伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅵ(1980,4~1982,3)

2006-05-31 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和55(1980)年04月21日(第597回)
・桑名正博、アン・ルイス夫妻(当時)が共演(但しジョイント企画は用意されず、それぞれ当時の新譜をソロで披露)。
・若年層に人気のロックミュージカル集団、ミスタースリムカンパニーの面々が歌手として出演。
◆昭和55(1980)年04月28日(第598回)
・松田優作初出演。「YOKOHAMA HONKEY TONG BLUES」ほか3曲をメドレー形式で披露。
・80年代女性アイドルの代表格・松田聖子初出演。デビュー曲「裸足の季節」を披露。
◆昭和55(1980)年05月05日~26日(第599回~第602回)
放送600回記念月間として放送(※第600回は5月12日放送)。
◆昭和55(1980)年05月05日(第599回)
水谷豊が初出演(歌:あす陽炎)。
◆昭和55(1980)年05月12日(第600回)
大地真央、シーナ&ザ・ロケッツ初出演(歌:大地:マイ・ジュエリー・ラブ、シーナ&ザ・ロケッツ:ユー・メイ・ドリーム)。
◆昭和55(1980)年05月26日(第602回)
デビューシングル「ダンシング・オールナイト」の大ヒットを引っさげ、もんた&ブラザーズが初出演。
◆昭和55(1980)年06月02日(第603回)
1978年の結成以来、国内のみならず海外をも視野に入れた音楽活動を行い、「テクノ」なる言葉を世に浸透させ、時代の寵児として話題となっていたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が初出演。第4スタジオより「ライディーン」「テクノポリス」の2曲を演奏。ちなみに当時キーボート演奏のサポートメンバーとしてグループに参画していた矢野顕子は妊娠休養中のため出演せず(橋本一子が代役として出演)。
◆昭和55(1980)年06月23日(第606回)
芦ノ湖畔・箱根園庭園より濃霧の中、中継放送。出演は郷ひろみ、森進一、シーナ&ザ・ロケッツ、岩崎宏美ほか。
◆昭和55(1980)年06月30日(第607回)
・フォーク界の第一人者として、フォーライフレコード設立、つま恋ライブの開催など邦楽史上に残る伝説の1シーンを作り続けた吉田拓郎が待望の初出演。「あの娘といい気分」「いつか夜の雨が」の2曲を披露。
・田原俊彦、河合奈保子初出演(歌:田原=哀愁でいと、河合=大きな森の小さなお家)。
◆昭和55(1980)年07月21日(第610回)
八神純子初出演(歌:パープルタウン)。
◆昭和55(1980)年08月18日(第614回)
美空ひばり、1970年12月以来、役10年ぶりに夜ヒットに登場。新曲「時雨の宿」、そして代表作「リンゴ追分」を披露。この後、1984年まで年末または夏季のいずれかに彼女の特別出演が恒例化する。
◆昭和55(1980)年09月01日(第616回)
アン・ルイス、作者の竹内まりやと共に「リンダ」をジョイント。
◆昭和55(1980)年09月22日(第619回)
芳村真理不在につき、井上順が単独で司会を担当。
◆昭和55(1980)年10月06日(第621回)
前日に引退コンサートを終えた山口百恵を迎え、「サヨナラ百恵」と題して全編特別編成を組む。親友のアン・ルイスや、共に一時代を築いた「中3トリオ」の森昌子、桜田淳子、「新御三家」の郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎、音楽プロデューサーを務めた酒井正利氏、事務所の先輩である和田アキ子ら、彼女と馴染みの深い関係者が集まり、家庭に入る彼女に向けての歌・メッセージを送った。エンディングは「さよならの向う側」を涙ながらに熱唱。夜ヒット史上に残る伝説の名場面として、後世にも語り継がれることとなる。
◆昭和55(1980)年10月13日(第622回)
川中美幸初登場(歌:ふたり酒)。
◆昭和55(1980)年10月20日(第623回)
ポール・モーリア楽団が特別出演。西城秀樹と「サンタマリアの祈り」で共演。
◆昭和55(1980)年10月27日(第624回)
70年代の米国ポップスシーンを担った男性アイドル歌手・レイフ・ギャレット、そして夜ヒット歴代海外アーティスト出演者中で最多出演記録を残したノーランズが初出演。
◆昭和55(1980)年11月17日(第627回)
多岐川裕美、歌手として初登場(歌:酸っぱい経験)。以後、80年代半ばにかけて松坂慶子・十朱幸代と並び女優としては準レギュラー格として年に1~2回のスパンで登場。
◆昭和55(1980)年11月24日(第628回)
近藤真彦が初出演(歌:スニーカーぶる~す)。レコードデビュー日を半月後に控えての初登場であった。
◆昭和55(1980)年12月15日(第631回)
吉田拓郎と並び称されるフォーク界の大御所・井上陽水が初出演。1973年のヒット曲である「夢の中へ」ほか2曲を披露。
◆昭和55(1980)年12月22日(第632回)
・「夕陽が泣いている」「愛のさざなみ」などの作詞・作曲で知られる浜口庫之助が歌手として出演(歌:恋の雪まつり)。
・ロンドンからの中継でノーランズが出演。夜ヒット最初の衛星中継。
◆昭和56(1981)年01月26日(第637回)
横浜銀蠅初出演(歌:ツッパリHigh School Rock’n Roll<登校編>)。この後、銀蠅ファミリーとして売り出した嶋大輔、杉本哲太らと共に翌82年にかけてブーム的な人気を集める。
◆昭和56(1981)年02月02日(第638回)
・漫才ブームの真っ只中、「恋のぼんちシート」がヒットチャートでベストテン入りするヒットとなったザ・ぼんちが初出演。
・70年代~80年代を代表するイギリスの人気バンド・ポリスが初出演。いわゆる「口パク」であったことに悪乗りしてか、楽器の演奏をせずに即興の振り付けで曲を披露したことが、賛否両論を巻き起こす。夜ヒット史上に残る"迷"シーン。
◆昭和56(1981)年02月16日(第640回)
・奇抜なステージングが話題となっていたRCサクセションが初出演(歌:トランジスタ・ラジオ)。
・郷ひろみが井上順の代理司会を担当。
◆昭和56(1981)年02月23日(第641回)
この後、同年の音楽シーンを代表する空前の大ヒットとなる「ルビーの指環」「シャドー・シティ」を引っさげ、寺尾聰が初出演。
◆昭和56(1981)年03月09日(第643回)
桃井かおりが歌手として初出演。「バイバイ子守歌」を披露。
◆昭和56(1981)年03月30日(第646回)
