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【革新官僚は】なぜ官僚は「無責任」なのか【全員無罪?】

2006年07月14日 03時20分38秒 | 社会と教育
  私が思うに、官僚主義国家の重大な欠点は、「国家に対して役人自身が責任を取らない」という点にあります。

  最初に断っておきますが、私は官僚が「無能」などと言うつもりはありません。有名大学を出て、難関である国家公務員試験に受かった人々が、事務処理能力や記憶力、理解力という点で、そうでない人たちより上だと言うことは間違いありません。
  しかし、忘れてはならないことがあります。官僚はどんなに優秀でも、国家の中では「道具」にすぎないということです。 

  たとえば、中国の王朝と「科挙」(6世紀末から行われている役人登用試験)で選ばれた官僚の関係を考えると分かりやすいです。国家は皇帝とその一族のものです。そして、科挙官僚は、その道具でしかありません。科挙に合格した人間が皇帝になった例はありません。
  しかし、これはそれほど悪いことではないのです。なぜなら、反乱が起こって国家が転覆されても、科挙官僚は処刑されることがほとんどなく、新しい支配者の道具となって働くことができるからです。
  南宋の丞相であった文天祥(詳しくは●こちら)は、侵略者である元と徹底的に戦いましたが、捕まったあと、敵であるフビライ=ハンから出仕するよう要請されています。文天祥は20歳で科挙に合格した天才ですから例外だとしても、きっと同様のフビライの呼びかけ(脅迫?)に応じて、新王朝の政務に携わった官僚もたくさんいたことでしょう。新しい支配者にとって、いかに科挙官僚が貴重な「道具」だったかを示す格好の例です。
  これとは逆に、旧王朝の皇帝やその一族は悲惨です。必ず皆殺しにされ、宮殿は焼かれ、墓まで暴かれてしまいます。それどころか、隋の煬帝のように、生前の本人を辱めるような諡号(しごう)まで付けられてしまうこともありました。(煬帝の「煬」は「あぶる」とか「 あぶって乾かす」という意味があり、人民を火であぶるように搾り取ったことを示している)
  つまり、国家の持ち主である皇帝一家は、どこかで必ずババを引く運命にあるわけですが、科挙官僚は新支配者の顔色さえ窺っておけば、基本的に詰め腹を切らされることはないということです。

  建国以来「天皇家」という王朝は一度も交替したことがない日本ですが、実はこういう科挙官僚のような生き方をした人々がいました。それが「革新官僚」です。

  革新官僚というのは、戦時中にいわゆる総動員体制を作り上げる時重要な役割をした人々を言います(詳しくは●こちら)しかし、ここでは少し意味を広げて、企画院やそれに類する機関で働いていた若手・中堅の官僚という風に考えてみましょう。その多くは、満州国の建国に携わっており、当地での経済統制が成功したため相当自身の手腕に自信を持っていました。
  ちょうど日本が大戦への道を突き進む時代の政治には、一つの特徴があります。それは、総理大臣の在職期間(つまり、内閣の存続期間)が非常に短いということです。満州事変から敗戦までの15年で、実に16もの内閣が成立しています。
  もちろん、当時の内閣は閣内不一致があると解散に追い込まれるという仕組みになっており、軍人が内閣に参加するようになってその傾向が強まったという事情はあります。しかし、それはあくまで二次的な要因でしょう。そもそも、こんなに頻繁に内閣が交替しても、国として機能しているということは、内閣(政治家)以外の連中が国家を運営していたということです。
  つまり、戦争の時代とは、政治家が無力化し、官僚(軍人も広い意味では官僚に当たる)が国家を牛耳った時代でもあったのです。

  重要なのは、こういった人々の思想的バックボーンです。
  ●こちらのサイトに興味深い記述があります。

(以下引用)

  転向した知識人,あるいは幅広い意味での左翼思想の影響を受けた知識人の果たした役割は決定的に大きかったと思う。彼らの一部は企画院などの国家官僚になったものもいる。また,昭和研究会で近衛内閣のブレーンとなったものもいる。満鉄調査部にはプロレタリア文化運動の経験者が多い。これは,最近よく論じられる戦前・戦後の継続の問題にもつながる。ある旧制高校では「マルクス派」の方が多数派だった時期がある。その彼らが戦時から戦後にかけて国家官僚として「統制経済」──戦後改革─―高度経済成長政策をリードしたのである。これは,体制再統合に成功した疑似革命ないし「受動的革命」過程といえるかもしれない。その意味で,戦前に社会科学の洗礼を受けた旧制高校―帝大卒の国家官僚の果たした役割は決定的である。

