日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

勉強する意味がわからない人に

2005年04月07日 10時10分12秒 | 勉強について
勉強の目的を考える前に、こんなことを考えてみます。

どうして、さんざん学校教育や不毛な受験勉強の弊害が
指摘されているのに、それがいまだに人間を選別する
手段として用いられているのでしょうか?

勉強ができないという自覚のある人には申し訳ないのですが、
それは、勉強が出来る人間の方が、そうでない人間よりも
ある集団や組織の中で力を伸ばす可能性があるからです。


現在社会にある職業の多くは、「理解」と「事務処理」
それに、「一定の持続力」基礎として成り立っているものが
ほとんどだということは、重要なことです。

たとえば、上司からの命令や、客からの注文があれば、
その内容を間違いなく理解しなくてはならない。
それは、たとえ芸能人であっても、スポーツ選手であっても
市役所職員であっても変わらないでしょう。
理解するというのは、「言うことをはいはい聞く」という
ことではありませんよ。
相手は何をしてもらいたがっているのかということを
認識することです。
これが「理解」という側面です。

また、上のような要求があったとき、間違いなく仕事を
しなければ、意味がないのはおわかりでしょう。
時間や期限を守れないようなデザイナーに、仕事を頼む
馬鹿はいません。一度仕事を頼まれたら、望むように
それを仕上げる手際の良さ、素早さが必要なのです。
これが、「事務処理」の側面です。

それに、ある職業を勤めるというのは、同じことの
繰り返しですから、一度だけうまくいってもだめです。
同じレベルのことを実行し続けなければならないのです。
スポーツでも、その集団の中で、飛び抜けて上手でもなく、
天才的なひらめきがあるわけでもないのに
レギュラーでプレーし続けている選手
(日本代表でいうと、福西や中澤)
がいます。
そういった選手は、いつも同じようなことが
できるんですね。だから、使う側としても有り難い。
だから、「持続力」は必要なのです。


つまり、ある職業を滞りなく遂行するためには、
人の話を間違いなく理解し、
それをその通り実行し続ける作業が、どうしても
必要になってくるのです。


もっとも、それを純粋に身につけるということは、
大変なことでしょう。
「何が事務処理か」などと考えて、それを身につけようと
している人などいないはずです。

ところが、勉強をするという行為には、それらの要素が
全て含まれているのです。
テストがあったとすると、そのテストに合格するためには
どの程度の学力が必要なのかをまず理解しなくてはなり
ません。
そして、それに合わせて勉強を間違いなく実行し
続けなければ、いい結果が出ない。
(たまに、そんなことをしなくても合格できる場合があり
ますが、そういうケースは「受かってしまった」場合と
して区別すべきだと私は思います)

もちろん、社会で必要とされることは多岐に渡るため、
受験勉強さえしていれば優秀な人間になれるという
保証はありません。
しかし、勉強でやったことを仕事に「応用」すれば、
なんとなくやるよりも絶対に効率が良くなり、
仕事の質は上がるのです。

だから、勉強がきちんとできるという人は、実際に仕事を
させてみてもうまく出来ることが多いのです。
うまくできないというのは、いろいろ原因があると
思うのですが、ほんとうにきちんと勉強して(教育を受けて)
いないというのがほとんどだと思います。
(この点は、後で詳しく述べます)

もちろん、創造的な仕事ができるかどうかは別です。
はっきり言いますが、世の中の仕事の80%以上は、
想像力がなくても、失敗から学ぶことで着実にものに
できる仕事です。
みんなが芸能人だとか作家になる必要はないのです。

「夢を持たなくては行けない」というのは、
みんなに大人物になれ、という思想を強要しているように
思いませんか。
言っている本人は何にも考えないで言っていることが
ほとんどでしょうが、私にはそう聞こえてならないのです。

そんなことより、私は、「社会に出てから何をやるに
しても人の迷惑にならないような能力を付けろ」という
ほうが正しいことだと思います。
夢や希望通りの職業に就くのは大変なことだし、
それがうまく行かなかった場合、「つぶしが利く」人間に
なることが大切です。


ヨハン・クライフというオランダ人の元サッカー選手を
ご存じですか?
本題からそれるので詳しく述べませんが、ほんとうにすごい
サッカー選手でした。

彼が、バルセロナというスペインの強豪クラブ
(あの鶏みたいな顔の「ロナウジーニョ」がいるところです。
夏にまた来日するみたいですね)で監督をしていたときのこと。
下部組織にいる若い子たちに、よく言っていたことがあります。
クライフのことだから、
「偉大な選手になれるように日々研鑽しなさい」
とか言ったのかと思うでしょう?

ところが、クライフは、子供たちに必ず

「サッカーも大事だけど、勉強もしっかりやっておきなさい」

と言っていたのだそうです。
理由をきけば単純で、サッカー選手は努力に関わらず怪我や
巡り合わせで成功できないことが多いから、ということでした。

20世紀最高のフットボーラーと言われるクライフがですよ?
「夢のために努力しろ」という言葉が、いかに無責任か
わかるでしょう!?

