閑話休題、ということで、日教組に茶々を入れつつ、彼らのような左翼(共産主義的)団体の「考え方」を学んでみようと思います。
教育総研http://www.jtu-net.or.jp/soken/という日教組の外郭団体のホームページに、去年起きた「長崎県佐世保市小6カッター殺人事件」についての意見が出ています。原文が見たい方は、上記の教育総研HPのリンクのクリックして、そのページの一番下をご覧ください。引用の長文が鬱陶しければ、色を変えたところだけお読みになって頂いても十分楽しめます。では、行きましょうか。
(以下引用)
長崎県佐世保市での小学6年生の同級生殺害事件に関して、あるカウンセラーが、「to be(being)ではなく、becomingばかりが強調され、この緊張に耐えられなくて、心のトラブルという形でSOSを発信している。自分が自分のあるがままに受け入れることが大切で、『ダメなところがあってもそれがあなただ』という全部をひっくるめた自分を抱きしめて、というメッセージを常に送ることが大切である」と解説していた(毎日新聞04年6月24日)。また、別のカウンセラーは、「子どもはいつも元気なよい子であることを求められ、無意識のうちに「怒り」や「悲しみ」を心の中に閉じ込め、大人が望むように自分を合わせる。(中略)」と語っている(毎日04年6月7日)。
私たちはこの発言の共感するとともに、事件がおきるたびに、「心の教育」が強調されることに疑問を持っている。前述したように、「心の教育」はむしろ逆にストレスを膨らますだけである。必要なのは、子どもたちが「自分は自分である」と自己を肯定的に受け止められるようにできる対応である。エンパワーメントとは、本来その人が持っている自らの力を活性化させることであり、「あるがまま」というアイデンティティーを機軸にしないとエンパワーメントできないはずである。「個人の尊厳」の基本は、まさにここにある。
長崎県は、2003年の長崎市での幼児突き落とし殺害事件の後、「命の大切さ」を教える「心の教育」に力を入れてきたという。しかし「心の教育を徹底してきたつもりだったが、子どもたちの心に響いていなかった」(佐世保市立大久保小校長の話、毎日04年6月27日)わけである。命の大切さ・尊さ・重さ、そしてはかなさを、徳目を中心とした「心の教育」で「指導」して「教え」て「わからせる」ことができる、と考えること自体に問題があるというべきではないだろうか。それは、たとえば人がいたずらに殺されているイラクや自殺多発社会日本のリアルな現実に目を向けつつ、生活的な経験をともなう「感性的な了解」によって子どもたちの内側に紡がれるものである。それゆえに、「総合学習」のような参画型の学習機会を拡充するなど、教育のあり方そのものを根本から見直すことが求められているのではなかろうか。
事件の原因を子どもたちに求め、子どもたちを「いじくりまわす」対策を教育としておこなうのは、止めにしよう。社会を、大人の生き方を、子どもたちが自己肯定感をもって生き育つことができるように変えていくことこそが、肝要である。こうしたことは、「個人の尊厳」(憲法・教育基本法)に基づく教育を現実化していくことで可能となることを、改めて確認したい。
2004年7月20日
国民教育文化総合研究所
(引用以上)
なるほどなぁ、と思ってはいけません。こういう「一見正論めいた」発言の中に、日教組らしさが隠されているのです。
まあ、あまり眉間にしわを寄せず、硬軟取り混ぜて突っ込んでいきましょう。
まずは、日教組の「知的レベル」から。
>「to be(being)ではなく、becomingばかりが強調され
あのですね、to不定詞は、今の状態ではなく、「これから」そうあるべき状態ですよ。beingだけの方が英語としては自然です。英語の先生は日教組の中にいないんでしょうかね?
それに、後ろの方のbecomingもおかしいですね。大人が今は違うけど「これから」こうであってほしいという意味の「なること」なら、to becomeにしなくてはなりません。ingを使ったら、過去(なった)か現在進行中(なりつつある)になってしまいます。
子どもの学力低下が叫ばれていますが、学力低下しているのは、日教組の方だということが判明しました(笑)。
まさか、「カウンセラーの言っていたのをそのまま引用しただけで、自分たちに責任はない」なんて、いいませんよね、センセー??