(引用以上)

  「企画院」というのは、簡単に言えば総動員体制を中心になって作った機関、つまり革新官僚の牙城です。「プロレタリア」と付いていれば、社会主義の活動であることは間違いありません。

  なんと、戦中や戦後間もなく官僚になった人々は、マルクス主義のシンパが多かったというのです。マルクス主義というのは、言うまでもなく社会主義、共産主義の思想です。
  皇国の国体護持・・・などと言い、治安維持法で社会主義者を取り締まっていた時代にですよ。国家を実質取り仕切っていた連中が社会主義者だったというのです。これにはちゃんとした理由があります。

  まず、革新官僚が、純粋培養された「エリート」だったことです。社会主義というのは「完全無欠の机上の空論」です。つまり、マルクスの本の中だけなら、初めから終わりまで何の矛盾もなく世界の仕組みを説明できるということです。革新官僚の多くは旧制中学、いわゆるナンバースクール出身ですから、勉強ばっかりしていて、世間のどろどろした部分のことは全然わかりません。だから、そういう無菌室のような「机上の空論」には弱いのです。(今でも、共産党の「大卒」党員は、東大上がりが多い)
  彼らの性質は、政治家と言うより学者に近いものがあるといってもいいでしょう。だから、完璧で、淀みも歪みもない理想の世界が実現できると信じてしまうわけです。
  もちろん、執務中に「インターナショナル」を歌う馬鹿(笑)はいなかったでしょうが、人為的に理想国家を作り出せるという発想は、革新官僚たちにかなりの影響を与えていたはずです。

  また、軍国主義を標榜する陸軍と利害が一致していたという点も見逃せません。
  陸軍は日露戦争後も一貫して膨張し続けており(パーキンソンの法則を思い出すと良い)、中国やソ連を敵国とした「仕事」を作る必要がありました。かといって大陸で戦線を拡大すれば、当然ながら続々と死者が出ます。それに対する批判を封じ込めるには、全体主義で行くしかないのです。ちょうど、今の北朝鮮や中国、ロシアがそうであるように。
  この全体主義というのは、革新官僚が大好きなマルクス主義=社会主義とも共通する点です。だから、陸軍と革新官僚は、仲良しだったということです。表の主役は軍人さん(陸軍)、裏の主役はお役人(革新官僚)とでもいったところでしょうか。

  しかし、ここで疑問が浮かびます。なぜ日本を一時的に支配した「連合国軍総司令部」(GHQ)は、国家を実質的に運営していた社会主義者の革新官僚を真っ先に始末しなかったのでしょう?
  ここで、一番先に挙げた「道具としての官僚」を思いだしてください。官僚は、新しい支配者に黙って仕えていれば、詰め腹を切らされることはないという特質がありました。
  確かに、革新官僚でも、閣僚経験者やそれに準じる人間(たとえば、戦後首相になった岸信介など)は戦犯ということで公職追放になったりしました。しかし、革新官僚だった人物で、処刑台の露と消えた人物は一人もいないのです。
  もちろん、憎き鬼畜米英に対してテロを起こす革新官僚も、天皇陛下の為に割腹自殺をする革新官僚もいませんでした。それどころか、戦犯となって公職追放になった者以外のほとんどが、戦後も省庁の中でのうのうと生きながらえたのです。
  それも当然でしょう。なにしろ、彼らは、自分の仕事さえ出来れば、主人は誰だろうと構わないのです。

  そういう革新官僚たちが、戦後の日本で、自分たちが夢にまで見た統制された理想国家を作ろうとします。すなわち、戦前に導入された統制経済的システムをそのまま維持・強化していったのです。
  例えば、「地方交付税を通じた所得の再分配」(=地方財政の自主性剥奪)や、「直接金融から間接金融への移行」「直接税中心の税制」といった制度は、現在に至るまで我が国の政治の在り方を根本的に決定しています。そういう仕組みは何も戦後に出来上がったものではなく、戦前にすでに作られていたというから驚きです。また、最近は少しは改善されたものの、業界に対する行政指導は、今でも隠然と影響力を保っています。もちろん、この行政指導に法律上の根拠はありません。役人の独り言と同じであり、本来は聞かなくてもよいはずなのですが・・・。
  極論すれば、戦後日本の仕組みは、戦時経済だったということになります。
  しかし、国民を戦争に巻き込んでおいて、自分たちは理想国家の追求などといい気なものです。陸軍があれだけ満州にこだわったのも、革新官僚が作り上げた「理想郷」だったからこそでしょう。その権益維持のために、一体どれだけの血が流されたか・・・。
  それもこれも、革新官僚やそのエージェントである陸軍軍人に対して、政治の丸投げを許してしまったことが原因なのです。

