季節的なことを簡単に書いてみようと思います。
東京の私立中学の入試は、今日2月1日から解禁になります。
みなさんも、テレビでなら、有名な中学(例えば、開成中)などの前に、塾の先生がずらーっと並んで、子どもと握手などしている風景を見たことがあるかも知れません。「入試付き添い」という、年中行事です。
私も、小学6年生を教えているので、都内のある中学校に朝から行って参りました。
相当有名な中学と言うこともあり、いろいろな塾の先生方が校舎の前に群がっています。その間を縫うように、生徒や保護者の方が会場に入っていくのです。どっちが主役だかわかりません。(笑)
先生たちも、ここまで生徒たちに精一杯入試の勉強を教えてきて、もう出来ることといえば、会場の前で声をかけて励ますことくらいしかありません。塾業界は朝がダメな人たちの集まりなのに、みんな張り切って受験生を迎えています。
当然、私も、この中学を3人の生徒が受けるということで、最後に一声かけようと思っていました。
さて、その中に私がどうしても本番前に声を掛けてやりたかった女の子の生徒がいました。
人でごった返している会場の中で、予定の時間になっても彼女とお母さんの姿が見あたりません。大人、子どもの間を縫うようにして歩きながら、彼女の姿を探していると、私の名前を呼ぶ声がしました。
慌ててそちらに向かうと、お母さんと一緒に彼女が傘を差して立っています。おはよう、と声を掛けると、第一声がすごい。
「なんでインフルエンザとかかかってくれなかったんですか??」
要するに、「付き添いに来なくていいのに!」ということを言いたいようです。なんという不埒な!!と思うかも知れませんが、この子はもともとこういう子なので、あまり気になりませんでした。
彼女は、非常によく本を読む子で、知識がかなり豊富です。その反面、生意気なところがある子でした。しかも、口が悪い。男子に絡んで「馬鹿やろー」くらい平気で言います。黙っているときれいな女の子なのですが、もうこればかりは性格ですね。うるさくならない限度で放っておきました。
こういう子ですから、生活が不規則だったり、親の言うことをなかなか聞かなかったり、私も苦労しました。
「たのむから、面接の時に文句や暴言を口にしないように」と、私が(ふざけて)釘を差すと、「そんなのわかってます!」と力んだ口調。照れ隠しでしょう。わざと格好つけて、大人に対してぶっきらぼうに話す時期が、誰にでもあったはずです。彼女は、その真っ直中にいる。
そういう、大人には理解しにくいところにエネルギーや情熱を傾けている様子が、性別や、勉強の量こそ違えど、子供の頃の私とどこか重なるのです。
せっかくだから、入口まで付いていってやるよと言ったのですが、彼女は「大丈夫です」と、ニコリともせずに歩き出します。どうしていつもこの子は、わざとらしくかしこまった言葉遣いをするんだろうな・・・と思いましたが、子どもの弱さを見せたくない強がりなのでしょう。
お母さんに会釈すると、「いつもこんな感じですみません」とでも言いたげに苦笑いしていました。
入口のすぐ手前でやっと追いつきました。握手などして、「頑張ってこいよ!」「はい!」などというやりとりが普通なのでしょう。しかし、さっさと逃げていく背中を追うのが精一杯で、それどころではありません。
まあいいか。見送り方くらい、子どもの数だけあっていいだろう。
私はそう思って、わざとらしい「最後のシーン」の演出は諦めました。
すぐ前に彼女がいます。受験票を確認すると、また早足で歩き始めます。
「しっかりやってこい!」と、去っていく背中に声をぶつけるくらいしか、私には出来ませんでした。
他の受験生が教室を探してうろうろしている校舎の暗がりの中に、彼女が吸い込まれていきます。
その時、私は初めてある感情がわかりました。
もう、ここから先は、守ってやることも、叱ってやることもできない。彼女が自分自身で、問題と向き合うしかない。
そんな子どもを見送るとき、きっと、親なら皆、味わうのだろう。ただ「がんばるんだよ」と声をかけて、背中を見守るしかない、これ以上ない切なさを。
彼女の姿は、あっという間に消えてしまいました。
最後まで、がんばれよ!!
