伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(56-1) 1978年1~2月①

2008-07-25 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年1月2日(第478回)>
・若き旅人 狩人
 詞:竜真知子 曲:都倉俊一 R:77/12/10 HC:16位 BT:6位
ビートロ恋細工 高田みづえ
 詞:島 武実 曲:宇崎竜童 R:77/10/25 HC:9位
・バン・ババン ビューティ・ペア
 詞:石原信一 曲:あかのたちお R:77/10/15
・津軽じょんがら節 細川たかし
 詞・曲:青森県民謡
※番組内の新春企画の一環として披露。
・相撲甚句~花づくし 新沼謙治
 詞・曲:邦楽(甚句)
※番組内の新春企画の一環として披露。
<楽曲について-相撲甚句>
邦楽の一種で、通常は花相撲(力士の引退相撲興行などを意味する)や地方巡業の場で、力士数人が輪になり一人ずつ「前唄」「後唄」「本唄」「はやし唄」「本唄」「はやし唄」という順番で歌い繋いでゆく力士特有の唄。幕末・明治時代にかけて、花柳界で流行した本調子甚句・二上がり甚句を力士たちが座敷で習得し、地方巡業で披露したのを契機として流行歌として定着。この中から生まれた「名古屋甚句」が現在の相撲甚句の原型を作ったといわれている(但、ルーツについては他にも諸説あり)。
②基本的には七・七・七・五の4節の中で、力士の特徴や巡業先の地方の名所・風景を詞に織り込みながら歌われる事から、詞のバリエーションは数多く存在し、この回に新沼が披露した「花づくし」はその中でも「出世がかみ」等と並び、最も知名度の高い甚句の一つとなっている
・北挽歌 新沼謙治
 詞:石本美由起 曲:市川昭介 R:77/11/01
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回)

<1978年1月9日(第479回)>
・行ったり来たり チェリッシュ 
 詞:阿久 悠 曲:穂口雄右 R:77/11/-
・雨の降る街 小川知子 R:77/12/05
・ロマンチスト 伊東ゆかり
 詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:77/12/01
・愛の條件 八代亜紀
 詞:川内康範 曲:北原じゅん R:78/01/25 HC:21位

<1978年1月16日(第480回)>
・ひとり歩き 小柳ルミ子
 詞:なかにし礼 曲:さかうえけんいち R:78/01/25 HC:29位
・青葉しげれる 渡 真介
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:77/12/-
演歌チャンチャカチャン 平野雅昭 R:77/11/25 HC:3位
◆年間チャート(78年)28位(41.6万枚)
<楽曲について>
「緑の地平線」(楠木繁夫)に始まり、「かえり船」(田端義夫)、「名月赤城山」(東海林太郎)、「東京ラプソディー」「青い背広で」(以上、藤山一郎)、「小樽のひとよ」(東京ロマンチカ)、「くちなしの花」(渡哲也)、「理由(わけ)」(中条きよし)、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)、「せんせい」(森昌子)、「貴方につくします」(八代亜紀)、「なみだの操」(殿さまキングス)、「おゆき」(内藤国雄)、「わたし祈ってます」(ハッピー&ブルー)の計14曲の中のワンフレーズを「チャンチャンチャカチャカ」の合の手を組み入れて歌い繋いでゆくという体裁を採った異色のコミックソング。レコード盤ではあるスナックでのステージでこの曲を披露した際の模様を収録したと思われる音源が使用されている。
②因みにこの上記の「本編」の前後にレコード盤では「前唄」として平野独自のアレンジを加えた「裏町人生」(オリジナル:上原敏)、「締め」としては上記の「本編」の中でもワンフレーズが使用されている殿さまキングス「なみだの操」の歌詞を基本として「せんせい」「わたし祈ってます」「くちなしの花」「あなたにあげる」(西川峰子)、「愛ひとすじ」(八代亜紀)、「あなたに命がけ」(川中美幸)、「恋の奴隷」(奥村チヨ)のフレーズを組み入れた「変態性なみだの操」も同時に収録されており、この回のヒットスタジオの放送では、「演歌チャンチャカチャン」のタイトルの下でこれらの部分についても本編と併せて披露された。
カナダからの手紙 平尾昌晃/畑中葉子
 詞:橋本 淳 曲:平尾昌晃 
 HC:1位(78/02/27・03/06) BT:5位
◆年間チャート(78年)7位(69.9万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)25位
◆第20回(78年)日本レコード大賞企画賞受賞(同曲のほか、「エーゲ海の旅」「サンフランシスコ行き」「ヨーロッパでさよなら」を含む「海外旅情シリーズ4部作」で受賞)
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
作曲家・平尾昌晃と、彼が主催する歌謡教室の卒業生の一人である、当時高校2年生の畑中葉子のデュオによる「海外旅情シリーズ4部作」の第1弾シングル。1960年代後半から作曲家としての活動がメインであった平尾が久々に本格的な歌手活動を再開したことや、22才という年齢差デュオ編成が話題となり、70万枚近いセールスを記録した。