> 『ダメなところがあってもそれがあなただ』という全部をひっくる
>めた自分を抱きしめて、というメッセージを常に送ることが大切
日教組には国語の先生もいないようですね。この文章、はっきり言ってど下手くそです。
通常、「という」が出てきた場合、前は他者のセリフ等「引用」していて、その後ろにその意味内容の説明が来るはずです。
ex. 「教え子を再び戦場に送るな」という空虚なメッセージ
ところが、上の文章は『ダメな・・・』と「全部を・・・抱きしめて」が「という」によってつながれており、極めて冗長になっています。しかも、「抱きしめて」の後にまたも「という」が使われており、何が何だかわからなくなっています。おそらく、書いている方も言いたいことが多すぎて、頭の中を整理できていないのでしょう。
「義務教育は将来への投資!」などと日教組のHPに書いてありますが、日教組の活動家がいる学校に子どもを通わせたりしたら、貴重な時間が最悪の不良債権になりかねませんね。
> 子どもはいつも元気なよい子であることを求められ、無意識の
>うちに「怒り」や「悲しみ」を心の中に閉じ込め、
>大人が望むように自分を合わせる。
別に、いつも元気な良い子であることを求めている大人ばかりではないと思いますし、大人が望むような振る舞いをする子どもがそこまで沢山いるとは思いませんがねぇ。
日教組というのは、こういう一方的なものの見方をして、常に子どもを被害者扱いしますね(その割には、自分たちは大したことをしてない)。そうして、国や教育委員会といった敵対勢力の権威を潰そうとするわけです。「日本帝国主義にいじめられている貧しくて可愛そうな人民」を救ってあげる「人民の模範である○国共産党」と、プロパガンダのやり方が極めて似ています。
上の「抱きしめて」云々もそうですが、親が子どもに対して価値観を注入するということを、絶対悪だと決めつけるのもこの団体の特徴です。なぜなら、親が子供にそういうことをすると、自分たちの思想を擦り込むことが出来ないからです。親子や兄弟といった家族的なつながりを否定するのは、典型的な共産主義の発想です(毛沢東の「文化大革命」でも、紅衛兵になった子どもが父母をつるし上げることがよくあった)。
あるいは、「投射」といって、自分たちの願望を「大人一般」というレベルに投影させているのかもしれません。みなさんも、子供の頃(もしかしたら、最近も?)経験したことはありませんか?「あいつは、俺のことが嫌いなんだよ」と言っている自分が、実はその人のことを嫌っているということを。本当は、日教組も、いわゆる「いい子」の方が好きなのでしょうね。何しろ、「日本は悪いことをした!アジアの人々に謝罪すべきだ!」などと妄言を吐いても、素直にうんうん言いながら聞いてくれるでしょうし・・・。
>「心の教育」はむしろ逆にストレスを膨らますだけである。
そりゃあ、教え手が日教組の組合員だったら、ストレスもたまるでしょう。小学生に出産するときの様子を無修正写真で見せたり(これ、本当らしいです。立ち読みした 『正論』という雑誌に出ていました)、「中国人女性を強姦して殺した後はらわたをひきずりだす日本兵」(もちろん真っ赤なニセモノ)の写真を使って教育してしまうのですから、「心の教育」でもどんなことを教えるか、だいたい想像がつきます。
だいたい、利他精神や勤勉さや文化伝統に対する敬意も無く、欲望とイデオロギーのコンプレックス(複合体)になっているような人間に、情操教育などできるのでしょうか。教えている側からして情緒不安定人間なのですから、日教組の組合員こそ「心の教育」を受けた方がいいと思われます。
>エンパワーメント
意味不明な左翼用語が出てきましたね。
empowermentとは、「力を与えること」という意味ですが、日教組のような左翼団体が使うと、女性などの社会的「弱者」が権力の中に入り込んで、圧殺されてきた自分の要求を押し通すことになるようです。まあ、早い話、田嶋陽子みたいになるということですね。
>命の大切さ・尊さ・重さ、そしてはかなさを、徳目を中心とした
>「心の教育」で「指導」して「教え」て「わからせる」ことができる、
