伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

<詳細お願いします>出演日不定の歌手・曲

2012-10-19 | 夜のヒットスタジオ/番組の要素・魅力
出演歌手・曲につき出演・披露された具体的な時期が現時点で判然としないものがいくつかがありますので、詳細がわかる方がおられましたらご一報ください。
上條恒彦「どこかで誰かが」(ドラマ「木枯し紋次郎」主題歌)
・・・・1972年3月~5月のうちのいずれかに出演
※現時点で判明している限りでの初出演日・曲目は1972年7月3日放送「あなたがいれば」。但し、この時期の出演歌手・曲目の中には、フジ系で当時放映中のドラマ主題歌が多く登場している(坂口良子、いずみたくシンガーズ、グラスロードなど)ことを考えると、この曲のヒット当時に既に番組に出演している可能性が高い。
金井克子「他人の関係」
・・・・1973年4月~6月のうちのいずれかに出演
夏木マリ「絹の靴下」
・・・・1973年8月~9月のうちのいずれかに出演
※現時点で判明している限りでは、初出演日は1974年6月24日「夏のせいかしら」とされている。
小坂明子「あなた」
・・・・1973年12月~1974年1月のうちのいずれかに出演
※現時点で判明している限りでは、74年8月12日に同曲で出演となっているが、フジテレビが中継を行う「世界歌謡祭」のグランプリを受賞して大ヒットしたという経緯を考えると、ヒットしていた時期に既に初出演している可能性がある。
梓みちよ「二人でお酒を」
・・・・1974年4月~6月のうちのいずれかに出演
※番組前期の常連歌手でありながら、この曲が大ヒットしていた時期の番組出演実績は現時点で判明している限りではゼロというのは不自然では?
中川圭衣子(1986年2月)-曲目が不明。本職が声楽家・ミュージカル歌手であることを考えると、オペラ・ミュージカルの定番曲を披露している可能性が高い。

(2013/04/17 追記:新聞テレビ欄での出演者表記がないものの、過去の番組出演の出演間隔から番組内で披露された可能性が高い楽曲)
小柳ルミ子「京のにわか雨」
・・・・当時の新聞テレビ欄表記によれば、1972年5月~10月まで小柳の出演実績なし。但し、新曲発表として72年8月頃(72年7月31日または8月7日放送?)に同曲で出演している可能性が高い(「京の-」は72年8月10日発売)。
野口五郎「青い日曜日」
・・・・当時の新聞テレビ欄表記によれば、1972年5月~7月まで野口の出演実績なし。但し、新曲発表として72年6月頃(72年5月29日または6月5日放送?)に同曲で出演している可能性が高い(「青い-」は72年6月1日発売)。
伊丹幸雄「僕だけひとりぼっち」
・・・・当時の新聞テレビ欄表記によれば、1972年8月~1973年2月まで伊丹の出演実績なし。但し、新曲発表として72年10月頃(72年10月16日・23日・30日放送の何れか?)に同曲で出演している可能性が高い(「僕だけ-」は72年10月21日発売)。
にしきのあきら「城ヶ島慕情」
・・・・当時の新聞テレビ欄表記によれば、1972年11月~1973年1月までにしきのの出演実績なし。但し、新曲発表として72年11月頃(72年11月6日または11月13日放送?)に同曲で出演している可能性が高い(「城ヶ島-」は72年11月21日発売)。

このほか、DX初期(1985年4月~1986年3月)までのマンスリー歌手の曲目についても大半が詳細不明となっております。この点につきましてもわかる方いましたらご一報ください。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト リストをご覧頂く際の留意点等

2012-01-01 | Weblog
「曲目リスト(改訂・増補版)」をご覧頂く際の留意点を下記に記載しました。
これらの点に留意なさった上でご覧頂きますようお願いいたします。

<各リストで使用している略号について>
「R」:当該曲目のレコード(CD)発売日
「HC」:当該曲目のオリコンチャートでの最高位
「BT」:TBS系「ザ・ベストテン」での最高位(10位圏内にランクインされたもののみ記載)。

<背景色(文字色)について>
:オリコン週間シングルチャートで1位を獲得した曲目名、並びに特筆すべき賞歴・売上枚数等の部分にて使用
:オリコン週間シングルチャートで2~10位を獲得した曲目名につき使用

<その他の留意点>
・各曲目につき、放送回順に記載していますが、必ずしもその放送回がその曲目が初めてヒットスタジオで歌われた(演奏された)回であるわけではないので、ご覧頂く際にはその辺りのところをご留意下さい。
 ・ また、1970年代前半までについては映像資料等が乏しいため、レコード発売日と各歌手の出演日との兼ね合い、何らかのタイアップ曲として発売されたもの については、スポンサーや他局番組との競合の有無、その他種々の点を考慮の上、その放送回に披露されたことがほぼ間違いないであろうと「推定」されるもの についてのみ記載をしております。発売日等で間違いがございましたらご一報下さい。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(57-2) 1978年3~4月②

2008-08-20 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年3月27日(第490回)>
■石原裕次郎、約9年ぶりにヒットスタジオに歌手として出演。代表曲である「赤いハンカチ」「夜霧よ今夜もありがとう」を番組中盤に披露したほか、番組ラストには新曲「昭和たずねびと」も併せて披露。
・海の見える部屋 チェリッシュ
 詞:林 春生 曲:吉田 正 R:78/03/-
・狼なんか怖くない 石野真子
 詞:阿久 悠 曲:吉田拓郎 R:78/03/25 HC:17位
かもめはかもめ 研ナオコ
 詞・曲:中島みゆき R:78/03/25 HC:8位 BT:10位
◆年間チャート(78年)39位(33.0万枚)
◆第20回(78年)日本レコード大賞金賞受賞曲
◆第9回(78年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
◆第7回(78年)FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀歌謡音楽賞受賞曲
◆第4回(78年)全日本歌謡音楽祭 年間話題賞受賞曲
◆第11回(78年)日本有線大賞優秀音楽賞受賞曲
◆第11回(78年)全日本有線放送大賞優秀スター賞受賞曲
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
※前年、77年のいわゆる「芸能人大麻汚染」疑惑の影響で芸能活動を半年間休業していた研ナオコの歌手業復帰第1作。同曲は約33万枚(オリコン調べ)を売り上げるヒットとなり、研はこの年、数多くの音楽賞を受賞、年末には前年出場を見合わせた紅白歌合戦にも堂々のカムバックするなど、比較的短期間で騒動により被った自身の芸能活動へのダメージからの脱却に成功。以後、従前以上に司会・女優業などマルチな活動を展開、広い支持層を獲得してゆく。
【メドレー】夜霧よ今夜もありがとう~赤いハンカチ 石原裕次郎
 ・夜霧よ今夜もありがとう 石原裕次郎
  詞・曲:浜口庫之助 R:67/02/- HC:77位(68年)
※日活映画「夜霧よ今夜もありがとう」主題歌。裕次郎の実兄、石原慎太郎が弟のオリジナル楽曲の中で最も気に入った作品がこの歌であると伝えられている。
 ・赤いハンカチ 石原裕次郎
  詞:荻原四郎 曲:上原賢六 R:62/11/-
※日活映画「赤いハンカチ」主題歌。曲の大ヒットを受けて、レコード発売から約1年を経た1964年1月に浅丘ルリ子を相手役に迎えて映画化された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※以上2曲は、この夜ヒット出演の直後にリリースされたLP「石原裕次郎・男のロマン 昭和たずねびと」にも共に収録されている。
・昭和たずねびと 石原裕次郎
 詞:杉 紀彦 曲:三木たかし R:78/03/25 HC:62位

<1978年4月3日(第491回)>
■解散コンサートを翌日に控えたキャンディーズが、コンサート会場として使用予定の後楽園球場(厳密には同球場に隣接された「JCBホール」にて解散コンサートが行われた)からの中継でヒットスタジオに最終出演。観客席に詰め掛けた大勢のファンのかけ声をバックに「微笑がえし」を熱唱(さよならキャンディーズ)
・コーラス・ガール 和田アキ子
 詞:竜真知子 曲:川口 真 R:78/03/05 
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(9回)
・さよならは言わない アグネス・ラム
 詞:庄野真代 曲:小泉まさみ R:78/03/-
タイム・トラベル 原田真二
 詞:松本 隆 曲:原田真二 R:78/04/10 HC:4位 BT:4位
◆年間チャート(78年)50位(26.2万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)27位
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
微笑がえし キャンディーズ
 詞:阿木燿子 曲:穂口雄右 R:78/02/25 
 HC:1位(78/03/13-03/27)
 BT:1位(78/03/23-04/13、04/27-05/11)
◆年間チャート(78年)5位(82.9万枚)
<楽曲について>
キャンディーズの、正規活動期間内にリリースされたシングルの中では最終作に当たる作品(尚、同年11月には、解散メモリアル盤の位置付けで、彼女達のラストコンサートでも最後に歌われた「つばさ」がリリースされているが、これはメンバーたちの意向に反してリリースされたものであると伝えられている)。75年2月リリースの「年下の男の子」以降、数々のヒットを放ったキャンディーズであったが、オリコンシングルチャートで1位を獲得したのは意外にもこの作品のみであった。
②作詞の阿木燿子は、この曲がキャンディーズの最終シングル作品であることを念頭に入れ、「春一番」「ハートのエースが出てこない」「アン・ドゥ・トロワ」「やさしい悪魔」など彼女達のこれまでに発表したヒット曲のタイトルを随時挿入し、全体として、6年に及ぶ彼女たちの活動を回顧する内容に仕立て上げた。また、作曲に穂口雄右を指名したのも阿木であると伝えられている。
③作曲の穂口は、あえてアイドルとしてではなく、「アーティストとして」この曲に関してはキャンディーズと向き合おうと決意。その方針から、レコーディング当日になって、初めて彼女達に同曲の楽譜を手渡し、リハーサルを省き、その場で収録本番に臨ませるという、いわゆる「初見」の手法でレコーディングを行ったという。レコーディング終了後、スタジオに居合わせたスタッフたちは総立ちで彼女たちに拍手喝采を送り、彼女たちもまたその光景を目の当たりにして人目を憚ることなく号泣した、というエピソードが残されている。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・03/26 社会民主連合発足。代表は田英夫参議院議員。
・03/26 開港を4日後に控えた成田空港にて、第四セクターを中心とした新左翼勢力により、同空港の管制塔が占拠・破壊される事件が起きる(成田空港管制塔占拠事件)。同事件の影響で、3月30日に当初予定されていた開港日は約2ヵ月後の5月20日まで延期されることに。
・04/04 東京・後楽園球場跡地に建設された「JCBホール」にて、人気アイドルグループ「キャンディーズ」が解散コンサートを開催。これをもって、約6年に及ぶ活動に終止符を打ち、メンバー3人ともに一旦芸能活動の一切からも引退(後に伊藤蘭・田中好子は女優として完全復帰、藤村美樹も83年にソロ歌手として一時復帰)。
・04/04 プロ野球、大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の、新たなフランチャイズ球場として「横浜スタジアム」が開場。


夜ヒット・歌手別出演履歴<39> 安倍律子/大信田礼子/黒木憲/矢吹健

2008-08-17 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴

夜ヒット・出演履歴シリーズ、今回は番組初期、マエタケ・芳村真理時代にイレギュラーに若手・中堅クラスで複数回出演していた懐かしい顔ぶれ、矢吹健・安倍律子・黒木憲・大信田礼子、以上4人の出演履歴を振り返ります。

<安倍律子(里葎子)>

◆初出演:1971年1月11日(第115回)「愛でくるんだ言訳」 
◆最終出演:1983年10月24日(第779回)「今夜は離さない」(with橋幸夫)
◆出演回数:15回
01. 71/01/11(115) 愛でくるんだ言訳(詞:加茂亮二 曲:鈴木淳 R:71/01/01)
02. 71/10/11(154) お嫁に行くなら(詞:(不明) 曲:平尾昌晃 R:71/09/01)
03. 71/12/13(163) お嫁に行くなら
04. 72/02/21(173) お嫁に行くなら
05. 72/03/13(176) お嫁に行くなら
06. 72/04/03(179) 情熱の季節(詞:阿久悠 曲:(不明) R:72/04/10)
07. 72/04/24(182) 情熱の季節
08. 73/02/12(224) 孤独(ひとりぼっち)(R:73/01/-)
09. 73/03/26(230) 孤独(ひとりぼっち)
10. 73/08/06(249) 律子のタンゴ(詞:ちあき哲也 曲:鈴木淳 R:73/05/-)
11. 76/05/10(392) (詞・曲:森ミドリ R:76/04/-)
12. 76/05/24(394) 傷
12. 76/12/13(423) のんだくれ(R:76/11/-)
13. 79/05/21(550) くわえ煙草(詞:佐藤順英 曲:西島三重子R:79/05/-)
14. 83/10/24(779) 今夜は離さない<with橋幸夫>(詞:藤波研介 曲:幸耕平 R:83/07/21)

<大信田礼子>
◆初出演:1971年5月3日(第131回)「女はそれをがまんできない」
◆最終出演:1973年11月26日(第265回)
◆出演回数:8回 
01. 71/05/03(131) 女はそれをがまんできない(詞:阿久悠 曲:親泊正昇 R:71/05/01)
02. 71/10/11(154) ノックは無用(詞:阿久悠 曲:鈴木邦彦 R:71/11/-)
03. 71/12/06(162) ノックは無用
04. 72/05/29(187) 何がどうしてこうなった(R:72/05/-)
05. 72/07/31(196) 何がどうしてこうなった
06. 72/12/18(216) 嵐を呼ぶ女(詞:山口あかり 曲:平尾昌晃 R:72/10/21) 
07. 73/06/25(243) 愛のくらし-同棲時代-(詞:上村一夫 曲:都倉俊一 R:73/07/01)
08. 73/11/26(265) (不詳)