見えなくなっても、思わず声をかけていました。
この仕事の悲しいところは、どんなに精魂を込めて人を育てても、こうして呆気なく終わりが来ることだと思います。毎年、「この子たちなら、もう1年授業をしてもいい」と思うのです。でも、それは許されません。
しかし、逆のことも言えるのです。こういう、結実の時があるからこそ、長く過ごした時間が輝くのだ、と。
どこの学校に進むかは、結果でしかありません。それでも、私が撒いた種が、どこかで、ものを見る目や、人の役に立とうという精神という形で、実を結んでいるといい。
彼女が消えていった後も、しばらくそんなことを考えていました。
すみません・・・例の大問題は現在構想中です。
東京の私立中学の入試は、今日2月1日から解禁になります。
みなさんも、テレビでなら、有名な中学(例えば、開成中)などの前に、塾の先生がずらーっと並んで、子どもと握手などしている風景を見たことがあるかも知れません。「入試付き添い」という、年中行事です。
私も、小学6年生を教えているので、都内のある中学校に朝から行って参りました。
相当有名な中学と言うこともあり、いろいろな塾の先生方が校舎の前に群がっています。その間を縫うように、生徒や保護者の方が会場に入っていくのです。どっちが主役だかわかりません。(笑)
先生たちも、ここまで生徒たちに精一杯入試の勉強を教えてきて、もう出来ることといえば、会場の前で声をかけて励ますことくらいしかありません。塾業界は朝がダメな人たちの集まりなのに、みんな張り切って受験生を迎えています。
当然、私も、この中学を3人の生徒が受けるということで、最後に一声かけようと思っていました。
さて、その中に私がどうしても本番前に声を掛けてやりたかった女の子の生徒がいました。
人でごった返している会場の中で、予定の時間になっても彼女とお母さんの姿が見あたりません。大人、子どもの間を縫うようにして歩きながら、彼女の姿を探していると、私の名前を呼ぶ声がしました。
慌ててそちらに向かうと、お母さんと一緒に彼女が傘を差して立っています。おはよう、と声を掛けると、第一声がすごい。
「なんでインフルエンザとかかかってくれなかったんですか??」
要するに、「付き添いに来なくていいのに!」ということを言いたいようです。なんという不埒な!!と思うかも知れませんが、この子はもともとこういう子なので、あまり気になりませんでした。
彼女は、非常によく本を読む子で、知識がかなり豊富です。その反面、生意気なところがある子でした。しかも、口が悪い。男子に絡んで「馬鹿やろー」くらい平気で言います。黙っているときれいな女の子なのですが、もうこればかりは性格ですね。うるさくならない限度で放っておきました。
こういう子ですから、生活が不規則だったり、親の言うことをなかなか聞かなかったり、私も苦労しました。
「たのむから、面接の時に文句や暴言を口にしないように」と、私が(ふざけて)釘を差すと、「そんなのわかってます!」と力んだ口調。照れ隠しでしょう。わざと格好つけて、大人に対してぶっきらぼうに話す時期が、誰にでもあったはずです。彼女は、その真っ直中にいる。
そういう、大人には理解しにくいところにエネルギーや情熱を傾けている様子が、性別や、勉強の量こそ違えど、子供の頃の私とどこか重なるのです。
せっかくだから、入口まで付いていってやるよと言ったのですが、彼女は「大丈夫です」と、ニコリともせずに歩き出します。どうしていつもこの子は、わざとらしくかしこまった言葉遣いをするんだろうな・・・と思いましたが、子どもの弱さを見せたくない強がりなのでしょう。
お母さんに会釈すると、「いつもこんな感じですみません」とでも言いたげに苦笑いしていました。
入口のすぐ手前でやっと追いつきました。握手などして、「頑張ってこいよ!」「はい!」などというやりとりが普通なのでしょう。しかし、さっさと逃げていく背中を追うのが精一杯で、それどころではありません。
まあいいか。見送り方くらい、子どもの数だけあっていいだろう。
私はそう思って、わざとらしい「最後のシーン」の演出は諦めました。
すぐ前に彼女がいます。受験票を確認すると、また早足で歩き始めます。
「しっかりやってこい!」と、去っていく背中に声をぶつけるくらいしか、私には出来ませんでした。
他の受験生が教室を探してうろうろしている校舎の暗がりの中に、彼女が吸い込まれていきます。
その時、私は初めてある感情がわかりました。
もう、ここから先は、守ってやることも、叱ってやることもできない。彼女が自分自身で、問題と向き合うしかない。
そんな子どもを見送るとき、きっと、親なら皆、味わうのだろう。ただ「がんばるんだよ」と声をかけて、背中を見守るしかない、これ以上ない切なさを。
彼女の姿は、あっという間に消えてしまいました。
最後まで、がんばれよ!!
見えなくなっても、思わず声をかけていました。
この仕事の悲しいところは、どんなに精魂を込めて人を育てても、こうして呆気なく終わりが来ることだと思います。毎年、「この子たちなら、もう1年授業をしてもいい」と思うのです。でも、それは許されません。
しかし、逆のことも言えるのです。こういう、結実の時があるからこそ、長く過ごした時間が輝くのだ、と。
どこの学校に進むかは、結果でしかありません。それでも、私が撒いた種が、どこかで、ものを見る目や、人の役に立とうという精神という形で、実を結んでいるといい。
彼女が消えていった後も、しばらくそんなことを考えていました。
すみません・・・例の大問題は現在構想中です。
ジェンダーフリーが今,異常なものになっていますね。男らしさ,女らしさの否定・・、ましてそれを差別ってなる・・(汗)
うーん、
高校生ながら考えちゃいますね・・
あっあと,
猪口さんことで少々不適切な表現があったので訂正しました。ゴメンナサイ(>△<)
そうなんです。子供が自分一人でできることが増えていくたびに親はちょっと寂しい気持ちを味わっています。
親子なら次の目標がでてきてまた一緒に頑張ったり出来るけど先生というのは切ないですね。でも、蒔いた種があちこちで花を咲かせ、実を結び・・・世の中に対する貢献度は高いし、夢のあるお仕事ですね。
なんだかあったかい風がふいたような記事でした。
短編小説みたいな(笑)
生意気な子ほど、
「大きくなったら立派になるんだろうなぁ」
と思いながら接してきましたが、彼女もきっとそうですね。そして子どもの頃を振り返り、
恥ずかしくなりながら、ろろさんたちのような優しくしてくれた大人に感謝するんだと思います。
>Marieさん
>じっかさん
今日も付き添いに行って参りました。
残念ながら、彼女はまだく戦中です。
しかし、初めて挨拶して握手してくれました。大進歩かも(笑)
彼女、無事に国立の中学に受かりました。
ヒマになったし、何がしたい?ときいたら、
「活字にどっぷり浸かりたい」
だそうです。
変な方向に進まなければいいんですが・・・。
10代は大切な時期ですから。
私は左翼的な思想にかなり影響された日々でした。その洗脳の後遺症から逃れるのにかなり時間を要しました。
勧めてみようかと思います。