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■同回の放送より、井上順が3代目の男性司会者として登場。
・恋のシーソーゲーム アグネス・チャン詞:落合恵子 曲:井上忠夫 R:1976/04/10 HC:8位
・いじわる時計 ザ・リリーズ
詞:松本 隆 曲:森田公一 R:1976/03/05
・夕焼け 菅原洋一 R:1976/03/-
・みかん 大竹しのぶ
詞:阿久 悠 曲:大野克夫 R:1976/04/05 HC:67位
※<大竹しのぶ>
①73年、フォーリーブスの北公次主演のフジテレビ系ドラマ「ボクは女学生」での北の相手役のオーディションに合格し芸能界入り。翌年公開された「青春の門(筑豊編)」、そして75年の朝の連続テレビ小説「水色の時」(NHK)のヒロイン役と次々と大役に抜擢され、同年代のアイドル的存在としての人気を獲得。個性的なキャラクターと迫真迫る演技力で、その後も松竹映画「事件」(78年)、同「鬼畜」(79年)、東映=角川映画「麻雀放浪記」(84年)、大河ドラマ「花神」(77年)、同右「獅子の世代」(80年)などといった話題作に次々と出演。特に78年の「事件」の演技で、キネマ旬報助演女優賞や日本アカデミー賞主演・助演女優賞など数多くの映画賞を受賞し、実力派女優としての定評を確立した。
②82年に演出家・服部清治と結婚し1児をもうけるのちに死別。その後、88年に、「男女7人夏物語」「男女7人秋物語」(何れもTBS系)での共演を機に交際を始めた、人気お笑いタレントの明石家さんまと再婚し、彼との間にも1児をもうけたが、92年、わずか4年足らずの結婚生活にピリオドを打つ。以後は独身となり、以前以上に女優業に積極的に邁進。ここ数年は舞台女優としての評価が高く、「奇跡の人」「マグベス」「欲望という名の電車」などの名作の舞台にも主演。紀伊国屋演劇賞・芸術選奨文部科学大臣賞・菊田一夫演劇賞など主要な演劇関連の賞をほぼ毎年のように受賞するなど、日本の舞台・演劇界を背負って立つ看板女優として活躍。他方、元夫である明石家さんまの影響から「中居正広の金曜日のスマたちへ」(TBS系)などバラエティー番組への露出も多く、その天然ともとれる独特なキャラクターで広い世代から親しまれている。
①73年、フォーリーブスの北公次主演のフジテレビ系ドラマ「ボクは女学生」での北の相手役のオーディションに合格し芸能界入り。翌年公開された「青春の門(筑豊編)」、そして75年の朝の連続テレビ小説「水色の時」(NHK)のヒロイン役と次々と大役に抜擢され、同年代のアイドル的存在としての人気を獲得。個性的なキャラクターと迫真迫る演技力で、その後も松竹映画「事件」(78年)、同「鬼畜」(79年)、東映=角川映画「麻雀放浪記」(84年)、大河ドラマ「花神」(77年)、同右「獅子の世代」(80年)などといった話題作に次々と出演。特に78年の「事件」の演技で、キネマ旬報助演女優賞や日本アカデミー賞主演・助演女優賞など数多くの映画賞を受賞し、実力派女優としての定評を確立した。
②82年に演出家・服部清治と結婚し1児をもうけるのちに死別。その後、88年に、「男女7人夏物語」「男女7人秋物語」(何れもTBS系)での共演を機に交際を始めた、人気お笑いタレントの明石家さんまと再婚し、彼との間にも1児をもうけたが、92年、わずか4年足らずの結婚生活にピリオドを打つ。以後は独身となり、以前以上に女優業に積極的に邁進。ここ数年は舞台女優としての評価が高く、「奇跡の人」「マグベス」「欲望という名の電車」などの名作の舞台にも主演。紀伊国屋演劇賞・芸術選奨文部科学大臣賞・菊田一夫演劇賞など主要な演劇関連の賞をほぼ毎年のように受賞するなど、日本の舞台・演劇界を背負って立つ看板女優として活躍。他方、元夫である明石家さんまの影響から「中居正広の金曜日のスマたちへ」(TBS系)などバラエティー番組への露出も多く、その天然ともとれる独特なキャラクターで広い世代から親しまれている。
<1976年4月12日(第388回)>
・霧の港 神戸 青江三奈 R:1976/03/-
・おばさん 森 昌子
詞・曲:浜口庫之助 R:1976/03/01 HC:24位
・陽ざしの中で 布施 明
詞:関 真次 曲:吉川忠英 R:1976/04/21 HC:12位
※① 主に海外の歌のコピーを中心に音楽活動を展開してきた、元ニューフロンティアーズ出身のスタジオミュージシャン、関真次と吉川忠英が「日本語の歌を作りたい」という思いで製作した「夢が少しずつ」という作品を渡辺プロの当時の布施担当スタッフが気に入り、大ヒットとなった小椋佳作品「シクラメンのかほり」「傾いた道しるべ」の次の作品の製作という大役を作詞・作曲家のキャリアがほとんどなかったこの2人のコンビに託したといわれている。