<1978年1月23日(第481回)>
・偽りのバラード 松崎しげる
 詞:たかたかし 曲:馬飼野康二 R:78/01/10
【メドレー】銀河系へ飛んでいけ!~帰らざる日々 梓みちよ
 ・銀河系へ飛んでいけ! 梓みちよ
  詞:喜多条忠 曲:吉田拓郎 R:78/01/21
<楽曲について>
 元々は梓の事務所後輩であるキャンディーズによる5枚組LP「キャンディーズ1676DAYS」(77年12月リリース)の収録曲(キャンディーズ版でのタイトル表記は「銀河系まで飛んで行け!」として製作された作品。楽曲の出来の良さから翌年に入って梓みちよの新曲としてシングル化、後に中原理恵らも同曲をカバーしている。
 ・帰らざる日々 梓みちよ
  詞・曲:谷村新司 (R:76/04/05)
※オリジナルはアリスの76年のヒット曲。一時渡米のため芸能活動を休止することになった梓みちよの送別企画の一環として、当時の新曲である上記「銀河系へ―」と併せてこの曲を披露した。
UFO ピンクレディー
 詞:阿久 悠 曲:都倉俊一 R:77/12/05
 HC:1位(77/12/19-78/02/20) 
 BT:1位(78/01/19-02/02
◆年間チャート(78年)1位(155.3万枚
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)15位
◆第20回(78年)日本レコード大賞受賞曲
◆第7回(78年)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀ヒット賞受賞曲
<楽曲について>
オリコン調べでの売上枚数では約155万枚出荷枚数では約195万枚という驚異的セールスを記録したピンクレディーの3作目のミリオンセラーにして最大のヒット作。楽曲自体の奇抜さや「宇宙人」をイメージした衣装(銀ラメ装飾を全身に施したジャンプスーツスタイル)・振付が子供達の間で話題となり大ヒットに結びついた。
②同曲のヒットを背景として、ピンクレディーはこの年、日清食品の「日清焼そばU.F.O」の3代目のCMキャラクターに抜擢されると同時に、同曲もCMソングとして使用(但、オリジナルと一部歌詞が異なる)された。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・01/10 東京・世田谷のアパートで、当時20才の巡査が女子大生を絞殺する事件発生(現職警官による勤務時間内での殺人事件は同事件が警視庁発足以来では初のケース)。
・01/14 伊豆大島近海でM7.0の地震発生。土砂崩れ・落石等により25人が死亡。
・01/19 TBS系でランキング形式による新音楽番組「ザ・ベストテン」がスタート(初代司会:黒柳徹子・久米宏アナウンサー<当時>)。それまでの音楽番組にはなかった速報性が注目され、のちに1980年代のテレビ界を代表する大人気番組に発展。


歌謡曲黄金時代を支えた名クリエーター達(1-2) 売野雅勇② 曲目リスト編

2008-07-22 | 夜のヒットスタジオ/番組の要素・魅力

(売野雅勇氏の経歴・功績等については「概要・経歴編」を参照のこと)

<夜ヒットを彩った売野雅勇作品>
【1982(昭和57)年】
・07/28 少女A/中森明菜 
 曲:芹沢廣明 HC:5位 AP:82/09/20(第723回)

【1983(昭和58)年】
・02/23 1/2の神話/中森明菜 
 曲:大沢誉志幸 HC:1位 AP:83/03/07(第746回)、ほか
・02/25 微熱かナ/伊藤麻衣子 
 曲:来生たかお HC:43位 AP:83/03/28(第749回)
・04/01 め組のひと/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:1位 ※「麻生麗二」名義 AP:83/05/09(第755回)、ほか
・05/25 過ぎ去れば夢は優しい/野口五郎 
 曲:筒美京平 HC:45位 AP:83/05/23(第757回)  
・06/01 エスカレーション/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:3位 AP:83/06/13(第760回)、ほか
・07/21 夏のクラクション/稲垣潤一 
 曲:筒美京平 HC:25位 AP:83/08/01(第767回)、ほか
・09/07 禁区/中森明菜 
 曲:細野晴臣 HC:1位 AP:83/09/12(第773回)、ほか
・09/14 UNバランス/河合奈保子  
 曲:筒美京平 HC:4位 AP:83/10/17(第778回)、ほか
・10/14 挑発∞(無限大)/シブがき隊 
 曲:井上大輔 HC:2位 AP:83/10/31(第780回)、ほか
・12/01 今夜はフィジカル/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:35位 ※「麻生麗二」名義 AP:83/11/28(第784回)、ほか

【1984(昭和59)年】
・01/15 サムライ・ニッポン/シブがき隊 
 曲:後藤次利 HC:3位 AP:84/01/09(第789回)、ほか
・01/21 涙のリクエスト/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:2位 AP:84/02/20(第795回)、ほか
・02/25 2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-/郷ひろみ 
 曲:井上大輔 HC:7位 AP:84/03/05(第797回)、ほか
・03/21 月下美人(ムーンライト・ハニー)/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:29位 ※「麻生麗二」名義 AP:84/03/19(第799回)、ほか
・03/23 さよならのカレンダー/伊藤麻衣子 
 曲:岩里未央 AP:84/04/30(第805回)
・03/30 喝!/シブがき隊 
 曲:後藤次利 HC:1位 AP:84/04/16(第803回)、ほか
・05/01 哀しくてジェラシー/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:84/06/18(第812回)、ほか
・06/01 サヨナラは八月のララバイ/吉川晃司 
 曲:NOBODY HC:6位 AP:84/06/25(第813回)、ほか
・06/06 ケジメなさい/近藤真彦 
 曲:馬飼野康二 HC:1位 AP:84/07/16(第816回)、ほか
・06/21 ヤクシニー/郷ひろみ 
 曲:井上大輔 HC:21位 AP:84/07/09(第815回)、ほか
・07/01 グラマーGUY/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:77位 ※12inch Single AP:84/07/02(第814回)
・07/05 背中からI Love You/西城秀樹 
 曲:後藤次利 HC:30位 AP:84/08/06(第819回)、ほか
・07/25 十戒(1984)/中森明菜 
 曲:高中正義 HC:1位 AP:84/08/20(第821回)、ほか
・08/23 星屑のステージ/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:84/09/17(第825回)、ほか
・08/28 唇のプライバシー/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:4位 AP:84/09/24(第826回)、ほか
・09/10 ラ・ヴィアンローズ/吉川晃司 
 曲:大沢誉志幸 HC:4位 AP:84/09/10(第824回)、ほか
・10/21 摩天楼ブルース/東京JAP 
 曲:筒美京平 HC:18位 AP:85/03/11(第849回) 
・11/01 ビリーヴ/松本伊代 曲:筒美京平 
 HC:11位 AP:84/11/26(第835回)
・11/05 ヒーロー/麻倉未稀 
 原詩・曲:Jim Steiman/Dean Pichford(訳詞) HC:19位 AP:85/01/28(第843回)
・11/21 ジュリアに傷心(ハートブレイク)/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:84/12/10(第837回)、ほか
・12/05 北駅のソリチュード/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:6位 AP:85/01/07(第840回)、ほか

