伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-3) 1977年11~12月③

2008-07-17 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年12月26日(第477回)>
■中島みゆき、テレビ生放送音楽番組初出演。
・追想 ヒデとロザンナ
 詞:松任谷由実 曲:出門 英 R:1977/09/25 HC:18位
・恋人たちの100の偽り 太田裕美
 詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:1977/12/21 HC:27位
ブーツをぬいで朝食を 西城秀樹
 詞:阿久 悠 曲:大野克夫 R:1978/01/01 
 HC:7位 BT:1位(78/02/09-02/16)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)32位
◆第7回(78年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデンカナリー賞受賞曲
曲の冒頭の部分でライターに火をつけるアクションを披露し話題を呼んだが、翌78年に入って早々これを小学生が真似たことが原因で火災事故が発生。この事故が発生した直後に放送された「ザ・ベストテン」(TBS系)出演時に、西城自ら、方々への影響を考慮して同アクションの封印を宣言すると共に、注意喚起を促すコメントを発表した。
【メドレー】アザミ嬢のララバイ~わかれうた 中島みゆき
 ・アザミ嬢のララバイ 中島みゆき
  詞・曲:中島みゆき R:1975/09/25 HC:38位(75年)
中島みゆきのデビューシングル。当初は全国でのプロモーション活動に中島本人も帯同する予定としていたが、この曲の発売前後の時期に実父が病気のため療養生活にはいったことから、満足のゆく宣伝活動ができなかったという。
 ・わかれうた 中島みゆき
  詞・曲:中島みゆき R:1977/09/10 
  HC:1位(77/12/12) BT:4位
中島みゆきにとり、初のオリコンチャート1位獲得シングル曲。以後、中島は1980年代(「悪女」)・1990年代(「空と君のあいだに」「旅人のうた」)・2000年代(「地上の星」)と4つの年代にでそれぞれオリコン1位を獲得するという偉業を達成する(この「4つの年代に渡っての1位獲得」という記録を持っているのは現時点では彼女一人のみである)。また、77年8月第2週~78年2月第3週までの半年間、ピンクレディーが「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」の計3曲でオリコンチャートで1位の座を独占したが、その間隙を潜り抜ける形で唯一、1位の座を奪還したのがこの作品であった。
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<中島みゆき>
①1952年、北海道・札幌市出身。高校3年の時、文学祭で自身のオリジナル作「鶫(つぐみ)の唄」を披露したのをきっかけにアマチュアミュージシャンとしての活動を開始。大学進学後は、地元ラジオ局でスタッフのアルバイトをする一方、他の大学のフォークソング研究会メンバーとの交流を広め、各種の音楽コンテストにも出場し軒並み入選、「コンテスト荒らし」との異名をとる。72年、「バイト代わり」(本人談)で出場したフォーク音楽祭の道内予選で優勝、北海道代表として全国大会に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞を果たす。大学卒業後も、親交のあった地元のジャズ喫茶のマスター・渡辺晃氏が主宰する「自由集団」の企画・構成によるライブに数多く参加する一方、100曲以上にも上るオリジナル作品を創作するなど、更に音楽活動を活発化。アマチュアミュージシャンながら既にこの時期には道内の音楽ファンの多くにその名前が知れ渡る存在となっていた。
75年、ヤマハ音楽振興会主催によるアマチュア歌手の登竜門「第9回ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に出場し、「傷づいた翼」で入賞。この入賞を契機にキャニオン・レコードと契約、同年9月にシングル「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビューを果たす。続く11月には、同じくヤマハ主催による「第6回世界歌謡祭」にも出場。当初はポプコン入賞曲である「傷づいた翼」での出場を予定していたが、急遽曲目を「時代」に変更、この曲で見事グランプリを受賞。「時代」はその後、12月に「世界歌謡祭グランププリ受賞曲」という触れ込みのもとにレコード化され、オリコン週間チャート最高14位累計売上16.4万枚(オリコン調べ)のスマッシュヒットとなった。