※②20万枚を売り上げるヒットとなった作品であるにも関わらず、なぜか長らくの間、彼のベスト盤への収録は見送られてきた(近年発売されているベスト盤やCD-BOXには収録されている)ことから「まぼろしの名曲」とファンの間では評されている作品でもある。
※②20万枚を売り上げるヒットとなった作品であるにも関わらず、なぜか長らくの間、彼のベスト盤への収録は見送られてきた(近年発売されているベスト盤やCD-BOXには収録されている)ことから「まぼろしの名曲」とファンの間では評されている作品でもある。
<1976年4月19日(第389回)>
・霧雨の朝突然に… バンバン
詞・曲:荒井由実 R:1976/02/25
・愛に走って 山口百恵
詞:千家和也 曲:三木たかし R:1976/03/21 HC:2位
◆年間チャート(76年)16位(46.5万枚)
※「赤い運命」(TBS系ドラマ「赤い運命」主題歌)との両A面。
・純心 村上こうじ R:1976/03/-<1976年4月26日(第390回)>
・少女期 森田つぐみ
詞:千家和也 曲:大野克夫 R:1976/04/25 HC:84位
・涙のディスコナイト 欧陽菲菲
詞:橋本 淳 曲:佐藤 寛 R:1976/03/-
・ウィンクでさよなら 沢田研二
詞:荒井由実 曲:加瀬邦彦 R:1976/05/01 HC:7位
・ビューティフル・サンデー 田中星児
詞:Rod Mcqueen/Daniel Boone/田中星児<訳>
曲:Rod Mcqueen/Daniel Boone
R:1976/03/25 HC:4位
※「オー・マリヤーナ」両A面。
◆年間チャート(76年)12位(51.9万枚)
◆第27回(76年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
※第49回(77年)選抜高等学校野球大会開会式入場行進曲
※<楽曲について>
①オリジナルはイギリスのシンガーソングライター、ダニエル・ブーンの歌唱で知られる。72年に本国イギリスで、次いでアメリカでリリースされ、イギリスのヒットチャートでは最高21位、アメリカのビルボード・チャートでは最高15位を記録し、発売数ヶ月で全世界での売上枚数がミリオンを超えるという爆発的なヒットとなった。
②日本では、76年初頭にTBS系で当時放送されていた平日朝の情報番組「おはよう720」内で、1人のレポーターが1ヶ月近くの長期の諸外国取材を行い、その模様を放送するという人気コーナー「パスポート4」(のちに「キャラバン2」と改称され継続)の東西ドイツ取材のシリーズの放送中にBGMで同曲が使われたところ、視聴者から問い合わせが殺到。この予想外の反響振りから当時の番組ディレクターがディスコ・メイトというレコード会社に働きかけ、その結果、この曲のシングル盤が日本でも発売されることとなった。オリジナルであるダニエル・ブーン盤(リリースは76年3月10日)は発売後わずか2週間でそれまで11週連続1位であった「およげ!たいやきくん」に代わって、オリコン週間チャートの1位の座を獲得し、以後、6月第4週まで15週連続で1位の座を保守。累計192.4万枚という驚異的なセールスを残した(尚この記録は日本でリリースされた洋楽シングルとしては現在も最高のセールス記録となっている)。
③ダニエル・ブーン盤に加え、日本ではほかに田中星児、バンド「トランザム」による日本語訳バージョンも程なくしてからリリースされ、いずれもオリコンチャートでベスト10入りを果たすヒットとなった。このほか、俳優の平田満や、田中が所属していた「ヤング101」によるカバーバージョンも発売されている。尚、田中盤、トランザム盤それぞれ日本語訳は異なっており、田中盤は田中自身の訳詞により、童謡調ともいえる、老若男女を問わず覚えやすい仕上がりとなっているのに対して、トランザム盤はフォーク畑出身の新進気鋭の作詞家・松本隆の手により訳詞がなされ、主に大学生など若年層のユーザーを狙ったフォーク色の強い仕上がりとなっている。
※<田中星児>
高校時代より各局のオーディション番組、のど自慢番組、歌唱コンクールに出場し、「NHKのど自慢大会」(ポピュラーの部)優勝、TBS系「ナショナル10人抜きのど自慢」優勝など数多くの賞を受賞、「のど自慢荒らし」として有名に。このアマチュア歌手の枠を超えた歌唱力が注目され、70年、同年スタートした「ステージ101」(NHK)内のグループ「ヤング101」の筆頭格の一人として参加し、プロの歌手としてデビュー。その後、71年には同局の幼児教育番組「おかあさんといっしょ」の初代”うたのおにいさん”として抜擢。歌手・作詞・作曲家として子供向けソングのスターとして人気を博す。76年に発売した同曲のカバー盤でも自身で訳詞を手掛け、その親しみやすくシンプルな訳詞も相まって50万枚を超えるヒットとなり、年末にはNHK紅白歌合戦にも出場。一躍その名を全国に知らしめた。その後もTBS系「8時の空」の司会やNHK教育の番組、NHK「みんなのうた」などへの楽曲提供などで活躍。