>と考えること自体に問題があるというべきではないだろうか。
これも、問題をはき違えていますね。こういう教育の効果があったかなかったかが、佐世保事件の問題ではないのです。あそこまで狂ったようにインターネットにのめり込まないように、個別に対処すればよかっただけの話です。
日教組に限らず、左翼的な連中というのは、ものすごく特殊なケースを持ってきて、それを制度の欠陥のせいであると主張するのを常套手段にしています。この場合、狭山事件か何かのように、レアケースをご神体のように祭り上げ、自分たちの功名心や自己顕示欲を満たしているだけの場合がほとんどです。騙されてはいけません。
>人がいたずらに殺されているイラク
話が飛びすぎです(笑)。 イラクで人が死んでいる話をしたら、長崎のカッター殺人事件は起きなかった、と。棒高跳びのブブカも真っ青の飛躍ですね。日教組の組合員は、子ども相手だからといって、こんなむちゃくちゃな話ばかりしているのでしょうか。だから、まともな大人に相手にされないのでしょう。
>自殺多発社会日本のリアルな現実
本当に左翼というのはやりかたがワンパターンですね(笑)。これは、「醜悪なもの、劣悪なものの中にこそ真実がある」という彼ら特有の歪んだ価値観の現れです。上に挙げたような出産無修正写真などがその良い例です。それにしても、自殺が多発している現実を見せて、子どもが「おれもがんばろう!」などと思うんでしょうか?
どうせなら、広島県で校長先生が自殺した事件(※下注)などを取り上げると、日教組が全体主義者の集まりだということがわかっていいと思います(笑)。
※注:広島県教職員組合が校長を日の丸・君が代のことで締め上げて
自殺に追い込んだ「広島県立世羅高校事件」のこと。
詳しくは、●こちらのサイトをご覧ください。
>「総合学習」のような参画型の学習機会を拡充するなど
まだ今時「ゆとり教育」を推進すべきだとか考えている人たちがいるんですねぇ。きっと、教科書を使うと教育指導要領に従わざるを得ず、自分たちの赤く燃え上がる思想の流布に都合が悪いからでしょう。そうやって、子どもがどんどん勉強しなくなっていくわけです。
参加といわず「参画」(男女共同参画を匂わせる)というというのも嫌らしいですね。
>子どもたちを「いじくりまわす」対策を教育としておこなうのは、
>止めにしよう。
この文章で、最大・最狂のヒットはこの部分で決まりでしょう。人権や平和を熱く語り、日本の悪口を散々子どもの頭に注ぎ込むという、子どもたちを無用に「いじくりまわす」教育をしているのは、自分たちであるということに全く自覚がないようすです。
本当に頭のおかしくなった人は「俺は異常じゃない、周りの人間がおかしいんだ」などと言い出すらしいですが、日教組はもうそれに類する末期症状にあるようです。
> 社会を、大人の生き方を、子どもたちが自己肯定感をもって
>生き育つことができるように変えていくことこそが、肝要である
この部分で言いたいのは「社会を」「変えていく」ということだけでしょうね。今の世の中は間違っていて、ほとんどの人間が自民党に投票する愚民だから、革命を起こすしかない、という、典型的な左翼思想がかいま見えます。
>「個人の尊厳」(憲法・教育基本法)に基づく教育を現実化していくことで
>可能となることを、改めて確認したい。
あれだけ子どもがおかしな事件を起こしているのに、この馬鹿な団体はまだ反省していないようですね。これも左翼にありがちな思考パターンなのですが、そもそも自分の発想自体が間違っているのに、「やり方が徹底していないからだ」と、間違いを認めないで、さらにやり方が過激になっていきます。もう、こうなると「あさま山荘」状態になるまで止まりませんね。
さて、そろそろ日教組のホームページ(リンクは●こちら)に遊びに行ってみましょうかねぇ。首相の靖国神社参拝について、彼ららしい主張をしてくれていそうで、楽しみです。
