敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

銀座が空爆

2007-09-10 22:17:31 | 日記 戦中編
昭和二十年一月二十七日 晴、曇 二、三直出勤
 昨日、火鉢を防火用水槽にしたが、水が浸み出し一夜で約一寸程減っていた。
矢張り火鉢は火鉢で、瓶ではないのかも知れない。

午後一時半頃、新宿車庫に行くため花園神社付近を歩行中警戒警報発令になった。
敵は五編隊に別れ総計七十機程静岡方面から帝都に侵入、雲上より盲爆して行った。
雲が低くて空が少しも見えず、雲上で機砲を射ち交ふ音、敵機の発動機の音、友軍機の急上昇の音、等が交錯して聞こえ洵に無気味だった。
 間もなく、新宿の十一系統、新宿 築地間の運行が止まった。銀座の変電所が爆砕したと言う話が伝わって来た。
夜になって交通局車両係のA君から電話があり、銀座四丁目、数寄屋橋間が殆んど焼けてしまった事、変電所は無事であるが基電線がやられたために運行が止まっている事、有楽町に三個落下し待避中の人々が多数死傷。 トラック五台で運搬している事、等々の大体の被害状況が判明した。
 二十三日に名古屋方面に七十機来襲し、その六十三機を撃墜破され、四日置いて又、七十機来襲である。 
物の量にはたしかにあきれる。

防火用水

2007-09-10 21:26:15 | 日記 戦中編
昭和二十年一月二十六日 晴 公休
 寒い朝だった。被いをして置いたのに井戸が凍ってしまった。
蜀黍(もろこし)のからを燃やしてやうやく水が出た。
 茶の間にあった火鉢の灰を捨て二階に持って行って防火用水槽にした。そしてバケツ一つをその上に置いた。
今まではバケツを置いていたのだが、一つでは八升位の水しか入らない。火鉢はバケツで四杯入れて未だ余分がある。
 午後、又バケツの修繕をした。一個底が抜けたのがあったので、底を新しく作って入れた。先日から度々修理したのでバケツの数が増えた。用いたら必ず用水槽の板の上に置くように話しておいた。 水の所へ駆け寄ってもバケツがないと云うやうでは困る。
必ずあるように習慣をつけて置かねばならね。 斯うしておけば敵機も何でもない。