今回は夜ヒット22年の中での熱演シーン、印象深い歌の場面などを取り上げます。
その第1弾は森進一さんが坂本九さん追悼の意をこめて涙の絶唱をしたことで知られる「見上げてごらん夜の星を」の歌唱シーンです。
このシーンは1985年8月21日放送での一コマです。
既に事前にこの回では「うさぎ」という7分弱におよぶ大作で森さんは夜ヒットの出演が決まっていました。ところがこの1週間前に、今も人々の記憶に鮮烈に残っていることであろう、あの御巣鷹山での「日本航空機123便墜落事故」が発生し、同航空機の乗客であった歌手・坂本九さんも、この悲惨な事故により43歳の若さで命を落としました。
森さんが紅白歌合戦に初出場したのはこの夜ヒットが丁度スタートした1968年。第19回のことです。この回の白組司会は宮田輝さんではなく、坂本九さんが出場歌手と兼ねて担当していました。その際、九さんはこういう風にコメントして森さんを送り出しました。
「鹿児島にいるおかあさん、見ていますか。あなたの進一くんが歌います。"花と蝶"。」と。
このコメントに森さんはひどく感激したらしく、それ以来、九さんを尊敬する存在の一人として位置づけ、お二人は親交を深めるようになりました(※尚、後にご指摘があり、「ナベプロ」の先輩後輩の間柄だったと書きましたが、あれは誤りで、九さんは「ナベプロ」とはライバル関係にあった「マナセプロ」の所属であったそうです。この点、お詫びして訂正いたします。)
その尊敬する九さんを番組、そして彼の残した歌を通じて追悼したいと、森さん自身がスタッフに翻意し、上記の「うさぎ」を歌うことを急遽キャンセルして、このシーンが実現しました。
九さんの「見上げてごらん夜の星を」とは違い、特別指揮を務めた服部克久さんの手によるジャズ風アレンジの音楽、そしてバックに合唱団を従えて、森さんはこの曲を歌いました。歌がサビの部分に入る頃になり、彼は目に涙を溜め、歌いきると同時に一筋の涙が流れ落ちました。そのあまりにも哀しい彼の歌声と、そしてその歌を通じて見えてくる生前の九さんの姿がオーバーラップし、スタジオ内は静寂につつまれ、出演者やスタッフも涙を流しながら、森さんの歌に聞き入っていました。
管理人自身、あの事故が起きたのが丁度幼稚園低学年の頃で、九さんが生前に映画・テレビ・舞台に八面六臂の活躍をしていた姿をリアルタイムで肌で感じていた世代ではありません。しかし、この時のスタジオの関係者が流した涙が、坂本九という人物の人間性とそれまでの芸能史における大きな功績をそのまま現していたと、物心ついて、この場面を思い返す度に実感します。言葉以上の故人への強い思いが森さんの歌にはこもっていたのではないでしょうか。あれほどまでに歌手が一人の人間としてのメッセージが歌を通じて伝わってきたと私が実感した場面は、この絶唱シーンを置いて他にはなかったように思います。それほどに衝撃的な一場面でした。
豊富な才能を持った一人のエンターテイナーの死、それは芸能界・放送界だけでなく、彼の歌声や姿を通じて励まされてきたファンや視聴者にとっても"大きな損失"ではなかったか、と悔やまれてなりません。九さんがまだ存命であれば、今の芸能界やテレビの世界も少なからず違ったものになっていたと容易に推知できます。
「あのとき、確かに九さんは、いつものようにニコニコしながらスタジオの中にいたと思います。」司会の芳村真理さんが番組降板後に同シーンを回顧して述べたこの一言が今でもこのシーンと共に思い出されます。今も森さんを初め、九さんと時間を共有してきた仲間やファンの人たちの心の中には「ニコニコした顔の九さん」はこれからも生き続けるのだろうと思います。
その第1弾は森進一さんが坂本九さん追悼の意をこめて涙の絶唱をしたことで知られる「見上げてごらん夜の星を」の歌唱シーンです。