教育総研http://www.jtu-net.or.jp/soken/という日教組の外郭団体のホームページに、去年起きた「長崎県佐世保市小6カッター殺人事件」についての意見が出ています。原文が見たい方は、上記の教育総研HPのリンクのクリックして、そのページの一番下をご覧ください。引用の長文が鬱陶しければ、色を変えたところだけお読みになって頂いても十分楽しめます。では、行きましょうか。
(以下引用)
長崎県佐世保市での小学6年生の同級生殺害事件に関して、あるカウンセラーが、「to be(being)ではなく、becomingばかりが強調され、この緊張に耐えられなくて、心のトラブルという形でSOSを発信している。自分が自分のあるがままに受け入れることが大切で、『ダメなところがあってもそれがあなただ』という全部をひっくるめた自分を抱きしめて、というメッセージを常に送ることが大切である」と解説していた(毎日新聞04年6月24日)。また、別のカウンセラーは、「子どもはいつも元気なよい子であることを求められ、無意識のうちに「怒り」や「悲しみ」を心の中に閉じ込め、大人が望むように自分を合わせる。(中略)」と語っている(毎日04年6月7日)。
私たちはこの発言の共感するとともに、事件がおきるたびに、「心の教育」が強調されることに疑問を持っている。前述したように、「心の教育」はむしろ逆にストレスを膨らますだけである。必要なのは、子どもたちが「自分は自分である」と自己を肯定的に受け止められるようにできる対応である。エンパワーメントとは、本来その人が持っている自らの力を活性化させることであり、「あるがまま」というアイデンティティーを機軸にしないとエンパワーメントできないはずである。「個人の尊厳」の基本は、まさにここにある。
長崎県は、2003年の長崎市での幼児突き落とし殺害事件の後、「命の大切さ」を教える「心の教育」に力を入れてきたという。しかし「心の教育を徹底してきたつもりだったが、子どもたちの心に響いていなかった」(佐世保市立大久保小校長の話、毎日04年6月27日)わけである。命の大切さ・尊さ・重さ、そしてはかなさを、徳目を中心とした「心の教育」で「指導」して「教え」て「わからせる」ことができる、と考えること自体に問題があるというべきではないだろうか。それは、たとえば人がいたずらに殺されているイラクや自殺多発社会日本のリアルな現実に目を向けつつ、生活的な経験をともなう「感性的な了解」によって子どもたちの内側に紡がれるものである。それゆえに、「総合学習」のような参画型の学習機会を拡充するなど、教育のあり方そのものを根本から見直すことが求められているのではなかろうか。
事件の原因を子どもたちに求め、子どもたちを「いじくりまわす」対策を教育としておこなうのは、止めにしよう。社会を、大人の生き方を、子どもたちが自己肯定感をもって生き育つことができるように変えていくことこそが、肝要である。こうしたことは、「個人の尊厳」(憲法・教育基本法)に基づく教育を現実化していくことで可能となることを、改めて確認したい。
2004年7月20日
国民教育文化総合研究所
(引用以上)
なるほどなぁ、と思ってはいけません。こういう「一見正論めいた」発言の中に、日教組らしさが隠されているのです。
まあ、あまり眉間にしわを寄せず、硬軟取り混ぜて突っ込んでいきましょう。
まずは、日教組の「知的レベル」から。
>「to be(being)ではなく、becomingばかりが強調され
あのですね、to不定詞は、今の状態ではなく、「これから」そうあるべき状態ですよ。beingだけの方が英語としては自然です。英語の先生は日教組の中にいないんでしょうかね?
それに、後ろの方のbecomingもおかしいですね。大人が今は違うけど「これから」こうであってほしいという意味の「なること」なら、to becomeにしなくてはなりません。ingを使ったら、過去(なった)か現在進行中(なりつつある)になってしまいます。
子どもの学力低下が叫ばれていますが、学力低下しているのは、日教組の方だということが判明しました(笑)。
まさか、「カウンセラーの言っていたのをそのまま引用しただけで、自分たちに責任はない」なんて、いいませんよね、センセー??