<黒木 憲>
◆初出演:1968年11月4日(第1回)「花はまぼろし」
◆最終出演:1971年9月20日(第151回)「みれん雨」
◆出演回数:14回
01. 68/11/04(001) 花はまぼろし(詞:丹古晴己 曲:鈴木淳 R:68/10/- HC:30位)
02. 68/11/11(002) 花はまぼろし
03. 68/12/16(007) 花はまぼろし
04. 69/01/20(012) 花はまぼろし
05. 69/02/10(015) 夢はいずこに(R:69/03/01)
06. 69/02/17(016) 夢はいずこに
07. 69/04/21(025) 夢はいずこに
08. 69/07/14(037) 君に逢いたい(詞:有馬三恵子 曲:鈴木淳 R:69/07/-)
09. 69/08/18(042) 君に逢いたい
10. 69/09/29(048) 君に逢いたい
11. 70/01/19(064) 別れても(詞:有馬三恵子 曲:鈴木淳 R:70/02/-)
12. 70/12/14(111) かたおもい(R:70/12/-)
13. 71/03/29(126) かたおもい
14. 71/09/20(151) みれん雨(詞:悠木圭子 曲:鈴木淳 R:71/09/-)

<矢吹 健>
◆初出演:1969年2月17日(第16回)「私にだって」
◆最終出演:1977年10月24日(第468回)「ルララ・リララ」
◆出演回数:22回
01. 69/02/17(016) 私にだって(詞・曲:藤本卓也 R:69/02/05 HC:35位)
02. 69/06/09(032) うしろ姿(詞:山口洋子 曲:藤本卓也 R:69/06/01)
03. 69/07/07(036) うしろ姿
04. 69/08/11(041) うしろ姿
05. 69/10/13(050) 男の数え唄(詞:山上路夫 曲:いずみたく R:69/10/-)
06. 70/07/13(089) むらさきブルース(詞:山口洋子 曲:筒美京平 R:70/05/10)
07. 71/03/22(125) 許してあなた(詞:山口洋子 曲:筒美京平 R:71/02/01)
08. 71/10/18(155) オロロンの唄(詞:有馬三恵子 曲:すぎやまこういち R:71/11/01 HC:49位)
09. 71/11/08(158) オロロンの唄
10. 71/11/22(160) オロロンの唄
11. 71/12/13(163) オロロンの唄
12. 72/01/31(170) オロロンの唄
13. 72/02/28(174) オロロンの唄
14. 72/04/17(181) 南の国の物語(詞:有馬三恵子 曲:すぎやまこういち R:72/-/-)
15. 72/05/15(185) 南の国の物語
16. 72/06/05(188) 南の国の物語
17. 72/11/27(213) 悪い噂(詞:千家和也 曲:三木たかし R:72/11/-)
18. 73/03/19(229) 悪い噂
19. 74/04/29(286) 春雨物語(詞:岡崎英生 曲:穂口雄右 R:74/-/-) 
20. 75/02/17(328) 燃えてお別れ(R:74/-/-)
21. 76/09/27(412) 残り火(詞:東海林良 曲:徳久広司 R:76/07/25)
22. 77/10/24(468) ルララ・リララ(詞:森雪之丞 曲:丹羽応樹 R:77/10/-) 

上記5組のオリジナル曲でもっとも有名な作品というと、「愛のきずな」(安倍)、「霧にむせぶ夜」(黒木)、「同棲時代」(大信田)、「あなたのブルース」(矢吹)ということになろうか、と思いますが、何れも、これら代表作での夜のヒットスタジオへの出演実績が意外にもナシ、という点が共通した出演実績上の特徴として挙げられます(但し、黒木・矢吹のケースはヒットスタジオ放送開始前に上記の曲がヒットしており、既に初出演時には、それらの作品の人気が下火となり、次の新譜のプロモーションを展開していたために、上記作品を披露できなかったと考えられます)。

また、ヒット曲もそれほど多くはなかったにも関わらずイレギュラーに出演を続けていたというのも特徴的です。恐らく、関係者筋(所属事務所・レコード会社・楽曲の制作陣)の猛プッシュが彼らの出演枠確保に大きく影響していたのだろうと思います。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(57-1) 1978年3~4月①

2008-08-12 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年3月6日(第487回)>
・今夜は気取って 布施 明
 詞:布施 明 曲:Robert Hughes R:78/03/10 HC:33位
・世界は今日もまわっている トランザム
 詞:クニ河内 曲:チト河内 R:77/12/-
・青春にバラはいらない ビューティ・ペア
 詞:石原信一 曲:あかのたちお R:78/02/05
・バラの渚 あおい輝彦 
 詞:中里 綴 曲:長戸大幸 R:78/02/05 HC:53位
追いかけてヨコハマ 桜田淳子
 詞・曲:中島みゆき R:78/02/25 HC:11位 BT:10位
※「しあわせ芝居」に続く中島みゆき提供作品。中島はこの曲がリリースされた後、ブレスをする部分を挿入し忘れたことに気づき、桜田に(息づきの難しい作品を与えたことに対して)申し訳ないことをしたと、後年、この曲に関連するエピソードとして述懐している。

<1978年3月13日(第488回)>
・赤頭巾ちゃん御用心 レイジー
 詞:杉山政美 曲:都倉俊一 R:78/02/05 HC:32位
<レイジー>
①景山浩宣(現:影山ヒロノブ、ボーカル)、高崎晃(ギター)、田中宏幸(ベース)、樋口宗孝(ドラムス)、井上俊次(キーボート)の5人によるロックバンド。当初は景山・高崎・田中の3人でアマチュアバンドとして活動をしていたが、73年に樋口と井上が加入、これを機に音楽的影響を受けたディープ・パープルの作品名からバンド名を取り、「レイジー」としての活動を開始。77年初冬にテレビ番組「ハロー・ヤング」(朝日放送テレビ)に出演、ディープ・パープルのナンバーを演奏したところ、これを見ていたかまやつひろしが彼らの演奏技術を高く評価。かまやつの誘いを受けて、関西から上京、同年7月、シングル「Hey!I Love You」でレコードデビューを果たした
当初は本格派のハードロック路線での活動を希望していたが、プロデューサーである藤田浩一(のちにオメガトライブや角松敏生らのプロデュースを担当したことでも知られる)を中心とした製作サイドの意向(「和製ベイ・シティ・ローラーズ」のイメージを彼らに要求したとされる)に従い、メンバー全員に統一コスチュームと横文字のニックネームが与えられ、楽曲も歌謡ポップス色の強い作品を発表、アイドルバンドとして売り出されることとなり、78年、「赤頭巾ちゃん御用心」「地獄の天使」のスマッシュヒットにより、数多くの同年代の女性ファンを獲得するに至った。
③しかし、人気が急上昇する一方で、当初の目指していた音楽性と、実際の「アイドル」としての人気との間で疑念が生じ始め、徐々に洋楽のロックナンバーを中心としたライブツアーを敢行するなど、本来目指していたハードロック路線に傾斜した活動方針へと移行。そして、1980年夏のコンサートツアーでファンの前で「へヴィー・メタル宣言」を出し、これを機に、それまでのアイドルバンドとしての活動から決別。その直後に発売したアルバム「宇宙船地球号」は彼らの事実上の、「ヘビメタバンド」としての再デビューを物語るものとして、玄人筋の音楽ファンからもその演奏テクニックや楽曲クオリティーを高く評価された。しかし、この「ヘビメタ宣言」以降、これまでのアイドルポップ路線と本来やりたかった音楽であるはずのハードロック路線の何れを重視するかでメンバー間での音楽性の違いが生じ始め、「ヘビメタ宣言」から約半年後の81年2月に解散を宣言。同年5月末を以てアマチュア時代から数えて約8年に及ぶ活動に終止符が打たれた。解散後、ボーカルを担当していた景山は「影山ヒロノブ」に芸名に改称、主に特撮・アニメ番組の主題歌を中心にボーカリストとしての活動を展開。アニソンの第一人者として、アニメファンの間で熱烈な支持を獲得する。
④97年、「ウルトラマンダイナ」(TBS系)のEDソングを影山が歌うことになった際に、「レイジー」として楽曲製作がレコード会社内で計画され、この計画に影山を初め旧メンバーが賛同。翌98年、同番組のEDソング「ULTRA HIGH」をリリース、17年ぶりに活動を再開。その後は、個々の活動に重点を置きつつ、数年に1度のペースでレイジーとしての活動を継続して展開している。
・きっと今日からは 清水健太郎
 詞・曲:つのだ・ひろ R:78/03/21 HC:30位
・黄昏のあらし シグナル
 詞:小泉長一郎 曲:住出勝則 R:78/02/21 
・甘ったれ 森 進一
 詞:阿久 悠 曲:Salvatore Adamo R:78/02/05 HC:27位
※「雪は降る」などのヒットで知られる世界的歌手・アダモ作曲による森進一のオリジナル作品。前年、フジテレビ系「ミュージックフェア」で共演したことを機に2人は意気投合。その流れで同曲が製作されることとなった。

<1978年3月20日(第489回)>
・失恋魔術師 太田裕美
 詞:松本 隆 曲:吉田拓郎 R:78/03/21 HC:22位
・天使の爪 西村まゆ子
 詞:喜多条忠 曲:三木たかし R:78/01/21
・父娘草 森 昌子
 詞:山口あかり 曲:八角朋子 R:78/03/01 HC:42位
涙の誓い アリス
 詞・曲:谷村新司 R:78/03/05 HC:4位 BT:5位
◆年間チャート(78年)29位(40.4万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)21位
乙女座宮 山口百恵
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:78/02/01 HC:4位 BT:5位
◆年間チャート(78年)41位(31.3万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)24位
※シングル曲としては、「イミテイション・ゴールド」以来3作ぶりの宇崎・阿木夫妻コンビによる提供作品。乙女座の女性の恋の行方を銀河系横断の旅に例えて表現し、星占いで登場する星座が数多く歌詞に登場するところから話題となった(ちなみに本作の中で登場するのは、乙女座・ペガサス座・牡牛座・蟹座・山羊座・さそり座・魚座・獅子座の計8星座である)。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・03/01 日本社会党の委員長選で、現役の横浜市長である飛鳥田一雄が選出される(即日、飛鳥田は横浜市長の職を辞任)。
・03/01 東京・池袋に高層ビル「サンシャイン60」が完成(4/6に開業)。高さ・地上239.7mは、完成当時、東洋一の規模を誇った。
・03/10 新潟の雑居ビルで未明に漏電事故による火災発生、10人死亡の惨事にに。
・03/18 東京・原宿にブティック「竹の子」開店。 


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(56-3) 1978年1~2月③

2008-08-10 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年2月20日(第485回)>
・バイバイ・ララバイ 岡田奈々 
 詞:竜真知子 曲:佐藤 健 R:78/02/10
愛よ甦れ 野口五郎
 詞:藤公之介 曲:平尾昌晃 R:78/02/21 HC:9位 BT:5位
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)38位
・春の予感 -I've been mellow- 南 沙織
 詞・曲:尾崎亜美 R:78/01/21 HC:25位
◆第7回(78年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデン・カナリー賞受賞曲
78年資生堂春のキャンペーン「メロウカラー」CFソング
※詞・曲・編曲は前年の「マイ・ピュア・レディ」(因みにこの曲も小林麻美が出演した資生堂のCFソングとしてヒットした)で一躍新進気鋭のシンガーソングライターとして注目をあつめることになった尾崎亜美が担当。因みに南沙織の全シングル曲の中で、詞・曲・編の三役を一人の作家が務めたのはこの作品のみである。現在では「春」を代表するスタンタードナンバーとして広く知られるところとなったが、発売当初の売上は意外と伸びず、累計7.6万枚(オリコン調べ)というスマッシュヒットに終わっている。
冬が来る前に 紙ふうせん
 詞:後藤悦治郎 曲:藤浦 直 R:77/11/01 HC:4位 BT:8位
◆年間チャート(78年)27位(42.4万枚)
<紙ふうせん>
 74年、この年に解散した音楽グループ「赤い鳥」のメンバーである後藤悦治郎・平山泰代の夫婦により結成されたフォークデュオ。同年、シングル「いかつり唄」、アルバム「またふたりになったね」をレコードデビュー。77年、5枚目のシングルである「冬が来る前に」が40万枚以上のヒットを記録し、知名度が上昇。同じく「赤い鳥」からの派生グループであり、都会派路線を追求し続けた「ハイ・ファイ・セット」とは異なり、「赤い鳥」の音楽的な本流ともいえる叙情歌路線をそのまま継承、関西に拠点を置き、全国各地で伝承されるその地域特有の唱歌・民謡の研究・取材を基にした楽曲製作・コンサート活動を現在も展開している。