解散コンサートを控えたピンクレディーの「サヨナラ」企画を組む。多くのファンらがペンライトで応援する中、解散記念シングル「OH!」を披露。
◆昭和56(1981)年04月13日(第648回)
当時担当していたラジオ番組に村田英雄を「ネタ」として扱い、個人的な親交を深めたビートたけしが村田の応援ゲストとして登場。しかし、通常の「ご対面」での登場ではなく、オープニングからエンディングまで全編に渡りたけしはスタジオに居残った。
◆昭和56(1981)年06月08日(第656回)
「おんな太閤記」「池中玄太80キロ」の出演で人気俳優としての地位を固めた西田敏行が歌手として初出演(歌:もしもピアノが弾けたなら)。
◆昭和56(1981)年06月15日(第657回)
柏原芳恵(当時は「柏原よしえ」)が初出演(歌:ガラスの夏)。
◆昭和56(1981)年06月22日(第658回)
・柴田恭兵初出演。(歌:なんとなくクリスタル)。
・ジャズシンガー・阿川泰子が初出演。この後、1983年にかけて中本マリ、笠井紀美子、秋本奈緒美らジャズ界からのゲストが増える。
◆昭和56(1981)年07月13日(第661回)
日本を代表するトランペット奏者・日野晧正が初出演。
◆昭和56(1981)年07月20日(第662回)
武田鉄矢が井上順の代理司会を担当。
◆昭和56(1981)年08月17日(第666回)
イモ欽トリオ初出演(歌:ハイスクール・ララバイ)。育ての親・萩本欽一が「欽ドン!」での父親役の扮装のままスタジオへ応援に駆けつける(当時、夜ヒットの前の時間帯(現在でいう「月9」)の番組は「欽ドン!良い子・悪い子・普通の子」であった)。
◆昭和56(1981)年08月31日(第668回)
・タモリが「トランペット奏者」として登場。「狂い咲きフライデーナイト」を披露する。
・シンガーソングライター・長渕剛との結婚のため芸能活動を引退することとなった石野真子の「サヨナラ」企画を放送。同日出演者の海援隊から歌(「贈る言葉」)のプレゼントに感激し石野は号泣(この後、1983年に長渕・石野は離婚。石野はその後芸能活動を再開した)。
◆昭和56(1981)年11月02日(第677回)
10年間にわたる活動に終止符を打つアリスが解散前最後の出演(「サヨナラ・アリス」)。
◆昭和56(1981)年11月09日(第678回)
1970年代後半~1980年代前半を代表する"ポップス・クイーン"として日本でも人気を集めたシーナ・イーストンが初出演。
◆昭和56(1981)年11月23日(第680回)
いわゆる「花の82年組」の先陣を切り、松本伊代が初出演(歌・センチメンタル・ジャーニー)。
◆昭和56(1981)年11月30日(第681回)
・当時ヒット作を連発していた「角川映画」の"秘蔵っ子"薬師丸ひろ子が初出演。主演映画の同名主題歌である「セーラー服を機関銃」を披露。
・ステージ中の転倒事故で緊急入院していた河合奈保子が1ヶ月ぶりに歌手活動復帰の場として夜ヒットに登場。待ち焦がれていた親衛隊の歓声の中で「ラブレター」を歌う。
◆昭和56(1981)年12月14日(第683回)
シーナ・イーストンと並ぶポップス・クイーン、オリビア・ニュートンジョンが初出演。日本でも大ヒットの「フィジカル」ほか2曲を披露。
◆昭和56(1981)年12月21日(第684回)
・「なめ猫」ブームに便乗して登場したアニメーションキャラクターのネコによるグループ「川崎黄金猫舎」が登場(アニメーションキャラクターが歌っている画とスタジオ風景との合成映像により「パープリング・ブギ」なる曲を放送)。
・来生たかお初出演(歌:夢の途中)。
◆昭和57(1982)年01月11日(第687回)
竹下景子が芳村真理の代理司会を務める。
◆昭和57(1982)年02月15日(第692回)
南こうせつが初代かぐや姫時代の出演(1971年)以来、約11年ぶりにソロ歌手として登場(歌:「美映子」)
◆昭和57(1982)年02月22日(第693回)
都はるみ、前年11月に発売した宮崎雅とのデュエットソング「ふたりの大阪」を当日出演者の一人である五木ひろしとデュエット。
◆昭和57(1982)年03月01日(第694回)
セラ・セダカ、喜多郎が「千年女王のテーマ」で競演。
◆昭和57(1982)年03月08日(第695回)
ピーター、ポール&マリー(PPM)が来日出演。「春一番PPM特集」と題して代表作「風に吹かれて」など数曲を披露する。
◆昭和57(1982)年03月22日(第697回)
・日本テレビ系「スター誕生!」より歌手デビューした小泉今日子が初出演(歌:私の16才)。
・RCサクセションの忌野清志郎、YMOの坂本龍一が夜ヒット筆頭スポンサー資生堂の同年春キャンペーンソング「い・け・な・い・ルージュマジック」を引っさげて登場。衝撃的ともいえる2人のパフォーマンスが話題となる。
◆昭和57(1982)年03月29日(第698回)
・松平健が初出演(歌:紙の指輪)。
・「ある愛の詩」「ムーンリバー」などの世界的ヒットで知られる大物エンターテイナー、アンディ・ウィリアムスが初出演。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅴ(1978,4~1980,3)

2006-05-24 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和53(1978)年04月03日(第491回)
キャンディーズが翌日に解散コンサートが行われる神宮球場より最後の出演。球場に詰め掛けた2000人のファンの声援の中、「微笑がえし」を歌う。
◆昭和53(1978)年04月10日(第492回)
・森進一が井上順の代理司会を務める。
・オープニングメドレー終了後、他の仕事の都合でカメラリハーサルを欠席した当日放送分のメドレーのトリ・ピンクレディーの代わりに桜田淳子、山口百恵が「渚のシンドバット」を歌った模様が特別に公開される。
◆昭和53(1978)年04月17日(第493回)
竹下景子が初出演(歌:結婚してもいいですか)。
◆昭和53(1978)年05月08日(第496回)
・人気歌舞伎俳優・市川染五郎(現・松本幸四郎)が初出演。「野バラ咲く路」を披露。
・ハイ・ファイ・セット初出演(歌:少しだけまわり道、フィーリング)。
◆昭和53(1978)年05月29日(第499回)
放送500回(厳密には1回前倒し)記念特番。出演はザ・ドリフターズ、山口百恵、アリス、ほか。
◆昭和53(1978)年06月05日(第500回)
庄野真代初出演(歌:飛んでイスタンブール)。
◆昭和53(1978)年06月12日(第501回)
TBS系ドラマ「水曜劇場・ムー」の中で誕生した「林檎殺人事件」を引っさげ、郷ひろみが共演者の樹木希林とのデュオで出演(同曲はその後7月10日、8月7日、8月21日と計4回夜ヒットで披露される)。
