酔いどれ反省会

反省出来ない人の反省文

昨今のサンタ事情

2010年11月29日 20時27分47秒 | 日記
11月もそろそろ終わる。週末はもう師走らしいです。この時期はね、街はもうどこに行っても「クリ」だの「マス」だの、いやらしい事ばかり言ってらっしゃる。ウブな僕は顔を上げて歩けないわ本当に。ネーミングがよろしくないわよね。キリスト教徒じゃないくせに!!!!なんて言わないから、せめて名前だけでも日本仕様にしていいんじゃないかしら。ホトトギスとか、キリギリスとかで良いんじゃないかしら。文字数が一緒だし。「文字数が」って言うか、文字数だけだけど。ま、最後の「ス」も一緒か。苦しいか。いずれにせよ、俺にはどうでもいい話か。

それの関係でこの時期、街中の建物の壁に、よくサンタクロースが張り付いている。あれを街中で見かけるたびに「あれって、どうなんだろう…」と、何だか複雑な心境になる。普通の人と同じような大きさのサンタだったり、キャラクター的にデフォルメされた巨大なサンタだったりと、様々なサンタが様々な建物の壁に張り付いているのだが、それぞれ壁に張り付くサンタの背中を見ると、前者のサンタは不審者にしか見えないし、後者はキングコングにしか見えない。

まぁ、それは置いておこう。問題はそこじゃない。

そもそも何で壁に張り付く必要があるのか、と言う事だ。いや、張り付いているのではなく「よじ登っている」のだと言う事はわかる。壁をよじ登って屋根まで行き、煙突から家の中に入ってプレゼントを置いてこよう、という事なのだろう。きっとそう言う事だと思うんだけど、やっぱり「何で壁をよじ登る?」と思わざるを得ない。だって、サンタは空飛ぶトナカイにソリを引かせて飛んでくるという物語じゃないか。それで屋根に着陸して煙突から屋内に入る、っていうさ。「壁をよじ登る」と言う事は、「空を飛ぶ事無く、直に地面を滑ってきた」という事になる。そうなると「何でわざわざ壁をよじ登る?」と思うが、ドアや窓は、全て鍵が掛けられているので、中に入るには煙突のみ、と言う事か。

何だろう、このファンタジーと現実が入り混じっている感じ。。

昨今のサンタクロースについては、これが常識なのだろうか。空を飛んでくるサンタと言うのは、もはや古いのだろうか。今やサンタは普通に赤信号では止まるのだろうか。もしかしたらこれは、「サンタクロースなんか本当は存在しなくて、毎年のプレゼントは親からだったんだよ」という事を子供に知らしめるための策略かもしれない。いきなり「実はパパでした!!!!」なんて言うと、一気に夢がぶち壊れて子供のショックも大きいだろうから、順を追って子供にすり込んでいるのかもしれない。「まずはサンタは空を飛ばない、という所から」みたいな感じで。来年あたり、トナカイの存在も抹消されて「サンタはハイエースでやってくる」が常識になるやもしれない。「真っ赤なお鼻の♪」という歌も、「真っ赤なバンパーの♪」と、気づかぬうちにすり替えられているかもしれない。そして数年後には、サンタのあのお決まりの衣装も無きものにされ、スーツ姿の疲れた感じのおじいちゃんが車から降りてきて、普通にドアベルを鳴らして「お届け物です~」という物語になっていて、さらに数年たつと、サンタなどという存在はもはや無くなり、親が汗水流して働いたお金でプレゼントを買うという事が子供の中の常識となっている事だろう。ま、今もすでに常識になってるだろうけどね。あぁ、悲しいな。壁に張り付くサンタが、スーツ姿のお父さんになる日も近いかもね。
コメント
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