<1978年2月27日(第486回)>
・青春物語 狩人 
 詞:山上路夫 曲:都倉俊一 R:78/03/10 HC:23位
・潮どき 五木ひろし
 詞:岩谷時子 曲:中村泰士 R:78/02/25 HC:17位
※「待っている女」などに代表される初期五木演歌の一つのカラーでもある、「ポップス演歌」路線で久々に勝負に出た作品。曲の途中でツイスト風のステップが入ったり、髪を書き上げる仕草を連想させるポーズが挿入されるなど、これまでにない大胆な振付が発売当時、話題となった。
二十才前 -はたちまえ- 岩崎宏美
 詞:阿久 悠 曲:穂口雄右 R:78/02/25 HC:10位
この曲のレコーディング時に、岩崎は風邪をこじらせていたことから、初回プレスでは鼻づまり気味の声で収録されたバージョンがそのまま発売されたが、その後、再びレコーディングをし直し、第二版のプレス盤からはこの再録バージョンが使用されている。同シングル発売の約2ヵ月後にはこの曲を中心として、岩崎の成人を祝して製作されたアルバム「二十才前・・・」もリリースされ、同盤もオリコンアルバムチャートで最高10位、累計4.7万枚(オリコン調べ)を売り上げる好セールスを記録した(因みにアルバムではこの曲のタイトル表記は、アルバムのタイトルに合わせて「二十才前・・・」とされている)。
迷い道 渡辺真知子
 詞・曲:渡辺真知子 R:77/11/01 HC:3位 BT:6位
◆年間チャート(78年)11位(61.3万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)26位
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
<渡辺真知子>
①神奈川県出身。高校2年の頃より創作活動を始め、その中の書き溜めた作品の一つである「オルゴールの恋唄」をひっさげて75年、若手フォーク歌手の登竜門「ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に出場し審査委員特別賞を受賞。これを契機として、アマチュアミュージシャンでの活動を開始。2年後の77年秋に自ら詞・曲を手掛けたシングル「迷い道」でレコードデビューし、同曲が翌78年には入ってからヒットチャートを席巻、オリコン週間チャート最高3位、同年間チャートでも11位にランキングされるなど、同年の日本の音楽シーンを代表する作品となる。続く「カモメが翔んだ日」「ブルー」も次々とヒットし、同年の賞レースでは最優秀新人賞の座を総なめ、大橋純子や庄野真代らと並ぶ、女流ニューミュージック音楽の先導者としての地位を確立する。
②80年の「唇よ、熱く君を語れ」以降、ヒットから遠ざかり、人気が一時低迷。しかし、90年代以降、実力派の女性ボーカリストとして再評価されるようになると共に、本来の自身の明朗闊達なキャラクターが受け、再びテレビ・ラジオへの出演機会が増加。近年では日本テレビ系の音楽バラエティー「THE夜もヒッパレ」にも常連ゲストの一人として多数出演、磨きのかかった歌唱力で健在振りをアピールした。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・02/18 アメリカ・ハワイ州にて、世界初のトライアスロン大会が開催される。
・02/20 合板・プレハブ住宅の大手、永大産業が会社更生法を申請し事実上倒産。負債総額は1800億円以上に上り、「戦後最大の倒産」と形容される。
・02/22 イギリス下院議会にて、スコットランド分離法案が可決される。これによりスコットランドに大幅な自治権が付与されることに。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(56-2) 1978年1~2月②

2008-08-01 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年1月30日(第482回)>
■沢田研二による番組史上に残る名シーン、「『サムライ』・畳バージョン」放送。
キャンディ 原田真二
 詞:松本 隆 曲:原田真二 R:77/11/25 HC:10位 BT:5位
◆年間チャート(78年)48位(26.4万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)48位
・沈丁花 石川さゆり
 詞:東海林良 曲:大野克夫 R:78/01/01 HC:19位
サムライ 沢田研二
 詞:阿久 悠 曲:大野克夫 R:78/01/21 
 HC:2位 BT:1位(78/02/23-03/16)
◆年間チャート(78年)13位(52.2万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)4位
<楽曲について>
10thアルバム「思い切り気障な人生」(77年11月リリース)からのシングルカット。尚、同アルバムに収録された楽曲はすべて阿久・大野・船山基紀のトリオが詞・曲・編曲を担当している。
②シングル発売当初は、ハーケンクロイツ(右卍マーク、戦前・戦中にかけてナチスドイツの紋章として使用されており、現在でもドイツ国内では戦争犯罪の反省の観点から公の場での使用を禁止している)の腕章を皮のジャケットの上に身につけて(衣装自体もナチス親衛隊員が着用していた戦闘服をモチーフとしたものといわれている)テレビの歌番組では同曲を披露していたが、その後、このマークの使用を巡り物議を醸したことから、途中から腕章のマークは×印に変更された。
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(■この回のヒットスタジオでの同曲の歌唱シーンについては、「夜ヒット・名シーン/沢田研二『サムライ』」(07年1月6日更新分)を参照の事。)
酒と泪と男と女 河島英五
 詞・曲:河島英五 R:76/06/25 HC:9位
<楽曲について>
76年、河島が当時活動拠点としていた京都の大手酒造メーカー「黄桜酒造」のCMソングに採用されたのをきっかけにヒット。翌77年には、萩原健一もシングル「前略おふくろ」のB面曲としてこの曲のカバーバージョンを吹き込んだほか、ちあきなおみ、八代亜紀らも自身のアルバムで同曲をカバーしている。
②河島が逝去した2001年のNHK紅白歌合戦では、長年の親友でもあった堀内孝雄が、生前の河島本人の歌唱映像との「デュエット」でこの曲を涙ながらに熱唱、このシーンは「天国との共演」とも称され、近年の紅白の中でも屈指の名シーンとして高い評価を得ている。
<河島英五>
①1952年、大阪府出身。高校時代より、当時所属していたバスケット部の仲間たちと共に4人組のフォークグループ「河島英五とホモ・サピエンス」を結成し、アマチュアミュージシャンとして音楽活動を開始。1975年、シングル「何かいいことないかな」、アルバム「人類」で同グループはレコードデビューしたものの、76年、セカンドアルバム「運命」を発売した直後にて解散。その後ソロミュージシャンとして京都を拠点として活動を開始し、同年、酒造メーカーのCFソングとして採用された「酒と泪と男と女」が息の長いヒットとなり、河島の名を全国区に押し上げた
②その後も、全国各地のライブハウス・コンサートホールでのライブを中心に精力的な活動を展開。また、インド・ペルー・ネパールなどへ単身で長期の放浪の旅に出かけ、各地で受けた音楽的影響の集大成として、80年には10~12月にかけてアルバム「文明」3部作を立て続けに発表85年には「野風増」(橋幸夫がこの年にカバー版をシングルとして発表している)、翌86年には「時代おくれ」を発表、歌詞内容から主に中高年世代の愛唱歌として親しまれ、「酒と泪と―」と並ぶ河島の代名詞的作品となった。また、国内のコンサートでは、都市部よりも地方部・山間部を重視したツアーを敢行。四国お遍路参りの旅を兼ねたツアーや、オードバイによるツーリング旅行を兼ねたツアーなど、意表を付いたライブツアーを展開、この地域密着型のライブ形態は彼の根強い人気の下地を築く礎となった。
③その後も、95年からは阪神大震災復興チャリティーコンサート「復興の詩」の総合プロデュースを担当したり、朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」「ぴあの」(ともにNHK総合)などで俳優としても活躍、在阪ラジオ局でもパーソナリティーを務めるなど、マルチな活動を展開していたが、長年患っていた肝臓病が悪化、2001年、愛娘の結婚を見届けて、48歳の若さで逝去した。

<1978年2月6日(第483回)>
・帰って来たよ 新沼謙治
 詞:山口あかり 曲:平尾昌晃 R:78/02/10
・港の忘れ草 内山田洋とクールファイブ 
 詞:山田孝雄 曲:浜 圭介 R:77/12/05 HC:76位
・面影平野 藤 圭子
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:77/11/05 HC:78位
・いとしのロビン・フッドさま 榊原郁恵
 詞:藤公之介 曲:馬飼野康二 R:78/01/01 HC:18位
・い・に・し・え 日暮し
 詞・曲:武田清一 R:77/11/25 HC:14位
日本テレビ系ドラマ「恋歌」主題歌
<日暮し>
 73年、山田パンダの仲介により、RCサクセションの前身バンドである「THE REMAINDERS OF RHE CLOVERS」の一員であった武田清一を中心に結成された、男性2人、女性1人編成のフォークグループ。79年に解散した後、ボーカルであった榊原尚美は「杉村尚美」と改名して、81年春にソロ歌手として「サンセット・メモリー」をヒットさせている。


<1978年2月13日(第484回)>
・のれん 都はるみ
 詞:遠藤幸三 曲:四方章人 R:78/02/01
花しぐれ 高田みづえ
 詞:松本 隆 曲:都倉俊一 R:78/03/05 HC:10位 BT:8位
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)47位
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
あんたのバラード 世良公則&ツイスト
 詞・曲:世良公則 R:77/11/25 HC:6位 BT:6位
◆年間チャート(78年)25位(43.5万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)37位
◆第6回(77年)世界歌謡祭グランプリ受賞曲
◆第14回(77年下期)ヤマハポピュラーソングコンテスト グランプリ受賞曲
◆第29回NHK紅白歌合戦出場曲(初)
<世良公則&ツイスト(ツイスト)>
①ボーカルの世良公則と、ドラムスのふとがね金太を中心として77年に結成。同年、世良が詞・曲を手掛けた「あんたのバラード」がヤマハ・ポプコン、そして世界歌謡祭でグランプリを受賞し、同曲でレコードデビュー。洋楽の影響を強く受けたフォーク音楽が人気を博していたこの当時の時代にあって、世良の迫力のあるドスの利いたボーカルが人々に衝撃を与え、同曲はデビューシングルながら、オリコン週間チャート最高6位、年間チャートでは総合25位にランクインする大ヒットを記録し、一躍人気バンドの仲間入りを果たす。その後も、「銃爪(ひきがね)」「燃えろいい女」などが立て続けに大ヒット、同時期にデビューしたChar、原田真二と共に「ニューミュージック御三家」の一角を成し、それまで日本の歌謡界では「不良の音楽」として敬遠されがちであったロックミュージックの大衆化に強い影響力を発揮した(この点から、同バンドを「日本のロックをメジャーにした先駆者」と評する向きもある)。
②80年、独立事務所を設立して以降はメンバー間の音楽性の相違などが表面化、人気にも翳りが生じるようになり、翌81年末、ラストシングル「SET ME FREE」をリリースして、約4年に及ぶ活動に終止符を打った。その後、ボーカルであった世良は、ソロのミュージシャンとしての活動の傍ら、後に人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」での熱演ぶりを契機に俳優業にも進出、映画「極道の妻たち」(東映)、「Wの悲劇」(角川春樹事務所)、NHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」などの話題作にも数多く出演し、役者としても一定の評価を確立してゆく。
・哀しみ通せんぼ 大塚博堂
 詞:るい 曲:大塚博堂 R:78/02/05
<大塚博堂>
①1944年、大分県出身。東洋音楽大学中退後、地元に戻り、音楽喫茶やナイトクラブでジャズシンガーとして活動していたところを、渡辺プロがスカウトし、72年に「大塚たけし」の芸名で、シングル「自由に生きてほしい」でデビュー。この旧芸名時代にはこの「自由に―」を含め、シングル2枚をリリースするも何れも不発。仕事もほとんどゼロに近い状態となり、再びナイトクラブ等での弾き語りの仕事を中心に生計を立てる不遇の日々を過ごす。
②しかし、地道な下積みが功を奏し、76年、32歳のときにシングル「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」で再レコードデビューを果たす。その後はライブ活動を中心に展開(この当時、大塚は年間100本以上ものコンサート日程を毎年消化していたという)、抜群の歌唱力、広範な音域で悲恋をテーマとした作品を歌い上げるその姿は「愛を歌う吟遊詩人」との異名を取り、彼のコンサートには毎回、彼の音楽センスに魅了された女性ファンが数多く詰め掛けた。
③他方、「めぐり逢い紡いで」「哀しみ通せんぼ」などといった自身のオリジナル作を藤公之介、るい(※当時、大塚のマネージャーを務めていた小坂洋二が作詞時に使用していたペンネーム)らとのコンビで製作する傍ら、彼の高い実力が業界内でも評判を集め、布施明・ペギー葉山・小野寺昭・桃井かおりら他の歌手にも作品を提供する機会に恵まれるなど、意欲的な創作活動を展開。更なる活躍を期待されていた矢先の81年5月、脳内出血のため37歳の若さで急死した。彼の没後、往時のファンや関係者が中心となって、故郷・大分を初め、名古屋・東京・札幌など全国各地で追悼イベントが催され、その早すぎる死を悼んだ。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・02/04 東京大学宇宙航空研究所、オーロラ観測衛星「きよつごう」の打ち上げに成功。
・02/11 「建国記念の日」を記念して、総理府(現・内閣府)後援により初めての「奉祝式典」が催される。社会党・共産党ら反対派は全国各地でこの式典に対する抗議集会を開催。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(56-1) 1978年1~2月①