  革新官僚の戦中戦後を見ていくと、以下のようなことがわかってきます。

 ①革新官僚は、自分の理想とする全体主義国家
  樹立のために、いたずらに戦争を拡大する
  方向を取った

 ②それにもかかわらず、彼らのほとんどは
  戦後も責任を取らず、官僚であり続けた

  ここから出てくる結論は、一つしかありません。それは、「官僚に国家の基本政策を委せてしまうと、結局だれも失敗した責任を取らないという事態が生じる」ということです。

  政治家は誤った国策を採れば選挙で落とされます。そうでなくても、議員辞職など詰め腹を切らされる場面はたくさんあります。最悪の場合、征服した敵国に処刑されます。(正当性はともかく)東京裁判もそうでした。私がキムジョンイルやコキントウだったら、日本を征服した暁には、小泉首相と安倍官房長官あたりは真っ先に銃殺刑です(もちろん、これは誉め言葉)。そういう意味で、政治家は責任を負わざるを得ない立場にあるわけです。
  しかし、官僚はそんなことをしません。いつも舞台裏にいて、政治家を隠れ蓑に、自分たちの(決して減ることのない!)仕事を黙々とこなしていたのです。そして、あまつさえ、鬼畜と称した相手の片棒を担ぐ真似をし、失敗の責任は全部「旧日本軍」と「天皇主権の憲法」に押しつけてしまったというわけです。邪推ですが、戦後のいわゆる「自虐教育」というのも、革新官僚が真の「戦犯」だったという事実を覆い隠すために行われていたのではないかとさえ思えます。  

  そして、重要なのは、これは官僚個人の問題ではないということです。官僚に国策の決定を任せれば、絶対にこうなる運命なのです。彼らは、責任を取る立場にいない以上、リアリズムをもって国民や外敵に向かい合うという行動を取れないからです。

  戦前の日本の暴走を、皇室制度のせいだとか、日本人の集団主義が悪いとか言っている連中が、いかに底の浅い馬鹿か、これでよくお分かりでしょう。

  こういうことを言うと、「お前の言う革新官僚とやらのおかげで、日本経済が復興できたんじゃないか!」という反論が必ずあることでしょう。
  もちろん、そういう「側面もあった」ことは私も否定しません。たとえば、通産省がなければ重化学のコンビナート建設などできなかったでしょうし、そのための資金は大蔵省の命令融資がなければ調達できなかったでしょう。
  しかし、それはあくまで「効率化」段階の話です。もともと日本人が持っている技術の高さや勤勉さがメイド・イン・ジャパンを支えていたのであって、革新官僚の作った制度のおかげでウォークマンや二股ソケットが生まれたわけではありません。
  それに、日本が統制経済的手法で作った工業製品を、誰が買ってくれたのでしょうか?「冷戦」ということで無条件で味方をしてくれていた、アメリカを初めとする西側諸国だったのではありませんか?

  ところが、冷戦が終わった途端、アメリカは「金融を自由化しろ」だの「ビジネスをグローバルスタンダードに合わせろ」だの、無茶苦茶な要求を次々にしてきました。それに対して、革新官僚が作り上げたシステムは、一体どれほど対抗できたというのでしょうか。
  現代の革新官僚たちは、ボーダーレス化した時代に全く太刀打ちできていません。たとえば、1990年3月の大蔵省通達、いわゆる●「総量規制」を初めとする、一連の「バブル退治」のための金融政策によって引き起こされたのは、すさまじい資産デフレでした。法律の解釈のような「机上の空論」が大好きな官僚が前例のないことに挑戦すると、ろくなことにならないという証拠です。(もしかしたら、そういう官僚の性質を知っているどこかの国が、日本企業の株や、日本の土地を買い叩くために入れ知恵をしたのかも知れない
  そして、この資産デフレを招いた大蔵省銀行局の人間が、誰かクビになったという話を私は知りません。官僚は、いつの時代でも責任を負わないのです。


  では、どうすれば戦前のような「やばい」事態を招かずに済むのでしょうか?
  まず思いつくのが、「官僚の倫理観に訴える」ことですが、そんなことをいくらやっても無駄です。官僚が悪人だから、無責任になるのではありません。官僚は道具であって、責任を取る立場にはいないからおかしなことをしてしまうです。

