伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<20> クリスタルキング/もんた&ブラザーズ

2007-07-18 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回はクリスタルキング、もんた&ブラザーズの出演履歴を振り返ります。
この2組、一般的には「大都会」「ダンシング・オールナイト」があまりに大ヒットしてしまったためか「一発屋」として扱われている傾向が強く、夜ヒットへの出演はかなり少ないのでは?と思っている方も多いかもしれませんが、実際にはその後もクリキンの場合は「蜃気楼」、もんた&ブラザーズの場合は「DESIRE」「赤いアンブレラ」がスマッシュヒットしていたりと厳密な意味での「一発屋」という訳でもなく、夜ヒットにもそれぞれ18回出演と、想像していたよりも多く出演しています。

◆クリスタルキング-初出演:1979年12月10日(第579回)/最終出演:1982年9月27日(第724回)、出演回数:18回
01 1979/12/10(579) 大都会
02 1980/01/07(582) 大都会
03 1980/02/25(589) 大都会
04 1980/03/24(593) 蜃気楼
05 1980/04/21(597) 蜃気楼
06 1980/05/26(602) 蜃気楼
07 1980/06/23(606) 蜃気楼
08 1980/07/28(611) 処女航海
09 1980/08/25(615) 処女航海
10 1980/09/15(618) 処女航海
11 1980/11/03(625) 明日への旅立ち
12 1981/01/12(635) 明日への旅立ち
13 1981/04/27(650) PASSION LADY
14 1981/05/18(653) PASSION LADY
15 1981/06/08(656) PASSION LADY
16 1981/08/24(667) 海南風
17 1982/08/09(717) セシル
18 1982/09/27(724) セシル

クリスタルキングは、1979年の世界歌謡祭でグランプリを受賞したのを契機として、同年11月、グランプリ受賞曲「大都会」でバンド結成9年目で悲願のメジャーデビューを果たします。
パンチパーマにサングラスというワイルドな風貌で低音を聞かせるムッシュ吉崎、スマートな風貌に特徴的なカーリヘアー、圧倒的なハイトーンボイスを聞かせる田中昌之という個性的なツインボーカルの魅力によりこの曲は翌1980年にかけて150万枚以上を売り上げる大ヒットとなります。
夜ヒットには、世界歌謡祭がフジテレビ系列で中継・放送されていた関係から、出演枠も優遇的に与えられ、メジャーデビューからわずか3週間後の1979年12月10日に早くも初出演。以後、資生堂のキャンペーンソングとなった「蜃気楼」、そして「処女航海」、「PASSION LADY」と次々とシングルを発表し、1980~1981年にかけて準レギュラー格として番組にも多く顔を出していました。
ただ、徐々にシングル売り上げは減少し、また音楽活動に対するメンバー各人の変化なども影響してか、1981年秋から1年間は出演実績はゼロ、1982年7月発売の「セシル」での2回の出演が最後となりました。
因みにこの「セシル」という歌はそれまでのクリスタルキングの音楽スタイルとは一線を画す歌で、田中昌之はサブのコーラスに回り、代わってリードボーカルをギターの山下三智夫が務めており、CSの「スターデジオ」でこの曲を初めて聞いたときはこの曲がクリスタルキングの曲だとはちょっと想像できませんでした。この曲はある意味では同バンドの音楽性の幅の広さを物語っている稀有な作品であるといえると思います。

◆もんた&ブラザーズ-初出演:1980年5月26日(第602回)/最終出演:1983年12月12日(第786回)、出演回数:18回(もんたよしのり単独を含め計19回)
01 1980/05/26(602) ダンシング・オールナイト
02 1980/06/16(605) ダンシング・オールナイト
03 1980/07/21(610) ダンシング・オールナイト
04 1980/08/11(613) ダンシング・オールナイト
05 1980/09/29(620) 赤いアンブレラ
06 1980/10/20(623) 赤いアンブレラ
07 1980/12/01(629) 赤いアンブレラ
08 1981/03/09(643) ウィンド&レイニーデイ
09 1981/04/13(648) ウィンド&レイニーデイ
10 1981/07/27(663) Nobody Knows
11 1981/11/16(679) DESIRE
12 1982/01/18(688) DESIRE
13 1982/04/05(699) KOBE
14 1982/05/03(703) KOBE
15 1982/08/30(720) 声にならないLove Song
16 1982/11/22(732) Just You
17 1983/08/29(771) GONE-GONE
18 1983/12/12(786) デンジャー・ラブ
※ 1986/01/29(894) お前が好きやねん(※門田頼命(もんたよしのり)ソロ)

もんた&ブラザーズは、1980年4月に「ダンシング・オールナイト」でメジャーデビュー。この曲も上記のクリキンの「大都会」と同様に瞬く間に1980年を代表する大ヒット曲となりました。
夜ヒットには、レコードデビューから1ヶ月を経た1980年5月26日に初登場。その後は、1983年にかけてイレギュラーでの出演を続けました。
その後、1984年に同バンドは解散、後にもんたは再び(実は彼は1971年に1度ソロ歌手としてレコードデビューしており、厳密には「もんた&ブラザーズ」でのレコードデビューは彼にとっては「再」デビューであったそうです)ソロ歌手としての活動を開始。ソロ活動再開後初のシングルである「お前が好きやねん」も特に有線を中心に話題となり、1986年初頭にはソロ歌手として夜ヒットにも久々に顔を出しています。
尚、同じ「北島音楽事務所」所属の大橋純子とのデュエットで、1983年夏に「夏女ソニア」という歌を発売していますが、この曲についてはカネボウのCFソングであった関係で夜ヒットで披露することはできませんでした。
クリキンと同様、このバンドもボーカルの個性が光っており、もんたよしのりのハスキーボイスが人気を牽引していたという感があります。最初、誰とはわからずに「ダンシング・オールナイト」を聞いた人は、同じくハスキーボイスを武器とする森進一がこの歌を歌っている、と錯覚した人が多かったそうですが、実際のところは森進一以上にもんたよしのりのハスキーボイスは本格的で、歌声の全てを通じて擦れ気味の声(森進一の場合は声を伸ばして歌っている部分はあまり擦れていない状態で高いキーを歌っていたと思います)。このいわば「異質感のある声」が聞いてる人には「衝撃」となり、その衝撃が「ダンシング・オールナイト」の爆発的ともいえるヒットに繋がったといえると思います。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
管理人さま。 (夜ヒット大好き!)
2007-07-19 19:58:24
突然すみません、お伺いしたいことがあるのですが、メールアドレス等のご連絡先がわからなくて書き込みさせていただきましたm(__)m

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メアド (resistance-k)
2007-07-20 00:54:45
メアドはyoruhit@mail.goo.ne.jpでございます。
何かございましたらまたメールかコメント宜しくお願いいたします。
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メアド (グルーピー)
2018-09-29 18:01:49
更新が2012年から止まってるようですが
管理人さんお元気ですか?
私もお聞きしたいことがありまして、上記メールに
連絡差し上げたのですがメールが帰ってきてしまいました。連絡先を教えていただけないでしょうか?
お願いします。
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Unknown (Unknown)
2018-10-09 00:35:51
管理人でございます。
当方、多忙と、体調不良につき更新が止っております。申し訳ございません・・・。

連絡先ですが、
yoruhit19681990@gmail.com
までお願いいたします。
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Unknown (中島)
2022-01-13 21:10:29
申し訳ありません。上記のメアドにメールを送りましたが帰ってきました。
クリスタルキングの回について質問とお願いがあるのですが、ここで聞いても宜しいでしょうか?
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