2008-07-25 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年1月2日(第478回)>
・若き旅人 狩人
 詞:竜真知子 曲:都倉俊一 R:77/12/10 HC:16位 BT:6位
ビートロ恋細工 高田みづえ
 詞:島 武実 曲:宇崎竜童 R:77/10/25 HC:9位
・バン・ババン ビューティ・ペア
 詞:石原信一 曲:あかのたちお R:77/10/15
・津軽じょんがら節 細川たかし
 詞・曲:青森県民謡
※番組内の新春企画の一環として披露。
・相撲甚句~花づくし 新沼謙治
 詞・曲:邦楽(甚句)
※番組内の新春企画の一環として披露。
<楽曲について-相撲甚句>
邦楽の一種で、通常は花相撲(力士の引退相撲興行などを意味する)や地方巡業の場で、力士数人が輪になり一人ずつ「前唄」「後唄」「本唄」「はやし唄」「本唄」「はやし唄」という順番で歌い繋いでゆく力士特有の唄。幕末・明治時代にかけて、花柳界で流行した本調子甚句・二上がり甚句を力士たちが座敷で習得し、地方巡業で披露したのを契機として流行歌として定着。この中から生まれた「名古屋甚句」が現在の相撲甚句の原型を作ったといわれている(但、ルーツについては他にも諸説あり)。
②基本的には七・七・七・五の4節の中で、力士の特徴や巡業先の地方の名所・風景を詞に織り込みながら歌われる事から、詞のバリエーションは数多く存在し、この回に新沼が披露した「花づくし」はその中でも「出世がかみ」等と並び、最も知名度の高い甚句の一つとなっている
・北挽歌 新沼謙治
 詞:石本美由起 曲:市川昭介 R:77/11/01
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回)

<1978年1月9日(第479回)>
・行ったり来たり チェリッシュ 
 詞:阿久 悠 曲:穂口雄右 R:77/11/-
・雨の降る街 小川知子 R:77/12/05
・ロマンチスト 伊東ゆかり
 詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:77/12/01
・愛の條件 八代亜紀
 詞:川内康範 曲:北原じゅん R:78/01/25 HC:21位

<1978年1月16日(第480回)>
・ひとり歩き 小柳ルミ子
 詞:なかにし礼 曲:さかうえけんいち R:78/01/25 HC:29位
・青葉しげれる 渡 真介
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:77/12/-
演歌チャンチャカチャン 平野雅昭 R:77/11/25 HC:3位
◆年間チャート(78年)28位(41.6万枚)
<楽曲について>
「緑の地平線」(楠木繁夫)に始まり、「かえり船」(田端義夫)、「名月赤城山」(東海林太郎)、「東京ラプソディー」「青い背広で」(以上、藤山一郎)、「小樽のひとよ」(東京ロマンチカ)、「くちなしの花」(渡哲也)、「理由(わけ)」(中条きよし)、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)、「せんせい」(森昌子)、「貴方につくします」(八代亜紀)、「なみだの操」(殿さまキングス)、「おゆき」(内藤国雄)、「わたし祈ってます」(ハッピー&ブルー)の計14曲の中のワンフレーズを「チャンチャンチャカチャカ」の合の手を組み入れて歌い繋いでゆくという体裁を採った異色のコミックソング。レコード盤ではあるスナックでのステージでこの曲を披露した際の模様を収録したと思われる音源が使用されている。
②因みにこの上記の「本編」の前後にレコード盤では「前唄」として平野独自のアレンジを加えた「裏町人生」(オリジナル:上原敏)、「締め」としては上記の「本編」の中でもワンフレーズが使用されている殿さまキングス「なみだの操」の歌詞を基本として「せんせい」「わたし祈ってます」「くちなしの花」「あなたにあげる」(西川峰子)、「愛ひとすじ」(八代亜紀)、「あなたに命がけ」(川中美幸)、「恋の奴隷」(奥村チヨ)のフレーズを組み入れた「変態性なみだの操」も同時に収録されており、この回のヒットスタジオの放送では、「演歌チャンチャカチャン」のタイトルの下でこれらの部分についても本編と併せて披露された。
カナダからの手紙 平尾昌晃/畑中葉子
 詞:橋本 淳 曲:平尾昌晃 
 HC:1位(78/02/27・03/06) BT:5位
◆年間チャート(78年)7位(69.9万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)25位
◆第20回(78年)日本レコード大賞企画賞受賞(同曲のほか、「エーゲ海の旅」「サンフランシスコ行き」「ヨーロッパでさよなら」を含む「海外旅情シリーズ4部作」で受賞)
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
作曲家・平尾昌晃と、彼が主催する歌謡教室の卒業生の一人である、当時高校2年生の畑中葉子のデュオによる「海外旅情シリーズ4部作」の第1弾シングル。1960年代後半から作曲家としての活動がメインであった平尾が久々に本格的な歌手活動を再開したことや、22才という年齢差デュオ編成が話題となり、70万枚近いセールスを記録した。

<1978年1月23日(第481回)>
・偽りのバラード 松崎しげる
 詞:たかたかし 曲:馬飼野康二 R:78/01/10
【メドレー】銀河系へ飛んでいけ!~帰らざる日々 梓みちよ
 ・銀河系へ飛んでいけ! 梓みちよ
  詞:喜多条忠 曲:吉田拓郎 R:78/01/21
<楽曲について>
 元々は梓の事務所後輩であるキャンディーズによる5枚組LP「キャンディーズ1676DAYS」(77年12月リリース)の収録曲(キャンディーズ版でのタイトル表記は「銀河系まで飛んで行け!」として製作された作品。楽曲の出来の良さから翌年に入って梓みちよの新曲としてシングル化、後に中原理恵らも同曲をカバーしている。
 ・帰らざる日々 梓みちよ
  詞・曲:谷村新司 (R:76/04/05)
※オリジナルはアリスの76年のヒット曲。一時渡米のため芸能活動を休止することになった梓みちよの送別企画の一環として、当時の新曲である上記「銀河系へ―」と併せてこの曲を披露した。
UFO ピンクレディー
 詞:阿久 悠 曲:都倉俊一 R:77/12/05
 HC:1位(77/12/19-78/02/20) 
 BT:1位(78/01/19-02/02
◆年間チャート(78年)1位(155.3万枚
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)15位
◆第20回(78年)日本レコード大賞受賞曲
◆第7回(78年)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀ヒット賞受賞曲
<楽曲について>
オリコン調べでの売上枚数では約155万枚出荷枚数では約195万枚という驚異的セールスを記録したピンクレディーの3作目のミリオンセラーにして最大のヒット作。楽曲自体の奇抜さや「宇宙人」をイメージした衣装(銀ラメ装飾を全身に施したジャンプスーツスタイル)・振付が子供達の間で話題となり大ヒットに結びついた。
②同曲のヒットを背景として、ピンクレディーはこの年、日清食品の「日清焼そばU.F.O」の3代目のCMキャラクターに抜擢されると同時に、同曲もCMソングとして使用(但、オリジナルと一部歌詞が異なる)された。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・01/10 東京・世田谷のアパートで、当時20才の巡査が女子大生を絞殺する事件発生(現職警官による勤務時間内での殺人事件は同事件が警視庁発足以来では初のケース)。
・01/14 伊豆大島近海でM7.0の地震発生。土砂崩れ・落石等により25人が死亡。
・01/19 TBS系でランキング形式による新音楽番組「ザ・ベストテン」がスタート(初代司会:黒柳徹子・久米宏アナウンサー<当時>)。それまでの音楽番組にはなかった速報性が注目され、のちに1980年代のテレビ界を代表する大人気番組に発展。


歌謡曲黄金時代を支えた名クリエーター達(1-2) 売野雅勇② 曲目リスト編

2008-07-22 | 夜のヒットスタジオ/番組の要素・魅力

(売野雅勇氏の経歴・功績等については「概要・経歴編」を参照のこと)

<夜ヒットを彩った売野雅勇作品>
【1982(昭和57)年】
・07/28 少女A/中森明菜 
 曲:芹沢廣明 HC:5位 AP:82/09/20(第723回)

【1983(昭和58)年】
・02/23 1/2の神話/中森明菜 
 曲:大沢誉志幸 HC:1位 AP:83/03/07(第746回)、ほか
・02/25 微熱かナ/伊藤麻衣子 
 曲:来生たかお HC:43位 AP:83/03/28(第749回)
・04/01 め組のひと/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:1位 ※「麻生麗二」名義 AP:83/05/09(第755回)、ほか
・05/25 過ぎ去れば夢は優しい/野口五郎 
 曲:筒美京平 HC:45位 AP:83/05/23(第757回)  
・06/01 エスカレーション/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:3位 AP:83/06/13(第760回)、ほか
・07/21 夏のクラクション/稲垣潤一 
 曲:筒美京平 HC:25位 AP:83/08/01(第767回)、ほか
・09/07 禁区/中森明菜 
 曲:細野晴臣 HC:1位 AP:83/09/12(第773回)、ほか
・09/14 UNバランス/河合奈保子  
 曲:筒美京平 HC:4位 AP:83/10/17(第778回)、ほか
・10/14 挑発∞(無限大)/シブがき隊 
 曲:井上大輔 HC:2位 AP:83/10/31(第780回)、ほか
・12/01 今夜はフィジカル/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:35位 ※「麻生麗二」名義 AP:83/11/28(第784回)、ほか

【1984(昭和59)年】
・01/15 サムライ・ニッポン/シブがき隊 
 曲:後藤次利 HC:3位 AP:84/01/09(第789回)、ほか
・01/21 涙のリクエスト/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:2位 AP:84/02/20(第795回)、ほか
・02/25 2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-/郷ひろみ 
 曲:井上大輔 HC:7位 AP:84/03/05(第797回)、ほか
・03/21 月下美人(ムーンライト・ハニー)/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:29位 ※「麻生麗二」名義 AP:84/03/19(第799回)、ほか
・03/23 さよならのカレンダー/伊藤麻衣子 
 曲:岩里未央 AP:84/04/30(第805回)
・03/30 喝!/シブがき隊 
 曲:後藤次利 HC:1位 AP:84/04/16(第803回)、ほか
・05/01 哀しくてジェラシー/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:84/06/18(第812回)、ほか
・06/01 サヨナラは八月のララバイ/吉川晃司 
 曲:NOBODY HC:6位 AP:84/06/25(第813回)、ほか
・06/06 ケジメなさい/近藤真彦 
 曲:馬飼野康二 HC:1位 AP:84/07/16(第816回)、ほか
・06/21 ヤクシニー/郷ひろみ 
 曲:井上大輔 HC:21位 AP:84/07/09(第815回)、ほか
・07/01 グラマーGUY/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:77位 ※12inch Single AP:84/07/02(第814回)
・07/05 背中からI Love You/西城秀樹 
 曲:後藤次利 HC:30位 AP:84/08/06(第819回)、ほか
・07/25 十戒(1984)/中森明菜 
 曲:高中正義 HC:1位 AP:84/08/20(第821回)、ほか
・08/23 星屑のステージ/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:84/09/17(第825回)、ほか
・08/28 唇のプライバシー/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:4位 AP:84/09/24(第826回)、ほか
・09/10 ラ・ヴィアンローズ/吉川晃司 
 曲:大沢誉志幸 HC:4位 AP:84/09/10(第824回)、ほか
・10/21 摩天楼ブルース/東京JAP 
 曲:筒美京平 HC:18位 AP:85/03/11(第849回) 
・11/01 ビリーヴ/松本伊代 曲:筒美京平 
 HC:11位 AP:84/11/26(第835回)
・11/05 ヒーロー/麻倉未稀 
 原詩・曲:Jim Steiman/Dean Pichford(訳詞) HC:19位 AP:85/01/28(第843回)
・11/21 ジュリアに傷心(ハートブレイク)/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:84/12/10(第837回)、ほか
・12/05 北駅のソリチュード/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:6位 AP:85/01/07(第840回)、ほか

【1985(昭和60)年】
・02/01 見えない翼/伊藤麻衣子 
 曲:鈴木キサブロー HC:14位 AP:85/02/25(第847回)、ほか
・03/05 ジェラス・トレイン/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:6位 AP:85/03/18(第850回)、ほか
・03/21 あの娘とスキャンダル/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:85/04/03(第852回)、ほか
・04/01 マドンナはお前だけ/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:57位 ※「麻生麗二」名義 AP:85/04/03(第852回)
・05/21 六本木レイン/研ナオコ 
 曲:吉田拓郎 HC:78位 AP:85/06/05(第861回)
・05/22 夏の愛人/山本達彦 
 曲:山本達彦 AP:85/06/05(第861回)
・06/05 夢絆/近藤真彦 
 曲:鈴木キサブロー HC:2位 AP:85/06/12(第862回)、ほか
・06/12 デビュー -Fly Me To Love-/河合奈保子 
 曲:林哲司 HC:1位 AP:85/06/12(第862回)、ほか
・07/03 風のサザン・カリフォルニア/堀ちえみ 
 曲:高中正義 HC:9位 ※「Wa・ショイ!」両A面 AP:85/08/21(第872回)
・07/05 俺たちのロカビリーナイト/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:85/07/03(第865回)、ほか
・07/17 Sea Loves You -キッスで殺して-/石川秀美
 曲:小田裕一郎 HC:10位 AP:85/07/10(第866回)、ほか
・08/21 クレイジー・パラダイスへようこそ/チェッカーズ
 曲:藤井尚之 ※Album「毎日!チェッカーズ」より AP:86/04/23(第906回)
・09/21 HEART OF RAINBOW -愛の虹を渡って-/チェッカーズ
 曲:芹沢廣明 HC:1位 ※12inch Single AP:85/10/16(第880回)
・09/25 青春の忘れ物/堀ちえみ
 曲:鈴木キサブロー HC:12位 AP:85/09/18(第876回)、ほか
・10/03 ラヴェンダー・リップス/河合奈保子
 曲:林哲司 HC:5位 AP:85/10/02(第878回)、ほか
・10/21 大将/近藤真彦
 曲:鈴木キサブロー HC:6位 AP:85/11/06(第883回)、ほか 
・12/12 THROUGH THE WINDOW -月に降る雪-/河合奈保子
 原詩・曲:Peter Beckett(訳詞) HC:7位 AP:85/12/11(第888回)、ほか 
・12/18 サイレンの少年 -遠くで抱きしめて-/石川秀美
 曲:芹沢廣明 HC:10位 AP:85/12/04(第887回)、ほか
・12/28 暗くなるまで待って/堀ちえみ
 曲:後藤次利 ※Album「夢の続き」より AP:85/12/18(第889回)