このシーンは1985年8月21日放送での一コマです。
既に事前にこの回では「うさぎ」という7分弱におよぶ大作で森さんは夜ヒットの出演が決まっていました。ところがこの1週間前に、今も人々の記憶に鮮烈に残っていることであろう、あの御巣鷹山での「日本航空機123便墜落事故」が発生し、同航空機の乗客であった歌手・坂本九さんも、この悲惨な事故により43歳の若さで命を落としました。
森さんが紅白歌合戦に初出場したのはこの夜ヒットが丁度スタートした1968年。第19回のことです。この回の白組司会は宮田輝さんではなく、坂本九さんが出場歌手と兼ねて担当していました。その際、九さんはこういう風にコメントして森さんを送り出しました。
「鹿児島にいるおかあさん、見ていますか。あなたの進一くんが歌います。"花と蝶"。」と。
このコメントに森さんはひどく感激したらしく、それ以来、九さんを尊敬する存在の一人として位置づけ、お二人は親交を深めるようになりました(※尚、後にご指摘があり、「ナベプロ」の先輩後輩の間柄だったと書きましたが、あれは誤りで、九さんは「ナベプロ」とはライバル関係にあった「マナセプロ」の所属であったそうです。この点、お詫びして訂正いたします。)
その尊敬する九さんを番組、そして彼の残した歌を通じて追悼したいと、森さん自身がスタッフに翻意し、上記の「うさぎ」を歌うことを急遽キャンセルして、このシーンが実現しました。
九さんの「見上げてごらん夜の星を」とは違い、特別指揮を務めた服部克久さんの手によるジャズ風アレンジの音楽、そしてバックに合唱団を従えて、森さんはこの曲を歌いました。歌がサビの部分に入る頃になり、彼は目に涙を溜め、歌いきると同時に一筋の涙が流れ落ちました。そのあまりにも哀しい彼の歌声と、そしてその歌を通じて見えてくる生前の九さんの姿がオーバーラップし、スタジオ内は静寂につつまれ、出演者やスタッフも涙を流しながら、森さんの歌に聞き入っていました。
管理人自身、あの事故が起きたのが丁度幼稚園低学年の頃で、九さんが生前に映画・テレビ・舞台に八面六臂の活躍をしていた姿をリアルタイムで肌で感じていた世代ではありません。しかし、この時のスタジオの関係者が流した涙が、坂本九という人物の人間性とそれまでの芸能史における大きな功績をそのまま現していたと、物心ついて、この場面を思い返す度に実感します。言葉以上の故人への強い思いが森さんの歌にはこもっていたのではないでしょうか。あれほどまでに歌手が一人の人間としてのメッセージが歌を通じて伝わってきたと私が実感した場面は、この絶唱シーンを置いて他にはなかったように思います。それほどに衝撃的な一場面でした。
豊富な才能を持った一人のエンターテイナーの死、それは芸能界・放送界だけでなく、彼の歌声や姿を通じて励まされてきたファンや視聴者にとっても"大きな損失"ではなかったか、と悔やまれてなりません。九さんがまだ存命であれば、今の芸能界やテレビの世界も少なからず違ったものになっていたと容易に推知できます。
「あのとき、確かに九さんは、いつものようにニコニコしながらスタジオの中にいたと思います。」司会の芳村真理さんが番組降板後に同シーンを回顧して述べたこの一言が今でもこのシーンと共に思い出されます。今も森さんを初め、九さんと時間を共有してきた仲間やファンの人たちの心の中には「ニコニコした顔の九さん」はこれからも生き続けるのだろうと思います。
今、サントリーのCMで流れていて森さんのあの熱唱を思い出しました。
経緯など知れて感謝です<(_ _)>
森進一さんの頬を伝った涙が印象的です。
このシーン 森さんが坂本さんを
お送りだす曲を
もう一度お願いです
あの動画、また観たいですが…無いんですね…