昭和十九年十月二日 雨後曇、明け
大宮島(グアム島)、テニヤン両島の我守備隊が又全員戦死との事が昨日発表になった。
末次大将の談話が新聞に出ていたが、必ず攻勢転移の時が来るからそれまで国民は軍を信頼して一路増産に勉めなければならないと云う。
それは判って居るが戦士者と島に残って軍と協力した人々が洵に気の毒に堪えない。 攻勢転移の期が一日も早からん事を祈る。
今夜は月見であるが戦時下の事とて団子一つない。 裏で取れた栗が役五百匁程あったのでゆでて皆に分けてやった。 一人六ヶ宛分けられた。
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テニヤン島は 8月2日、 グアム島は 8月11日に玉砕 (wikipedia より)