【1986(昭和61)年】
・01/21 夢千秒/堀ちえみ
 曲:鈴木キサブロー HC:12位 AP:86/01/22(第893回)、ほか
・01/27 悲しいな/杉浦幸
 曲:岸正之 HC:4位 AP:86/01/29(第864回)
・02/21 OH!! POPSTAR/チェッカーズ
 曲:芹沢廣明 HC:2位 AP:86/02/19(第897回)、ほか
・03/20 密室のTANGO/山本達彦
 曲:山本達彦 AP:86/04/02(第903回) 
・03/26 フラミンゴinパラダイス/荻野目洋子
 曲:NOBODY HC:7位 AP:86/04/16(第905回)、ほか
・04/01 涙のハリウッド/河合奈保子
 曲:林哲司 HC:7位 AP:86/04/23(第906回)、ほか
・04/01 ジャスミンの夢飾り/河合奈保子
 曲:林哲司 ※「涙のハリウッド」B面 AP:86/06/11(第913回) 
・04/21 ジャックナイフの夏/堀ちえみ
 曲:タケカワユキヒデ HC:12位 AP:86/04/23(第906回)
・05/21 想い出のクリフサイド・ホテル/中村雅俊
 曲:鈴木キサブロー HC:29位 AP:86/06/11(第913回)、ほか
・06/05 Song for U.S.A/チェッカーズ
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:86/07/16(第918回)、ほか
・07/09 SHADOW SUMMER/石川秀美
 曲:林哲司 HC:18位 AP:86/07/09(第917回)、ほか
・07/24 刹那の夏/河合奈保子
 曲:筒美京平 HC:10位 AP:86/07/30(第920回)
・08/07 Super Chance/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:2位 AP:86/08/13(第922回)、ほか
・09/03 Say Yes!/菊池桃子
 曲:林哲司 HC:1位 AP:86/09/03(第925回)、ほか
・09/29 P.S.抱きしめたい/稲垣潤一
 曲:林哲司 ※Album(但しLPではリリースされず)「P.S.抱きしめたい」より AP:86/11/05(第934回)
・10/29 六本木純情派/荻野目洋子
 曲:吉実明宏 HC:3位 AP:86/10/29(第933回)、ほか
・11/06 最後のHoly Night/杉山清貴
 曲:杉山清貴 HC:2位 AP:86/11/19(第936回)、ほか
・11/21 さよならの贈り物/ブレッド&バター
 曲:芹沢廣明 AP:87/02/11(第948回)

【1987(昭和62)年】
・03/03 湾岸太陽族/荻野目洋子
 曲:山崎稔 HC:3位 AP:87/03/18(第953回)、ほか
・03/25 アイドルを探せ/菊池桃子
 曲:林哲司 HC:1位 AP:87/03/04(第951回)、ほか
・04/22 思い出のビーチクラブ/稲垣潤一
 曲:林哲司 HC:30位 AP:87/04/29(第959回)
・05/25 NIGHT OF SUMMER SIDE /池田政典
 曲:NOBODY AP:87/06/24(第967回)
・05/27 水の中のAnswer/杉山清貴
 曲:杉山清貴 HC:1位 AP:86/05/27(第963回)、ほか
・06/01 70年代/中村雅俊
 曲:中崎英也 HC:30位 AP:87/06/17(第966回)、ほか
・06/21 さよならの果実たち/荻野目洋子
 曲:筒美京平 HC:1位 AP:87/07/01(第968回)、ほか
・06/21 Brilliant Summer/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 ※Album「DJ SPECIAL」より AP:87/06/17(第966回)
・07/15 Miss Lonely Eyes/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:2位  AP:87/07/29(第972回)、ほか
・07/29 Nile in Blue/菊池桃子
 曲:林哲司 HC:2位 AP:87/08/19(第975回)、ほか
・10/08 ガラスの草原/菊池桃子 
 曲:林哲司 HC:4位 AP:87/10/07(第982回)、ほか
・10/14 デス・トラップ/石川秀美
 曲:NOBODY HC:48位 AP:87/09/30(第981回)
・10/27 北風のキャロル/荻野目洋子
 曲:筒美京平 HC:2位 AP:87/11/18(第988回)、ほか
・11/18 Stay Girl,Stay Pure/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:5位 AP:87/11/11(第987回)

【1988(昭和63)年】
・01/21 ストレンジャーtonight/荻野目洋子
 曲:NOBODY HC:1位 AP:88/03/09(第1004回)
・03/21 Down Town Mystery/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:8位 AP:88/03/23(第1006回)、ほか
・04/27 スターダスト・ドリーム/荻野目洋子
 曲:井上マサヨシ HC:1位 ※「麻生麗二」名義 AP:88/05/04(第1012回)、ほか
・05/21 京都去りがたし/森進一
 曲:森進一 HC:28位 AP:88/06/22(第1019回)、ほか
・08/10 アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:3位 AP:88/08/03(第1025回)、ほか
・09/07 淋しさならひとつ/松本伊代
 曲:井上ヨシマサ HC:23位 AP:88/10/26(第1037回)
・11/16 TRASH/柴田恭兵
 曲:太田美智彦 HC:12位 AP:88/11/16(第1040回)

【1989(平成元)年】
・07/05 恋のロックンロール・サーカス/浅香唯
 曲:NOBODY HC:4位 AP:89/07/05(第1072回)
・07/21 どうして好きといってくれないの/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:林哲司 AP:89/07/12(第1073回)
・09/05 花の降る午後/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:林哲司 AP:89/08/30(第1080回)



歌謡曲黄金時代を支えた名クリエーター達(1-1) 売野雅勇① 概要・経歴編

2008-07-22 | 夜のヒットスタジオ/作家別・曲目リスト
今回の更新より、新シリーズ「歌謡曲黄金時代を支えた名クリエーター達」をスタートいたします。

このシリーズではヒットスタジオが放送された60年代後半~80年代にかけて、数多くのヒット曲を世に輩出してきた、「昭和歌謡の巨人」ともいうべき作詞 家・作曲家(場合によっては編曲家も)たちに焦点を当てて、その経歴と共にヒットスタジオの中で紹介された彼らの作詞及び作曲作品をリスト形式で紹介して いきます(※昨年、阿久悠さん逝去の際に追悼企画として行った曲目リストを下敷きとしています。阿久さんの作品リストについては、また同カテゴリーに組み 替えの上、追々再編集をしたいと考えております)。

1回目の今回は、チェッカーズの初期シングル群など、80年代に多くのヒット作を生み出した作詞家・売野雅勇氏にスポットライトを当てたいと思います。
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売野氏は、1951年、栃木県の出身。大学卒業後、萬年社(99年に倒産)→東急エージェンシーインターナショナル(現・フロンテッジ)でコピーライター として在籍。そして81年、30歳の時に、シャネルズの2枚目のアルバム「Heart&Soul」の中の収録曲の一つである「星くずのダンスホー ル」で作詞家デビューを果たしました。

その後は、上記のシャネルズのほか、河合奈保子、稲垣潤一、荻野目洋子らの楽曲を中心にヒット作を連発。康珍化氏や秋元康氏らと並ぶ、1980年代の歌謡界を代表する作詞家の一人としてその名を歌謡史に深く刻み込みました。

その作詞家としての彼のキャリアのなかで特筆すべき点といえば・・・・

①作曲家・芹沢廣明とのコンビにより大半の初期チェッカーズシングル作品で作詞を担当(84~86年)
まず1点目は、御存知のように、チェッカーズの初期シングル作、及びアルバムの収録曲の多くで作詞を担当し、作曲の芹沢廣明氏、彼らの総合プロデュースを 務めていた秋山道雄氏との共同作業によって、アイドルバンドから、後に実力十分のミュージシャンへと成長してゆく彼らの存在を通じて、新たな男性アイドル像・ アーティスト像のモデルを世に提案したという点が挙げられます。

83年10月リリースのデビューシングル「ギザギザハートの子守唄」から、86年6月リリースの「Song for U.S.A」までの計11作のシングルA面曲のうち、2thシングルにして出世作ともいえる「涙のリクエスト」を皮切りに実に9作品(「ギザギザ―」及び85年11月リリースの「神 様ヘルプ!」の2作は康珍化氏が詞を担当)に渡って売野氏は作詞を担当
初期のどこかしらに1950年代・60年代前半に隆盛をきわめたオールディーズ音楽のテイストを盛り込んでいるようにも聞こえる独特の音楽性により、大衆 の支持を早くより獲得することに成功し、他方、ジャニーズタレントが男性アイドルの基本形となりつつあったこの時代において、同時期デビューの吉川晃司とともに、「ロック」というジャンルの中から「第2の男性アイドル像」というものを確立させ、そして彼らに一定の実力を備わった 時点で、次は、そのアイドル路線をあえて早々から脱却させる方向へとプロデュース方針を転換し、その後の息の長い「アーティスト」としての人気につながる 下地を築いた、という点は、アーティストの売り出し方、或いは活動スタイルの広範化という面で非常に重要な意味を持つであったと言えると私は思います。

②「オメカトライブ・プロジェクト」への参加(86~89年頃)
そしてもう1点は、1986オメカトライブ時代の「オメカトライブ・プロジェクト」に参加したという点も注目されるところであろうかと思います。

ここにいう「オメカトライブプロジェクト」というのは、GSバンド「アウト・キャスト」の元メンバーで「トライアングル・プロダクション」の社長であった 藤田浩一氏の総合プロデュースの下で、林哲司、和泉常寛ら複数の人気作詞・作曲・編曲家を擁して、日本版AOR(Audio-Oriented Rock=大人向けロック)の定着を目標として立ち上げられたもので、「オメカトライブ」というネーミングはバンド名としてだけでなく、同バンドの活動を 含めた同プロジェクト全体をを意味する名称としても使用されていました。

売野氏は86年、新ボーカルとしてカルロス・トシキを迎え「1986オメガトライブ」として再スタートを切って間もなくの頃から同プロジェクトに本格的に参加新体制発足後2作目のシングル「Super Chance」で初の作詞を担当しました。
丁度この時期に前後それとほぼ時を前後して、チェッカーズが売野・芹沢コンビ主導の体制からメンバー各人による自主創作スタイルへと楽曲製作の方針を転換 したことも重なり(86年10月リリースの12thシングル「NANA」以降のシングル作品は全てメンバー各人が交替で楽曲プロデュースを担当)、以後、 この「オメカトライブ・プロジェクト」を作詞家としての主な活動の拠点としていきました。

この後、89年の「花の降る午後」まで約3年近くにわたり多くのオメカトライブのアルバム・シングル曲で作詞を担当。初期のチェッカーズの作風とはガラリとかわった、都会的センスの溢れた歌詞を提供し、作詞家としての幅の広さを世間に知らしめる事となります。
また、このプロジェクトに参加したことに付随して、この時期には他のトライアングルプロ所属のアーティスト(初代オメカトライブのメインボーカルである杉 山清貴や菊池桃子)へも楽曲を提供、87年には菊池桃子への提供作品「ガラスの草原」により、同年のFNS歌謡祭・音楽大賞で作詞賞を受賞しています。

このチェッカーズのプロデュース、そしてオメガトライブプロジェクトへの参加という二つの大仕事で得た経験・実績を活かし、90年に入ってから「シンデレ ラ・エクスプレス」で映画監督・脚本に初挑戦して以降、売野氏は舞台演出・劇作などの世界にも進出。作詞家としてもポップス・ロック系アーティストだけで なく、森進一(「京都去りがたし」など)ら演歌勢にも作品を提供するようになるなど、より幅の広い表現活動を展開し、クリエーターとしての地位を揺ぎ無い ものとしました。

それでは、次に、後期のヒットスタジオを彩ってきた売野氏の作品の数々を以下、曲目リストで紹介致しましょう。

(以後、「曲目リスト編」に続く)