◆昭和53(1978)年07月10日(第505回)
人気女性シンガーソングライター・尾崎亜美初出演(歌:ストップモーション、嵐を起こして)
◆昭和53(1978)年07月31日(第508回)
ニューミュージック・フォーク界の「異端児」としてデビューしたサザンオールスターズが初出演。ジョギングパンツ姿で大勢のサンバダンサーを従えて「勝手にシンドバッド」披露。この際、ボーカル・桑田佳祐の特徴的な歌い方ゆえに歌詞が聞き取りにくい、という理由から、夜ヒットスタート以来初めて歌詞テロップが表記された。
◆昭和53(1978)年08月21日(第511回)
アリスから堀内孝雄がソロ歌手として初めて出演。同番組主要スポンサー・資生堂のCFソング「君のひとみは10000ボルト」を披露。
◆昭和53(1978)年09月04日(第512回)
沢田研二、大雨でずぶ濡れになりながら「LOVE(抱きしめたい)」を熱唱。
◆昭和53(1978)年09月11日(第513回)
郷ひろみ、「ハリウッド・スキャンダル」を歌唱中、スタジオ後方のゲスト席に陣取っていた山口百恵の元に突然駆け寄り、カメラ前までエスコート。
◆昭和53(1978)年09月25日(第516回)
学業専念(事実上は写真家・篠山紀信との結婚準備)のため芸能活動を引退することとなった南沙織の「サヨナラ」企画を組む。布施明・五木ひろし、そして同期の小柳ルミ子とのジョイントで「マイ・ウェイ」を涙の熱唱。
◆昭和53(1978)年10月09日(第518回)
「ANAK」が日本でも話題となったフレディ・アギラーが初出演。
◆昭和53(1978)年10月16日(第519回)
柳ジョージ&レイニーウッド初出演(歌:酔って候)。
◆昭和53(1978)年11月06日~27日(第522回~第525回)
放送11周年突入記念月間として放送。特別企画として沢田研二・五木ひろしの異色ジョイント企画、スタート初期の頃の「コンピュータ恋人選び」のルール説明を視聴者に対して行う司会の芳村真理の姿や、沢田研二の「サムライ」畳バージョンの模様、大橋純子の大雨の仲での大磯ロングビーチ中継出演時の様子などの過去の名・珍場面集を放送。
◆昭和53(1978)年11月13日(第523回)
郷ひろみ、スタジオ全体に配置された1万個を悠に超える電球のイルミネーションに囲まれながら「ハリウッド・スキャンダル」を披露。
◆昭和53(1978)年11月27日(第525回)
「一度でいいので野口五郎の花嫁になりたい」というファンからの投書に応え、野口五郎がこの投書を番組宛に送った花嫁姿の女性ファンと「ご対面」。事前にはこのファンとのご対面があることは野口には知らされておらず、いわゆる彼に対する「ドッキリ企画」としてこの「ご対面」が用意された。
◆昭和53(1978)年12月11日(第527回)
ゴダイゴ初出演(歌:モンキー・マジック)。
◆昭和53(1978)年12月25日(第529回)
・大相撲の増位山が歌手として夜ヒットに登場(歌:そんなナイト・パブ)
・当時若手ミュージシャンの登竜門として権威のあった「ヤマハポピュラーソングコンクール(ポプコン)」「世界歌謡祭」で同年のグランプリを獲得した円広志が、グランプリ受賞曲の「夢想花」を引っさげ初出演。
◆昭和54(1979)年01月01日(第530回)
昭和48年以来、2度目の元旦生放送。冒頭、井上順はこの年の「新春かくし芸大会」の中で演じた「クルーゾー警視」の扮装で登場。また、森進一は前日の「NHK紅白歌合戦」で着用した衣装で、紅白でも披露した「きみよ荒野へ」を披露。
◆昭和54(1979)年01月15日(第532回)
・竹内まりや初出演(歌:戻っておいで私の時間)。
・和田アキ子と柳ジョージが当時の和田の新曲「ひとり酔い」でジョイント。
◆昭和54(1979)年01月29日(第534回)
ゴダイゴが演奏曲「モンキー・マジック」が主題歌のドラマ「西遊記」(日本テレビ系)にちなんで、西遊記の主要キャラクターに変装。
◆昭和54(1979)年02月19日(第537回)
杏里初出演(歌:オリビアを聞きながら)。
◆昭和54(1979)年02月26日(第538回)
・不祥事からカムバックした内藤やす子が2年ぶりに夜ヒットに登場。内藤の知人などらが見守る中、「ないないつくし」ほか2曲を披露。
・長年在籍した渡辺プロ(ナベプロ)から独立し「森音楽事務所」を設立したばかりの森進一が「きみよ荒野へ」を涙の熱唱。
◆昭和54(1979)年03月05日(第539回)
・宝塚の人気スター・安奈淳初出演、新御三家(郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎)と「愛あればこそ」をジョイント。
・西城秀樹、クレーンの上から「ヤングマン(Y.M.C.A)」熱唱。
・郷ひろみ、スタジオ狭しと走り回りながら「地上の恋人」を熱唱。
◆昭和54(1979)年03月19日(第541回)
叙情派フォークの旗手・ふきのとうが待望の初出演、「春雷」を披露。
◆昭和54(1979)年03月26日(第542回)
・フォーク界の大御所・小室等が初出演。矢野顕子の伴奏の下で「いま生きているということ」を披露。
・上月晃、安奈淳に続き宝塚トップスターの鳳蘭が初出演。「ベルサイユのばら」を披露。
◆昭和54(1979)年04月23日(第546回)
植木等が7年ぶりに夜ヒットに登場。ハナ肇とクレイジーキャッツが飛び入り参加する中「これで日本も安心だ」を歌う。
◆昭和54(1979)年05月14日(第549回)
久々登場の岸洋子、同局系平日昼のワイドショー番組「3時のあなた」のコーナー企画「歌え!ママさん」の優勝チームの面々と共に代表作「希望」を披露。
◆昭和54(1979)年06月04日(第552回)
萩原健一が5年ぶりに登場。井上尭之・柳ジョージとのジョイントで「どうしようもないよ」「大阪で生まれた女」の2曲を披露。
◆昭和54(1979)年07月09日(第557回)
ジュディ・オングの「魅せられて」で、スタジオ一面に敷き詰めたドライアイスの上から海の映像をかぶせるという、当時の生放送番組としては珍しかった「合成映像」の演出を行う。
・職場の同僚と共に自主制作盤として製作した「おやじの海」が7年がかりで大ヒットとなった当時47歳の新人歌手・村木賢吉が初出演。
◆昭和54(1979)年07月16日(第558回)
さだまさしがソロ歌手として初登場。「まぼろば」、そして大ヒットの「関白宣言」の2曲を披露。
◆昭和54(1979)年07月23日(第559回)
「夏に抱かれて」で登場の岩崎宏美が、セットの樹木の上に乗っていた小鳥がいきなり動き出したことに怯え、歌の途中で思わず悲鳴を上げてしまうハプニングが発生。
