伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜ヒット名シーン/チャゲ&飛鳥「ひとり咲き」

2006-03-25 | 夜のヒットスタジオ/名シーン
夜ヒット名シーン編・第3回目は現在では日本の音楽シーンを代表するビックアーティストとなったチャゲ&飛鳥の夜ヒット初出演、「ひとり咲き」のシーンを取り上げます。

チャゲ&飛鳥が夜ヒットに初登場したのは、レコードデビューから約3ヵ月後の1979年11月12日の放送でした。夜ヒット初登場当時、チャゲアスはまだまだ無名のアーティストであり、デビュー3ヶ月での初出演というのは、ヒット曲を持たないニューミュージック系の歌手としては異例の早さでした。なぜ、わずか3ヶ月で無名の新人アーティストであるチャゲアスが出演できたか、それは、当時すでにフォーク界の大御所として君臨していた吉田拓郎さんが本当ならばこの回に待望の初出演をする予定であったものが、直前になって拓郎さんサイトから夜ヒット出演を辞退する旨の連絡が入り、そこで急遽、拓郎さんの代役として、チャゲアスに白羽の矢が立ったというのが一番の理由であったようです(なお、拓郎さんはこの約8ヵ月後の1980年6月30日放送で夜ヒットに初出演しました)。

この初出演のときに披露した曲目はデビューシングル曲である「ひとり咲き」。夜ヒットの場合、新人アーティストについては、セット装置や演出なども割合質素なものとなるケースが多かったのですが、チャゲアス初登場の時はとりわけ"映像美"に拘った演出が行われました。階段状のセットの上に大量の桜吹雪が舞うという風景をバックにチャゲアスはこの唄を熱唱しました。

九州から上京してきてまだ日にちに浅いように見える若手のフォークデュオが、ジーパン姿で目いっぱいの"おしゃれ"をしてテレビに出ている、そしてそこに「ひとり咲き」という曲タイトルに合わせて桜吹雪が舞い落ちる、という演出は、歌手の人間性であるとか、雰囲気というものを演出を考える際の重要な材料としていた夜ヒットならではの「シンプル」ではあるが「人間味のある」巧みな演出であったように思います。また、このときが初登場であったこともあり、初登場ならではの緊張感もスタジオ内には漂っており、その緊張感が、より彼らの持つ歌の力に臨場感を持たせたという感じがします。電飾装置や証明設備の整った昨今の音楽番組の演出からすれば、これでも「質素」という感じがするのかもしれないですが、このようなシンプルな演出であっても、歌の臨場感がひしひしと感じ取れるというのは、夜ヒットの格の高さがあってこそ為せる演出ではないかと思います(尚、後日このシーンについてより詳しく調べてみたところ、この演出は本当は吉田拓郎さんが出演していた場合に披露する予定となっていた、「外は白い雪の夜」のために用意されていたものをそのまま流用したものだったようです。しかし、単なる流用であったにすぎないこの演出が、この曲に不思議とはまった、というのは、夜ヒットという番組がもつ全体の雰囲気と、初出演であったという初々しさと独特な緊張感が、そのような「流用した演出」という雰囲気すらも打ち消すものであったということを証明していると言えるのでは、と思います)。

このほかにもチャゲアスというと何人かのダンサー?のような人々が太極拳をやっている中で「万里の河」を歌ったり、マンスリーのときの「終楽章」の熱唱、「モーニングムーン」の出演者一同が立ち上がっての熱いステージングなど、さまざまなシーンを夜ヒットでも提供してくれたアーティストでしたが、個人的にはいつの時かに見たこの初登場のシーンが、彼らの当時の素朴さを最も如実に引き出していたという意味では、一番の"夜ヒットらしい"名シーンではないかなあ・・・と思っています。

いまやデビュー25年を過ぎ、日本を代表する大物アーティストへと進化を遂げたチャゲアスが歩んできた長い足跡の「第一歩」を物語るシーンとして、これからもこの夜ヒットの初登場シーンは語り継がれていくべきではないか、と思います。今もデビュー当時の彼らの様子と、この夜ヒットの初登場時の紙吹雪を背に受けての熱唱のシーンをオーバーラップさせて思い出す人もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。

