
新一年生のO君
弟の前ではとっても威張りんぼさん。
だけど、その日は弟はお休み。O君一人がお母さんに連れられてきました。
いつもの威張りっぷりは影を潜めて、とっても不安で泣きそうなお顔。
お母さんの服を掴んで離しません。
私の顔を見て逃げようとする始末。
ああ、新一年生になると皆こういう不安定な時がやって来るんだなあ・・。
春だなあ・・・としみじみ・・・・
「すみません。この頃ずっとこんな感じで・・・」
「みーんなそうですよ。特にO君は二人下にいるし我慢ばっかりしてるもんね」
「そうなんです。幼稚園に入りたての時も3ヶ月泣いてばかりいました」
「あははーうちの子(Jr.)は1年泣きましたよ(^0^)3ヶ月で収まったら立派なもんです」
入り口で行きつ戻りつしていたO君
お母さんと一緒に座ってやっと落ち着いて作りかけの小物入れを作り出しました。
お母さんは ソーーーーっと出て行って、しばらく泣きそうになっていたけど何とか踏ん張って小物入れを完成させました。
そりゃ毎年この季節は色んな子が10人十色の不安定さを見せる季節です。
迎えに来たお母さんが言いました。
「受け入れて下さるだけでも有難いです」
受け入れてくれない所もあったんだね。
弱い事は悪い事じゃないんだよ。
知っているよ。君がそうやって自分の弱さと必死に戦っている事を。
先生も弱い大人だから君の弱さ寂しさは身に沁みるほど知っているよ。
先生も君が荒れたりしたら叱ってしまうかもしれない。いつも大らかな気持ちで君を受け入れられないかもしれない。
それでも構わないかなあ?
弱い大人だから、弱さを知っているから、君を受け入れられる事が出来る。
知ってる?
よわさのゆりかごの中で育った人は、よわさを知る本当に強い大人になれるんだよ。
良い子にはなれないかもしれないけど、弱い人にやさしい、本当に強い大人になれるんだよ。
やさしさのゆりかごの中で、よわさのゆりかごの中で育った人は
きっときっと自分の弱さを知る人になれる。
きっときっと他者を受け入れられる人になれる。
自分の弱さを受け入れられないで、人を傷つけたり、人を殺したり、自分を殺したりしない。
よわさのゆりかごの中から巣立った君を
きっと待っている人が必ずいるから
そして誰かをきっと助ける人になるから
だから今は
よわさのゆりかごの中で
ゆっくりゆっくり泣きながら
そだってください。
また若い人が自ら命を絶ちました。
どうか、よわさを受け入れて。
きっとそのよわさから巣立ったあなたに救われたい人がどこかにいるから・・・・・
面白いんですよね、見てて。。
今、小さい子が人見知りしたりふてくされたりしているのを見ると、かわいいなあ~って思います。
あの頃、不安でいっぱいの子をかわいいなあ~って抱きしめてあげたらよかった。
時間は戻らないけど、次はも少し優しい心で寄り添いたいなと思います。
だから一歩も二歩も引いた「習い事の先生」って立場で思いっきり可愛がっちゃいます。無責任ですね、私。。
ところで、うちのアホ息子はすっかり休みボケしてしまって、今日弁当を忘れていったんですよ。
しばくど!ゴルア!(やっぱり自分の子となると話が・・・)
子供だけでなくお年寄りも手のマッサージをすると精神的に不安定な人も落ち着いた顔をされます。
「ここに居ますよ。味方になる人間は」という捉えかたにもなるのでしょうね。
誰かが、やさしさの浮き輪を投げてくれたら誰も溺れることはないし、沈んで行くことは無い。
若い子もそうでない人も生きていこう。
中学時代は仲の良い友達でしたが、私は新しい友達とすぐに溶け込み、そいつとはクラスも違う、クラブも違うで、疎遠になってました。
友達に聞くと、何度かSOSは発信してたみたいです。
あの時、声を掛けてあげれば、こうしてやればと、今でも凄く引き摺ってます。
今日の記事を見て思い出しました。
沈んでも溺れても、それでも生きていけるんですよ、って事を知らなさ過ぎるんじゃないでしょうかね?
それにしても、今はお年寄りも無茶苦茶ですね。
それまで歩んできた人生経験をまるで生かせてない人が多すぎるような気がします(--;)
人間何よりも辛いと感じる時は「疎外感」を感じた時じゃないでしょうか。
私など転勤族の妻ですし、「何者でもない存在」に何度もなりました。
あれほど辛い時は無かったです。(でも、娘の病気を経験してからは自分の事だけでは悩まなくなりました)
身近な人が自殺したら周りの人の人生にも影響を与えてしまうのですね。
でも、引き摺らないよりは引き摺る人のほうが好きです。
忘れないでいてあげるのが何よりの供養なんだと思います。