伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-2) 1977年11~12月②

2008-07-15 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年12月5日(第474回)>
【メドレー】あずさ2号~コスモス街道 狩人
※発売時期・オリコンチャート最高位等の補足情報については、「あずさ2号」については「曲目リスト(52-3) 77年5~6月③」「コスモス街道」については「同(54-4) 77年9~10月④」内の当該曲目の記述をそれぞれ参照のこと。
【メドレー】帰らざる日々~冬の稲妻 アリス
 ・帰らざる日々 アリス
  詞・曲:谷村新司 R:1976/04/05 HC:15位(76年)
<楽曲について>
①谷村が過酷なライブ活動の末に倒れ入院した際の自身の心情を基に製作された楽曲といわれている。74年、アリスは年間303ステージという驚異的かつ過酷なライブツアーを敢行。その最中の同年夏に催された、ファン同伴によるグアム島ツアーの際に、谷村がコレラに類似した症状を訴えダウン。その後、1ヶ月近く検査・療養のため、隔離病棟での入院生活を強いられた。その際に抱いた心情がこの曲のベースとなったとされる。
②初のオリコン週間チャートベスト20入り作である前作「今はもうだれも」(75年9月リリース)に引き続き好セールスを記録。累計売上31.9万枚、オリコンチャートTOP100圏内に通算45週ランクインするロングヒットとなり、それまで主だったヒットもなく全国的には無名に近い存在であったアリスの存在が徐々に世に浸透していく契機を築いた。1978年には藤田敏八監督・永島敏行主演・にっかつ製作により映画化もされている(アリスは同映画の劇中音楽も担当している)。 
 ・冬の稲妻 アリス
  詞:谷村新司 曲:堀内孝雄 R:1977/10/05 HC:8位 BT:5位
◆年間チャート(78年)16位(50.7万枚)
◆TBS「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)29位
この曲によりアリスはデビュー5年目にして初めてオリコン週間チャートのベストテン圏内にランクイン。アリスを名実共に一線級の人気バンドに押し上げた作品である。当初は売上は低空飛行を続けていたが、このヒットスタジオ出演を境にセールスが好転。78年に入ってから本格的にヒットし(78年最初のオリコン週間チャート(1月9日付)でベスト20圏内に初ランクイン(11位)、同月30日付の同チャートで、発売から実に3ヵ月後で初のベスト10入りを達成。アリスの歴代全シングル曲中、「チャンピオン」(78年12月リリース)に次ぐセールスを記録累計売上:55.4万枚<オリコン調べ>)する大ヒットとなった。
・逆光線 Char
 詞:阿久 悠 曲:Char R:1977/12/10 HC:23位
・木枯しの精 南 沙織
 詞・曲:丸山圭子 R:1977/11/21 HC:63位
てぃーんずぶるーす 原田真二
 詞:松本 隆 曲:原田真二 R:1977/10/25 HC:6位
◆年間チャート(78年)47位(26.4万枚)
<原田真二>
①1958年、広島県出身。75年、高校2年の時にフォーライフレコードの新人オーディションに応募。1/3000という狭き門を潜り抜け入選。77年、青山学院大学入学と同時に上京し、彼のデビューのきっかけとなった上記オーディションの審査に当たっていた吉田拓郎(※当時、拓郎はフォーライフの取締役であった)のプロデュースの下で、同年10月、「てぃーんずぶるーす」でレコードデビュー。続く11月には「キャンディ」、12月には「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングル盤をリリース、何れも20万枚を越える好セールスを記録し、オリコン調査開始以来初の同一アーティストによる3曲同時ベスト20入りという快挙を達成(※78年1月23日付~2月27日付)。上記3作を発表した後に製作・リリースされたデビューアルバム「Feel Happy」も、これもまたオリコンアルバムチャートの創設以来初となる初登場1位を獲得、衝撃のデビューを飾る。元々渡辺プロダクションでキャンディーズのマネージャーを務めていた大里洋吉が同プロから独立して設立した新興の芸能事務所「アミューズ」に籍を置き、大里の全面的なバックアップを受けてその後も音楽活動を展開、「タイム・トラベル」「サウザンツ・ナイト」「OUR SONG」「スウィート・ベイビー」などのシングル作を次々と発表し、同時期にデビューしたChar、世良公則&ツイストと共に「ニューミュージック御三家」の一画を形成、アイドル的人気を獲得する。
②1980年、3年間在籍したアミューズを離れ、独立事務所「クライシス」を設立(自身のアイドル的なアーティストとしての位置付けと理想としていた活動スタンスとの間に矛盾を感じた事が独立の理由であったとされる)。これを境にヒットからは遠ざかる状態に陥ってしまうが、その最中にも83年には「雨のハイウェイ」、86年には「見つめてCarry On」が話題となったほか、吉川晃司・山下久美子らにも楽曲を提供するなど作詞・作曲家としても活躍。近年では、かつて原田のファンクラブにも入会するほどの熱狂的なファンであったという松田聖子からの依頼により、プロデューサーとして彼女の音楽面での活動を全面的にサポート、健在ぶりを発揮している。