夜ヒット名シーン/美空ひばり「ラヴ・イズ・オーヴァー」

2006-03-06 | 夜のヒットスタジオ/名シーン
夜ヒット史上に残る名シーン、今回は美空ひばりさんが夜ヒットで特別に熱唱をした「ラヴ・イズ・オーヴァー」を取り上げます。

このシーンは1984年10月8日放送での一コマです。
この回は、通常の放送枠を1時間拡大し、2時間編成のスペシャル番組形式で放送された回で、他の歌手もそれぞれ思い出に残るほかの歌手の曲などを披露するという形式で、後にスタートするDX版の布石となったともいわれる回です。

この「ラヴ・イズ・オーヴァー」もご承知の通り、欧陽菲菲さんが1982年に発表し、1983~1984年にかけてロングヒットした曲。それを歌謡界の女王・美空ひばりさんが特別に歌唱することになりました。

なぜこの唄を披露することになったのか、といえば、司会の芳村真理さんと主要スタッフが、ぜひこの歌をひばりさんに秋の特別版の際に唄ってほしいと熱心に依頼したことがきっかけであったようです。ひばりさんもこの曲を自分の愛唱歌とするほど、好んでいたことももあり、両者の意見が一致して、この曲を以て特別に夜ヒットに約10ヶ月ぶりに登場することとなりました。

ひばりさんがコーラス隊を従えて歌い上げる「ラヴ・イズ・オーヴァー」は菲菲さんのそれとは異なる雰囲気を放ち、スタジオ全体、そしてこの放送を見た人々にその唄の持つ絶対的な説得力を感じさせる名唱でした。まさに名歌手の「格の違い」というものがこの歌唱からは滲み出ていたように思います。

そもそも、ひばりさんの吹き込んだ曲をみてみますと、カテゴリー上は「演歌」とされる曲は多いわけですが、他方で「スターダスト」「A列車で行こう」などといったジャズのスターダストナンバーなどでもジャズを本職とする歌手と肩を並べる一流ぶりを発揮し、そのほかにも浪花節・オペラの楽曲にも他のテレビ番組で挑戦したり、自身のオリジナルナンバーでもGSのブルーコメッツとの共演で歌った「真赤な太陽」(1967年)やその翌年の「むらさきの夜明け」(1968年)、来生たかおさん・来生えつこさんのコンビが作詞・作曲を担当した「笑ってよムーンライト」(1983年)、フォーク界の大物・岡林信康さんが手掛けた「月の夜汽車」(1976年)、そして小椋佳さんによる「愛燦々」(1986年)など、他のジャンルの第一人者との融合も積極的に行っていました。そのジャンルにとらわれることのない寛容な唄に対する姿勢を持ち、それらすべてを自分の世界に引き込む力をもったひばりさんだからこそ、哀愁が漂う菲菲さんの歌でのイメージが強い「ラヴ・イズ・オーヴァー」でも、菲菲さんの歌とはまた違った「ラヴ・イズ・オーヴァー」の世界を見事に表現できたのだろうと思います。

この唄が歌い終わったあと、普通夜ヒットでスタンディングオーベーションが後のひな壇から沸き起こることは殆どないのですが、出演者もその歌声に当然の如く圧倒され、最後にはみな立ち上がり彼女の歌唱に喝采を送り、芳村さんや井上順さんとひばりさんが満面の笑顔で握手をしていたのを思い出します。

ひばりさんが死去して、すでに17年もの月日が流れようとしていますが、死後も尚、多くの歌手に影響を与え、多くのファンを虜にし続けるひばりさんの存在は、たとえ「神格化」されているきらいがあるにしても、やはり偉大であったと思いますし、これからも50年先、100年先と、日本が誇るべき芸能界のいわば"至宝"として、彼女の残してきた足跡と歌声を伝えていく必要があると思います。