◆年間チャート(76年)12位(51.9万枚)
◆第27回(76年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
※第49回(77年)選抜高等学校野球大会開会式入場行進曲
※<楽曲について>
①オリジナルはイギリスのシンガーソングライター、ダニエル・ブーンの歌唱で知られる。72年に本国イギリスで、次いでアメリカでリリースされ、イギリスのヒットチャートでは最高21位、アメリカのビルボード・チャートでは最高15位を記録し、発売数ヶ月で全世界での売上枚数がミリオンを超えるという爆発的なヒットとなった。
②日本では、76年初頭にTBS系で当時放送されていた平日朝の情報番組「おはよう720」内で、1人のレポーターが1ヶ月近くの長期の諸外国取材を行い、その模様を放送するという人気コーナー「パスポート4」(のちに「キャラバン2」と改称され継続)の東西ドイツ取材のシリーズの放送中にBGMで同曲が使われたところ、視聴者から問い合わせが殺到。この予想外の反響振りから当時の番組ディレクターがディスコ・メイトというレコード会社に働きかけ、その結果、この曲のシングル盤が日本でも発売されることとなった。オリジナルであるダニエル・ブーン盤(リリースは76年3月10日)は発売後わずか2週間でそれまで11週連続1位であった「およげ!たいやきくん」に代わって、オリコン週間チャートの1位の座を獲得し、以後、6月第4週まで15週連続で1位の座を保守。累計192.4万枚という驚異的なセールスを残した(尚この記録は日本でリリースされた洋楽シングルとしては現在も最高のセールス記録となっている)。
③ダニエル・ブーン盤に加え、日本ではほかに田中星児、バンド「トランザム」による日本語訳バージョンも程なくしてからリリースされ、いずれもオリコンチャートでベスト10入りを果たすヒットとなった。このほか、俳優の平田満や、田中が所属していた「ヤング101」によるカバーバージョンも発売されている。尚、田中盤、トランザム盤それぞれ日本語訳は異なっており、田中盤は田中自身の訳詞により、童謡調ともいえる、老若男女を問わず覚えやすい仕上がりとなっているのに対して、トランザム盤はフォーク畑出身の新進気鋭の作詞家・松本隆の手により訳詞がなされ、主に大学生など若年層のユーザーを狙ったフォーク色の強い仕上がりとなっている。
※<田中星児>
高校時代より各局のオーディション番組、のど自慢番組、歌唱コンクールに出場し、「NHKのど自慢大会」(ポピュラーの部)優勝、TBS系「ナショナル10人抜きのど自慢」優勝など数多くの賞を受賞、「のど自慢荒らし」として有名に。このアマチュア歌手の枠を超えた歌唱力が注目され、70年、同年スタートした「ステージ101」(NHK)内のグループ「ヤング101」の筆頭格の一人として参加し、プロの歌手としてデビュー。その後、71年には同局の幼児教育番組「おかあさんといっしょ」の初代”うたのおにいさん”として抜擢。歌手・作詞・作曲家として子供向けソングのスターとして人気を博す。76年に発売した同曲のカバー盤でも自身で訳詞を手掛け、その親しみやすくシンプルな訳詞も相まって50万枚を超えるヒットとなり、年末にはNHK紅白歌合戦にも出場。一躍その名を全国に知らしめた。その後もTBS系「8時の空」の司会やNHK教育の番組、NHK「みんなのうた」などへの楽曲提供などで活躍。
【司会】 芳村真理・井上 順(76/04/05~)
(参考)この頃の主な出来事
・04/01 米・カリフォルニア州にてアップルコンピュータ社が発足。
・04/05 中国にて第1次天安門事件起きる。故・周恩来首相を追悼する意味で天安門広場に集合した群集たちが警察当局と衝突。この事件により黒幕と目された小平が副首席の職を解かれ失脚。
・04/09 「白樺派」の中心的な存在として日本の文壇史の流れを築いた作家・武者小路実篤が死去。90歳。
・04/14 最高裁、72年に行われた衆議院議員総選挙における千葉1区の議員定数と右選挙区の有権者数との均衡が争われた訴訟において、選挙自体の有効性は肯定しつつ当該定数不均衡事態については違憲とする判決を下す。
・04/27 東京地裁、「四畳半襖の下張」を刑法上の「わいせつ文書」に該当すると判断、被告・野坂昭如らに有罪判決を下す。
・04/29 北京のソ連大使館前で爆発事件発生。ソ連は直ちに中国政府に抗議。
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