76年には、初のアルバム「私の声が聞こえますか」を発表。また同時に他の歌手への楽曲提供を開始し、研ナオコには「あばよ」「かもめはかもめ」、先輩シンガーソングライターである加藤登紀子には「この空を飛べたら」桜田淳子には「しあわせ芝居」「二十才なれば」など多数の作品を輩出、何れも好セールスを記録し、作詞・作曲家としても一躍注目を浴びる。オリジナル作品でも77年発表の「わかれうた」が翌78年にかけて累計76.9万枚(オリコン調べ)を売り上げ、自身初のオリコンチャート1位を獲得。同世代でテレビ出演よりも創作活動・コンサート活動に重点を置きながら音楽活動を展開していた松任谷由実と共に、以後の日本の女流ミュージシャンの一つの流れを築く存在へと成長してゆく。他方、この時期よりラジオ番組でのパーソナリティー業にも進出。79年からはニッポン放送の人気深夜番組「オールナイトニッポン」の月曜担当パーソナリティーに抜擢され、暗く思い曲調の多い彼女から想像がつかない、明朗・軽妙なトーク・番組進行が話題となり、以後、87年まで8年に及ぶ長寿番組となった。
82年、「悪女」で自身2度目のオリコン1位を獲得して以降、「誘惑」「横恋慕」「あの娘」「ひとり」と自身のオリジナルシングルが次々と同チャートのベストテン入りを果たすヒットを連発。柏原芳恵の「春なのに」、元ピンクレディー・増田けい子(現・恵子)のソロ第1弾シングル「すずめ」など、引き続き他の歌手にもヒット曲を提供し続け、彼女の人気は絶頂に達する。しかし、その後、曲作りの面でスランプに陥り、甲斐よしひろら外部の人気ミュージシャンを自身のオリジナルアルバムの製作プロデューサーに起用するなど、それまでの作風からの大幅なイメージチェンジを模索し続ける時代(本人いわく「御乱心の時代」)が数年続き、その影響もあってかアルバム・シングル売上も徐々に下落傾向を辿るようになった。
88年、通算16枚目のオリジナルアルバム「グッバイガール」のプロデューサーとして長渕剛、チャゲ&飛鳥(CHAGE&ASKA)ら、多くのミュージシャンの楽曲でアレンジャー・作曲を手掛けてきた実力派の瀬尾一三を起用。楽曲製作の段階でそれぞれが目指す音楽スタンスなどの点から瀬尾と意気投合し、彼との出会いがそれまでのスランプ状態を打破する一助となってゆく。89年には、後に彼女のライフワークとなる「夜会」コンサートを瀬尾の総合プロデュースの下でスタートさせ、「コンサートと演劇の融合」という斬新な興行スタイルを提案。そして、92年にはドラマ「親愛なる者へ」(フジテレビ系)の主題歌として使用された「浅い眠り」がデビュー17年目、通算26枚目のシングルにして初のミリオンセラーを達成累計売上:105.7万枚<オリコン調べ>)し、スランプ状態から完全に脱却。その後も94年には「空と君のあいだに」、続く95年には「旅人のうた」(何れも日本テレビ系ドラマ「家なき子」主題歌)がミリオンヒット(「空と君のあいだに」は累計売上146.6万枚<オリコン調べ>という、自身の全シングル作品中最高の売上を記録)。これらの作品はドラマ主題歌として採用されたこともあり、ドラマの主な視聴者層である若年層の間にも彼女の独特の音楽センスが広く浸透、更なるファン層の拡大へと繋がってゆく。
⑥2000年、新レーベル「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」の創設に参加することとなり、デビューから25年間在籍してきたポニーキャニオンから同レーベルへと移籍。移籍後初のシングル作品である「地上の星/ヘッドライト・テールライト」はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」のテーマ曲に採用され、番組の人気上昇と比例するように主な視聴者層である中高年のサラリーマン世代から絶大な支持を獲得。最終的には自身4度目のミリオンセラー累計売上:111.6万枚<オリコン調べ>)を達成すると共に、オリコン週間チャートTOP100圏内連続チャートイン記録で杉良太郎の「すきま風」が持っていた連続147週の記録を大幅に塗り替える、連続174週ランクインという大金字塔を樹立。「地上の星」が本格的にヒットした2002年には、これまで幾度も出演依頼を受けながらも辞退を申し出てきた年末のNHK紅白歌合戦にも、NHKの番組からヒットの口火が切られたという恩義から出演を了承。黒部ダムからの生中継で同曲を熱唱した(因みにテレビの生放送音楽番組への出演はこのヒットスタジオへの唯一の出演以来、25年ぶりのことであった)。
⑦他方、ライフワークとなっていた年末恒例の「夜会」は98年を最後に一旦休止されたものの、2000年から不定期上演スタイルに転換して再開(以後、02年、04年、06年と1年おきに上演)。また人気アイドルバンドTOKIOに「宙船」「本日、未熟者」を提供するなど、70年代以降の日本のミュージックシーンに多大な影響を及ぼした大御所の一人として現在も第一線で活動を展開している。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・12/25 「黄金狂時代」「独裁者」「モダン・タイムス」「ライムライト」などの名作喜劇で知られるイギリスの”喜劇王”、チャールズ・チャップリン死去。88歳。
・12/31 同年度の日本レコード大賞に沢田研二「勝手にしやがれ」。最優秀歌唱賞は八代亜紀「愛の終着駅」(2年連続受賞)、最優秀新人賞は清水健太郎「失恋レストラン」。