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-3) 1977年11~12月③

2008-07-17 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年12月26日(第477回)>
■中島みゆき、テレビ生放送音楽番組初出演。
・追想 ヒデとロザンナ
 詞:松任谷由実 曲:出門 英 R:1977/09/25 HC:18位
・恋人たちの100の偽り 太田裕美
 詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:1977/12/21 HC:27位
ブーツをぬいで朝食を 西城秀樹
 詞:阿久 悠 曲:大野克夫 R:1978/01/01 
 HC:7位 BT:1位(78/02/09-02/16)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)32位
◆第7回(78年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデンカナリー賞受賞曲
曲の冒頭の部分でライターに火をつけるアクションを披露し話題を呼んだが、翌78年に入って早々これを小学生が真似たことが原因で火災事故が発生。この事故が発生した直後に放送された「ザ・ベストテン」(TBS系)出演時に、西城自ら、方々への影響を考慮して同アクションの封印を宣言すると共に、注意喚起を促すコメントを発表した。
【メドレー】アザミ嬢のララバイ~わかれうた 中島みゆき
 ・アザミ嬢のララバイ 中島みゆき
  詞・曲:中島みゆき R:1975/09/25 HC:38位(75年)
中島みゆきのデビューシングル。当初は全国でのプロモーション活動に中島本人も帯同する予定としていたが、この曲の発売前後の時期に実父が病気のため療養生活にはいったことから、満足のゆく宣伝活動ができなかったという。
 ・わかれうた 中島みゆき
  詞・曲:中島みゆき R:1977/09/10 
  HC:1位(77/12/12) BT:4位
中島みゆきにとり、初のオリコンチャート1位獲得シングル曲。以後、中島は1980年代(「悪女」)・1990年代(「空と君のあいだに」「旅人のうた」)・2000年代(「地上の星」)と4つの年代にでそれぞれオリコン1位を獲得するという偉業を達成する(この「4つの年代に渡っての1位獲得」という記録を持っているのは現時点では彼女一人のみである)。また、77年8月第2週~78年2月第3週までの半年間、ピンクレディーが「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」の計3曲でオリコンチャートで1位の座を独占したが、その間隙を潜り抜ける形で唯一、1位の座を奪還したのがこの作品であった。
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<中島みゆき>
①1952年、北海道・札幌市出身。高校3年の時、文学祭で自身のオリジナル作「鶫(つぐみ)の唄」を披露したのをきっかけにアマチュアミュージシャンとしての活動を開始。大学進学後は、地元ラジオ局でスタッフのアルバイトをする一方、他の大学のフォークソング研究会メンバーとの交流を広め、各種の音楽コンテストにも出場し軒並み入選、「コンテスト荒らし」との異名をとる。72年、「バイト代わり」(本人談)で出場したフォーク音楽祭の道内予選で優勝、北海道代表として全国大会に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞を果たす。大学卒業後も、親交のあった地元のジャズ喫茶のマスター・渡辺晃氏が主宰する「自由集団」の企画・構成によるライブに数多く参加する一方、100曲以上にも上るオリジナル作品を創作するなど、更に音楽活動を活発化。アマチュアミュージシャンながら既にこの時期には道内の音楽ファンの多くにその名前が知れ渡る存在となっていた。
75年、ヤマハ音楽振興会主催によるアマチュア歌手の登竜門「第9回ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に出場し、「傷づいた翼」で入賞。この入賞を契機にキャニオン・レコードと契約、同年9月にシングル「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビューを果たす。続く11月には、同じくヤマハ主催による「第6回世界歌謡祭」にも出場。当初はポプコン入賞曲である「傷づいた翼」での出場を予定していたが、急遽曲目を「時代」に変更、この曲で見事グランプリを受賞。「時代」はその後、12月に「世界歌謡祭グランププリ受賞曲」という触れ込みのもとにレコード化され、オリコン週間チャート最高14位累計売上16.4万枚(オリコン調べ)のスマッシュヒットとなった。
76年には、初のアルバム「私の声が聞こえますか」を発表。また同時に他の歌手への楽曲提供を開始し、研ナオコには「あばよ」「かもめはかもめ」、先輩シンガーソングライターである加藤登紀子には「この空を飛べたら」桜田淳子には「しあわせ芝居」「二十才なれば」など多数の作品を輩出、何れも好セールスを記録し、作詞・作曲家としても一躍注目を浴びる。オリジナル作品でも77年発表の「わかれうた」が翌78年にかけて累計76.9万枚(オリコン調べ)を売り上げ、自身初のオリコンチャート1位を獲得。同世代でテレビ出演よりも創作活動・コンサート活動に重点を置きながら音楽活動を展開していた松任谷由実と共に、以後の日本の女流ミュージシャンの一つの流れを築く存在へと成長してゆく。他方、この時期よりラジオ番組でのパーソナリティー業にも進出。79年からはニッポン放送の人気深夜番組「オールナイトニッポン」の月曜担当パーソナリティーに抜擢され、暗く思い曲調の多い彼女から想像がつかない、明朗・軽妙なトーク・番組進行が話題となり、以後、87年まで8年に及ぶ長寿番組となった。
82年、「悪女」で自身2度目のオリコン1位を獲得して以降、「誘惑」「横恋慕」「あの娘」「ひとり」と自身のオリジナルシングルが次々と同チャートのベストテン入りを果たすヒットを連発。柏原芳恵の「春なのに」、元ピンクレディー・増田けい子(現・恵子)のソロ第1弾シングル「すずめ」など、引き続き他の歌手にもヒット曲を提供し続け、彼女の人気は絶頂に達する。しかし、その後、曲作りの面でスランプに陥り、甲斐よしひろら外部の人気ミュージシャンを自身のオリジナルアルバムの製作プロデューサーに起用するなど、それまでの作風からの大幅なイメージチェンジを模索し続ける時代(本人いわく「御乱心の時代」)が数年続き、その影響もあってかアルバム・シングル売上も徐々に下落傾向を辿るようになった。
88年、通算16枚目のオリジナルアルバム「グッバイガール」のプロデューサーとして長渕剛、チャゲ&飛鳥(CHAGE&ASKA)ら、多くのミュージシャンの楽曲でアレンジャー・作曲を手掛けてきた実力派の瀬尾一三を起用。楽曲製作の段階でそれぞれが目指す音楽スタンスなどの点から瀬尾と意気投合し、彼との出会いがそれまでのスランプ状態を打破する一助となってゆく。89年には、後に彼女のライフワークとなる「夜会」コンサートを瀬尾の総合プロデュースの下でスタートさせ、「コンサートと演劇の融合」という斬新な興行スタイルを提案。そして、92年にはドラマ「親愛なる者へ」(フジテレビ系)の主題歌として使用された「浅い眠り」がデビュー17年目、通算26枚目のシングルにして初のミリオンセラーを達成累計売上:105.7万枚<オリコン調べ>)し、スランプ状態から完全に脱却。その後も94年には「空と君のあいだに」、続く95年には「旅人のうた」(何れも日本テレビ系ドラマ「家なき子」主題歌)がミリオンヒット(「空と君のあいだに」は累計売上146.6万枚<オリコン調べ>という、自身の全シングル作品中最高の売上を記録)。これらの作品はドラマ主題歌として採用されたこともあり、ドラマの主な視聴者層である若年層の間にも彼女の独特の音楽センスが広く浸透、更なるファン層の拡大へと繋がってゆく。
⑥2000年、新レーベル「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」の創設に参加することとなり、デビューから25年間在籍してきたポニーキャニオンから同レーベルへと移籍。移籍後初のシングル作品である「地上の星/ヘッドライト・テールライト」はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」のテーマ曲に採用され、番組の人気上昇と比例するように主な視聴者層である中高年のサラリーマン世代から絶大な支持を獲得。最終的には自身4度目のミリオンセラー累計売上:111.6万枚<オリコン調べ>)を達成すると共に、オリコン週間チャートTOP100圏内連続チャートイン記録で杉良太郎の「すきま風」が持っていた連続147週の記録を大幅に塗り替える、連続174週ランクインという大金字塔を樹立。「地上の星」が本格的にヒットした2002年には、これまで幾度も出演依頼を受けながらも辞退を申し出てきた年末のNHK紅白歌合戦にも、NHKの番組からヒットの口火が切られたという恩義から出演を了承。黒部ダムからの生中継で同曲を熱唱した(因みにテレビの生放送音楽番組への出演はこのヒットスタジオへの唯一の出演以来、25年ぶりのことであった)。
⑦他方、ライフワークとなっていた年末恒例の「夜会」は98年を最後に一旦休止されたものの、2000年から不定期上演スタイルに転換して再開(以後、02年、04年、06年と1年おきに上演)。また人気アイドルバンドTOKIOに「宙船」「本日、未熟者」を提供するなど、70年代以降の日本のミュージックシーンに多大な影響を及ぼした大御所の一人として現在も第一線で活動を展開している。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・12/25 「黄金狂時代」「独裁者」「モダン・タイムス」「ライムライト」などの名作喜劇で知られるイギリスの”喜劇王”、チャールズ・チャップリン死去。88歳。
・12/31 同年度の日本レコード大賞に沢田研二「勝手にしやがれ」。最優秀歌唱賞は八代亜紀「愛の終着駅」(2年連続受賞)、最優秀新人賞は清水健太郎「失恋レストラン」。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-2) 1977年11~12月②

2008-07-15 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年12月5日(第474回)>
【メドレー】あずさ2号~コスモス街道 狩人
※発売時期・オリコンチャート最高位等の補足情報については、「あずさ2号」については「曲目リスト(52-3) 77年5~6月③」「コスモス街道」については「同(54-4) 77年9~10月④」内の当該曲目の記述をそれぞれ参照のこと。
【メドレー】帰らざる日々~冬の稲妻 アリス
 ・帰らざる日々 アリス
  詞・曲:谷村新司 R:1976/04/05 HC:15位(76年)
<楽曲について>
①谷村が過酷なライブ活動の末に倒れ入院した際の自身の心情を基に製作された楽曲といわれている。74年、アリスは年間303ステージという驚異的かつ過酷なライブツアーを敢行。その最中の同年夏に催された、ファン同伴によるグアム島ツアーの際に、谷村がコレラに類似した症状を訴えダウン。その後、1ヶ月近く検査・療養のため、隔離病棟での入院生活を強いられた。その際に抱いた心情がこの曲のベースとなったとされる。
②初のオリコン週間チャートベスト20入り作である前作「今はもうだれも」(75年9月リリース)に引き続き好セールスを記録。累計売上31.9万枚、オリコンチャートTOP100圏内に通算45週ランクインするロングヒットとなり、それまで主だったヒットもなく全国的には無名に近い存在であったアリスの存在が徐々に世に浸透していく契機を築いた。1978年には藤田敏八監督・永島敏行主演・にっかつ製作により映画化もされている(アリスは同映画の劇中音楽も担当している)。 
 ・冬の稲妻 アリス
  詞:谷村新司 曲:堀内孝雄 R:1977/10/05 HC:8位 BT:5位
◆年間チャート(78年)16位(50.7万枚)
◆TBS「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)29位
この曲によりアリスはデビュー5年目にして初めてオリコン週間チャートのベストテン圏内にランクイン。アリスを名実共に一線級の人気バンドに押し上げた作品である。当初は売上は低空飛行を続けていたが、このヒットスタジオ出演を境にセールスが好転。78年に入ってから本格的にヒットし(78年最初のオリコン週間チャート(1月9日付)でベスト20圏内に初ランクイン(11位)、同月30日付の同チャートで、発売から実に3ヵ月後で初のベスト10入りを達成。アリスの歴代全シングル曲中、「チャンピオン」(78年12月リリース)に次ぐセールスを記録累計売上:55.4万枚<オリコン調べ>)する大ヒットとなった。
・逆光線 Char
 詞:阿久 悠 曲:Char R:1977/12/10 HC:23位
・木枯しの精 南 沙織
 詞・曲:丸山圭子 R:1977/11/21 HC:63位
てぃーんずぶるーす 原田真二
 詞:松本 隆 曲:原田真二 R:1977/10/25 HC:6位
◆年間チャート(78年)47位(26.4万枚)
<原田真二>
①1958年、広島県出身。75年、高校2年の時にフォーライフレコードの新人オーディションに応募。1/3000という狭き門を潜り抜け入選。77年、青山学院大学入学と同時に上京し、彼のデビューのきっかけとなった上記オーディションの審査に当たっていた吉田拓郎(※当時、拓郎はフォーライフの取締役であった)のプロデュースの下で、同年10月、「てぃーんずぶるーす」でレコードデビュー。続く11月には「キャンディ」、12月には「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングル盤をリリース、何れも20万枚を越える好セールスを記録し、オリコン調査開始以来初の同一アーティストによる3曲同時ベスト20入りという快挙を達成(※78年1月23日付~2月27日付)。上記3作を発表した後に製作・リリースされたデビューアルバム「Feel Happy」も、これもまたオリコンアルバムチャートの創設以来初となる初登場1位を獲得、衝撃のデビューを飾る。元々渡辺プロダクションでキャンディーズのマネージャーを務めていた大里洋吉が同プロから独立して設立した新興の芸能事務所「アミューズ」に籍を置き、大里の全面的なバックアップを受けてその後も音楽活動を展開、「タイム・トラベル」「サウザンツ・ナイト」「OUR SONG」「スウィート・ベイビー」などのシングル作を次々と発表し、同時期にデビューしたChar、世良公則&ツイストと共に「ニューミュージック御三家」の一画を形成、アイドル的人気を獲得する。
②1980年、3年間在籍したアミューズを離れ、独立事務所「クライシス」を設立(自身のアイドル的なアーティストとしての位置付けと理想としていた活動スタンスとの間に矛盾を感じた事が独立の理由であったとされる)。これを境にヒットからは遠ざかる状態に陥ってしまうが、その最中にも83年には「雨のハイウェイ」、86年には「見つめてCarry On」が話題となったほか、吉川晃司・山下久美子らにも楽曲を提供するなど作詞・作曲家としても活躍。近年では、かつて原田のファンクラブにも入会するほどの熱狂的なファンであったという松田聖子からの依頼により、プロデューサーとして彼女の音楽面での活動を全面的にサポート、健在ぶりを発揮している。

<1977年12月12日(第475回)>
・ノクターン 梓みちよ
 詞:喜多条忠 曲:常富喜雄 R:1977/09/05
・夜更けのレストラン 和田アキ子
 詞:山口あかり 曲:平尾昌晃 R:1977/10/25
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(8回)
禁猟区 郷ひろみ
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:1977/12/05 HC:8位 BT:5位

