いま、サンデルの白熱教室という番組をNHKでやっている。
日本のゲスト、日本人学生、中国人学生、それからアメリカかどこかの学生が主な参加者だ。私は、大学で教えていたときサンデルに近いテーマを取り上げていたので大変興味深いと思うのだが、今回はこの番組の中身を問題にしたいのではない。
私が今注目してみたいのは、日本人学生や中国人学生の一部が流ちょうな英語で話をしているということである。(もちろん音声を英語にしてみるのである)。日本の学生について言えば、おそらくいわゆる「帰国組」であろう。
国籍や母語を超えて、世界の人々がグローバルな討議(ディスクルス)をすることが可能になるかも知れない、そんな夢をこの番組は私たちに与えてくれるようにも見える。しかし、見方を変えれば、日本人であっても英語を使いこなせるようにしなくてはならないと訴えかけているようでもある。
ゲストの日本人は日本語で話す。あの竹中平蔵ですら、同時通訳の声を聴き、日本語で話す。また、日本人学生のほとんどは、英語などは話せないことも私たちは知っている。
英語を話せる特権。英語を話さなくてもよい特権。英語を話せない立場。
いろいろな立ち位置について思いを巡らす。
日本のゲスト、日本人学生、中国人学生、それからアメリカかどこかの学生が主な参加者だ。私は、大学で教えていたときサンデルに近いテーマを取り上げていたので大変興味深いと思うのだが、今回はこの番組の中身を問題にしたいのではない。
私が今注目してみたいのは、日本人学生や中国人学生の一部が流ちょうな英語で話をしているということである。(もちろん音声を英語にしてみるのである)。日本の学生について言えば、おそらくいわゆる「帰国組」であろう。
国籍や母語を超えて、世界の人々がグローバルな討議(ディスクルス)をすることが可能になるかも知れない、そんな夢をこの番組は私たちに与えてくれるようにも見える。しかし、見方を変えれば、日本人であっても英語を使いこなせるようにしなくてはならないと訴えかけているようでもある。
ゲストの日本人は日本語で話す。あの竹中平蔵ですら、同時通訳の声を聴き、日本語で話す。また、日本人学生のほとんどは、英語などは話せないことも私たちは知っている。
英語を話せる特権。英語を話さなくてもよい特権。英語を話せない立場。
いろいろな立ち位置について思いを巡らす。