伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<38> 横浜銀蝿とその一家

2008-06-20 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回は80年代の「ツッパリ」「暴走族」といった時代風潮の中で、彼らの「カリスマ」として絶大な人気を誇った横浜銀蝿と、彼らのプロデュースによってデビューしたいわゆる「銀蝿一家」の面々の出演履歴を振り返ります。

<横浜銀蝿>
◆初出演:1981年1月26日(第637回)「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」
◆最終出演:1983年12月12日(第786回)「哀愁のワインディング・ロード」
◆出演回数:9回
1.  81/01/26 637 ツッパリHigj School Rock'n Roll(登校編)(詞:翔 曲:タミヤヨシユキ R:81/01/12 HC:3位
2.  81/03/02 642 ツッパリHigj School Rock'n Roll(登校編)
3.  81/08/10 665 羯徒毘路薫'狼琉(かっとびろっくんろうる) (詞:翔 曲:Johnny R:81/06/23 HC:4位
4.  81/10/19 675 ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)(詞・曲:タミヤヨシユキ R:81/10/07 HC:6位
5.  81/11/23 680 ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編) 
6.  82/04/19 701 お前サラサラサーファー・ガール おいらテカテカロックン・ローラー(詞・曲:翔 R:82/02/24 HC:9位
7.  82/09/27 724 あせかきベソかきRock'n Roll run(詞・曲:翔 R:82/10/19 HC:4位) 
8.  82/10/25 728 あせかきベソかきRock'n Roll run
9.  83/12/12 786 哀愁のワインディング・ロード詞・曲:翔 R:83/12/05 R:16位)
【補足】
①初出演~最終出演の期間中にリリースされたシングル曲中「おまえにピタッ!」(R:83/07/27)での出演実績はなし。
②「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」などの作曲者名にある「タミヤヨシユキ」は同バンドのリーダー・嵐(嵐ヨシユキ)のペンネーム(本名をカタカナ表記にしたもの)である。

<嶋 大輔>
◆初出演:1982年3月1日(第694回)「Sexy気分の夜だから」
◆最終出演:1984年9月3日(第823回)「君はダンシング・エンジェル」
◆出演回数:8回
1.  82/03/01 694 Sexy気分の夜だから(詞・曲:翔 R:82/02/10 HC:7位 
2.  82/05/17 705 男の勲章(詞・曲:Johnny R:82/04/28 HC:3位
3.  82/08/23 719 暗闇をぶっとばせ!!詞:嵐 曲:Johnny R:82/08/11 HC:1位
4.  82/09/13 722 暗闇をぶっとばせ!!
5.  83/01/24 740 大輔★哲太のRock'n Roll(詞・曲:翔 R:83/01/12 HC:6位)<「嶋大輔&杉本哲太+1」として出演> 
6.  83/04/25 753 男は道化師さ(詞:嵐 曲:鈴木キサブロー R:83/04/27 HC:18位)
7.  83/05/23 757 男は道化師さ
8.  84/09/03 823 君はダンシング・エンジェル(詞・曲:Giancarlo Bigazzi/Umberto Tozzi 訳:橋本淳 R:84/08/21)
【補足】初出演~最終出演までにリリースされたシングル曲中、「お前だけI Love You」(R:82/11/24)、「無邪気な天使」(R:83/09/21)、「ハードボイルド・ロマンス 奇麗」(R:84/04/21)での出演実績はなし。 


<紅麗威甦(グリース)>
◆初出演:1982年2月15日(第692回)「ぶりっこRock'n Roll」
◆最終出演:1982年8月30日(第707回)「時代を越えて」
◆出演回数:2回
1.  82/02/15 692 ぶりっこRock'n Roll(詞・曲:翔 R:82/01/20 HC:6位
2.  82/08/30 720 時代を越えて(詞:嵐 曲:TAKU HC:14位

<杉本哲太(ソロ)
◆初出演:1982年5月31日(第707回)「On the Machine(翔と桃子のロックンロール)」
◆最終出演:1983年1月24日(第740回)「大輔★哲太のRock'n Roll」
◆出演回数:2回(紅麗威甦としての出演を含めて計4回
1.  82/05/31 707 On the Machine(翔と桃子のロックンロール)(詞:牧野和子 曲:Johnny R:82/05/21 HC:7位)<「杉本哲太&LONELY RIDERS」として出演>
2.  83/01/24 740 大輔★哲太のRock'n Roll<「嶋大輔+杉本哲太+1」として出演>

