敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

七五三

2007-05-18 23:27:13 | 日記 戦中編
昭和十九年十一月十五日 晴れ 二,三直出勤
 出勤の途。宮詣りの人を見て気付いたが今日は七五三だった。 三男五才、四女三才の二人居たがすっかり忘れていてお詣りもしなかった。
 平和時代なら、妹の家にも居る筈だから何かと気を配って祝物でも持って行かねばならぬが、そんな心配もない。
 それにしても春日町に行くと母と子が平和時代其の侭の服飾で歩いて居る人があった。 未だ斯様なものが居るのは困ったものだ。
 今、空襲の心配は勿論だが、特別攻撃隊が日々戦果を上げて居る際、前線の人々を思うとき、如何に子が可愛いとて斯様な姿でねり歩けない筈である。
 若し空襲でも受けたら 長袖、長裾で可愛い子を護る事が出来るか。
 可愛い子を空襲も受けずに育てられるのは前線勇士のお陰ではないか。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
特攻 (淳子)
2007-05-19 11:05:56
日々、更新ご苦労さまです。七五三に平和時代其の侭の服装をしている人を見て、最前線で戦う人を思えるおじいちゃんを誇りに思います。17歳や18歳で特攻隊になり出撃して行った人達は、残していく家族が安心して、それこそ晴れ着を着て七五三を祝える平和な時代になるよう祈りながら逝ったのだと思います。一昨日、俺は君の為にこそ死にに行くと言う映画を観ました。都知事が関わってますからちょっと右に偏った作風な気はしましたが、特攻隊で散った人達は犬死とか馬鹿だと物知り顔で言えなくなりました。少なくとも彼らは私達と同じように家族を何より大事に思い守りたいと思ったのでしょう。おじいちゃんが自分達の平安は前線勇士のお陰で守られているではないかとの思いは戦争賛美でも何でもなく同じ年頃の子を持つ親としての彼らへの祈りだったのではないかと思いました。
返信する

コメントを投稿