  結論は、次回に譲ることにいたします。

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16 コメント

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合成の誤謬 (神無月)
2006-07-14 06:19:05
資産デフレは総量規制だけではなく、地価税の新設や固定資産税増税、金利引き上げ等、さまざまな施策がバラバラに実施されたことにあります。つまり、施策単体でみれば一応の合理性があったとはいえ、全体的な方向として間違ったわけで、合成の誤謬。戦時中に施策を誤ったのもこれに理由があり、合成の誤謬を招く原因はいまも続く縦割り行政にあると思っています。



官僚が責任を取らず、任せると国の舵取りを間違えるという基本認識には、まったく同意しますが。



ところで、南朝鮮がいま、バブル崩壊前夜の日本ときわめて酷似した状況になっています。とりあえず、不動産向け融資に規制をかけ始め、不動産関連の増税の方向まで同じ。あとは、金利を引き上げるかどうか。官僚が大統領のご機嫌うかがいばかりしている追い風(?)もあるようで、要注目です(笑)。
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私が噂のw (煬帝)
2006-07-14 13:11:20
左翼知識人と国粋思想が結合すると「国家社会主義(ファシズム)」になるわけですね。



ナチ政権下でもボリシェヴィキ時代でも前政体の生き残りは重要な仕事をしてます。



ゲシュタポの責任者だったハインリヒ・ミュラーは元バイエルンの職業警察官、刑事警察(クリポ)の長官アルトゥール・ネーベもベルリンの警察官僚。



ロシアでも軍の将校クラスには当然ながら帝政軍の軍人が登用されてます。

あれだけ大きな国土を暴力的に統治するためには帝政時代の官僚を使うしかなかったんでしょう。



近代官僚制の特質ですね。
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コメントありがとうございます (ろろ)
2006-07-15 08:37:43
>>神無月さん



>合成の誤謬。



確かに、総量規制そのものは不動産取引の

沈静化が目的なわけで、それひとつで資産デフレが

生じたといのは極端でしたね。



>合成の誤謬を招く原因はいまも続く縦割り行政



南方に資源確保を目指しながら(海軍)、

満州で際限なく戦線拡大(陸軍)というのも、

完全な縦割りですね。(軍事)官僚に任せきりに

すると、得意分野でパーキンソンの法則が発動する

良い例だと思われます。



それにしても、朝鮮はそういう面でも日本を

パクってるんですねぇ。(笑)

ウォン高とかテポドンとか、最近の朝鮮は

見所も多いですね。



>>煬帝さん



やはりおいでになりましたか。(笑)勝手に

使ってしまってすみません。



>左翼知識人と国粋思想が結合すると

>「国家社会主義(ファシズム)」になるわけですね。



そう思います。そして、まずいことに、日本人の

多くは、問題があったのは軍部や天皇主権だと

思いこんでおり、革新官僚や、政治家の無力化、

さらにはマスコミのプロパガンダといった

敗戦を招いた真の原因を認識していないのです。



そもそも、「敗戦」として原因を探ろうとしていない

のですから、ある意味当然のような気はしますが

エリート層はそのへんをはっきり認識しないと

朝鮮半島統一や中国共産党政権崩壊などの大事件が

起こった後に進路を間違う恐れがあります。

同じことは、1990年代の「金融戦争」での

敗北にも言えるでしょう。

ユダヤ資本がバブルを潰して日本企業を買いやすくした

というのを、マスコミで言うのは無理としても

この国を運営していく人間は知っておく必要があります。
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Unknown (江田島)
2006-07-17 20:35:55
そのとおりですね

革新官僚をう生んだ東大は共産主義の牙城

であり、陸軍は対露戦を立案する過程でソ連に取り込まれ、スターリンに操られたのです

尾崎秀美の件はまだ全容解明されてません



ルーズベルトも共産主義者に操られtのです

つまり、二次大戦は共産主義者の描いた絵に

全て乗せられたということ。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
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>江田島さん (ろろ)
2006-07-17 23:39:52
リンク先見ましたが、衝撃的ですね。

まさか、ここまで見事に日本がはめられたとは・・・。



>「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、

>われらの安全と生存を保持しようと決意した」

>(日本国憲法前文)という他者依存の姿勢では、

>国際世論工作の必要性すら理解できないであろう。



ここは感銘を受けました。日本人は、どうも

外国に対して「いい人だ」「理解し合える」といった

妙な幻想を抱きすぎです。

あれだけ朝鮮や中国に痛い目に遭わされて、最近

ようやく気づいてきたように思いますが、

それもこれも、国家に責任を負う真のエリートが

不在になってしまったことと無縁ではないでしょう。



そうそう、

「世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略」

引き続き愛読しております。

国連安保理決議を巡るやりとりで、ついに

ランドパワー対シーパワーという構図がくっきりと

浮かび上がってきたように思います。

親米ポチだとかアメリカ盲従だとか、そんなつまらん

ことを言っている場合ではないですね。



返信する
Unknown (江田島)
2006-07-18 00:22:12
最大の問題は日本は戦前戦後を通じ一貫して欧米でのCOMINTが不可能であったという事実。