【1985(昭和60)年】
・02/01 見えない翼/伊藤麻衣子 
 曲:鈴木キサブロー HC:14位 AP:85/02/25(第847回)、ほか
・03/05 ジェラス・トレイン/河合奈保子 
 曲:筒美京平 HC:6位 AP:85/03/18(第850回)、ほか
・03/21 あの娘とスキャンダル/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:85/04/03(第852回)、ほか
・04/01 マドンナはお前だけ/ラッツ&スター 
 曲:井上大輔 HC:57位 ※「麻生麗二」名義 AP:85/04/03(第852回)
・05/21 六本木レイン/研ナオコ 
 曲:吉田拓郎 HC:78位 AP:85/06/05(第861回)
・05/22 夏の愛人/山本達彦 
 曲:山本達彦 AP:85/06/05(第861回)
・06/05 夢絆/近藤真彦 
 曲:鈴木キサブロー HC:2位 AP:85/06/12(第862回)、ほか
・06/12 デビュー -Fly Me To Love-/河合奈保子 
 曲:林哲司 HC:1位 AP:85/06/12(第862回)、ほか
・07/03 風のサザン・カリフォルニア/堀ちえみ 
 曲:高中正義 HC:9位 ※「Wa・ショイ!」両A面 AP:85/08/21(第872回)
・07/05 俺たちのロカビリーナイト/チェッカーズ 
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:85/07/03(第865回)、ほか
・07/17 Sea Loves You -キッスで殺して-/石川秀美
 曲:小田裕一郎 HC:10位 AP:85/07/10(第866回)、ほか
・08/21 クレイジー・パラダイスへようこそ/チェッカーズ
 曲:藤井尚之 ※Album「毎日!チェッカーズ」より AP:86/04/23(第906回)
・09/21 HEART OF RAINBOW -愛の虹を渡って-/チェッカーズ
 曲:芹沢廣明 HC:1位 ※12inch Single AP:85/10/16(第880回)
・09/25 青春の忘れ物/堀ちえみ
 曲:鈴木キサブロー HC:12位 AP:85/09/18(第876回)、ほか
・10/03 ラヴェンダー・リップス/河合奈保子
 曲:林哲司 HC:5位 AP:85/10/02(第878回)、ほか
・10/21 大将/近藤真彦
 曲:鈴木キサブロー HC:6位 AP:85/11/06(第883回)、ほか 
・12/12 THROUGH THE WINDOW -月に降る雪-/河合奈保子
 原詩・曲:Peter Beckett(訳詞) HC:7位 AP:85/12/11(第888回)、ほか 
・12/18 サイレンの少年 -遠くで抱きしめて-/石川秀美
 曲:芹沢廣明 HC:10位 AP:85/12/04(第887回)、ほか
・12/28 暗くなるまで待って/堀ちえみ
 曲:後藤次利 ※Album「夢の続き」より AP:85/12/18(第889回)

【1986(昭和61)年】
・01/21 夢千秒/堀ちえみ
 曲:鈴木キサブロー HC:12位 AP:86/01/22(第893回)、ほか
・01/27 悲しいな/杉浦幸
 曲:岸正之 HC:4位 AP:86/01/29(第864回)
・02/21 OH!! POPSTAR/チェッカーズ
 曲:芹沢廣明 HC:2位 AP:86/02/19(第897回)、ほか
・03/20 密室のTANGO/山本達彦
 曲:山本達彦 AP:86/04/02(第903回) 
・03/26 フラミンゴinパラダイス/荻野目洋子
 曲:NOBODY HC:7位 AP:86/04/16(第905回)、ほか
・04/01 涙のハリウッド/河合奈保子
 曲:林哲司 HC:7位 AP:86/04/23(第906回)、ほか
・04/01 ジャスミンの夢飾り/河合奈保子
 曲:林哲司 ※「涙のハリウッド」B面 AP:86/06/11(第913回) 
・04/21 ジャックナイフの夏/堀ちえみ
 曲:タケカワユキヒデ HC:12位 AP:86/04/23(第906回)
・05/21 想い出のクリフサイド・ホテル/中村雅俊
 曲:鈴木キサブロー HC:29位 AP:86/06/11(第913回)、ほか
・06/05 Song for U.S.A/チェッカーズ
 曲:芹沢廣明 HC:1位 AP:86/07/16(第918回)、ほか
・07/09 SHADOW SUMMER/石川秀美
 曲:林哲司 HC:18位 AP:86/07/09(第917回)、ほか
・07/24 刹那の夏/河合奈保子
 曲:筒美京平 HC:10位 AP:86/07/30(第920回)
・08/07 Super Chance/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:2位 AP:86/08/13(第922回)、ほか
・09/03 Say Yes!/菊池桃子
 曲:林哲司 HC:1位 AP:86/09/03(第925回)、ほか
・09/29 P.S.抱きしめたい/稲垣潤一
 曲:林哲司 ※Album(但しLPではリリースされず)「P.S.抱きしめたい」より AP:86/11/05(第934回)
・10/29 六本木純情派/荻野目洋子
 曲:吉実明宏 HC:3位 AP:86/10/29(第933回)、ほか
・11/06 最後のHoly Night/杉山清貴
 曲:杉山清貴 HC:2位 AP:86/11/19(第936回)、ほか
・11/21 さよならの贈り物/ブレッド&バター
 曲:芹沢廣明 AP:87/02/11(第948回)

