上の写真を見ると、第二竪坑の周囲には、
壁状の構造物が隣接していますが、
この写真の周囲には、壁状のものが隣接していないので、
この竪坑は第一竪坑の跡ではないかと想います。
写真を見る限りこの竪坑も閉塞していないように見えます。
またこちらの竪坑は四角い穴のように見えます。
現在の勝立坑第二竪坑跡。
(大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在では第二竪坑の基礎部分の一部が残るのみです。
コンクリートの塊の下部を見ると、
煉瓦造りのアーチ状の構造が見えますが、
これがおそらく2つ手前の写真の、
右寄りに写る部分だと想います。
◆
【勝立坑】
福岡県大牟田市新勝立町
ここも今回の見学では訪れていないので詳細はわかりませんが、
竪坑の基礎までは近づける様です。
google map の航空写真を見ると、
四角い構造物がはっきりと分かります。
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