<Johnny(ソロ)
◆初出演:1982年1月25日(第689回)「ジェームス・ディーンのように」
◆最終出演:1982年8月9日(第717回)「$百萬BABY」
1.  82/01/25 689 ジェームス・ディーンのように(詞・曲:Johnny R:81/11/18 HC:3位
2.  82/07/19 714 $百萬BABY(詞:松本隆 曲:Johnny R:82/06/23 HC:1位
3.  82/08/09 717 $百萬BABY

横浜銀蝿の正式バンド名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」(TCR横浜銀蝿R.S.)といいます。1979年、嵐、翔、TAKU、Johnnyの4人をメンバーとして結成され、翌80年9月、アルバム「ぶっちぎり」、シングル「横須賀Baby」を同時リリースしてプロアーティストとしてデビュー。そして81年初頭にリリースした2ndシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」オリコンチャート最高3位累計50万枚を超える大ヒットを記録、その後も立て続けにヒット作を送り出し、一躍ツッパリ少年たちのカリスマとして人気を獲得するようになりました。

なんといっても彼らが絶大な支持を受けることになった最大の要因はその独特のスタイルにあることはいわずもがなと思います。ボリューム満点のリーゼント頭にサングラス、白いドカン(裾が大きく広がった形状のズボン)に革ジャン。そしてそのスタイルで演奏する楽曲は何れも当時のいわゆる「不良少年」と言われる人々にとり等身大の世界を綴った内容の作品ばかり。ツッパリのカリスマとして半ば社会現象ともいえるほどの支持を受けるのに十分すぎるぐらいの要素が音楽面でも、ヴィジュアル面でも揃っていたといえるでしょう(ちなみにこのスタイルは、元々は自分たちの存在を早く世間に知ってもらうために採用したものであるということだそうです)。

この彼らのツッパリスタイルの成功を機に、音楽業界・放送界でもこれに便乗した動きが散見されるようになりました。81年秋には名古屋・CBCテレビの「ぱろぱろエブリディ」で紹介されたことをきっかけとして、学ラン姿を着させて2足で立っているように見せる構図で撮影された写真の数々が「なめんなよ」というキャッチフレーズとともに全国的な人気を集め「なめ猫」ブームが勃発。銀蝿を意識したキャラクター設定で売り出す歌手も登場し始め(ビートたけしの主演ドラマ「刑事ヨロシク」(TBS系)で注目され、後に「やめてクレRock'n Roll」でデビューしたミッキーという男性歌手などがこれに該当します)、また、暴走族・ツッパリをテーマとしたTVドラマも数本制作されるなど、この独特のスタイルは瞬く間に「市民権」を獲得するにいたります。

そのツッパリ・暴走族の少年達をクローズアップさせる形で製作されたドラマの中にTBS系の「茜さんのお弁当」(主演:八千草薫)というドラマがありました。このドラマで不良少年役で出演していたのが、嶋大輔杉本哲太。彼らは横浜銀蝿のいわば「舎弟」分としてこの芸能界の門を叩き、そしてこのドラマの出演により一躍その存在が注目されるようになり、そして82年に嶋はソロ歌手として、杉本は同ドラマ出演時に既に結成していた4人組バンド「紅麗威甦」のヴォーカルとして歌手デビュー、それぞれのデビューシングルである「Sexy気分の夜だから」(嶋)、「ぶりっこRock'n Roll」(紅麗威甦)がそれぞれヒットチャートでベストテンにランキングされる好セールスを記録。彼らの後にも翌83年にかけて矢吹薫岩井小百合といった面々も銀蝿のプロデュースによって歌手デビューし、銀蝿と彼らの舎弟分により組織されたいわゆる「銀蝿一家」は80年代初頭の芸能界・音楽界に旋風を巻き起こしました。

強烈なスタイルで音楽活動を続けていたため、ブームメント的ともいえる人気を長く持続させるのは難しいという判断が働いたのか、当初、82年一杯を以て解散する方向となっていましたが、「『ザ・ベストテン』(TBS系)で1位を獲るまでは解散できない」という名目の下に解散期限を83年の大晦日まで1年延長(82年11月18日放送の「ベストテン」に出演した際にこのように宣言したらしいです)。そして、83年大晦日、新宿コマ劇場でのコンサートを最後に4年に及ぶバンド活動に一旦終止符が打たれました(但し、解散延長の名目であった「ベストテンで1位を獲得する」という公約は最後まで結局は果たせず終いのままの解散となってしまいました)。

その後、Johnnyは音楽ディレクターに転身し表舞台に登場することはなくなりましたが、それ以外の嵐・翔・TAKUの3人はそれぞれ音楽・芸能活動を続け、1998年に15年ぶりに正式に再発足。途中、翔の不祥事や嵐が脳梗塞を発症するなどの苦難を味わいましたが、現在もライブハウスなどを中心に活動を続けているようです。銀蝿一家だった杉本、嶋は、その後俳優・タレントへと活動の拠点を求め現在も表舞台の一線で活躍を続けています。

