伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(55-1) 1977年11~12月①

2008-07-13 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1977年11月7日(第470回)>
■放送開始10周年突入記念企画・第2弾として総集編を放送。

<1977年11月14日(第471回)>
・I'm Agnes(アイム・アグネス) アグネス・ラム
 詞・曲:布施 明 R:1977/07/10
「雨あがりのダウンタウン」B面。アグネスと同じ事務所(渡辺プロダクション)に所属しているという縁から、自身のオリジナル作を中心に創作活動も展開していた布施明が同曲の製作を担当することになった(因みにA面曲「雨あがりのダウンタウン」の作曲者・”弾厚作”こと加山雄三も当時、歌手活動のマネージメントについてはナベプロに委託していた)。
・しあわせ岬 都はるみ
 詞:たかたかし 曲:岩久 茂 R:1977/10/01
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(13回)
秋桜(コスモス) 山口百恵
 詞・曲:さだまさし R:1977/10/01 HC:3位
◆年間チャート(77年)35位(31.9万枚)
◆第19回(77年)日本レコード大賞歌唱賞・西条八十賞(作詞者・さだまさしに対して)受賞曲(※西条八十賞については、同曲を含め、77年度のレコード大賞選考対象期間内に発表されたさだの全作詞担当作品に対して受賞)
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
◆第6回(77年)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀歌謡音楽賞受賞曲
◆第3回(77年)全日本歌謡音楽祭女性視聴者賞受賞曲
<楽曲について>
①この年、「雨やどり」のヒットにより、ソロでの音楽活動も軌道に乗り始めたさだまさしが詞・曲を担当。さだは、それまで「横須賀ストーリー」や「イミティション・ゴールド」など一連の宇崎竜童・阿木燿子夫妻コンビによる楽曲のヒットにより山口百恵に付いていた「突っ張った女性」のイメージをあえて排して、実際の彼女が純日本的な心を持った女性であるという想定の下で、いつの日か訪れるであろう実妹(佐田玲子)の嫁ぐときのイメージを加味して同曲の詞・メロディーを書き上げたという。
②さだは同曲のレコーディング終了後、百恵に直接電話をかけ、同曲の内容につき「ピンとこなかったでしょう?」と聞いたところ、彼女は率直に「そうなんです」と答えた。その際、さだは付け加えて、「いつの時か、それ(曲の内容=嫁ぐ日の心情)がわかる日が来ると良いよね」と述べ、その後もこの言葉が常に百恵の印象の中に強く刻み込まれていたという。その後、彼女が結婚・引退を表明し、そのラストコンサート(80年10月5日)のステージに立つ直前に、コンサートツアーのため大阪にいたさだに対して百恵は、上記のさだから言われた言葉に対する返答として「この歌の意味がようやくわかるときがやってきました。ありがとうございました」とのメッセージを送ったと伝えられている。
③当初の企画段階では「小春日和」というタイトルがつけられていたが、当時、百恵を担当してたCBSソニーの酒井政利プロデューサーの提案によって「秋桜(コスモス)」というタイトルに変更された。同曲のヒットをきっかけとして「秋桜」という語の読みとして「コスモス」が定着化した。

<1977年11月21日(第472回)>
・春の岬 森 昌子
 詞:杉 紀彦 曲:市川昭介 R:1977/12/01 HC:37位
・ふたりの砂時計 丸山圭子
 詞・曲:丸山圭子 R:1977/11/05
・ボタンを外せ 西城秀樹
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:1977/09/05 HC:12位
◆第19回(77年)日本レコード大賞 大賞候補ベストテン入り曲
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(4回)
※オリコン週間チャートではべスト10入りを逃し(累計売上:14.0万枚<オリコン調べ>)、5作目「情熱の嵐」(73年5月リリース)以来、17作続いたベストテン連続チャートイン記録はここで一旦途切れた
・港・坂道・異人館 いしだあゆみ
 詞:喜多条忠 曲:大野克夫 R:1977/11/01 
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(9回)
<楽曲について> 
①この曲の主な舞台となっているのは、明治初期の神戸開港により外国人の来客が急増したことに伴い、彼ら専用の住宅地として開発された「北野町異人館街」とその付近一帯である。具体的には「港」とは「神戸港」「坂道」とは「北野坂」を意味し、北野坂が通っているその付近に「異人館」と称される洋風建造物が多数点在している(戦前は最も多いときで200以上の異人館が点在していたが、第二次大戦時の空襲や、阪神大震災の影響で現在は約60棟まで減少している)ところからこのような曲名が付けられた。
②同曲を歌唱したいしだあゆみは、この年、後に(内縁の)夫婦となる萩原健一との共演によるテレビドラマ「祭ばやしが聞こえる」(日本テレビ系)や東宝映画「青春の門・自立編」などの話題作に次々と出演し、女優業を本格再開。その影響から翌78年の紅白では選に漏れ、69年・第20回紅白に初出場して以来続いていた連続出場記録は同曲を披露した77年・第28回紅白、9回目の出場でストップした。