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4 コメント

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確か (Y&A)
2008-07-18 12:37:30
研ナオコの「愚図」は宇崎・阿木夫妻の曲だったと思います・・・
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Unknown (resistnce-k)
2008-07-18 22:23:04
あ、そうでしたね・・・・てっきり勘違いしていました(笑)。
ご指摘いただきましてありがとうございました(該当箇所は削除しました)。
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コッキーポップ ()
2008-07-19 09:06:11
 中島みゆきさん。生ではない歌番組ならテレビ版の
「コッキーポップ」で「時代」を
歌ったことがありますね
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みゆきさんの魅力を紐解くキーワードは「暗い歌の世界」と「明るい男勝りな性格」。 (resistnce-k)
2008-07-19 21:56:11
あと、私が知ってるところでは他に確か75年秋頃に「ミュージックフェア」にも出ていたらしいですね。

中島みゆきさん、このヒットスタジオ出演について、後に当時やっていたラジオ番組の中で「もう二度と出るまい!」と思うほどに極度の緊張状態。どこに焦点を合わせて歌えばいいのかすら分からないほど動揺しながらの出演だったらしいです。
再放送等で何度もこの出演シーンを私も見たことはありますが、とてもそんな感じはしなかったんですけどねー。

そういう感情すら押し殺して、切々と歌い上げてしまうところにみゆきさんの「プロ意識の高さ」を感じさせますね。

私は、シンガーソングライターの名手としての彼女も非常に素晴らしいと思っていますが、他方、ラジオパーソナリティーの彼女のトーク技術も凄いと思っています。

彼女の素顔は歌の世界とは180度、いやそれ以上に間逆とも言える「あっけらかん」とした、さっぱりとした性格。その性格が如実に現れており、その中に見える人間的な魅力に惹かれてみゆきさんのファンになった、という人も結構多いと思います。

でも、彼女自身はこの点も特にテレビに出るときには凄く気にされているらしいですね。紅白や「プロジェクトX」の最終回でトークなしでいきなり歌に入ったというのは、この辺のことを配慮してのものだったとか。
オレ的には素顔の「男勝り」的なみゆきさんの雰囲気もどんどんテレビで出して欲しいと思うんですけどねー・・・・(汗)。
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