◆昭和54(1979)年07月30日(第560回)
・森進一が、同年2月26日放送以来5ヶ月ぶりに夜ヒットに登場。独立後初のシングル「新宿・みなと街」を1番~3番までフルコーラスで熱唱。この曲のヒットで森は表舞台に見事復活を遂げる。
・ミス・インターナショナル世界大会に出場の各国の美女たちを従えて、松崎しげるが新曲「セーリング・ラブ」を番組ラストに熱唱。
◆昭和54(1979)年08月13日(第562回)
・浜田省吾初出演(歌:風を感じて)。
・田辺靖雄、敏いとうとハッピー&ブルーが競作となった「よせばいいのに」で競演。
・井上順不在につき芳村真理が単独で司会を担当。
◆昭和54(1979)年8月20日(第563回)
・芳村真理、夏季休暇につき番組を欠席。井上順が単独で司会を担当。
◆昭和54(1979)年08月27日(第564回)
島倉千代子、劇場版「銀河鉄道999」のイメージソング「ナーシャ・わが愛」を披露。
◆昭和54(1979)年09月10日(第566回)
女優としては夜ヒット常連組となる松坂慶子が初出演(歌:愛の水中花)。
◆昭和54(1979)年09月24日(第568回)
アメリカを拠点に活動するブルースシンガー・大木トオルが初出演。
◆昭和54(1979)年10月01日(第569回)
放送12周年突入記念特番として2時間の特別編成を組む。沢田研二、さだまさし、松坂慶子、山口百恵、ゴダイゴほか、当代の人気歌手15組をゲストに、かつての名場面VTRで12年の足跡を回顧。
◆昭和54(1979)年10月08日(第570回)
所沢・西武ライオンズ球場より強風吹き荒れる中で生中継を実施。
◆昭和54(1979)年10月29日(第573回)
"デルタ・レディ"の異名をとるスワンプ・ロックの代表的アーティスト、リタ・クーリッジが来日・初出演。
◆昭和54(1979)年11月12日(第575回)
チャゲ&飛鳥、「ひとり咲き」で初出演(当日キャスティングされていた吉田拓郎の出演キャンセルに伴う”代打”出演。尚、吉田は制作陣との再度交渉の上、翌80年6月30日に初出演)。
◆昭和54(1979)年12月10日(第579回)
同年の「世界歌謡祭」グランプリを受賞したクリスタルキングが初出演(歌:大都会)。
◆昭和54(1979)年12月24日(第581回)
初の聖夜週特別編成を組む。この年以降、12月24日のクリスマス・イブ、25日のクリスマスを挟む放送週ではクリスマス特別編成が恒例化し、OPメドレーを全編クリスマスソングで繋いだり、クリスマスをテーマとしたアルバムの曲を特別に披露するなどの企画が組まれた。
◆昭和55(1980)年01月28日(第585回)
・芳村真理、体調不良により番組欠席。井上順が単独で司会を担当。
◆昭和55(1980)年02月04日(第586回)
作曲家・都倉俊一が歌手として特別出演(「ウィンズ」名義)。「BOY」をピアノの弾き語りで披露。
◆昭和55(1980)年03月10日(第591回)
・海外への長期旅行のため、一時歌手活動を休業することになった庄野真代の「サヨナラ」企画を放送。「モンテカルロに乾杯」など、代表作のヒットメドレーのほか、関係者が見守る中で「アデュー」を披露。
・岩崎良美初出演(歌:赤と黒)。
◆昭和55(1980)年03月17日(第592回)
シャネルズ初出演(歌:ランナウェイ)。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅳ(1976,4~1978,3)

2006-05-17 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和51(1976)年04月05日(第387回)
・三波伸介に代わる男性司会者として井上順が起用される。
・新コーナーとして井上順が毎回出演ゲストの中の一組の自宅に突撃レポートをする「スター家庭訪問」のコーナーが立ち上げられる。初回のこの回では、司会就任の挨拶をかねて、芳村真理、菅原洋一、細川たかしの自宅を訪問(~76年秋ころに自然消滅)。
・エンディングコーナーとして「ラッキーテレフォンプレゼント」がスロットマシン方式で復活(~87年まで)。
・大竹しのぶ初出演(歌:みかん)。
・井上順がゲスト歌手一組の自宅を訪問・レポートする「スター家庭訪問」コーナーがスタート(~77年初頭に自然消滅)。
◆昭和51(1976)年04月~05月頃
・スタート当初から番組中盤の看板コーナーとして親しまれた「歌謡ドラマ」コーナーが終了。後継コーナーとして、前司会者・三波伸介登板直後から一旦休止されていた「コンピューター恋人選び」のコーナーが装いも新たに復活(~76年6月まで)。
◆昭和51(1976)年06月21日(第398回)
森昌子・山口百恵・桜田淳子・岩崎宏美のジョイント企画放送。
◆昭和51(1976)年07月05日~26日(第400回~403回)
・400回記念月間。第1週であり、400回目の放送に当たる7月5日放送では番組半ばでこれまでの節目の回(第1回、100回、200回、300回)を振り返る特別コーナーを設置、その際に歌った「愛のかおり」(布施明、第1回出演時の披露曲)、「君にあげよう」(井上順、第200回出演時の披露曲)が紹介される。
・松本ちえこ、資生堂「バスボン」CMで話題の新曲「恋愛試験」で初出演。同番組の主力スポンサー・資生堂のCMタイアップ曲が番組内で初めて披露された例。
◆昭和51(1976)年07月26日(第403回)
ラスベガスでの初コンサートを直前に控えた五木ひろしが、「マイ・ウェイ」に原語のまま挑戦。
◆昭和51(1976)年08月09日(第405回)
「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員などでおなじみの顔であった立川清登が初出演(歌:四季の歌)。クラシック界初のゲスト。
・カナダへの留学のために芸能活動を休業することになったアグネス・チャンの「サヨナラ」企画放送。
◆昭和51(1976)年08月23日(第407回)
和田アキ子が芳村真理の代理司会を担当。
◆昭和51(1976)年09月13日(第409回)
井上順が別番組の収録のためにニューヨーク滞在中につきスタジオ不在。芳村真理が単独で司会を担当。
◆昭和51(1976)年09月27日(第412回)
チェリッシュの結成5周年特別企画として、彼らの代表作「なのにあなたは京都へ行くの」「避暑地の夏」「白いギター」をメドレー形式で紹介。芳村・井上司会時代の初期には「正統歌謡番組」への転換の姿勢を明確にするために、このようなヒットメドレー企画がしばしば組まれた(青江三奈、森進一、春日八郎ほか)。
◆昭和51(1976)年10月11日(第414回)
"国民的歌手"・三波春夫が待望の初出演。新曲「人生おけさ」などを披露。