> 『ダメなところがあってもそれがあなただ』という全部をひっくる
>めた自分を抱きしめて、というメッセージを常に送ることが大切
日教組には国語の先生もいないようですね。この文章、はっきり言ってど下手くそです。
通常、「という」が出てきた場合、前は他者のセリフ等「引用」していて、その後ろにその意味内容の説明が来るはずです。
ex. 「教え子を再び戦場に送るな」という空虚なメッセージ
ところが、上の文章は『ダメな・・・』と「全部を・・・抱きしめて」が「という」によってつながれており、極めて冗長になっています。しかも、「抱きしめて」の後にまたも「という」が使われており、何が何だかわからなくなっています。おそらく、書いている方も言いたいことが多すぎて、頭の中を整理できていないのでしょう。
「義務教育は将来への投資!」などと日教組のHPに書いてありますが、日教組の活動家がいる学校に子どもを通わせたりしたら、貴重な時間が最悪の不良債権になりかねませんね。
> 子どもはいつも元気なよい子であることを求められ、無意識の
>うちに「怒り」や「悲しみ」を心の中に閉じ込め、
>大人が望むように自分を合わせる。
別に、いつも元気な良い子であることを求めている大人ばかりではないと思いますし、大人が望むような振る舞いをする子どもがそこまで沢山いるとは思いませんがねぇ。
日教組というのは、こういう一方的なものの見方をして、常に子どもを被害者扱いしますね(その割には、自分たちは大したことをしてない)。そうして、国や教育委員会といった敵対勢力の権威を潰そうとするわけです。「日本帝国主義にいじめられている貧しくて可愛そうな人民」を救ってあげる「人民の模範である○国共産党」と、プロパガンダのやり方が極めて似ています。
上の「抱きしめて」云々もそうですが、親が子どもに対して価値観を注入するということを、絶対悪だと決めつけるのもこの団体の特徴です。なぜなら、親が子供にそういうことをすると、自分たちの思想を擦り込むことが出来ないからです。親子や兄弟といった家族的なつながりを否定するのは、典型的な共産主義の発想です(毛沢東の「文化大革命」でも、紅衛兵になった子どもが父母をつるし上げることがよくあった)。
あるいは、「投射」といって、自分たちの願望を「大人一般」というレベルに投影させているのかもしれません。みなさんも、子供の頃(もしかしたら、最近も?)経験したことはありませんか?「あいつは、俺のことが嫌いなんだよ」と言っている自分が、実はその人のことを嫌っているということを。本当は、日教組も、いわゆる「いい子」の方が好きなのでしょうね。何しろ、「日本は悪いことをした!アジアの人々に謝罪すべきだ!」などと妄言を吐いても、素直にうんうん言いながら聞いてくれるでしょうし・・・。
>「心の教育」はむしろ逆にストレスを膨らますだけである。
そりゃあ、教え手が日教組の組合員だったら、ストレスもたまるでしょう。小学生に出産するときの様子を無修正写真で見せたり(これ、本当らしいです。立ち読みした 『正論』という雑誌に出ていました)、「中国人女性を強姦して殺した後はらわたをひきずりだす日本兵」(もちろん真っ赤なニセモノ)の写真を使って教育してしまうのですから、「心の教育」でもどんなことを教えるか、だいたい想像がつきます。
だいたい、利他精神や勤勉さや文化伝統に対する敬意も無く、欲望とイデオロギーのコンプレックス(複合体)になっているような人間に、情操教育などできるのでしょうか。教えている側からして情緒不安定人間なのですから、日教組の組合員こそ「心の教育」を受けた方がいいと思われます。
>エンパワーメント
意味不明な左翼用語が出てきましたね。
empowermentとは、「力を与えること」という意味ですが、日教組のような左翼団体が使うと、女性などの社会的「弱者」が権力の中に入り込んで、圧殺されてきた自分の要求を押し通すことになるようです。まあ、早い話、田嶋陽子みたいになるということですね。