<1977年11月28日(第473回)>
・終着駅は始発駅 北島三郎
 詞:佐東さとる/星野哲郎<補作> 曲:中山千里 R:1977/09/-
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(15回)
・愛の終着駅 八代亜紀
 詞:池田充男 曲:野崎真一 R:1977/09/25 HC:13位
◆第19回(77年)日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽賞・放送プロデューサー連盟特別賞受賞曲
◆第10回(77年)日本有線大賞有線ヒット賞受賞曲
◆第10回(77年)全日本有線放送大賞優秀スター賞受賞曲
◆第43回(92年)NHK紅白歌合戦出場曲(19回)
・セイタカアワダチ草 十朱幸代
 詞:吉岡 治 曲:岸本健介 R:1977/09/05
※「夢色ヒコーキ」(久保田育子)同様、当時平日夕方の時間帯で放送されていた ミニ番組「NHKニューソング」の中で取り上げられた楽曲の一つ。
・北の子守唄 十朱幸代
 詞:吉岡 治 曲:岸本健介 R:1977/10/-【Album】
アルバム「風の盆」収録曲
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<十朱幸代>
①1942年、東京都出身。父親で名脇役として知られた俳優・十朱久雄の影響で、1958年、16才のときにNHKドラマ「バス通り裏」にレギュラー出演し女優デビュー。翌59年、松竹と契約し、木下恵介監督作品「惜春鳥」でスクリーンデビューを果たす。以後も映画「光る海」「伊豆の踊子」「陽の当たる坂道」(以上、日活)、ドラマ「おねえさんといっしょ」(NHK)や「東芝日曜劇場」などの一時間単発枠ドラマを中心に、主に主人公の娘役・恋人役など主に二番手・三番手の位置で多数の映画・ドラマへの出演を重ね、次第に主役級女優へのステップアップが図られてゆく。売り出し中の頃から歌手・俳優の小坂一也と同棲関係にあり、74年に約15年もの長い交際期間を経て結婚するも、わずか数ヶ月で離婚。
②離婚後は主にテレビドラマでの主演を中心に活動していたが、1980年、松竹映画「震える舌」で久々に主演としてスクリーンに登場。迫真の演技で同年度の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、映画界でも主役級女優としての人気を決定的なものとする。その後も映画「魚影の群れ」「花いちもんめ」「極道の妻たちⅡ」「桜の樹の下で」(以上、東映)などの大作に次々と主演。他方、テレビドラマの世界でも土曜ワイド劇場「女検事・朝霧里矢子」シリーズ(テレビ朝日系)などに出演、同年代の三田佳子・岩下志麻らと並ぶ大女優として、高い演技力と貫禄を存分に視聴者や観衆に印象付けた。近年は主な活動のフィールドを舞台の世界に移して女優業を展開している。
③歌手としては、「セイタカアワダチ草」のほかに、「ビローフレンド」(81年)、「Shadow Blanca」(82年)など、主に80年代中盤にかけて数枚のシングル・アルバムを発表。ヒットスタジオにも歌手としてもこの初出演回のほか、82年10月11日放送、83年12月19日放送、84年5月21日放送の計4回登場している。


【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・11/11 韓国・裡里(イリ)駅でダイナマイトが爆発、1,300人もの死傷者が出る大惨事に。
・11/15 新潟市の海岸で当時13歳の地元の中学生、横田めぐみさんが何者かによって誘拐され行方不明に(後に北朝鮮工作員による拉致であることが判明)。
・11/17 大阪・吹田に完成した国立民族学博物館の一般公開が開始される。
・11/17 同年度の日本歌謡大賞に沢田研二「勝手にしやがれ」。
・11/25 ハイジャック防止法成立。
・11/28 福田改造内閣発足。
・11/30 アメリカ軍の立川基地が約32年ぶりに日本に全面返還される。



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2 コメント

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十朱幸代さん ()
2008-07-14 08:48:36
 彼女のデビュー曲は「いたずら恋の風」
(昭和36年 コロムビア)で、元夫の小坂一也さんの
「青春の並木道」とカップリングでした。
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十朱さんは意外にも「遅咲き」でしたよね。 (resistnce-k)
2008-07-14 09:17:39
その曲、作詞・作曲は因みにハマクラ(浜口庫之助)さんみたいですね。

その後、暫くの間、歌手活動はなさっておられなかったようで、このヒットスタジオ初出演で披露したシングル「セイタカアワダチ草」とアルバム「風の盆」が久々の歌手としてのレコード盤であったようです。

小坂一也との「長すぎた春」はある年代より上の人にとっては有名な話ですよね。ただ、交際(同棲?)期間があまりに長すぎてしまい、結婚当時は既に、いわゆる「倦怠期」に入っていたようで、そのためにスピード離婚という結末を迎えることになったみたいですが。

この離婚をきっかけに、十朱さんは女優として更なるキャリアアップを図るようになりましたね。離婚直後には「男はつらいよ」のマドンナ役に抜擢されたのを皮切りに、78年には長寿シリーズになった「朝吹里矢子」シリーズが始まり、80年代にはいると、主に東映映画を中心に大作に次々と主演。彼女の女優としての代表作の大半はほぼ1980年代に集中してますからね。

すでに知名度・人気は当然のことながら1960年代から抜群だったわけですが、「主役女優」として、映画・ドラマ制作者からもその実力が本当に認められるようになったのは、30代~40代にさしかかる辺りからで、そういう意味では三田佳子と同様に、「遅咲き」の女優だったという感じがします。

近年、彼女は舞台を中心に活動をしていますが、浅丘ルリ子同様、もっとテレビ・映画で重鎮ぶりを発揮してほしいと思う一人でもありますね。
彼女もそうですが、この世代の大女優は、日本映画黄金期~斜陽期を体現したということもあってか、「貫禄」「存在感」「説得力」というのが圧倒的なものがあり、彼女達の存在によって、どれだけ不甲斐ない内容の作品であっても、強引なまでにひとつのそれなりに見栄えのする作品にまで昇華させてしまうところがありますからねー。
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