◆昭和51(1976)年11月01日(第417回)
9周年突入。特別企画として番組第2回より出演の常連歌手・青江三奈のヒットメドレー企画を実施。
◆昭和51(1976)年11月08日(第418回)
・寺内タケシとブルージーンズ初出演。民謡「津軽じょんがら節」をエレキギターの音色で聴かせる。
・あおい輝彦が「君が優しすぎるから」を歌唱中、突然マイクから音声が出なくなる音響トラブル発生。再度一から歌いなおしの措置が採られる。
◆昭和51(1976)年11月15日(第419回)
「サン・トワ・マミー」「雪は降る」など数多くの名作を生み出した、ベルギーの国民的歌手・サルバトーレ・アダモが来日・初出演。
◆昭和51(1976)年11月22日(第420回)
太田裕美が自作曲「白いあなた」を最新シングル曲「最後の一葉」とともに初披露。
◆昭和51(1976)年12月06日(第422回)
・第10スタジオから全編放送(通常は第6スタジオより放送)。
・阪神タイガースの田淵幸一選手(当時)が特別ゲストとして出演。
◆昭和51(1976)年12月20日(第424回)
ピンクレディーが初出演。デビュー曲「ペッパー警部」を披露。
◆昭和51(1976)年12月27日(第425回)
前年末から「北の宿から」で精力的なプロモーションを1年間に渡って展開、見事大ヒットに結びつけた都はるみの「たまには別の歌を歌いたい」との意思を汲み、因幡晃のヒット曲「わかって下さい」など、フォーク系のヒットナンバー3曲をメドレー形式で披露。
◆昭和52(1977)年01月03日(第426回)
1977年最初の放送を記念して、久々の公開放送を実施。
◆昭和52(1977)年01月24日(第429回)
三橋美智也が初出演。代表作「古城」のほか、「津軽じょんがら節」を演奏。
◆昭和52(1977)年02月28日(第433回)
八代亜紀が自身が感銘を受けた曲として北原ミレイのヒット曲「石狩挽歌」に挑戦(同曲が1982年発売の八代のシングル曲「海猫」の曲想に多大な影響を及ぼした)。現役の猟師たちが曲中で底網漁の様子を再現。
◆昭和52(1977)年03月21日(第437回)
フジテレビのオーディション番組「君こそスターだ」のチャンピオンを経てレコードデビューすることとなった高田みづえが初出演。デビュー曲である「硝子坂」を披露。
◆昭和52(1977)年05月02日(第443回)
狩人初出演(歌:あずさ2号)。彼らを発掘した作曲家・都倉俊一が特別に指揮を担当。
◆昭和52(1977)年05月16日(第445回)
カナダより一時帰国したアグネス・チャンが特別出演。彼女の帰国を待ちわびていた大勢のファンがスタジオで見守る中、「ポケットいっぱいの秘密」など自身のヒット曲をメドレー形式を披露。
◆昭和52(1977)年06月06日(第448回)
当時人気絶頂の2大女性アイドルグループ・ピンクレディーとキャンディーズのジョイント企画を放送。「SOS」「春一番」など、これまでの代表作をメドレー形式で競演。
◆昭和52(1977)年06月20日(第450回)
麻丘めぐみが本番中に婚約発表。
◆昭和52(1977)年06月27日(第451回)
矢野顕子初出演。邦楽家・山本邦山らと共に三橋美智也の代表作として知られる「達者でナ」や民謡「五木の子守唄」を競演。このジョイント企画が評価され、昭和52年度の民放祭優秀賞を受賞する。
◆昭和52(1977)年07月11日(第453回)
・2回目の大磯ロングビーチ生中継を実施。大雨に祟られる。
・雨の影響により、番組の途中からニューブリードによる生演奏を断念(楽譜が雨水で濡れてしまい、音符の読み取りが困難になったほか、楽器にも損害が生じたため)、中盤からはカラオケ音源を使用。
・松崎しげる、大橋純子が初出演(歌=大橋:シンプル・ラブ、松崎=愛のメモリー)。
◆昭和52(1977)年07月18日(第454回)
キャンディーズが同日昼に行った"引退"会見の模様を臨時に放送(尚、同会見時では引退の時期を事務所との契約が切れる同年の「9月」としていたが、後にスケジュール調整等の関係で、翌年3月(厳密には4月4日)までに引退の時期が先延ばしされた)。
◆昭和52(1977)年07月25日(第455回)
・翌年にかけて本格化する「ニューミュージックブーム」の先駆者・Charが初出演、「気絶するほど悩ましい」を披露。
・人気女性フォークシンガー、イルカが一時休業に入る前に同番組に初出演。当時発売中だった「雨の物語」のほか、出世作「なごり雪」を披露。
◆昭和52(1977)年08月15日(第458回)
・初代クラリオン・ガールとして人気沸騰のアグネス・ラムが、歌手デビュー曲「雨上がりのダウンタウン」を作曲した加山雄三と共演。
◆昭和52(1977)年08月22日(第459回)
榊原郁恵が初出演(歌:わがまま金曜日)。
◆昭和52(1977)年08月29日(第460回)
桑名正博が初出演(歌:哀愁トゥナイト)。
◆昭和52(1977)年10月03日(第465回)
放送10周年突入を記念して2時間の特別番組を放送。森進一・五木ひろし・布施明・沢田研二の"ビッグフォー"による「マイ・ウェイ」の共演、ザ・ドリフターズ各メンバーの「ご対面」企画、中3トリオ・新御三家のデュエット大会、ゲスト歌手の往年のヒット曲の披露、などの特別編成で10年の歩みを回顧。出演は他に和田アキ子、梓みちよ、ピンクレディー、小柳ルミ子ほか。
◆昭和52(1977)年10月10日(第466回)
人気女性シンガーソングライターの五輪真弓が初出演、「煙草のけむり」「ゲーム」の2曲を披露。
◆昭和52(1977)年10月24日(第468回)
・河島英五、しばたはつみ初出演(歌=河島:酒と泪と男と女、しばた:マイ・ラグジュアリー・ナイト)。
・芳村真理不在のため、井上順が単独で司会を担当。
◆昭和52(1977)年11月07日(第470回)
放送10周年突入企画・第2弾として、番組初の総集編企画を組む。
◆昭和52(1977)年11月28日(第473回)
十朱幸代が初出演。「北の子守唄」「セイタカアワダチ草」の2曲を披露。
◆昭和52(1977)年12月05日(第474回)
アリス、原田真二初出演(歌:アリス=冬の稲妻、帰らざる日々、原田=てぃーんずぶるーす)。「冬の稲妻」は同出演をきっかけに翌年春にかけてベストテン上位に入る大ヒット曲となる。
◆昭和52(1977)年12月26日(第477回)
「時代」など話題作を次々と発表し、女性シンガーソングライターの第一人者的存在となった中島みゆきが初出演。「アザミ嬢のララバイ」「わかれうた」の2曲を披露(尚、平成14年に「NHK紅白歌合戦」に初出演するまでの間、この夜ヒットへの出演が彼女の唯一のテレビ生番組への出演であった)。
◆昭和53(1978)年01月09日(第479回)