【1987(昭和62)年】
・03/03 湾岸太陽族/荻野目洋子
 曲:山崎稔 HC:3位 AP:87/03/18(第953回)、ほか
・03/25 アイドルを探せ/菊池桃子
 曲:林哲司 HC:1位 AP:87/03/04(第951回)、ほか
・04/22 思い出のビーチクラブ/稲垣潤一
 曲:林哲司 HC:30位 AP:87/04/29(第959回)
・05/25 NIGHT OF SUMMER SIDE /池田政典
 曲:NOBODY AP:87/06/24(第967回)
・05/27 水の中のAnswer/杉山清貴
 曲:杉山清貴 HC:1位 AP:86/05/27(第963回)、ほか
・06/01 70年代/中村雅俊
 曲:中崎英也 HC:30位 AP:87/06/17(第966回)、ほか
・06/21 さよならの果実たち/荻野目洋子
 曲:筒美京平 HC:1位 AP:87/07/01(第968回)、ほか
・06/21 Brilliant Summer/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 ※Album「DJ SPECIAL」より AP:87/06/17(第966回)
・07/15 Miss Lonely Eyes/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:2位  AP:87/07/29(第972回)、ほか
・07/29 Nile in Blue/菊池桃子
 曲:林哲司 HC:2位 AP:87/08/19(第975回)、ほか
・10/08 ガラスの草原/菊池桃子 
 曲:林哲司 HC:4位 AP:87/10/07(第982回)、ほか
・10/14 デス・トラップ/石川秀美
 曲:NOBODY HC:48位 AP:87/09/30(第981回)
・10/27 北風のキャロル/荻野目洋子
 曲:筒美京平 HC:2位 AP:87/11/18(第988回)、ほか
・11/18 Stay Girl,Stay Pure/1986オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:5位 AP:87/11/11(第987回)

【1988(昭和63)年】
・01/21 ストレンジャーtonight/荻野目洋子
 曲:NOBODY HC:1位 AP:88/03/09(第1004回)
・03/21 Down Town Mystery/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:8位 AP:88/03/23(第1006回)、ほか
・04/27 スターダスト・ドリーム/荻野目洋子
 曲:井上マサヨシ HC:1位 ※「麻生麗二」名義 AP:88/05/04(第1012回)、ほか
・05/21 京都去りがたし/森進一
 曲:森進一 HC:28位 AP:88/06/22(第1019回)、ほか
・08/10 アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:和泉常寛 HC:3位 AP:88/08/03(第1025回)、ほか
・09/07 淋しさならひとつ/松本伊代
 曲:井上ヨシマサ HC:23位 AP:88/10/26(第1037回)
・11/16 TRASH/柴田恭兵
 曲:太田美智彦 HC:12位 AP:88/11/16(第1040回)

【1989(平成元)年】
・07/05 恋のロックンロール・サーカス/浅香唯
 曲:NOBODY HC:4位 AP:89/07/05(第1072回)
・07/21 どうして好きといってくれないの/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:林哲司 AP:89/07/12(第1073回)
・09/05 花の降る午後/カルロス・トシキ&オメガトライブ
 曲:林哲司 AP:89/08/30(第1080回)



歌謡曲黄金時代を支えた名クリエーター達(1-1) 売野雅勇① 概要・経歴編

2008-07-22 | 夜のヒットスタジオ/作家別・曲目リスト
今回の更新より、新シリーズ「歌謡曲黄金時代を支えた名クリエーター達」をスタートいたします。

このシリーズではヒットスタジオが放送された60年代後半~80年代にかけて、数多くのヒット曲を世に輩出してきた、「昭和歌謡の巨人」ともいうべき作詞 家・作曲家(場合によっては編曲家も)たちに焦点を当てて、その経歴と共にヒットスタジオの中で紹介された彼らの作詞及び作曲作品をリスト形式で紹介して いきます(※昨年、阿久悠さん逝去の際に追悼企画として行った曲目リストを下敷きとしています。阿久さんの作品リストについては、また同カテゴリーに組み 替えの上、追々再編集をしたいと考えております)。

1回目の今回は、チェッカーズの初期シングル群など、80年代に多くのヒット作を生み出した作詞家・売野雅勇氏にスポットライトを当てたいと思います。
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売野氏は、1951年、栃木県の出身。大学卒業後、萬年社(99年に倒産)→東急エージェンシーインターナショナル(現・フロンテッジ)でコピーライター として在籍。そして81年、30歳の時に、シャネルズの2枚目のアルバム「Heart&Soul」の中の収録曲の一つである「星くずのダンスホー ル」で作詞家デビューを果たしました。

その後は、上記のシャネルズのほか、河合奈保子、稲垣潤一、荻野目洋子らの楽曲を中心にヒット作を連発。康珍化氏や秋元康氏らと並ぶ、1980年代の歌謡界を代表する作詞家の一人としてその名を歌謡史に深く刻み込みました。