勉強が大切なのは、理解力、事務処理能力、持続力を
子供が(←ここが重要!)身につけるのに一番良い方法だからなのです。
だから、今でも学力試験による選抜が生き残っているのです。


それでも、勉強が嫌いでしかたがない、という人や、
受験教育は間違っているという人もいらっしゃるでしょう。
何のことはない、私も中学校の頃そう思っていた「張本人」です。

私は、今なら中学時代の私に対して、おそらく反論の
余地のない主張をすることができるような気がしています。


そこで、次回は、なぜ勉強が非難されるのかという点を扱って
みたいと思います。



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6 コメント

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なんとなくわかる (しろ)
2005-04-10 12:54:57
学校の音楽の先生が書いた曲とゆーのがあるんですよ。学校の先生の作った曲は「お勉強」なんです。



学校の先生が聴くと非常にすばらしいのかもしれませんけれど、一般人のあたしが聴くとおもしろくなくて退屈で病気になりそうなんです。



きっとそーゆーのが良しとされているんでしょうね。あたしはそーゆーのはダメと思っている人間なんで、学校とあわなかったんでしょうね。



先生は「音楽をお勉強」と考えているんでしょうけれど、あたしは「音楽をお遊び」と考えているんです。

一般人は社会に勉強なんか持ち出してほしくないんです。音楽を聴いて楽しみたいんです。



全くもってずれがあり、先生のおっしゃることをそのままやっていたら、音楽としては最悪です。音楽は理屈ではありませんからね。



あたしが学校が嫌いだったのは、そーゆーことが大きな原因だったと思います。
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なるほど (ろろ)
2005-04-11 23:39:25
「先生」というのが、私のことを指していないという前提でお答えしますが。(笑)



自分も合唱部だったので、音楽が義務になってしまうと死ぬほどつまらないという気持ちはよくわかります。

教科書に載ってしまうと、それだけで「これはダメだ」となってしまうのと同じですね。

多分、どこの文明国もそんなもんだと思いますよ。



公教育に過大な期待をしてもダメです。できることとできないことをはっきりさせるようにしなくてはダメですね。創造的なことをやらせるのには向いていないのは間違いないと思います。
返信する
ここだけの話ですけどね (しろ)
2005-04-12 03:22:09
ろろさんは先生のようですけど、がっこの先生ではないので、気楽です。なぜか「がっこの先生」というだけでです。



がっこの音楽のせんせはですね、一部の「食えないので仕方ないから先生でもやっている」という優秀な人を除いて、あたしの目からみて腐っていますし、全くもって感覚的ではありません。そしてあたしの周囲には全くいないようなレベルです。→つまり低いってこと



あたしと同じように大学を出ていらっしゃるとゆーことはですね、同じレベルのお勉強をやっていらっしゃると思うのに、なぜか基本的なことができないんですよ。



ろろさんは合唱部だったとゆーことで、相当難しい曲もこなしていらしたと思うのですが、そのろろさんのつめの垢でも煎じて飲ませてやりたいような大人がぞろぞろいます。



たとえば、最初から最後まで同じテンポで指揮をするとか、休符を休むとか、知りません。こっちが指定したテンポを無視します。で、こっちがpoco rit.なんて書いてやっているのに、たっくさんritします。



それで、あたしが「せんせそこ、poco」って書いてあるんですけど・・・と遠慮がちにゆーと、やっと直す程度のものです。



休符は音符の代わりのものですから、いい加減に書いてるわけではないのに、せんせは無視します。いったい、「先生」という役職はなんなのでしょう?



教えるというよりも、生徒にいい加減なことをすりこんでいるとしか思えない人ぞろぞろです。



いつもいつも疲れています。
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なるほどねー (ろろ)
2005-04-13 10:46:15
時折「何でそんなやつが教員に・・・?」という先生の話を子供から聞きます。

やっぱり、よくあることなんですね。

pocoもわからんで音楽の先生とは・・・。

もう少し、教師のレベルを上げる努力をどっかでしてもらいたいですね。

でも、彼らには「日教組」という超強力な利益団体がありますから、

強制わいせつでもやらない限り、首にするのは難しいんでしょうね。

塾には労働組合すらないのに・・・。



まあ、「ひどい先生」の話は、近いうちこのブログでもネタにするので、是非ご覧ください。
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それがねぇ~~ (しろ)
2005-04-13 12:14:50
ろろさんはあたしが書いたようなせんせを「あんまりどこにでもいない出来の悪い人」ととらえていらっしゃるようですけどねこのせんせなんかは出来のいいほうなんですよ。



普通のせんせは、もっとひどいです。普通のせんせは

ちょっと個人的に音楽を勉強している子どもより出来が悪いです。



あたしが中学生の頃はですね、ピアノが下手くそすぎて耳に栓をしなければいられないような先生とか、4/4なのにどーしても4/5で伴奏してしまって、歌が先に終わってしまう先生とかいました。



子どもよりダメな人がせんせやってるって、当たり前だったですよ。合唱指導なんて全くできませんし、何かわからないことを質問すると「知らない」で終わり。調べようともしない人だったです。



あたしは自分の経験からせんせとゆーとと思ってます。
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すみません! (aqui)
2005-04-26 22:07:53
はじめまして!記事を読んでTBさせていただいたのですが、うまくいかなくて4回も送ってしまいました。削除をお願いいたします!

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