世良公則&ツイスト、渡辺真知子初出演(歌:ツイスト=あんたのバラード、渡辺=迷い道)。
◆昭和53(1978)年01月16日(第480回)
演歌のヒットナンバーを数珠繋ぎにした異色のコミックソング「演歌チャンチャカチャン」が話題の平野雅昭が初登場。師匠に当たる南利明が応援ゲストとして駆けつける。
◆昭和53(1978)年01月30日(第482回)
沢田研二、スタジオ一面に敷き詰められた畳の上で当時ヒット中の「サムライ」を熱唱、後に伝説の「畳バージョン」としてこのシーンは語り継がれる。この頃より、歌中のセットや大仕掛けなどが用意されるようになる。
◆昭和53(1978)年02月06日(第483回)
芳村真理、急病につき番組欠席。井上順の単独司会。
◆昭和53(1978)年02月13日(第484回)
大塚博堂が初出演(歌:哀しみ通せんぼ)。
◆昭和53(1978)年03月27日(第490回)
・石野真子初出演(歌:狼なんか怖くない)。
・石原裕次郎が約9年ぶりに夜ヒットに登場。代表作「赤いハンカチ」「夜霧よ今夜もありがとう」、新曲「昭和たずねびと」の計3曲を披露。本番中、同日の出演者である岩崎宏美らが感激のあまり涙を流すハプニングも。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅲ(1974,4~1976,3)

2006-05-12 | 夜のヒットスタジオ/番組史
今回は芳村真理さんと故・三波伸介さん(+朝丘雪路さん)司会の時代の主な出来事等を年表で辿ります。

◆昭和49(1974)年04月01日(第282回)
・芳村真理が司会に復帰。芳村の新パートナーとして三波伸介、朝丘雪路(但し当日は病欠につき冒頭に電話のみで出演、本格的な初司会はこの次の週の放送から)が新たに参加し、トリオ司会体制となる。また、この新司会者抜擢を機にスタジオに観客を入れての公開放送形式を採るようになる(~76年3月まで)。
・布施明、ちあきなおみがいわゆる"ドッキリ"企画で番組冒頭に「"ウソの"結婚発表」を行う。この回の放送日である4月1日が"エイプリル・フール"であることにあやかったもの。
・関根(現・高橋)恵子が「コンピュータ恋人選び」の特別ゲストとして出演。
◆昭和49(1974)年04月22日(第285回)
多岐川裕美、「歌謡ドラマ」の特別ゲストとして出演(この当時、直前の時間帯である月曜21時台にて放送されていたドラマに多岐川は出演)。
◆昭和49(1974)年05月20日(第289回)
読売テレビ(日本テレビ系列)「全日本歌謡選手権」でチャンピオンとなり再デビューし、デビュー曲である「うそ」が大ヒットとなった中条きよしが満を持しての初出演。
◆昭和49(1974)年05月27日(第290回)
沢田研二・萩原健一・井上尭之バンドが久々に「PYG」として結集。活動休止前最後のシングル曲である「初めての涙」を演奏(”ジョイント”企画の第1号とされる)。
◆昭和49(1974)年07月頃
初期のころより不定期で行われていた「ご対面」コーナーがこのころから定時企画に昇格。以後、番組末期まで毎回(周年記念・「サヨナラ企画」放送時・総集編企画など特別編成時を除く)、原則1~2組の歌手につき「ご対面」の場面がセッティングされ、ゆかりの人物と対面する際のゲスト歌手の意外性に富んだリアクションが話題に。
◆昭和49(1974)年08月05日(第300回)
・放送300回を記念し、大磯ロングビーチより中継。出演・五木ひろし、郷ひろみ、和田アキ子、山本リンダ、由紀さおり、あべ静江ほか。
・和田アキ子がオープニングメドレーで、次に歌う郷ひろみの紹介部分でNGを出す。これが現在確認されている最古のメドレーでのNGシーンとされている。
◆昭和49(1974)年08月12日(第301回)
小坂明子が初出演。大ヒット曲「あなた」を披露。
◆昭和49(1974)年08月19日(第302回)
・五木ひろし、二人の恩師との「ご対面」で涙の熱唱(この時に五木が歌った曲は「浜昼顔」)。
◆昭和49(1974)年09月02日(第304回)
・朝鮮半島から海を渡り、異国・日本の地で人気ジャズサックスプレーヤーとなった吉屋潤が歌手として初登場。
・西川峰子初出演(歌:あなたにあげる)。
◆昭和49(1974)年09月16日(第306回)
・朝丘雪路がスケジュールの都合で番組欠席。三波・芳村コンビで番組を進行。
・ガロ初出演(歌:ピクニック)。
◆昭和49(1974)年10月
スタート時から6年間にわたりレギュラー出演した、鶴岡雅義と東京ロマンチカが番組を"卒業"。
◆昭和49(1974)年10月21日(第311回)
3度の自殺未遂から再起をかける舟木一夫が4年ぶりに番組に登場。復帰作「旅路」を披露。
◆昭和49(1974)年11月04日(第313回)
グレープ、中村雅俊、あのねのね初出演(曲:グレープ=追伸、中村=ふれあい、あのねのね=雪が降ってきた)。中村は実母と久々の再会。
◆昭和49(1974)年11月11日(第314回)
山口百恵、主演映画「伊豆の踊り子」の扮装で出演。応援には同映画でも共演した三浦友和が駆けつける。
◆昭和49(1974)年11月25日(第316回)
芳村真理が番組欠席、三波・朝丘コンビで番組を進行。
◆昭和49(1974)年12月9日(第318回)
太田裕美が初出演(曲:雨だれ)
◆昭和49(1974)年12月16日(第319回)~12月23日(第320回)
同年より制定された「FNS歌謡祭・音楽大賞」特集を組む。同年の年間グランプリを「みれん」で受賞した五木ひろしは、この2回を含め、12月9日放送~12月30日放送まで4回連続で出演。
◆昭和49(1974)年12月23日(第320回)
増沢末夫騎手(当時)、「さらばハイセイコー」を引っさげ歌手として出演。
◆昭和50(1975)年01月27日(第326回)
平尾昌晃が当日放送が番組初出演の自身の門下、けい子とエンディ・ルイスの応援をかねて特別出演。
◆昭和50(1975)年02月17日(第328回)
ダウンタウン・ブギウギバンドが初出演(歌:スモーキン・ブギ)。
◆昭和50(1975)年02月24日(第329回)
女性R&Bボーカルグループの大御所・スリー・ディグリーズが来日・初出演。代表作「荒野のならず者」のほか、日本語で「にがい涙」を披露。また、オープニングメドレーにも参加し、アグネス・チャンの「ひなげしの花」に挑戦。
◆昭和50(1975)年03月17日(第332回)
ずうとるびが初出演(歌:恋があぶない)。
◆昭和50(1975)年03月24日(第333回)
かまやつひろしが単独初出演(歌:我が良き友よ)。
◆昭和50(1975)年03月31日(第334回)