その作詞家としての彼のキャリアのなかで特筆すべき点といえば・・・・

①作曲家・芹沢廣明とのコンビにより大半の初期チェッカーズシングル作品で作詞を担当(84~86年)
まず1点目は、御存知のように、チェッカーズの初期シングル作、及びアルバムの収録曲の多くで作詞を担当し、作曲の芹沢廣明氏、彼らの総合プロデュースを 務めていた秋山道雄氏との共同作業によって、アイドルバンドから、後に実力十分のミュージシャンへと成長してゆく彼らの存在を通じて、新たな男性アイドル像・ アーティスト像のモデルを世に提案したという点が挙げられます。

83年10月リリースのデビューシングル「ギザギザハートの子守唄」から、86年6月リリースの「Song for U.S.A」までの計11作のシングルA面曲のうち、2thシングルにして出世作ともいえる「涙のリクエスト」を皮切りに実に9作品(「ギザギザ―」及び85年11月リリースの「神 様ヘルプ!」の2作は康珍化氏が詞を担当)に渡って売野氏は作詞を担当
初期のどこかしらに1950年代・60年代前半に隆盛をきわめたオールディーズ音楽のテイストを盛り込んでいるようにも聞こえる独特の音楽性により、大衆 の支持を早くより獲得することに成功し、他方、ジャニーズタレントが男性アイドルの基本形となりつつあったこの時代において、同時期デビューの吉川晃司とともに、「ロック」というジャンルの中から「第2の男性アイドル像」というものを確立させ、そして彼らに一定の実力を備わった 時点で、次は、そのアイドル路線をあえて早々から脱却させる方向へとプロデュース方針を転換し、その後の息の長い「アーティスト」としての人気につながる 下地を築いた、という点は、アーティストの売り出し方、或いは活動スタイルの広範化という面で非常に重要な意味を持つであったと言えると私は思います。

②「オメカトライブ・プロジェクト」への参加(86~89年頃)
そしてもう1点は、1986オメカトライブ時代の「オメカトライブ・プロジェクト」に参加したという点も注目されるところであろうかと思います。

ここにいう「オメカトライブプロジェクト」というのは、GSバンド「アウト・キャスト」の元メンバーで「トライアングル・プロダクション」の社長であった 藤田浩一氏の総合プロデュースの下で、林哲司、和泉常寛ら複数の人気作詞・作曲・編曲家を擁して、日本版AOR(Audio-Oriented Rock=大人向けロック)の定着を目標として立ち上げられたもので、「オメカトライブ」というネーミングはバンド名としてだけでなく、同バンドの活動を 含めた同プロジェクト全体をを意味する名称としても使用されていました。

売野氏は86年、新ボーカルとしてカルロス・トシキを迎え「1986オメガトライブ」として再スタートを切って間もなくの頃から同プロジェクトに本格的に参加新体制発足後2作目のシングル「Super Chance」で初の作詞を担当しました。
丁度この時期に前後それとほぼ時を前後して、チェッカーズが売野・芹沢コンビ主導の体制からメンバー各人による自主創作スタイルへと楽曲製作の方針を転換 したことも重なり(86年10月リリースの12thシングル「NANA」以降のシングル作品は全てメンバー各人が交替で楽曲プロデュースを担当)、以後、 この「オメカトライブ・プロジェクト」を作詞家としての主な活動の拠点としていきました。

この後、89年の「花の降る午後」まで約3年近くにわたり多くのオメカトライブのアルバム・シングル曲で作詞を担当。初期のチェッカーズの作風とはガラリとかわった、都会的センスの溢れた歌詞を提供し、作詞家としての幅の広さを世間に知らしめる事となります。
また、このプロジェクトに参加したことに付随して、この時期には他のトライアングルプロ所属のアーティスト(初代オメカトライブのメインボーカルである杉 山清貴や菊池桃子)へも楽曲を提供、87年には菊池桃子への提供作品「ガラスの草原」により、同年のFNS歌謡祭・音楽大賞で作詞賞を受賞しています。

このチェッカーズのプロデュース、そしてオメガトライブプロジェクトへの参加という二つの大仕事で得た経験・実績を活かし、90年に入ってから「シンデレ ラ・エクスプレス」で映画監督・脚本に初挑戦して以降、売野氏は舞台演出・劇作などの世界にも進出。作詞家としてもポップス・ロック系アーティストだけで なく、森進一(「京都去りがたし」など)ら演歌勢にも作品を提供するようになるなど、より幅の広い表現活動を展開し、クリエーターとしての地位を揺ぎ無い ものとしました。

それでは、次に、後期のヒットスタジオを彩ってきた売野氏の作品の数々を以下、曲目リストで紹介致しましょう。

(以後、「曲目リスト編」に続く)