>命の大切さ・尊さ・重さ、そしてはかなさを、徳目を中心とした
>「心の教育」で「指導」して「教え」て「わからせる」ことができる、
>と考えること自体に問題があるというべきではないだろうか。
これも、問題をはき違えていますね。こういう教育の効果があったかなかったかが、佐世保事件の問題ではないのです。あそこまで狂ったようにインターネットにのめり込まないように、個別に対処すればよかっただけの話です。
日教組に限らず、左翼的な連中というのは、ものすごく特殊なケースを持ってきて、それを制度の欠陥のせいであると主張するのを常套手段にしています。この場合、狭山事件か何かのように、レアケースをご神体のように祭り上げ、自分たちの功名心や自己顕示欲を満たしているだけの場合がほとんどです。騙されてはいけません。
>人がいたずらに殺されているイラク
話が飛びすぎです(笑)。 イラクで人が死んでいる話をしたら、長崎のカッター殺人事件は起きなかった、と。棒高跳びのブブカも真っ青の飛躍ですね。日教組の組合員は、子ども相手だからといって、こんなむちゃくちゃな話ばかりしているのでしょうか。だから、まともな大人に相手にされないのでしょう。
>自殺多発社会日本のリアルな現実
本当に左翼というのはやりかたがワンパターンですね(笑)。これは、「醜悪なもの、劣悪なものの中にこそ真実がある」という彼ら特有の歪んだ価値観の現れです。上に挙げたような出産無修正写真などがその良い例です。それにしても、自殺が多発している現実を見せて、子どもが「おれもがんばろう!」などと思うんでしょうか?
どうせなら、広島県で校長先生が自殺した事件(※下注)などを取り上げると、日教組が全体主義者の集まりだということがわかっていいと思います(笑)。
※注:広島県教職員組合が校長を日の丸・君が代のことで締め上げて
自殺に追い込んだ「広島県立世羅高校事件」のこと。
詳しくは、●こちらのサイトをご覧ください。
>「総合学習」のような参画型の学習機会を拡充するなど
まだ今時「ゆとり教育」を推進すべきだとか考えている人たちがいるんですねぇ。きっと、教科書を使うと教育指導要領に従わざるを得ず、自分たちの赤く燃え上がる思想の流布に都合が悪いからでしょう。そうやって、子どもがどんどん勉強しなくなっていくわけです。
参加といわず「参画」(男女共同参画を匂わせる)というというのも嫌らしいですね。
>子どもたちを「いじくりまわす」対策を教育としておこなうのは、
>止めにしよう。
この文章で、最大・最狂のヒットはこの部分で決まりでしょう。人権や平和を熱く語り、日本の悪口を散々子どもの頭に注ぎ込むという、子どもたちを無用に「いじくりまわす」教育をしているのは、自分たちであるということに全く自覚がないようすです。
本当に頭のおかしくなった人は「俺は異常じゃない、周りの人間がおかしいんだ」などと言い出すらしいですが、日教組はもうそれに類する末期症状にあるようです。
> 社会を、大人の生き方を、子どもたちが自己肯定感をもって
>生き育つことができるように変えていくことこそが、肝要である
この部分で言いたいのは「社会を」「変えていく」ということだけでしょうね。今の世の中は間違っていて、ほとんどの人間が自民党に投票する愚民だから、革命を起こすしかない、という、典型的な左翼思想がかいま見えます。
>「個人の尊厳」(憲法・教育基本法)に基づく教育を現実化していくことで
>可能となることを、改めて確認したい。
あれだけ子どもがおかしな事件を起こしているのに、この馬鹿な団体はまだ反省していないようですね。これも左翼にありがちな思考パターンなのですが、そもそも自分の発想自体が間違っているのに、「やり方が徹底していないからだ」と、間違いを認めないで、さらにやり方が過激になっていきます。もう、こうなると「あさま山荘」状態になるまで止まりませんね。
さて、そろそろ日教組のホームページ(リンクは●こちら)に遊びに行ってみましょうかねぇ。首相の靖国神社参拝について、彼ららしい主張をしてくれていそうで、楽しみです。