<1977年12月19日(第476回)>
・CRY CRY CRY 太川陽介
 詞:杉山政美 曲:都倉俊一 R:1977/10/25
<太川陽介>
 1959年、京都府出身。76年、17才のときに「陽だまりの中で」で歌手デビュー。翌77年、3作目の「Lui-Lui」が曲中の親指と人指し指でL字を作り、「Lui-Lui」と叫ぶポーズと共に話題となりスマッシュヒット、レコード大賞新人賞などこの年の各音楽賞レースの新人賞を多数受賞。その後は俳優・タレント業を中心とした活動に移行、俳優としてはドラマ「熱中時代」「かくれんぼ」「猿飛佐助」(以上、日本テレビ系)、「熱愛一家・LOVE」(TBS系)、映画「晴れときどき殺人」(角川春樹事務所)などに出演。タレントとしては、79年にNHKの若年層向音楽番組「レッツゴーヤング」の司会に抜擢され、以降番組が終了する86年まで7年間に渡り同番組の顔として活躍、彼の代表的な仕事の一つとなった。90年代後半以降は舞台を中心に活動している。
しあわせ芝居 桜田淳子
 詞・曲:中島みゆき R:1977/11/05 HC:3位 BT:3位
◆年間チャート(78年)44位(29.5万枚)
◆第20回(78年)日本レコード大賞金賞・西条八十賞(作詞者・中島みゆきに対して)受賞曲(西条八十賞についてはこの曲と加藤登紀子への提供作「この空を飛べたら」の2作品に対して受賞)。
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(5回)
桜田はこの曲以降、「追いかけてヨコハマ」「20才になれば」「化粧」と計4作品で中島みゆきからシングルA面曲の提供を受けている。尚、作者の中島自身も79年11月リリースの6枚目のオリジナルアルバム「おかえりなさい」の中で同曲をセルフカバーしている。
風の駅 野口五郎
 詞:喜多条忠 曲:筒美京平 R:1977/10/25 HC:5位 BT:10位
◆第19回(77年)日本レコード大賞 大賞候補ベストテン入り曲
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(6回)
※この曲で翌78年にTBS系でスタートしたランキング形式の音楽番組「ザ・ベストテン」の第1回放送(1月19日放送)で第10位にランクイン。同番組は下位のランキング歌手から順番に出演する形式であったため、野口は同時に「ベストテン」の最初の出演歌手となった
わな キャンディーズ
 詞:島 武実 曲:穂口雄右 R:1977/12/05 HC:3位 BT:2位
◆年間チャート(78年)30位(39.1万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)50位
キャンディーズの全シングルA面曲の中で、ミキ(藤村美樹)がセンター(リードボーカル)を担当したのはこの作品のみである。これは他のメンバー2人から、同曲を製作するに当たって「ミキをセンターに置いた曲を作ってほしい」との要望がなされたことによるものである。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・12/01 「天と地と」「海と風と虹と」「真田幸村」など歴史小説の大家として知られる作家・海音寺潮五郎が死去。76歳。
・12/13 社会党(現・社民党)の定期党大会にて、飛鳥田一雄が新委員長に選出される。
・12/17 国鉄(現・JRグループ)、リニアモーターカーの初の浮上走行試験に成功。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-1) 1977年11~12月①

2008-07-13 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年11月7日(第470回)>
■放送開始10周年突入記念企画・第2弾として総集編を放送。

<1977年11月14日(第471回)>
・I'm Agnes(アイム・アグネス) アグネス・ラム
 詞・曲:布施 明 R:1977/07/10
「雨あがりのダウンタウン」B面。アグネスと同じ事務所(渡辺プロダクション)に所属しているという縁から、自身のオリジナル作を中心に創作活動も展開していた布施明が同曲の製作を担当することになった(因みにA面曲「雨あがりのダウンタウン」の作曲者・”弾厚作”こと加山雄三も当時、歌手活動のマネージメントについてはナベプロに委託していた)。
・しあわせ岬 都はるみ
 詞:たかたかし 曲:岩久 茂 R:1977/10/01
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(13回)
秋桜(コスモス) 山口百恵
 詞・曲:さだまさし R:1977/10/01 HC:3位
◆年間チャート(77年)35位(31.9万枚)
◆第19回(77年)日本レコード大賞歌唱賞・西条八十賞(作詞者・さだまさしに対して)受賞曲(※西条八十賞については、同曲を含め、77年度のレコード大賞選考対象期間内に発表されたさだの全作詞担当作品に対して受賞)
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
◆第6回(77年)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀歌謡音楽賞受賞曲
◆第3回(77年)全日本歌謡音楽祭女性視聴者賞受賞曲
<楽曲について>
①この年、「雨やどり」のヒットにより、ソロでの音楽活動も軌道に乗り始めたさだまさしが詞・曲を担当。さだは、それまで「横須賀ストーリー」や「イミティション・ゴールド」など一連の宇崎竜童・阿木燿子夫妻コンビによる楽曲のヒットにより山口百恵に付いていた「突っ張った女性」のイメージをあえて排して、実際の彼女が純日本的な心を持った女性であるという想定の下で、いつの日か訪れるであろう実妹(佐田玲子)の嫁ぐときのイメージを加味して同曲の詞・メロディーを書き上げたという。
②さだは同曲のレコーディング終了後、百恵に直接電話をかけ、同曲の内容につき「ピンとこなかったでしょう?」と聞いたところ、彼女は率直に「そうなんです」と答えた。その際、さだは付け加えて、「いつの時か、それ(曲の内容=嫁ぐ日の心情)がわかる日が来ると良いよね」と述べ、その後もこの言葉が常に百恵の印象の中に強く刻み込まれていたという。その後、彼女が結婚・引退を表明し、そのラストコンサート(80年10月5日)のステージに立つ直前に、コンサートツアーのため大阪にいたさだに対して百恵は、上記のさだから言われた言葉に対する返答として「この歌の意味がようやくわかるときがやってきました。ありがとうございました」とのメッセージを送ったと伝えられている。
③当初の企画段階では「小春日和」というタイトルがつけられていたが、当時、百恵を担当してたCBSソニーの酒井政利プロデューサーの提案によって「秋桜(コスモス)」というタイトルに変更された。同曲のヒットをきっかけとして「秋桜」という語の読みとして「コスモス」が定着化した。

<1977年11月21日(第472回)>
・春の岬 森 昌子
 詞:杉 紀彦 曲:市川昭介 R:1977/12/01 HC:37位
・ふたりの砂時計 丸山圭子
 詞・曲:丸山圭子 R:1977/11/05
・ボタンを外せ 西城秀樹
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:1977/09/05 HC:12位
◆第19回(77年)日本レコード大賞 大賞候補ベストテン入り曲
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(4回)
※オリコン週間チャートではべスト10入りを逃し(累計売上:14.0万枚<オリコン調べ>)、5作目「情熱の嵐」(73年5月リリース)以来、17作続いたベストテン連続チャートイン記録はここで一旦途切れた
・港・坂道・異人館 いしだあゆみ
 詞:喜多条忠 曲:大野克夫 R:1977/11/01 
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(9回)
<楽曲について> 
①この曲の主な舞台となっているのは、明治初期の神戸開港により外国人の来客が急増したことに伴い、彼ら専用の住宅地として開発された「北野町異人館街」とその付近一帯である。具体的には「港」とは「神戸港」「坂道」とは「北野坂」を意味し、北野坂が通っているその付近に「異人館」と称される洋風建造物が多数点在している(戦前は最も多いときで200以上の異人館が点在していたが、第二次大戦時の空襲や、阪神大震災の影響で現在は約60棟まで減少している)ところからこのような曲名が付けられた。
②同曲を歌唱したいしだあゆみは、この年、後に(内縁の)夫婦となる萩原健一との共演によるテレビドラマ「祭ばやしが聞こえる」(日本テレビ系)や東宝映画「青春の門・自立編」などの話題作に次々と出演し、女優業を本格再開。その影響から翌78年の紅白では選に漏れ、69年・第20回紅白に初出場して以来続いていた連続出場記録は同曲を披露した77年・第28回紅白、9回目の出場でストップした。

<1977年11月28日(第473回)>
・終着駅は始発駅 北島三郎
 詞:佐東さとる/星野哲郎<補作> 曲:中山千里 R:1977/09/-
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(15回)
・愛の終着駅 八代亜紀
 詞:池田充男 曲:野崎真一 R:1977/09/25 HC:13位
◆第19回(77年)日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽賞・放送プロデューサー連盟特別賞受賞曲
◆第10回(77年)日本有線大賞有線ヒット賞受賞曲
◆第10回(77年)全日本有線放送大賞優秀スター賞受賞曲
◆第43回(92年)NHK紅白歌合戦出場曲(19回)
・セイタカアワダチ草 十朱幸代
 詞:吉岡 治 曲:岸本健介 R:1977/09/05
※「夢色ヒコーキ」(久保田育子)同様、当時平日夕方の時間帯で放送されていた ミニ番組「NHKニューソング」の中で取り上げられた楽曲の一つ。
・北の子守唄 十朱幸代
 詞:吉岡 治 曲:岸本健介 R:1977/10/-【Album】
アルバム「風の盆」収録曲
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
<十朱幸代>
①1942年、東京都出身。父親で名脇役として知られた俳優・十朱久雄の影響で、1958年、16才のときにNHKドラマ「バス通り裏」にレギュラー出演し女優デビュー。翌59年、松竹と契約し、木下恵介監督作品「惜春鳥」でスクリーンデビューを果たす。以後も映画「光る海」「伊豆の踊子」「陽の当たる坂道」(以上、日活)、ドラマ「おねえさんといっしょ」(NHK)や「東芝日曜劇場」などの一時間単発枠ドラマを中心に、主に主人公の娘役・恋人役など主に二番手・三番手の位置で多数の映画・ドラマへの出演を重ね、次第に主役級女優へのステップアップが図られてゆく。売り出し中の頃から歌手・俳優の小坂一也と同棲関係にあり、74年に約15年もの長い交際期間を経て結婚するも、わずか数ヶ月で離婚。
②離婚後は主にテレビドラマでの主演を中心に活動していたが、1980年、松竹映画「震える舌」で久々に主演としてスクリーンに登場。迫真の演技で同年度の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、映画界でも主役級女優としての人気を決定的なものとする。その後も映画「魚影の群れ」「花いちもんめ」「極道の妻たちⅡ」「桜の樹の下で」(以上、東映)などの大作に次々と主演。他方、テレビドラマの世界でも土曜ワイド劇場「女検事・朝霧里矢子」シリーズ(テレビ朝日系)などに出演、同年代の三田佳子・岩下志麻らと並ぶ大女優として、高い演技力と貫禄を存分に視聴者や観衆に印象付けた。近年は主な活動のフィールドを舞台の世界に移して女優業を展開している。
③歌手としては、「セイタカアワダチ草」のほかに、「ビローフレンド」(81年)、「Shadow Blanca」(82年)など、主に80年代中盤にかけて数枚のシングル・アルバムを発表。ヒットスタジオにも歌手としてもこの初出演回のほか、82年10月11日放送、83年12月19日放送、84年5月21日放送の計4回登場している。


【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・11/11 韓国・裡里(イリ)駅でダイナマイトが爆発、1,300人もの死傷者が出る大惨事に。
・11/15 新潟市の海岸で当時13歳の地元の中学生、横田めぐみさんが何者かによって誘拐され行方不明に(後に北朝鮮工作員による拉致であることが判明)。
・11/17 大阪・吹田に完成した国立民族学博物館の一般公開が開始される。
・11/17 同年度の日本歌謡大賞に沢田研二「勝手にしやがれ」。
・11/25 ハイジャック防止法成立。
・11/28 福田改造内閣発足。
・11/30 アメリカ軍の立川基地が約32年ぶりに日本に全面返還される。



【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(54-4) 1977年9~10月④

2008-07-12 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

(77年10月3日放送(第465回)~同10月17日放送(第467回)の曲目については「曲目リスト(54-3) 77年9~10月③」に記載)