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-3) 1977年11~12月③

2008-07-17 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年12月26日(第477回)>
■中島みゆき、テレビ生放送音楽番組初出演。
・追想 ヒデとロザンナ
 詞:松任谷由実 曲:出門 英 R:1977/09/25 HC:18位
・恋人たちの100の偽り 太田裕美
 詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:1977/12/21 HC:27位
ブーツをぬいで朝食を 西城秀樹
 詞:阿久 悠 曲:大野克夫 R:1978/01/01 
 HC:7位 BT:1位(78/02/09-02/16)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)32位
◆第7回(78年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデンカナリー賞受賞曲
曲の冒頭の部分でライターに火をつけるアクションを披露し話題を呼んだが、翌78年に入って早々これを小学生が真似たことが原因で火災事故が発生。この事故が発生した直後に放送された「ザ・ベストテン」(TBS系)出演時に、西城自ら、方々への影響を考慮して同アクションの封印を宣言すると共に、注意喚起を促すコメントを発表した。
【メドレー】アザミ嬢のララバイ~わかれうた 中島みゆき
 ・アザミ嬢のララバイ 中島みゆき
  詞・曲:中島みゆき R:1975/09/25 HC:38位(75年)
中島みゆきのデビューシングル。当初は全国でのプロモーション活動に中島本人も帯同する予定としていたが、この曲の発売前後の時期に実父が病気のため療養生活にはいったことから、満足のゆく宣伝活動ができなかったという。
 ・わかれうた 中島みゆき
  詞・曲:中島みゆき R:1977/09/10 
  HC:1位(77/12/12) BT:4位
中島みゆきにとり、初のオリコンチャート1位獲得シングル曲。以後、中島は1980年代(「悪女」)・1990年代(「空と君のあいだに」「旅人のうた」)・2000年代(「地上の星」)と4つの年代にでそれぞれオリコン1位を獲得するという偉業を達成する(この「4つの年代に渡っての1位獲得」という記録を持っているのは現時点では彼女一人のみである)。また、77年8月第2週~78年2月第3週までの半年間、ピンクレディーが「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」の計3曲でオリコンチャートで1位の座を独占したが、その間隙を潜り抜ける形で唯一、1位の座を奪還したのがこの作品であった。
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<中島みゆき>
①1952年、北海道・札幌市出身。高校3年の時、文学祭で自身のオリジナル作「鶫(つぐみ)の唄」を披露したのをきっかけにアマチュアミュージシャンとしての活動を開始。大学進学後は、地元ラジオ局でスタッフのアルバイトをする一方、他の大学のフォークソング研究会メンバーとの交流を広め、各種の音楽コンテストにも出場し軒並み入選、「コンテスト荒らし」との異名をとる。72年、「バイト代わり」(本人談)で出場したフォーク音楽祭の道内予選で優勝、北海道代表として全国大会に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞を果たす。大学卒業後も、親交のあった地元のジャズ喫茶のマスター・渡辺晃氏が主宰する「自由集団」の企画・構成によるライブに数多く参加する一方、100曲以上にも上るオリジナル作品を創作するなど、更に音楽活動を活発化。アマチュアミュージシャンながら既にこの時期には道内の音楽ファンの多くにその名前が知れ渡る存在となっていた。
75年、ヤマハ音楽振興会主催によるアマチュア歌手の登竜門「第9回ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に出場し、「傷づいた翼」で入賞。この入賞を契機にキャニオン・レコードと契約、同年9月にシングル「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビューを果たす。続く11月には、同じくヤマハ主催による「第6回世界歌謡祭」にも出場。当初はポプコン入賞曲である「傷づいた翼」での出場を予定していたが、急遽曲目を「時代」に変更、この曲で見事グランプリを受賞。「時代」はその後、12月に「世界歌謡祭グランププリ受賞曲」という触れ込みのもとにレコード化され、オリコン週間チャート最高14位累計売上16.4万枚(オリコン調べ)のスマッシュヒットとなった。
76年には、初のアルバム「私の声が聞こえますか」を発表。また同時に他の歌手への楽曲提供を開始し、研ナオコには「あばよ」「かもめはかもめ」、先輩シンガーソングライターである加藤登紀子には「この空を飛べたら」桜田淳子には「しあわせ芝居」「二十才なれば」など多数の作品を輩出、何れも好セールスを記録し、作詞・作曲家としても一躍注目を浴びる。オリジナル作品でも77年発表の「わかれうた」が翌78年にかけて累計76.9万枚(オリコン調べ)を売り上げ、自身初のオリコンチャート1位を獲得。同世代でテレビ出演よりも創作活動・コンサート活動に重点を置きながら音楽活動を展開していた松任谷由実と共に、以後の日本の女流ミュージシャンの一つの流れを築く存在へと成長してゆく。他方、この時期よりラジオ番組でのパーソナリティー業にも進出。79年からはニッポン放送の人気深夜番組「オールナイトニッポン」の月曜担当パーソナリティーに抜擢され、暗く思い曲調の多い彼女から想像がつかない、明朗・軽妙なトーク・番組進行が話題となり、以後、87年まで8年に及ぶ長寿番組となった。
82年、「悪女」で自身2度目のオリコン1位を獲得して以降、「誘惑」「横恋慕」「あの娘」「ひとり」と自身のオリジナルシングルが次々と同チャートのベストテン入りを果たすヒットを連発。柏原芳恵の「春なのに」、元ピンクレディー・増田けい子(現・恵子)のソロ第1弾シングル「すずめ」など、引き続き他の歌手にもヒット曲を提供し続け、彼女の人気は絶頂に達する。しかし、その後、曲作りの面でスランプに陥り、甲斐よしひろら外部の人気ミュージシャンを自身のオリジナルアルバムの製作プロデューサーに起用するなど、それまでの作風からの大幅なイメージチェンジを模索し続ける時代(本人いわく「御乱心の時代」)が数年続き、その影響もあってかアルバム・シングル売上も徐々に下落傾向を辿るようになった。
88年、通算16枚目のオリジナルアルバム「グッバイガール」のプロデューサーとして長渕剛、チャゲ&飛鳥(CHAGE&ASKA)ら、多くのミュージシャンの楽曲でアレンジャー・作曲を手掛けてきた実力派の瀬尾一三を起用。楽曲製作の段階でそれぞれが目指す音楽スタンスなどの点から瀬尾と意気投合し、彼との出会いがそれまでのスランプ状態を打破する一助となってゆく。89年には、後に彼女のライフワークとなる「夜会」コンサートを瀬尾の総合プロデュースの下でスタートさせ、「コンサートと演劇の融合」という斬新な興行スタイルを提案。そして、92年にはドラマ「親愛なる者へ」(フジテレビ系)の主題歌として使用された「浅い眠り」がデビュー17年目、通算26枚目のシングルにして初のミリオンセラーを達成累計売上:105.7万枚<オリコン調べ>)し、スランプ状態から完全に脱却。その後も94年には「空と君のあいだに」、続く95年には「旅人のうた」(何れも日本テレビ系ドラマ「家なき子」主題歌)がミリオンヒット(「空と君のあいだに」は累計売上146.6万枚<オリコン調べ>という、自身の全シングル作品中最高の売上を記録)。これらの作品はドラマ主題歌として採用されたこともあり、ドラマの主な視聴者層である若年層の間にも彼女の独特の音楽センスが広く浸透、更なるファン層の拡大へと繋がってゆく。
⑥2000年、新レーベル「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」の創設に参加することとなり、デビューから25年間在籍してきたポニーキャニオンから同レーベルへと移籍。移籍後初のシングル作品である「地上の星/ヘッドライト・テールライト」はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」のテーマ曲に採用され、番組の人気上昇と比例するように主な視聴者層である中高年のサラリーマン世代から絶大な支持を獲得。最終的には自身4度目のミリオンセラー累計売上:111.6万枚<オリコン調べ>)を達成すると共に、オリコン週間チャートTOP100圏内連続チャートイン記録で杉良太郎の「すきま風」が持っていた連続147週の記録を大幅に塗り替える、連続174週ランクインという大金字塔を樹立。「地上の星」が本格的にヒットした2002年には、これまで幾度も出演依頼を受けながらも辞退を申し出てきた年末のNHK紅白歌合戦にも、NHKの番組からヒットの口火が切られたという恩義から出演を了承。黒部ダムからの生中継で同曲を熱唱した(因みにテレビの生放送音楽番組への出演はこのヒットスタジオへの唯一の出演以来、25年ぶりのことであった)。
⑦他方、ライフワークとなっていた年末恒例の「夜会」は98年を最後に一旦休止されたものの、2000年から不定期上演スタイルに転換して再開(以後、02年、04年、06年と1年おきに上演)。また人気アイドルバンドTOKIOに「宙船」「本日、未熟者」を提供するなど、70年代以降の日本のミュージックシーンに多大な影響を及ぼした大御所の一人として現在も第一線で活動を展開している。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・12/25 「黄金狂時代」「独裁者」「モダン・タイムス」「ライムライト」などの名作喜劇で知られるイギリスの”喜劇王”、チャールズ・チャップリン死去。88歳。
・12/31 同年度の日本レコード大賞に沢田研二「勝手にしやがれ」。最優秀歌唱賞は八代亜紀「愛の終着駅」(2年連続受賞)、最優秀新人賞は清水健太郎「失恋レストラン」。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-2) 1977年11~12月②

