笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

3月24日(木)の「ほぼ日」 ~備忘録として

2022年03月31日 12時34分11秒 | 日々雑記
令和3年の年度末に相応しいな~、と思い、備忘録として残します。
「めげない」ってことについて、自分でもいろいろ思うところのある年度末でしたので。
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・だれかがやってきたなにかが
 成功したとか、軌道に乗ったとか、勝ったとか、
 とてもうまくいったと知ったき、ぼくは思う。
 「めげずにやっていたもんなぁ」と。

 成功の直前までは、まだ成功してないわけだから、
 他人事として見たら「どうなるかわからない」だったり、
 「うまくいってないみたいよ」だったり、
 「ダメなんじゃないかなぁ」だったりするものなのだ。
 ずっと前、井上陽水さんが「だれも、ぼくが
 歌手になれると思ってなかった」と、ニヤリと笑っていた。
 大谷翔平選手の投手と打者の二刀流にしても、
 王貞治さんの一本足打法にしても、人は懐疑的に見ていた。
 企業で言えば、「ユーチューブ」でも「アマゾン」でも、
 「アイフォン」でも「グーグル」でも「テスラ」でも、
 それが「うまくいく」までの道は、「ダメそうだね??」
 という疑いの泥沼をくぐり抜けていたのではなかったか。
 うまく行かない要素をあげるのは、わりと簡単なのだ。
 ぼくも知ったかぶりして懐疑的に見てたことを憶えている。

 生まれたときから神童で、そのまま天才として育って、
 だれが見てもなにをやってもうまく行くように思われてて、
 しかもほんとにうまくいったのでした…なんて人や組織が、
 現実にどこかにあるとは、どうにも考えにくい。

 たいていのものごとは「めげたくなる理由」に足を取られ、
 つまずき転びながら進んでいくものだし、
 そこであきらめることが安心の道である場合も多い。
 しかし、実際に成功した数々のケースを考えてみたとき、
 「いちばんめげなかったのが本人」なんだよなと思うのだ。
 道を逸れていると気づいたとき、方向を修正するとか、
 ちっとも芽が出ないときなにかを試してみるとか、
 いずれ役立ちそうな踏石をどこかに置いておくとか、
 ありとあらゆることを考えて、やり続けてきたから、
 きっと「なんとかやれた」のだ。

 「めげない」こそが、なによりの条件なのだと思う。
 事の大小はあるけれど、どんな利口そうな「正解」より、
 ほんとうに大事なのは「めげない」なんだよな。
 そしてなにより大事な「めげない」方法とは、
 おそらく「本人=当事者」であることなんだね。

 「本人」のことば、「本人」の希望、「本人」の生き方を…。
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新年度も、たくさんの「めげない」人々に会えますように(^^)
コメント
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