<1977年12月12日(第475回)>
・ノクターン 梓みちよ
 詞:喜多条忠 曲:常富喜雄 R:1977/09/05
・夜更けのレストラン 和田アキ子
 詞:山口あかり 曲:平尾昌晃 R:1977/10/25
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(8回)
禁猟区 郷ひろみ
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:1977/12/05 HC:8位 BT:5位

<1977年12月19日(第476回)>
・CRY CRY CRY 太川陽介
 詞:杉山政美 曲:都倉俊一 R:1977/10/25
<太川陽介>
 1959年、京都府出身。76年、17才のときに「陽だまりの中で」で歌手デビュー。翌77年、3作目の「Lui-Lui」が曲中の親指と人指し指でL字を作り、「Lui-Lui」と叫ぶポーズと共に話題となりスマッシュヒット、レコード大賞新人賞などこの年の各音楽賞レースの新人賞を多数受賞。その後は俳優・タレント業を中心とした活動に移行、俳優としてはドラマ「熱中時代」「かくれんぼ」「猿飛佐助」(以上、日本テレビ系)、「熱愛一家・LOVE」(TBS系)、映画「晴れときどき殺人」(角川春樹事務所)などに出演。タレントとしては、79年にNHKの若年層向音楽番組「レッツゴーヤング」の司会に抜擢され、以降番組が終了する86年まで7年間に渡り同番組の顔として活躍、彼の代表的な仕事の一つとなった。90年代後半以降は舞台を中心に活動している。
しあわせ芝居 桜田淳子
 詞・曲:中島みゆき R:1977/11/05 HC:3位 BT:3位
◆年間チャート(78年)44位(29.5万枚)
◆第20回(78年)日本レコード大賞金賞・西条八十賞(作詞者・中島みゆきに対して)受賞曲(西条八十賞についてはこの曲と加藤登紀子への提供作「この空を飛べたら」の2作品に対して受賞)。
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(5回)
桜田はこの曲以降、「追いかけてヨコハマ」「20才になれば」「化粧」と計4作品で中島みゆきからシングルA面曲の提供を受けている。尚、作者の中島自身も79年11月リリースの6枚目のオリジナルアルバム「おかえりなさい」の中で同曲をセルフカバーしている。
風の駅 野口五郎
 詞:喜多条忠 曲:筒美京平 R:1977/10/25 HC:5位 BT:10位
◆第19回(77年)日本レコード大賞 大賞候補ベストテン入り曲
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(6回)
※この曲で翌78年にTBS系でスタートしたランキング形式の音楽番組「ザ・ベストテン」の第1回放送(1月19日放送)で第10位にランクイン。同番組は下位のランキング歌手から順番に出演する形式であったため、野口は同時に「ベストテン」の最初の出演歌手となった
わな キャンディーズ
 詞:島 武実 曲:穂口雄右 R:1977/12/05 HC:3位 BT:2位
◆年間チャート(78年)30位(39.1万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)50位
キャンディーズの全シングルA面曲の中で、ミキ(藤村美樹)がセンター(リードボーカル)を担当したのはこの作品のみである。これは他のメンバー2人から、同曲を製作するに当たって「ミキをセンターに置いた曲を作ってほしい」との要望がなされたことによるものである。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・12/01 「天と地と」「海と風と虹と」「真田幸村」など歴史小説の大家として知られる作家・海音寺潮五郎が死去。76歳。
・12/13 社会党(現・社民党)の定期党大会にて、飛鳥田一雄が新委員長に選出される。
・12/17 国鉄(現・JRグループ)、リニアモーターカーの初の浮上走行試験に成功。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おだいじに (太川陽介さん)
2008-07-16 21:38:27
 松田聖子さんが歌手デビューする前に
出演したドラマ「おだいじに」(「松田聖子」はこのドラマでの役名)で、彼女の恋人役は太川さん
ですよね?
「おだいじに」について (resistnce-k)
2008-07-16 22:10:57
そうみたいですね。ちょっと今調べてみたら、太川陽介の恋人役として「松田聖子」の役名で出ていたみたいです。ちなみのこのときは、演者名としてのクレジットは本名の「蒲池法子」名義であったらしいです。

詳細なこのドラマのデータも、一応補足情報として書き加えておきたいと思います。

正式タイトル:月曜スター劇場「おだいじに」
放送局:日本テレビ系列
放送期間:79年11月5日~80年5月5日
時間:月曜21:00~21:54
出演:池内淳子/太川陽介/出門英/由紀さおり/大和田獏/蒲池法子(松田聖子)/磯野洋子/泉ピン子/村瀬幸子/佐藤英夫/中条静夫/杉村春子

ちなみに主役を務めた池内淳子は1974年から日本テレビと専属出演契約(※但し、「女と味噌汁」など主演シリーズを多く抱えていた「東芝日曜劇場」(TBS系)など一部については例外的に他局ドラマの出演も許されていたらしい)を結び、この月曜21時枠を中心に多くの彼女を主演とするホームドラマが製作されましたが、同ドラマ終了と同時に6年に及ぶ専属出演契約は解消されたということだそうです。

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