2008-07-15 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年12月5日(第474回)>
【メドレー】あずさ2号~コスモス街道 狩人
※発売時期・オリコンチャート最高位等の補足情報については、「あずさ2号」については「曲目リスト(52-3) 77年5~6月③」「コスモス街道」については「同(54-4) 77年9~10月④」内の当該曲目の記述をそれぞれ参照のこと。
【メドレー】帰らざる日々~冬の稲妻 アリス
 ・帰らざる日々 アリス
  詞・曲:谷村新司 R:1976/04/05 HC:15位(76年)
<楽曲について>
①谷村が過酷なライブ活動の末に倒れ入院した際の自身の心情を基に製作された楽曲といわれている。74年、アリスは年間303ステージという驚異的かつ過酷なライブツアーを敢行。その最中の同年夏に催された、ファン同伴によるグアム島ツアーの際に、谷村がコレラに類似した症状を訴えダウン。その後、1ヶ月近く検査・療養のため、隔離病棟での入院生活を強いられた。その際に抱いた心情がこの曲のベースとなったとされる。
②初のオリコン週間チャートベスト20入り作である前作「今はもうだれも」(75年9月リリース)に引き続き好セールスを記録。累計売上31.9万枚、オリコンチャートTOP100圏内に通算45週ランクインするロングヒットとなり、それまで主だったヒットもなく全国的には無名に近い存在であったアリスの存在が徐々に世に浸透していく契機を築いた。1978年には藤田敏八監督・永島敏行主演・にっかつ製作により映画化もされている(アリスは同映画の劇中音楽も担当している)。 
 ・冬の稲妻 アリス
  詞:谷村新司 曲:堀内孝雄 R:1977/10/05 HC:8位 BT:5位
◆年間チャート(78年)16位(50.7万枚)
◆TBS「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)29位
この曲によりアリスはデビュー5年目にして初めてオリコン週間チャートのベストテン圏内にランクイン。アリスを名実共に一線級の人気バンドに押し上げた作品である。当初は売上は低空飛行を続けていたが、このヒットスタジオ出演を境にセールスが好転。78年に入ってから本格的にヒットし(78年最初のオリコン週間チャート(1月9日付)でベスト20圏内に初ランクイン(11位)、同月30日付の同チャートで、発売から実に3ヵ月後で初のベスト10入りを達成。アリスの歴代全シングル曲中、「チャンピオン」(78年12月リリース)に次ぐセールスを記録累計売上:55.4万枚<オリコン調べ>)する大ヒットとなった。
・逆光線 Char
 詞:阿久 悠 曲:Char R:1977/12/10 HC:23位
・木枯しの精 南 沙織
 詞・曲:丸山圭子 R:1977/11/21 HC:63位
てぃーんずぶるーす 原田真二
 詞:松本 隆 曲:原田真二 R:1977/10/25 HC:6位
◆年間チャート(78年)47位(26.4万枚)
<原田真二>
①1958年、広島県出身。75年、高校2年の時にフォーライフレコードの新人オーディションに応募。1/3000という狭き門を潜り抜け入選。77年、青山学院大学入学と同時に上京し、彼のデビューのきっかけとなった上記オーディションの審査に当たっていた吉田拓郎(※当時、拓郎はフォーライフの取締役であった)のプロデュースの下で、同年10月、「てぃーんずぶるーす」でレコードデビュー。続く11月には「キャンディ」、12月には「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングル盤をリリース、何れも20万枚を越える好セールスを記録し、オリコン調査開始以来初の同一アーティストによる3曲同時ベスト20入りという快挙を達成(※78年1月23日付~2月27日付)。上記3作を発表した後に製作・リリースされたデビューアルバム「Feel Happy」も、これもまたオリコンアルバムチャートの創設以来初となる初登場1位を獲得、衝撃のデビューを飾る。元々渡辺プロダクションでキャンディーズのマネージャーを務めていた大里洋吉が同プロから独立して設立した新興の芸能事務所「アミューズ」に籍を置き、大里の全面的なバックアップを受けてその後も音楽活動を展開、「タイム・トラベル」「サウザンツ・ナイト」「OUR SONG」「スウィート・ベイビー」などのシングル作を次々と発表し、同時期にデビューしたChar、世良公則&ツイストと共に「ニューミュージック御三家」の一画を形成、アイドル的人気を獲得する。
②1980年、3年間在籍したアミューズを離れ、独立事務所「クライシス」を設立(自身のアイドル的なアーティストとしての位置付けと理想としていた活動スタンスとの間に矛盾を感じた事が独立の理由であったとされる)。これを境にヒットからは遠ざかる状態に陥ってしまうが、その最中にも83年には「雨のハイウェイ」、86年には「見つめてCarry On」が話題となったほか、吉川晃司・山下久美子らにも楽曲を提供するなど作詞・作曲家としても活躍。近年では、かつて原田のファンクラブにも入会するほどの熱狂的なファンであったという松田聖子からの依頼により、プロデューサーとして彼女の音楽面での活動を全面的にサポート、健在ぶりを発揮している。