・16年余りの歌手活動に終止符を打つことになった双子デュオ、ザ・ピーナッツを向え「さよならザ・ピーナッツ」と銘打ち放送。その後、夜ヒットの代名詞的企画となる、歌手の引退・休業・解散時における"サヨナラ"企画の第1号。ピーナッツ縁の人物として駆けつけたハナ肇や植木等、歌手仲間の伊東ゆかり、坂本スミ子、こまどり姉妹、中尾ミエらが見守る中、代表作「情熱の花」、「ローマの雨」など計4曲を熱唱。
・司会の朝丘雪路、レギュラー出演者の野沢那智が番組を降板。
・エンディングの恒例コーナー「ラッキーテレフォンプレゼント」(乱数表形式)が同回を以て終了。
◆昭和50(1975)年04月07日(第385回)
・「ラッキーテレフォンプレゼント」に代わる新コーナーとして「スターどっきりビデオ」のコーナー創設(但し短期間で自然消滅)。
・人気女子プロレスラー、マッハ文朱が歌手として初登場(歌:花を咲かそう)。
◆昭和50(1975)年04月21日(第387回)
森進一、古賀メロディーの名作「人生の並木路」を熱唱。
◆昭和50(1975)年05月05日(第339回)
細川たかしが初出演(歌:心のこり)。
◆昭和50(1975)年06月16日(第345回)
岩崎宏美が初出演(歌:二重唱<デュエット>)。
◆昭和50(1975)年07月07日(第348回)
東北出身の日本民社党元委員長・佐々木更三氏が同じく東北出身の千昌夫の応援に駆けつける。千との「東北弁お喋り」対決が話題となる。
◆昭和50(1975)年07月21日(第350回)
・350回記念。司会者・出演歌手全員浴衣姿で登場。
・沢田研二、元ザ・ピーナッツの伊藤エミとの結婚発表後初のヒットスタジオ出演。比叡山でのライブでの新婦の姿を多数のファンに披露した模様を撮影したフィルムが公開され、スタジオ内は祝福ムードに包まれる中、当時の新譜「巴里にひとり」を披露。
◆昭和50(1975)年08月11日(第353回)
当時沖縄で開催されていた「国際海洋博覧会」会場より生中継。しかし、放送当日、台風が沖縄を直撃。用意されていた特設ステージを使用できず止む無くスタッフ用のブースより中継を行うという非常事態に。"夜ヒットが屋外で中継するときには必ず悪天候になる"というジングスを生むきっかけとなった。
◆昭和50(1975)年09月01日(第356回)
司会の芳村真理、指揮者のダン池田が夏季休養のため不在。番組進行は三波単独で、代理指揮はニューブリードのピアノ伴奏者・小泉宏が担当。
◆昭和50(1975)年10月20日(第363回)
・系列局・テレビ新広島開局を記念して、広島郵便貯金ホールより公開放送を実施。
・バンバン初出演(歌:いちご白書をもう一度)。
◆昭和50(1975)年11月
・8周年突入を機に曲名・歌手名テロップに作詞者・作曲者名(場合によっては編曲者名も)併記されるようになる。また、オープニングの白地アニメーションもスタート当初より使用していたバージョン(ドッド抜きのタイトルロゴが登場して、徐々にドッドが埋まっていくバージョン)から画面全体に表示された白地が複数の斜線が切り込まれ、画面中心を遠心として回転してロゴが登場するバージョンに変更される。
◆昭和50(1975)年11月03日(第365回)
・二葉百合子、翌年にかけて大ヒットとなる、昭和29年発表のリバイバル「岸壁の母」で夜ヒット初出演。
・「愛のスターテレフォンプレゼント」コーナースタート(76年3月まで)。
◆昭和50(1975)年11月24日(第368回)
当日夕方に開催された「第6回日本歌謡大賞」にちなんだ特別編成を組む。大賞受賞者・布施明を筆頭に、新人賞受賞の細川たかし・岩崎宏美が出演し、最新のシングル曲ではなく、受賞対象となった曲を披露した。
◆昭和50(1975)年12月01日(第369回)
デビュー間もなくにレコード「おそうじオバちゃん」の歌詞が問題となり、発売禁止処分となるなど、新人ながら異色のブルース・バンドとして話題となっていた憂歌団が初出演。通常のフジテレビ第6スタジオからではなく、第4スタジオにて演奏を行う(尚、憂歌団は、当日出演予定だった大物アーティストが直前で出演取りやめとなったことによる代替出演であり、この第4スタジオでの演奏も元々は本来出演するはずであったその大物歌手のために用意されたものだった)。"4スタ(または10スタ)ライブ"の始まり。
◆昭和50(1975)年12月08日(第370回)
戦前・戦中派の大物歌手、淡谷のり子が特別出演。当時の新曲「夜が好きなの」を披露。
◆昭和51(1976)年01月19日(第376回)
フジテレビの人気幼児向け番組「ひらけ!ポンキッキ」より誕生し、この年社会現象ともいえる大ヒットとなった「およげ!たいやきくん」を引っさげ、子門真人が初出演。
◆昭和51(1976)年02月16日(第380回)
人気落語家・司会者の桂三枝が歌手として出演。
◆昭和51(1976)年03月01日(第382回)
当日出演ゲストの一組、キャンディーズのメインボーカル担当・ラン(伊藤蘭)が急病のため出演見合わせ。そのため、同日発売の新曲「春一番」の歌唱が取りやめとなる(但し、スタッフの計らいにより、残りの二人で、2コーラス目途中まで伴奏無しで歌唱)。
◆昭和51(1976)年03月15日(第384回)
新沼謙治が初出演(歌:嫁に来ないか)。
◆昭和51(1976)年03月29日(第386回)
三波伸介が2年で夜ヒット司会を降板。同年4月より三波は夜ヒットと同じ製作スタッフが立ち上げた新番組「スターどっきり(秘)報告」の司会に、事実上の担当番組のコンバートの形で抜擢される。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅱ(1971,4~1974,3)

2006-05-10 | 夜のヒットスタジオ/番組史
今回は、前田・芳村時代後期~司会者不在・歌手輪番制司会の時代までを取り上げます。

◆昭和46(1971)年05月03日(第131回)
「オーシャンゼリゼ」「ピノキオ」などが日本でも話題となった海外の人気女性ヴォーカリスト、ダニエル・ビダルが初出演(同8月23日放送にも来日・出演)。
◆昭和46(1971)年05月10日(第132回)
堺正章、ソロ歌手として初出演。大ヒットとなった「さらば恋人」を披露。当時、堺は夜ヒットと同じ月曜日に原則生放送されていた歌謡番組「紅白歌のベストテン」(日本テレビ)の司会。
◆昭和46(1971)年05月24日(第134回)
小柳ルミ子が初出演。デビュー曲「わたしの城下町」を披露。
◆昭和46(1971)年05月31日(第135回)
尾崎紀世彦が初出演。この年最大のヒット曲となる「また逢う日まで」を披露。
◆昭和46(1971)年06月21日(第138回)
・夜ヒット最多出演歌手、五木ひろしが初出演(歌:よこはま・たそがれ)
・南こうせつとかぐや姫が初出演(歌:「ひとり寝のかぐや姫」、デビュー当時のかぐや姫には山田パンダ・伊勢正三は参加していなかった)。
