敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

水街道にフスマの買出し

2012-01-16 23:12:49 | 日記 戦後編
昭和二十一年六月十三日 晴 休み

 M君との約束でフスマの買出しに行くため休暇を取った。 朝四時に起床六時出発した。 昨夜月が笠をかぶっていて もう入梅らしいので天気を気遣っていたが大丈夫だった。
 都電で巣鴨まで行き巣鴨から省線で日暮里に行った。 約束の七時より二十分程早かった。 汽車は九時過ぎまでないらしいがともあれ一歩でも先へ行こうと云うので省線電車で松戸まで行った。 九時四十分仙台行きまで約二時間程あるので外に出て闇市を見た。 胡瓜が三本十円で東京と仝じ。 只大根が五本で八円から九円、蕪が四把十円で東京よりいくらか安いだけで大した変りはなかった。
 仙台行きの汽車は相当な混雑で二人とも窓から飛び込んだ。 取手に着くと常総線の列車が向かい側のホームに着いて居た。 我孫子までは釣りのため二度程来た事があるが一つ先の取手は初めてで 常総線も釣りをしながら河岸で眺めた事はあるが乗るのは初めてだ。 汽車は古く小さな箱で、此処も戦争の影響で荒れ放題に荒れて居た。
 田の中ばかり通るかと思っていたら丘陵地帯で松林の間が多く思ったより沿線は美しかった。 
 十時頃取手から五つ目の駅 水街道に着いた。 巾のあるちょっとした町で買い出しの人が沢山下車した。 此処からバスがあると云う話であったので駅前の常総バスに入り聞いてみると午後の三時半でなければ出ないと云う話に驚いて歩き出した。
 小貝川と云う川に架かっている田舎には珍しい程の立派な橋を渡り、左折して川沿いに歩いて行った。 美しい川、広い畑、遠近のの森、良い道、之が買出しでないとしたら良い遠足だ。  景色を見ながら約一里 福岡と云う村に着いた。 話に聞いた精米所に入ってフスマがあるかと聞くと、今ない。 向こうの農業会に行けばあると云う。 農業会事務所に入った。 矢張りなかった。
                          (つづく)