これは民族的限界です。

ここから得られる解は日本は英米に情報を

依存せざるを得ない。情報と技術の交換です。これが

シーパワー連合の意味。
返信する
Unknown (江田島)
2006-07-18 00:28:25
ここに最新号掲載してます

「中ロ離間北鮮熟柿の計」です



http://pride.arrow.jp/klingon/log/eid394.html#comments
返信する
日本とドイツは同類でしょう (cse_ri2)
2006-07-18 14:42:13
ろろさん、こんにちは。



先日の幕末の外国人旅行者の話は、シュリーマンで間違いありませんでした。

教えていただき、ありがとうございます。



それで、官僚がなぜ駄目かという話については、神無月さんの言われるとおり、『合成の誤謬』というのが結論でしょう。





さて、こりずにまた歴史の話をします。

ネタ元は境屋太一さんの本ですが、後進国が先進国を追いかける場合、官僚国家にした方が効率的なようです。

優秀な官僚を選抜し、先進国の技術や制度を学ばせて、その成果を役所を通じて民間に普及させる。

まさに明治の日本が歩んだ道ですが、たしかに効率だけ考えれば、これ以上効率的なやり方はたぶん無いでしょう。



境屋さんの本によると、ドイツのプロシャも同じ道を歩んだようです。

そして、その時期の日本とドイツには、共通点がありました。

膨らんだ官僚機構をきちんと指導する、優秀な政治家がいたことです。



日本では明治維新をくぐり抜けてきた元勲たちがバリバリの現役でしたし、ドイツはビスマルクがドイツ(プロシャ)の政治を一手に握ってました。



明治の元勲は、日本史全般を振り返っても、非常に優秀な部類に入っています。

彼らは下層武士出身という弱点がありましたが、これまた日本史上で最も評判の高い明治天皇がバックアップすることで、完全にフォローしました。



ドイツのビスマルクに至っては、彼以上に優秀な政治家は、探すことが困難なくらいです。



日本もドイツも、優秀な政治家が官僚たちを仕切っている間は、大きな問題は起きませんでした。

しかし、明治の元勲やビスマルクが引退すると、後任の政治家たちは彼らほどの影響力をもっていなかったため、次第に官僚機構の統率力が弱まっていきます。



ドイツでは肥大した官僚機構が諸外国との摩擦を起こしますし、また皇帝ウィルヘルム二世の独走を政治家が防ぐことができませんでした。

結果としてドイツは戦争に突入し、しかも負け戦となります。



日本は皆さんご存知のとおり、山縣有朋亡きあとは誰も巨大な日本陸軍を統御できず、また伊藤博文の死後は、誰も日本の国際戦略を立案できませんでした。

最近学んだことでは、原敬が明治の元勲の後釜になりうる可能性があったようですが、原敬はご存じのように、首相の座についてまもなく暗殺される結果となります。



最終的に、日本は軍官僚の暴走によって、破滅の道をたどるわけです。





同じことを現代の日本に当てはめれば、政治家が何より重要であるという結論が、自然と出てくるかと思います。

今の日本に必要なのは、役人に使われる政治家ではなく、役人たちの鼻づらを引き回して、きちんとリーダーシップがとれる政治家の存在ではないでしょうか。

返信する
>cse_ri2さん (ろろ)
2006-07-18 23:04:57
>同じことを現代の日本に当てはめれば、

>政治家が何より重要であるという結論が、

>自然と出てくるかと思います。



ここにいらっしゃる方は、私の次のネタを読むのが

うまいですなぁ(笑)。



まさに、次の記事で中心になるのがそこです。

どうやったら政治家の指導力が発揮できるかという

ことを、具体的にわかりやすく書いていきたいと

思います。

返信する
私なら (どらっへ)
2006-07-20 23:40:20
 官僚ごと皆殺しにしておきますけど─

今の官僚の大部分は役に立ちません。

 『金食い虫』で『道具としての役割を果たせない道具』は必要ないでしょう。

 社会保険庁がいい例ですし。



 『ある種の官僚に近い人達』を見てきたお陰で何と無く事情は察せますし。



 今日の昭和天皇メモも左派官僚のヤラセだと思っております。
返信する