<1977年10月24日(第468回)>

・ほたる坂 清水由貴子
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:1977/10/10
・ルララ・リララ 矢吹 健
 詞:森雪之丞 曲:丹羽応樹 R:1977/10/-
コスモス街道 狩人
 詞:竜真知子 曲:都倉俊一 R:1977/08/25 HC:5位
◆年間チャート(77年)31位(36.5万枚)
◆第8回(77年)日本歌謡大賞新人賞受賞
◆第6回(77年)FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀新人賞受賞
・マイ・ラグジュアリー・ナイト しばたはつみ
 詞:来生えつこ 曲:来生たかお R:1977/07/10 HC:17位
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)  
<しばたはつみ>
①東京都出身。父親はピアニスト、母親はヴォーカリストという音楽一家の下で育ち、1961年、わずか9歳で米軍キャンプの将校クラブで初ステージを踏み、63年にはジャズバンド「スマイリー小原とスカイライナーズ」の専属歌手に起用される。1960年代半ばから「はつみかんな」の芸名でCFソングを中心に活動し、「レナウン娘」(レナウン)、「OH!モーレツ」(丸善石油<現・コスモ石油>)などコマーシャル史に残るCFソングも数多く担当。68年にはシングル「乙女の季節」でレコードデビューを果たし、同年制定された新人歌手を対象とした音楽コンテスト「新宿音楽祭」の第1回大会で金賞を受賞した。
②しかし、ヒット作には縁がなく、その後「麻まにか」に芸名を変えてシングル「紙の舟」をリリースするも振るわず、心機一転を誓い72年に単身渡米を決心。約2年間、ショービジネスの本場・アメリカでのレビュー経験を重ねた後、74年に帰国。これを機に芸名を「しばたはつみ」に改称し、シングル「合鍵」で再デビュー。また、渡米前に師事していたジャズピアニスト・世良譲の誘いを受けて、TBS系の新番組「サウンド・イン・S」にもレギュラーとして起用され、これを機に彼女の顔が視聴者にも広く知れ渡るようになり、また小学生時代のキャンプ廻りの時代より積み重ねてきた歌唱力が注目され、実力派シンガーとしての定評を獲得。75年には「濡れた情熱」で東京音楽祭銅賞・外国人審査員団賞を受賞。サミー・デイヴィスJr.ら海外の大物アーティストにもその実力を買われ、彼らのコンサートツアーにも前座歌手として帯同した。
③77年、東洋工業(現・マツダ)の常用車「コスモ(コスモAP)」のCFソング「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がヒットし、米軍キャンプで初舞台を踏んでから16年目にして、同年末のNHK紅白歌合戦に初出場、師匠である世良譲とのセッションスタイルで同曲を披露。この後も「化石の荒野」などのオリジナルシングル・アルバムをコンスタントに発表する傍ら、ジャズシンガーとしてライブ活動を展開している。
④尚、この4年後に「センチメンタル・ジャーニー」でアイドル歌手として芸能界デビューする事となる松本伊代とは遠戚の関係にある。
<楽曲について>
マツダ「コスモ(コスモAP)」CFソングとして発表。この後も翌78年には「夜はドラマチック」、79年には「ラブ・イズ・イリュージョン」と、1年につき1作のペースで、歌手にしばたはつみを起用した同車両のCFソングが引き続き製作された。因みに、シングル盤では日本語バージョンとなっているが、同シングルリリースから約2週間後にリリースされたアルバム「Love Letters Straight From Our Hearts」(77/07/25リリース)では全編英語によるバージョン(来生えつこの日本語詞を元に一條諦輔が英訳詞を付けたもの。尚、アレンジもアルバム・シングルではそれぞれ異なっており、シングル版では林哲司が、アルバム版では大野雄二がそれぞれアレンジャーを務めている)が収録されている。
②この後、80年代にかけて多くのヒット作を世に送り出す事となる、詞:来生えつこ・曲:来生たかおの姉弟コンビが一躍注目を集める契機を築いた作品としても知られ、その後、山口百恵、三浦友和、市川染五郎(現・松本幸四郎)、伊東ゆかりら多くのアーティストに、主にアルバム収録曲を中心として楽曲を提供。その後の薬師丸ひろ子の歌による「セーラー服と機関銃」の大ヒットにつながる下地が徐々に築かれていった。因みに来生たかお自身もこの曲のセルフカバー版を79年10月リリースのシングル「あなただけGood Night」のカップリング曲として吹き込んでいる

<1977年10月31日(第469回)>
・ひとり旅 細川たかし
 詞:中山大三郎 曲:三木たかし R:1977/09/10 HC:82位
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回)
・私が選んだあなたです 五十嵐夕紀
 詞:橋本 淳 曲:筒美京平 R:1977/09/05
・求愛専科 岡田奈々
 詞:有馬三恵子 曲:森田公一 R:1977/09/25
・GOOD-BYE BABY LOVE 大上留利子
 詞・曲:大上留利子 R:1977/10/-
・SEXY WOMAN 大上留利子
 詞:KURO 曲:西岡恭蔵 R:1977/06/-【Album】
※アルバム「タイフーン・レディー」収録曲
<大上留利子>
 「クイーン・オブ・ソウル」の異名を取る大阪府出身のR&B歌手。フォークソングサークル「万座」から大前Brothers Bandを経て、74年、ロックバンド「スターキング・デリシャス」にコーラスとして加入。翌75年、ヤマハ主催による音楽コンテスト「YAMAHA 8・8 ROCK DAY」では、バンド自体でグランプリを受賞する傍ら、大上自身もベスト・ヴォーカル賞を受賞、ソウルフルなヴォーカルが注目を集める。バンド解散後、77年にアルバム「タイフーン・レディー」でソロアーティストとしてデビュー。アメリカのフュージョンバンド「Stuff」など、海外アーティストのツアーに多くの帯同する傍ら、泉州弁を前面に押し出したトークとキャラクターの個性の強さがドラマプロデューサーの久世光彦の目に止まり、彼の初監督映画である「夢一族」やドラマ「真夜中のヒーロー」などにも女優として出演。一時関東に拠点を置いたものの、85年に大阪・キタに「R&Bヴォーカルスクール」を開校して以降は、専ら大阪を中心にゴスペル・シンガーとして音楽活動を展開している。
・東京物語 森 進一
 詞:阿久 悠 曲:川口 真 R:1977/10/05 HC:20位
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(10回) 
<楽曲について>
①この曲のタイトルは、小津安二郎監督による日本映画史に残る傑作「東京物語」(1953年、松竹)から取ったものである。作詞者の阿久は、この映画に対する個人的な畏敬の念を元にしてこの詞を書き上げたと伝えられている。
ロックバンド「近田春夫とハルヲフォン」もアルバム「電撃的東京」(78年6月リリース)の収録曲の一つとして同曲をカバーしている(因みに右記アルバムは同曲以外にも、山本リンダの「きりきり舞い」や郷ひろみの「恋の弱味」、平山三紀の「真夜中のエンジェル・ベイビー」など、他の歌手のヒット曲のカバーを中心とした構成が採られている)。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・10/29 社会市民連合(社民連)が正式発足。代表は江田五月。
・10/- 一部番組につきモノクロ放送を続けていたNHK教育テレビジョンが全日カラー放送を開始。再放送・外国番組の放送等の例外を除き、日本のテレビ番組の完全カラー化が実現する。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(54-3) 1977年9~10月③

2008-07-12 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年10月3日(第465回)>
■放送開始10周年突入を記念して2時間の特集番組を放送。過去のヒット曲を中心に様々な企画モノを織り交ぜた番組構成で10年の足跡を回顧する。
よろしく哀愁 郷ひろみ 
 詞:安井かずみ 曲:筒美京平 R:1974/09/21 
 HC:1位(1974/10/28-11/11)
◆年間チャート(74年)16位(41.1万枚)
※NET(現・テレビ朝日)系ドラマ「ちょっとしあわせ」主題歌
郷ひろみの全シングル作品で(現時点では)唯一のオリコン週間チャート1位獲得曲にして最大のヒット曲(累計売上枚数:50.6万枚<オリコン調べ>)。また、歴代のジャニーズ事務所所属歌手のシングル曲で最初のオリコン1位獲得曲もこの作品でもある
※意外にも同曲をヒットスタジオで披露したのはこの回が最初である(74年8月12日~75年2月3日まで約半年間出演実績がなく、この期間内に同曲が発売・ヒットしていた)。
・マイ・ウェイ(My Way) 森 進一/布施 明/五木ひろし/沢田研二
 詞:Gilles Thibaut/Lucien Thibaut/Paul Anka(英訳)/中島 潤(日本語訳)
 曲:Claude Francois/Jacques Revaux
 R:1967/-/-(仏<詳細求む>)/1969/03/-(米)/1972/05/10(日、布施明盤)
 HC:8位(米)/25位(日<オリコン>、布施明盤)
※10周年特別企画の一環として、黎明期から番組を支えてきた、森・布施・五木・沢田の「ビッグフォー」が揃い踏みして、同曲をジョイント。尚、布施は72年に「愛すれど切なく」との両A面扱いでこの曲をシングルとして吹き込んでいる。
【メドレー(新御三家×花の中3トリオ・デュエット大会)てんとう虫のサンバ~昭和枯れすすき~イエスタデイ・ワンス・モア
 ・てんとう虫のサンバ 郷ひろみ/山口百恵
  詞:さいとう大三 曲:馬飼野俊一 (R:1973/07/05) (HC:5位<73年>)
オリジナルはチェリッシュの73年のヒット曲。因みにチェリッシュ自身はこの曲でのヒットスタジオの出演実績はなし
 ・昭和枯れすすき 野口五郎/森 昌子
  詞:山田孝雄 曲:むつひろし (R:1974/07/21) (HC:1位<74年>)
オリジナルはさくらと一郎の74年発表の作品。TBS系ドラマ「時間ですよ・昭和元年」主題歌として翌75年にかけて大ヒットした。
 ・イエスタディ・ワンス・モア(Yesterday Once More) 西城秀樹/桜田淳子
  詞・曲:John Bettis/Richard Carpenter 
  (R:1973/06/-<米>/1973/07/10<日>) (HC:2位<米>/5位<日(オリコン)>)
<楽曲について>
 オリジナルはアメリカの兄妹デュオ、カーペンターズのヒット曲。73年、アルバム「NOW&THEN」の中の収録曲の一つとして発表。その後シングルカットされ、同年6月にまずアメリカで、その後イギリス・日本でも同曲のシングル盤がリリースされ、全米(ビルボード)チャートで最高2位日本でもオリコン週間チャートで最高5位(※尚、オリコンの洋楽チャートでは26週連続1位という前代未踏の記録を樹立)の大ヒットとなった。歌詞の中に「ラジオから昔流れてきた歌を懐かしむ」といった趣旨のフレーズが登場することから、日本ではラジオリスナーたちからの評判が高く、各局の洋楽チャート番組でも軒並み高順位に位置付け、特に文化放送の「ALL JAPAN POP20」では同8~9月にかけて、計8週連続で1位の座を保守、最終的には年間1位を獲得している。現在でも多数の歌手によりカバーされ、またCMソングや番組BGMなどでも多用されるなど、現在ではカーペンターズの最大の代表作として親しまれている。
【補足】上記以外で同回放送にて披露された楽曲(判明分のみ記載)
・危険なふたり/沢田研二
・傷だらけのローラ/西城秀樹
・せんせい/森 昌子
・私鉄沿線/野口五郎
・あの鐘を鳴らすのはあなた/和田アキ子
・春一番/キャンディーズ
・瀬戸の花嫁/小柳ルミ子、ほか

<1977年10月10日(第466回)>
・ねえ 麻丘めぐみ
 詞:喜多条忠 曲:川口 真 R:1977/10/05
<楽曲について>
 同年6月20日放送のヒットスタジオで結婚・引退を発表した麻丘めぐみの、通算19枚目にして最後のシングル盤。この出演から約1ヵ月後の11月18日に行われたラストコンサートを最後に5年に及ぶ芸能活動に終止符を打った(その後、83年に離婚し、女優業を中心として芸能活動を再開)。同曲は元々麻丘が結婚・引退を表明する以前より新曲として企画されていた作品であったが、この引退表明を受けて、当初用意された歌詞に一部修正が加えられるなど、ラストナンバーであることを意識した内容に改編した上でリリースされた。
・帰っちまえ! ものえ和恵
 詞:伊藤アキラ 曲:森雪之丞 R:1977/07/-
・走馬燈 奥村チヨ R:1977/09/-
・捨てぜりふ 角川 博 
 詞:千家和也 曲:伊藤雪彦 R:1977/10/25
【メドレー】煙草のけむり~ゲーム 五輪真弓
 ・煙草のけむり 五輪真弓
  詞・曲:五輪真弓 R:1973/10/01 HC:40位(73年)
 ・ゲーム 五輪真弓
  詞・曲:五輪真弓 R:1977/10/21 

<1977年10月17日(第467回)>
・ジャニスを聴きながら あおい輝彦
 詞・曲:荒木一郎 R:1977/10/05 HC:34位
・過ぎてしまえば 森田公一とトップギャラン
 詞:阿久 悠 曲:森田公一 R:1977/08/21
・二人の青春 片平なぎさ
 詞:東海林良 曲:鈴木邦彦 R:1977/10/20
・夢色ヒコーキ 久保田育子
 詞:久保田育子/吉岡 治<補作> 曲:久保田育子/丹羽応樹<補作> R:1977/09/-
「NHKニューソング」(毎月1~2曲、イメージ映像(または歌手のプロモーション映像)と共に歌謡曲を紹介していくという、「みんなのうた」と同様の放送形式による5分間のミニ番組。77年~78年頃にかけて放送)の中で取り上げられた楽曲の一つ

【司会】 芳村真理・井上 順

(77年10月24日放送(第468回)・同10月31日放送(第469回)の曲目については「曲目リスト(54-4) 77年9~10月④」に記載)

(参考)この頃の主な出来事
・10/13 西独のルフトハンザ航空、ボーイング737-200型機がパレスチナ解放人民戦線(PFLP)メンバー4人により西フランス上空でハイジャックされる事件発生。18日、ソマリアのモカディシオに着陸した直後に西独の対ゲリラ特別部隊28人が同機内に強行突入、犯人全員を射殺の上、人質となっていた乗員・乗客86人を救出(ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件)。
・10/14 「ホワイト・クリスマス」などのヒットで知られる、1930~1950年代の米国ショービジネス界を代表するスター、ビング・クロスビー(Bing Crosby)が逝去。73歳。
・10/15 長崎で赤軍派を名乗る(但し後にこれは虚偽であったことが判明)2人組による身代金目的によるバスジャック事件発生。翌16日、警官が2人組のうち1人を射殺、残る1人の身柄を確保、人質は全員無事に救出される(長崎バスジャック事件)。