さてヒットスタジオの出演に関してですが、意外にも銀蝿、そして銀蝿一家全体としてみてもそれほど頻繁には顔を出しておらず、新曲発売のときに1回出るかでないかという状態だったようです。若年層からは絶大な支持を集めた彼らですが、それよりも上、とりわけ中高年層となると、そのスタイルの強烈さゆえに特にテレビに出だした頃にあっては強い拒絶反応があったのも事実で、その点がどちらかといえば他の局の看板歌番組よりも「大人向き」と言われていたこの番組の出演機会の少なさにもつながってしまったのかもしれません。

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7 コメント

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あれ? (MACKY)
2008-06-21 13:00:39
>ちなみに杉本、嶋に次ぐ銀蝿一家の代表格ともいえる岩井小百合は「恋・あなたしだい!」などの歌がスマッシュヒットしており、83年の各音楽賞レースの新人賞でもジャニーズ事務所のTHE GOOD-BYEと互角の争いを演じる活躍を見せましたが、当時彼女がまだ14歳で、21時以降の満15歳未満の就労を禁ずる労基法規定との兼ね合いでヒットスタジオには残念ながら1度も出演できませんでした。

15歳の誕生日の直後に、「恋・あなた・し・だ・い!」で出演した記憶があったんだけど…確かあの時、立て続けにいろんな歌番組に出演したから、他番組と勘違いしてるかな?

ちなみに15歳未満といえば、伊藤つかささんとか松居直美さんって、ヒットスタジオ出演歴ありましたっけ?
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確か岩井小百合は・・・ (resistnce-k)
2008-06-21 13:22:19
90年の最終回の放送日付の産経新聞に2面をつかって掲載された(ただ「ほ」の欄だけ抜けているということで曰く付きの)出演者総覧というのがありまして、そこには岩井小百合の名前は出て着てないんですよね・・・。なので、1度も彼女は出られなかったのだろうとは思うんですが、あの総覧は多少漏れもあるにはあったらしいので、ちょっと調べてみる必要があるかもしれません。

ただ、いずれにせよ「15歳未満就労禁止」の規定には抵触してしまい、仮に出たことがあるとしても出演機会はかなり大幅な制約を課されたのは確かだろうと思います。
15歳未満、ということにはなっておりますが、結局のところは15歳の段階でも局の判断、あるいは事務所の判断で「グレーゾーン」という解釈であまり出演をさせない方向を採る場合もどうもあったようですし・・・。ただこの辺も色々とその歌手その歌手によって、また時代背景によっては違いもある(70年代初め頃はまだ緩かったのか13歳の森昌子、14歳の山口百恵・桜田淳子まで出ていたりしてますからね・・・)ので必ずしも方針が定まっていないのが、この年齢制限の不透明さではあるんですけど・・・。

因みにご指摘のあった伊藤つかさは「夢見るSeason」で82年2月に登場した1回きり、松居直美はたしか同じ82年の夏休みの期間中だったかに「よせなべトリオ」で出たのが唯一の出演だったはずです(記憶違いがあったらごめんなさい)。

岩井小百合云々というところはちょっとそれでは訂正(というより一応削除の方向)したいと思います。ご指摘ありがとうございました・・・。
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労基法云々というのは… (MACKY)
2008-06-21 19:54:34
『元アイドル』という本(今出ている文庫本版ではなく、その前のハードカバー版)によると、労基法云々というのは、生放送で歌いたくなかった伊藤つかささんが、スタッフに考えてもらった逃げ道だったそうで、それまではこんなことを言い出した歌手はほとんどいなかったそうです。最近の本を見ると、遥か昔の美空ひばりさんまで「労基法のため…」などと書いてあるのは困ったものです。

ちまみに、光GENJIは逆に労基法を無視して15才未満のメンバーを堂々と出演させていて問題になりましたよね。
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Unknown (resistnce-k)
2008-06-21 22:54:40
そうでしたね。光GENJIの件は、当時国会の予算委員会質疑でも問題になったぐらいでしたからね・・・。

彼らが初出演した当時は、既にヒットスタジオは2時間枠に時間拡大して数年が経過していた時期でしたので、最初の数回の出演に関しては、こういった批判もあってか、冒頭、2回目のCMに入る前に登場する3組のうちのいずれかに彼らの順番は大抵組み込まれ、歌い終わった後は、15歳未満のメンバーは画面からフェードアウトしてもらう(そのあと楽屋待機だったのかどうかまでは分からないです)という形を採っていたと記憶しています。

