獏の食わず嫌い

プロ野球を好きになってほんの45年です。阪神のせいでネガティブ根性が骨まで染み付いております。

星野仙一氏のご冥福をお祈りします。

2018-01-08 00:53:34 | 野球
ちょっとまだ信じられない気分でいます。
昨日亡くなったと言う一報を聞いて、すぐにブログを書こうと思ったのですが、なかなか整理が付かなくて今になってパソコンの前に座ったものの、まだちょっと言葉が浮かんできません。

星野氏に対する印象は実に複雑で多面的。

光を当てる角度によって、実に違った色を反射するのだな・・と最近になって感じた矢先でした。

星野氏と言えば

*暴力支配
*鉄拳制裁
*中村捕手鼻血
*パウエル激怒(真偽のほどは不明
*米国人審判に暴行
*扇風機破壊
*北京五輪惨敗
*投手酷使(与田とか与田とか
*爺殺し
*巨人に対する数々の無礼な発言
*乱闘
*乱闘
*乱闘


もっと書こうと思えば書けるんですが・・・

何よりも阪神SD(なんだ?この肩書は)時代から北京五輪辺りはお金の事とか色々とあって、阪神と変な関りは早く切って欲しいなと思っていました。

北京の惨敗があって楽天の監督に就任した直後は星野式のやり方がパリーグの若い人たちに受け入れられるのか気になっていたのですが・・

数年前
たまたま元阪神の選手のお店に行ってトレードで何人もの監督の下でやった経験のある選手だったので、歴代監督の印象を聞いてみたところ

「星野さんが一番やりやすかった」
と言うので、意外だな・・と思った。
「星野さんは確かに怖かったけど何で怒っているか明確だった。わかりやすかった。怒るときも失敗したその時怒ってくれる。後からグチグチ言われても困る。」
(反対に野村さんはやりにくかった・・岡田さんは・・・岡田さんの時にトレードに出されたので論外で(苦笑))

まあ相性もあるのだろうけど。。
山本昌の本でも星野氏の人心掌握術を絶賛していた。

今岡の本ではもう星野さんラブで溢れていて・・・(苦笑)
星野氏の本でも今岡はべた褒めされているので相思相愛でよかったですね(笑)

星野氏は若いころは無自覚だったと思うのだけど、燃える男を演じすぎていたんじゃないかと考えた。
殴られた方はたまったもんじゃないんですけどね(^^;)

ただ、思っていたより選手や下っ端の選手や裏方さんから恨まれるようなことは無かったのはとてもクレバーで繊細な人なので、人の性格を見て対応を変えていたからだと思う。
山本昌の本に書かれているように、叱った後のフォローも早かった。



燃える男の本質は本当に燃える男なんだろうか??
野球界で生き抜いていくための鎧だったんじゃないだろうか。




震災以降、いや、中日時代と比べたら阪神時代でも少しずつその鎧を脱いで行こうとしていたんじゃないか?


セリーグ至上主義に見えたけれど五輪の失敗によって見方を少しずつ変えていった結果、パリーグのしかも地方新興球団で震災を目の当たりにして、すべての余計な鎧を脱ぎ捨てて、その能力を野球界や社会のために役立てる事が出来る・・矢先だったんじゃないだろうか?


星野氏の薫陶を受けた志を次ぐ者たちは星野氏の本質をどれだけ掴んでいるだろうか。


金本阪神の三年目に注目している。
そしてロッテに行った今岡・・・大泣きしているだろうな・・・・やや心配。

謹賀新年

2018-01-01 09:30:15 | 野球

いぬ!


あけましておめでとうございます。
年末はいかがお過ごしでしたでしょうか?

私はまた一つ年をとりました。

早いもので、50代になってから二年ほど過ぎました。

52歳ですね。サッサと言えばいいものを、ちょっといい感じの表現にしようと思って滑りました。



Jrは社会人5年目に突入です。まだ独身です。何とかなりまへんやろか?

子りさは社会人3年目に突入ですな。
子りさはめでたく去年の暮れに15年抱えた難病と縁が切れました。
主治医に「もう来なくてもいいよ」と言われました。


去年一番うれしかった事です。
このブログでもたくさんの人に励まされて支えて頂きました。
10年前の一番苦しい時を乗り越えられたのはブログのおかげです。


ブログがあって、いろんな人とつながりが出来て、野球を見に行って色んな人と交流して。
リアルで今でもお付き合いの人が多数いらっしゃいます。


本当にきつい時、大変な時、自分と家族だけでは乗り越えられない事もあるのです。
全方位に助けを求める発信をして、そして直に助言を頂けることもありました。

狭い人間関係だけで解決しようとしてはいけない。
色んな所にじたばたと話をすると視野も広がるし、深い考察が出来ます。


このブログは私にとって本当に大事なブログになりました。



ブログが無ければ野球が無ければ、乗り越えられなかった。
お世話になった野球をこれからも・・・ボチボチとですが・・・止めることなく続けて行こうと思っております。


ご清聴ありがとうございました。