<1977年12月12日(第475回)>
・ノクターン 梓みちよ
 詞:喜多条忠 曲:常富喜雄 R:1977/09/05
・夜更けのレストラン 和田アキ子
 詞:山口あかり 曲:平尾昌晃 R:1977/10/25
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(8回)
禁猟区 郷ひろみ
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:1977/12/05 HC:8位 BT:5位

<1977年12月19日(第476回)>
・CRY CRY CRY 太川陽介
 詞:杉山政美 曲:都倉俊一 R:1977/10/25
<太川陽介>
 1959年、京都府出身。76年、17才のときに「陽だまりの中で」で歌手デビュー。翌77年、3作目の「Lui-Lui」が曲中の親指と人指し指でL字を作り、「Lui-Lui」と叫ぶポーズと共に話題となりスマッシュヒット、レコード大賞新人賞などこの年の各音楽賞レースの新人賞を多数受賞。その後は俳優・タレント業を中心とした活動に移行、俳優としてはドラマ「熱中時代」「かくれんぼ」「猿飛佐助」(以上、日本テレビ系)、「熱愛一家・LOVE」(TBS系)、映画「晴れときどき殺人」(角川春樹事務所)などに出演。タレントとしては、79年にNHKの若年層向音楽番組「レッツゴーヤング」の司会に抜擢され、以降番組が終了する86年まで7年間に渡り同番組の顔として活躍、彼の代表的な仕事の一つとなった。90年代後半以降は舞台を中心に活動している。
しあわせ芝居 桜田淳子
 詞・曲:中島みゆき R:1977/11/05 HC:3位 BT:3位
◆年間チャート(78年)44位(29.5万枚)
◆第20回(78年)日本レコード大賞金賞・西条八十賞(作詞者・中島みゆきに対して)受賞曲(西条八十賞についてはこの曲と加藤登紀子への提供作「この空を飛べたら」の2作品に対して受賞)。
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(5回)
桜田はこの曲以降、「追いかけてヨコハマ」「20才になれば」「化粧」と計4作品で中島みゆきからシングルA面曲の提供を受けている。尚、作者の中島自身も79年11月リリースの6枚目のオリジナルアルバム「おかえりなさい」の中で同曲をセルフカバーしている。
風の駅 野口五郎
 詞:喜多条忠 曲:筒美京平 R:1977/10/25 HC:5位 BT:10位
◆第19回(77年)日本レコード大賞 大賞候補ベストテン入り曲
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(6回)
※この曲で翌78年にTBS系でスタートしたランキング形式の音楽番組「ザ・ベストテン」の第1回放送(1月19日放送)で第10位にランクイン。同番組は下位のランキング歌手から順番に出演する形式であったため、野口は同時に「ベストテン」の最初の出演歌手となった
わな キャンディーズ
 詞:島 武実 曲:穂口雄右 R:1977/12/05 HC:3位 BT:2位
◆年間チャート(78年)30位(39.1万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)50位
キャンディーズの全シングルA面曲の中で、ミキ(藤村美樹)がセンター(リードボーカル)を担当したのはこの作品のみである。これは他のメンバー2人から、同曲を製作するに当たって「ミキをセンターに置いた曲を作ってほしい」との要望がなされたことによるものである。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・12/01 「天と地と」「海と風と虹と」「真田幸村」など歴史小説の大家として知られる作家・海音寺潮五郎が死去。76歳。
・12/13 社会党(現・社民党)の定期党大会にて、飛鳥田一雄が新委員長に選出される。
・12/17 国鉄(現・JRグループ)、リニアモーターカーの初の浮上走行試験に成功。