◆昭和46(1971)年07月05日(第140回)
研ナオコ初出演(歌:大都会のやさぐれ女)。
◆昭和46(1971)年09月06日(第149回)
後の2代目司会者・三波伸介が歌手として出演。
◆昭和46(1971)年09月27日(第152回)
・人気時代劇俳優・杉良太郎が特別ゲストとして初出演(歌:たとえば"愛")。
・"新御三家"の先頭をきり、野口五郎が初出演(歌:青いリンゴ)。
◆昭和46(1971)年10月25日(第156回)
欧陽菲菲が初出演(歌:雨の御堂筋)
◆昭和46(1971)年11月01日(第157回)
・小柳ルミ子と共に"三人娘"を形成することとなる天地真理、南沙織が初出演(歌:天地=水色の恋、南=哀愁のページ)
◆昭和46(1971)年11月15日(第159回)
・第2回日本歌謡大賞特集。南沙織がデビュー曲にして同年の歌謡大賞・放送音楽新人賞受賞曲となった「17才」を番組初披露。
◆昭和46(1971)年11月22日(第160回)
坂本九が前田武彦の代理司会を担当。
◆昭和47(1972)年02月07日(第171回)
トワ・エ・モワ、当時開催中の札幌冬季五輪にちなんで、本来最新曲として披露予定(72年2月5日リリース)であった「友だちならば」に代わって五輪のテーマソングとなった「虹と雪のバラード」を披露(前年8月30日・11月29日に続き3度目の番組内での披露。「友だちならば」はリリース1ヵ月後の同年3月13日放送分で初披露された)。
◆昭和47(1972)年05月01日(第183回)
ペドロ&カプリシャス初出演(歌:さようならの紅いバラ)。
◆昭和47(1972)年05月08日(第184回)
西郷輝彦、夫人(当時)の辺見マリを伴って出演。
◆昭和47(1972)年05月29日(第187回)
石坂浩二・浅丘ルリ子夫妻(当時)、特別出演。当日ゲストの一組、ビリーバンバンは、同夫妻が共演したドラマ「3丁目4番地」(日本テレビ系)の主題歌「さよならをするために」を番組初披露。
◆昭和47(1972)年06月19日(第190回)
奇跡のカムバックを遂げた山本リンダが初出演(歌;どうにもとまらない)。尚、夜ヒット本放送開始前のパイロット版に山本は参加している。
◆昭和47(1972)年07月31日(第196回)
チェリッシュ初出演(歌:ひまわりの小径)。初出演時は5人編成のフォークグループとして登場。
◆昭和47(1972)年08月14日(第198回)
"花の中3トリオ"の先陣を切り、森昌子が若干13歳で初出演(歌:せんせい)。
◆昭和47(1972)年08月21日(第199回)
麻丘めぐみ初出演(歌:芽ばえ)。
◆昭和47(1972)年08月28日(第200回)
放送200回達成。当日ゲストの一組、井上順之は、当時の妻・井上エミとの共演で話題を呼んだLP「ラヴ/順之とエミの世界」からスパイダース時代のナンバーでもある「君にあげよう」を披露。
◆昭和47(1972)年10月02日(第205回)
・伊東ゆかり・佐川満男、夫妻(当時)で出演。
・大和田伸也、牧村三枝子が初出演(歌=大和田:友よ、牧村:少女は大人になりました)。
◆昭和47(1972)年10月23日(第208回)
沖雅也が初出演(歌:君と二人で)。
◆昭和47(1972)年12月04日(第214回)
西城秀樹が初出演(歌:チャンスは一度)。
◆昭和47(1972)年12月25日(第217回)
・郷ひろみが初出演(歌:小さな体験)、これで"新御三家"がすべて夜ヒット出演を果たす。
・オリコンヒットチャート調査開始以来最大のヒットセールスを記録した「女のみち」をひっさげ、宮史郎とぴんからトリオが初出演。
◆昭和48(1973)年01月01日(第218回)
・初の元旦生放送。
・アグネス・チャン初出演(歌:ひなげしの花)
◆昭和48(1973)年05月28日(第239回)
桜田淳子初出演(歌;天使も夢みる)
◆昭和48(1973)年06月04日(第240回)
アン・ルイス、あべ静江初出演(歌=アン:わかりません、あべ:コーヒーショップで)
◆昭和48(1973)年06月18日(第242回)
司会の前田武彦、エンディング時に共産党の選挙候補者との公約として「バンザイ」のポーズを行ったことが問題化。9月改編での降板(事実上の解任)の引き金に(「共産党バンザイ事件」)。
◆昭和48(1973)年07月30日(第248回)
"中3トリオ"の最後発として、山口百恵が初出演(歌;としごろ)。
◆昭和48(1973)年08月06日(第249回)
FNS系列局であり、夜ヒット第1回からのネット局でもあるテレビ西日本の開局15周年記念番組として、福岡より中継を実施(現在確認されている中では最古の夜ヒット中継放送)。出演・青江三奈、石橋正次、山本リンダ、あべ静江ほか。
◆昭和48(1973)年08月13日(第250回)
殿さまキングスが初出演(歌:北の宿)
◆昭和48(1973)年09月10日(第254回)
キャンディーズが初出演(歌:あなたに夢中)。
◆昭和48(1973)年09月17日(第255回)
フォーリーブス、オリジナル歌手の坂本九が見守る中で「見上げてごらん夜の星を」を披露。
◆昭和48(1973)年09月24日(第256回)
・同年6月の「共産党バンザイ事件」の責任を取る形で前田武彦が司会を降板。同時に相手役の芳村真理も一時番組を離れることに。
・前田・芳村の降板と同時に、”モグラのお兄さん”として活躍した小林大輔アナが番組を卒業。代わって、翌週より洋画の吹き替えやラジオ深夜番組のパーソナリティーなどで人気を得ていた声優の野沢那智が2代目”モグラのお兄さん”としてレギュラー入り。コンピューター恋人選び・ラッキーテレフォンプレゼントの当選者選出のほか、曲イントロでの紹介アナウンスなども担当。
◆昭和48(1973)年10月01日(第257回)
レギュラー司会者不在となり、毎回ゲスト歌手2名が交代で司会を務める司会スタイルが採られる(~同49(1974)年3月25日放送)。
◆昭和48(1973)年11月26日(第265回)
11月20日に開催・放送された「第4回日本歌謡大賞」にちなむ特別編成を組む。大賞受賞者・沢田研二を初め、放送音楽新人賞受賞の桜田淳子、アグネス・チャンも出演し、受賞曲を披露。
◆昭和49(1974)年02月04日(第274回)
海援隊が初出演(歌:母に捧げるバラード)。
◆昭和49(1974)年02月11日(第275回)
石川さゆりが初出演(歌:おもいで)。
◆昭和49(1974)年02月18日(第276回)
八代亜紀が初出演(歌:しのび恋)。
◆昭和49(1974)年03月04日(第278回)
テレサ・テン、チューリップ初出演(歌:テレサ・テン=今夜かしら明日かしら、チューリップ=銀の指環)。