伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜ヒット継続の転機・「泣きの夜ヒット事件」

2006-02-24 | 夜のヒットスタジオ/番組史
前日の記事の続き・・・。
前日も申し上げたように、スタート当初は視聴率も音楽・マスコミの関係者からの評判も低空飛行を続けていた「夜ヒット」。ところが、1969年に入り、初頭に番組史に残るハプニングである「泣きの夜ヒット」事件が発生します。

事の発端は放送開始からちょうど3ヶ月を経過した1969年1月27日放送に遡ります。その回に当時の看板企画「コンピュータ恋人選び」で"モルモット"となったのは中村晃子さん。ところが彼女の恋人として有名人の中で誰が一番相性がよいのかをコンピュータで情報分析したところ、何と、司会者の前田武彦さんが最も相性の良い人物であるとはじき出されたのです。その途端、中村さんは号泣。その後、芳村真理さんがフォローして、何とか中村さんは涙を流しながら、「涙の森の物語」という歌を歌い、歌の最中、隣には「理想の恋人」に選ばれたマエタケさんが付き添って涙を拭う、というシーンが全国中に放送されました。

そして、この1ヶ月後の2月24日放送では、今度は、いしだあゆみさんと小川知子さんが番組内で号泣する事態が起きます。小川さんは、この頃、若手レーサーとして期待されていた福沢幸雄さんと交際していたとの噂が週刊誌などで報じられていました。ところがその福沢さんがあるレースのテスト走行中に不慮の死を遂げてしまいます。その福沢さんが生前に小川さんに宛てたメッセージを録音したカセットテープをマエタケさんが手渡した途端に泣き崩れ、いしだあゆみさんや中村晃子さん、レギュラーの東京ロマンチカなどその回の出演者が涙で歌を歌うこともままならない小川さんをサポートするというシーンが流れました。
そして、その騒ぎが一段落着いたと思っていたら、今度はいしだあゆみさんが号泣する事態が起きます。これも「恋人選び」がらみで、その時にいしださんの「理想の恋人」としてコンピュータがはじき出したのがその回のゲストの一人・森進一さん。そうすると、中村さんの時と同じく、いしださんは感極まり「ブルーライトヨコハマ」を披露している最中に涙で歌えなくなり、小川さんが付き添って何とか歌い終える、というシーンです。
この1月27日、2月24日の放送の際には、「こちらの方ももらい泣きしてしまいました」という賛辞の電話と、「いい加減にしろ」という厳しい批判の電話が局内に鳴り響き、局は電話の対応でパニック状態に陥ってしまったという逸話があるほど、この両放送の反響は凄ましいものがありました。また、『週刊TVガイド』にも放送後に「故意か、偶意か」という論評が掲載されるなど、マスコミでもこの話題が多く取り上げられました。

特に2月24日の放送のときは出演者の内2人が泣き出したということで、出演者もスタッフもかなりパニックした状態でその後も放送されていたらしく、番組の放送終了後、司会のマエタケさん、芳村さんは出演者全員を食事に誘って、その放送時の興奮を抑えようとしたそうです。

この一件を機に夜ヒットは「泣きのヒットスタジオ」という異名を取るほどに、歌手がよく涙を流しました。しかし、この「人の目も憚らずに歌手が泣きじゃくる」というシーンは、同時に、夜ヒットスタート時に掲げた「歌手の素顔を引き出す」という目標を実現させた瞬間に他ならなかったのです。それまで「雲の上の存在」としてみていた歌手の「一人間としての素顔」がそのままテレビに映し出された瞬間、それが歌手の涙であったのです。

この「泣きの夜ヒット」事件を皮切りに、賛否両論の意見が激しく主張される中で、番組への関心度も高まりを見せ始め、回を負うことに視聴率は20%台、30%台という高視聴率をはじき出し、ついにスタートから5ヶ月後の1969年3月17日放送では、番組最高視聴率・42.2%という驚異的な視聴率を記録。この時点で、当初3ヶ月程度の繋ぎだった夜ヒットは一躍、低迷の時代にあったフジテレビの中では希少なドル箱番組へと急成長し、番組の継続が決定。そして、1969年4月7日放送より、カラー放送に切り替わり、同時に演奏担当のオーケストラもその後、月曜日放送の終了まで演奏を担当することになる「ダン池田とニューブリード」(因みにモノクロの時代は「豊岡豊とスイング・フェイス」が担当していました)に交替。そして、音楽・芸能関係者も人気番組となった夜ヒットに対して、以前の「抵抗感」はいつの間にかなくなり、逆に各レコード会社・芸能事務所がこぞって所属タレントの出演をスタッフに猛プッシュするようになり、歌手、俳優からお笑いタレント、時にはスポーツ選手にいたるまで、バラエティーに富む出演陣を擁し、番組は第1期黄金期を迎えることとなりました。人気俳優であった吉永小百合さんや勝新太郎さん、石原裕次郎さん、渡哲也さん、そのほか、お笑い界の人気スターだった、クレイジーキャッツ、コント55号、そしてザ・ドリフターズもこの時代に夜ヒットに初出演し、それぞれ歌を披露しました。

