林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

文法訳読と中堅私学(2)ーーBirdland!

2012年03月21日 | 英語学習
英語学習にあたって文法訳読は必要不可欠である、ただしこの方法に頼りすぎてはいけない、と書いた。

日本人の中高生が英語で落ちこぼれてしまうのは文法訳読ができなくなってしまうからである。他方、英語力が伸び悩んでしまうのは、文法訳読以外の勉強を怠っているからだ。

ところで、私立中堅進学校は「お買い得」と評価され宣伝されることがある。入学時の偏差値はあまり高くないのに大学進学実績がそれなりにあるから、教育投資するに値するという意味である。しかし、実際に生徒に接して様子をうかがってみると、そんなふうにはちょっと思えない場合が多い。(もちろん大妻多摩などのように例外的に誠実さと熱心さを感じる私学もある)。現在の進学教育の矛盾が私立中堅進学校の授業に現れているようにさえ思われる。一部の生徒が伸びるのかもしれないが、他の大半が落ちこぼれても仕方ないという姿勢があるように思われるからだ。

多くの私立中堅進学校(および一部の公立中等学校)では、文法訳読が軽視されている。おそらく、中堅校内部の学力の二極化の加速化と大いに関係している。私立中堅進学校のかなりの生徒は、公立進学高校の生徒には英語力で全く太刀打ちできないように見える。というのは公立進学校(たとえば、県立大和高、座間高)に進学できる生徒は、大半が簡単な英文を和訳することができるはずだからである。



英文法教育にはいろいろな考え方があるだろう。だが私達は、英語のロジックを英語の内在的ロジックによって理解させるべきだとは思わない。むしろ、日本語に正確に直訳しながら、学習者の日本語の文法力を借りながら、英文法を理解し習得すべきだと考えている。たとえば、次の英文がある。

Whose pen is this?
Whose is this pen?

この二つの英文を適切に訳し分けることは、私立中堅校の中学生にはそれほど難しくはないはずだ。(ただし相模原の普通の公立中学生にはちょっと難しすぎる)。whose penを「誰のペン」、Whoseを「誰のモノ」と日本語に訳させながら、しっかりと理解させるべきである。それが日本の英語教育というものではないか。

日本語には助詞があるが、英語には助詞がない。だからSVOやSVCといった文型によって主語や目的語が定まっていることを教えるのが重要である。(公立中学では「主語」と言う言葉を理解できない生徒がかなりいるので、そういう教育が必ずしも有効ではない。「私の母が車を運転する」という文章で、「私の」が主語だとか、「私の」と「母が」が主語であるとか述べる生徒も一定程度存在するからである。しかし、私立中堅校には、そのレベルの日本語力の生徒は存在しないと思われる)。そして、一番最初に来る名詞は主語だから「は」または「が」をつけて訳しなさい、そして他動詞の後に来る名詞は目的語だから「を」つけて訳しなさいと教えるべきである。(繰り返しになるが、上位校にはそんな説明は不要だろうし、逆に公立中学では理解してくれるか怪しい)。

しかし、私立の中堅進学校でよく使われている教科書 Birdlandをちょっと調べてみると、日本語を活かして英文法を学ぶという発想が全くないようにも思われる
Birdland問題集の「和訳」は、私から言わせればメチャクチャである。




目的語を「が」と訳したり「を」と訳したりしている。もっとヒドイのは「タケオは走るのが速い」である。英語の動詞を和訳では主語のように訳しているではないか。英語の副詞を日本語では述語(形容詞)のように訳している。”Takeo runs fast”ならば、「タケオは速く走る」と訳すのが当然ではないか。日本語と英語の対応関係をしっかりさせ、英語の主語を「は」または「が」で、目的語を「を」で訳す、あるいは、英語の副詞を日本語でも副詞的に訳させるべきではないのか。

だが、彼らは英語と日本語を文法的に対応させようとはしないのである。ちょうど木村松雄(元NHK基礎英語1講師)のように、英文を自然な日本語に訳してしまっているのである。つまり、日本語の文法力を英語に活かそうとはしないのである。


一番最初に来る名詞は主語であり、主語は日本語では「は」または「が」と訳すということ。他動詞の後に来る名詞は目的語であり、和訳では「を」と訳すということ。私立中堅中等学校で英語を学ぶ日本人が英文法の基礎概念を学ぶということは、そういった作業が大事なのではないだろうか。私立中堅校で学ぶ生徒には、英語と日本語の共通点を最大限に活用した英文法教育あるいは英語=日本語文法教育をしていくべきではないのか。

英語のロジックをむやみに押しつけているようでは、中堅校の生徒にとっては、英語はちんぶんかんぷんのままであろう。彼らは英語のロジックを理解することも出来ないし、日本語のロジックを使って英語を理解することも出来ない状況に陥っている。私にはそんな風に思えるのだ。