しかし、それは最初のうちだけで、88年に入って、彼らの人気が最高潮を迎える用になる頃には、他のアイドルもそうであったように、順番はどんどん後ろのほう、中盤、ひいては後半(10時台)に10分以上もの出番を用意されるということが多くなっていきました。確か、この前後の時期に上記の国会でも問題になった云々という話が起きているはずで、これを契機に「ある程度の人気のある歌手に関しては別に扱う」みたいなこれまた微妙な基準のようなものが出来上がったんですよね。それも影響してのものなんだろうと思いますけど・・・。

年齢制約云々という話は結構昔からあったことなのかな・・・と思っていたので、そういう裏話があったとはまた意外でしたね・・。ということは伊藤つかさが1回だけこの番組に出た、というのも実際のところはスタッフが「説得に説得を重ねてしぶしぶOKを出してもらった」という形での出演だったのかもしれませんね・・・。この番組はベストテンと違って事前収録での出演というのがNGだったですからね・・・。

年齢制約は結局のところは全事務所の統一基準、強行規定的なものではなく、事務所それぞれの裁量を加味した任意規定的な制約基準だったというのが真相なんでしょうね・・・。
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伊藤つかささんは… (MACKY)
2008-06-22 20:57:28
伊藤つかささんは1966年2月生まれなので、「夢見るSEASON」の時は既に15歳になっていたので出演OKでした。松居直美さんはよせなべトリオの頃はまだ15歳になっていなかった気が…「微妙なとこネ」の時は15歳になっていた気がしますが。

光GENJIは、最年少のメンバーが確か1973年9月が10月の生まれだったか、とにかく1988年の紅白時にははれて生出演できたことは確かです。労基法云々で問題になっていたのは、この年の春頃から夏にかけて、と思いますが…(その前は誰も指摘していなかったので堂々と出演していました。私はテレビを見ながらえ、いいの?と思っていましたが…)
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Unknown (resistnce-k)
2008-06-23 04:52:50
松居直美は68年1月生まれということのようなので、この当時はまだ14歳ですね・・。ということは出てない可能性が高い(というか出られないですよね・・・)ですね。どうも記憶違いをしていたようです(汗)。

光GENJIのメンバーの生年月を調べてみたんですけど、赤坂晃は1973年5月、佐藤敦啓が同じ年の8月ということのようですね(ということはSMAPの木村、中居(共に72年生まれ)よりも1学年下なんですね、彼らは・・・)。
初出演は87年7月29日放送(シングル「STAR LIGHT」リリースの約3週前)でしたので、この時点では、赤坂は14歳、佐藤に至っては13歳なんですね・・・。そう考えると、事務所はかなり無茶をしましたねえ・・・(汗)。
ただ、ジャニーズ事務所の方針としては田原・近藤→シブがき→少年隊という流れで、順調に人気タレントを定期的に輩出してきて、ここでその流れを更に加速させて一気に事務所の影響力を強大化させたいという考えが多分あったんでしょうね。それで無理矢理に13歳・14歳のメンバーも普通にどんな番組でも出していたんだろうな・・・という感じはしてきますね。大昔、郷ひろみ・フォーリーブスの2トップ時代「夜深い時間帯はちょっと無理」といっておきながら・・・(汗)。まあ、でも事務所をよりグレードアップさせたいという考えが基にあるならこういう方針転換があったとしても、まあ・・・・仕方はないのかなあとは思うんですけどね。一種の焦燥感がそうさせた、ということなんでしょうね。

そういえば、モーニング娘はそのへんがかなりシビアでしたよねぇ。紅白でも「15歳未満のメンバーがいるので、9時までには出番を終らせてほしい」という厳しい厳命があったそうですからねえ。9時にはいったら、15歳未満ははい客席に隠れてって感じで、あとは残された年長者だけが応援に出てきただけでしたからねえ。

この15歳未満の基準を焦点にだれそれは出た、出られなかったという議論もなかなか興味深い観点ではありますねえ。こうやってMACKYさんとやりとりしていてそう感じました。
一度こういう観点からも記事を作成してみようかなあ・・・。ちょっと考えておきます(笑)。

色々と細かく教えていただいて本当有難うございます。コメントいただいたのはかなり久々のはずですが、これを機に私の知識不足でミスがある部分などありましたら補足などしていただけると大変助かります。よろしくお願いいたしますね。
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Unknown (K.H)
2024-04-09 11:45:55
貴重なデータをありがとうございます。
銀蝿の「お前サラサラサーファーガール~」は2回出演があるはずですよ。映像も持ってます。イントロのセリフがある回と省略してる回です。ご参考までに。
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