2回にわたり、番組の黎明期の話をしましたが、この話は一応この当りで区切りとして、次回は夜ヒットで歌われた曲目について紹介していきたいと思います。

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8 コメント

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ありがとうございます。 (kumiko)
2006-02-24 17:59:58
resistance-kさん

初めまして。尾崎紀世彦ファンのkumikoと申します。

大変詳しいデータを載せて頂きありがとうございます。

毎日楽しみに拝読しています。

拙ブログにも紹介させて頂きました。

これからもとても楽しみにしていますので、

どうぞ宜しくお願いします。
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Unknown (resistance-k)
2006-02-24 23:07:20
kumikoさん、初めまして。

尾崎さんも夜ヒットの前期の常連組歌手の一人でしたね。

個人的には実は「また逢う日まで」よりも、8年ぶりに夜ヒットに出演したとき(1987年5月13日・6月24日)に「サマーラブ」という曲を歌っていたのが印象深いです。あの曲もあの時代の雰囲気が漂ってくる懐かしい曲ですね。



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Unknown (kumiko)
2006-02-26 10:34:25
resistance-kさん

お返事を頂きありがとうございます。

尾崎紀世彦の出演日を詳しく把握していませんでしたので大変助かりました。

「サマーラブ」はアサヒビールのCFソングでしたから

番組スポンサーと競合関係でなくて良かったと

昨日の記事を拝読して思いました。



70年代は「また逢う日まで」以外にどんな曲を歌ったのか気になります。

機会がありましたら教えて下さい。
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Unknown (resistance-k)
2006-02-26 19:19:42
1970年代に限っていうと、まだアルバムの曲などで代替、といったことは行われていなかったため、その時折に発表されていた曲を歌っていたと思います。

その点については、また、一個の記事としてこの時にこの歌手はこの曲を歌っていた、という形でリストアップしていく予定ですので、楽しみにしていてください。



番組スポンサーとの競合、あと事務所力学みたいものもあったりというのは当時どこの歌番でもあったことで、本当に厄介ですね。でも、その状態にあっても番組クオリティーが下がらなかったという夜ヒットは本当に凄い番組だったと思います。
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もう一度 (ホクデン)
2014-05-14 23:44:32
この小川知子さんと、いしだあゆみさんが泣いてしまった映像をもう一度見たいですね。
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Unknown (Unknown)
2017-02-04 22:58:19
残念ながら、小川知子さんはやらせ説が強いようですね・・・
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Unknown (Unknown)
2018-10-09 00:51:48
この時代の映像はほとんど現存していない状態ですが、奇跡的に例の「小川知子・いしだあゆみ号泣事件」の回については、1本丸々、クリアーな画質でフルで局にも残ってるんですよね。

恐らく、この回はヒットスタジオの人気浮上の契機となったエポックメイキング的な回でもあり、またテレビ史上に残るハプニングでもあったので、当時主流となっていたVTRの上書き再利用という選択をあえて「テレビ史観点」から局側も避けたんだろうと思います。いまとなっては、マエタケさん時代のヒットスタジオの雰囲気を感じ取れる貴重な映像資料であり、「残す」という選択は「英断」だったというよりほかないわけですが・・・。

小川知子さんの「やらせ」説については、ちょっと色々意見が分かれるところがあるので真偽のほどはちょっと不明ですねぇ…。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-10-09 00:51:56
この時代の映像はほとんど現存していない状態ですが、奇跡的に例の「小川知子・いしだあゆみ号泣事件」の回については、1本丸々、クリアーな画質でフルで局にも残ってるんですよね。

恐らく、この回はヒットスタジオの人気浮上の契機となったエポックメイキング的な回でもあり、またテレビ史上に残るハプニングでもあったので、当時主流となっていたVTRの上書き再利用という選択をあえて「テレビ史観点」から局側も避けたんだろうと思います。いまとなっては、マエタケさん時代のヒットスタジオの雰囲気を感じ取れる貴重な映像資料であり、「残す」という選択は「英断」だったというよりほかないわけですが・・・。

小川知子さんの「やらせ」説については、ちょっと色々意見が分かれるところがあるので真偽のほどはちょっと不明ですねぇ…。
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